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二戸での三浦文学講演会の講師をして頂いた盛岡在住の馬場勝行さんからお便りを戴いた。
先日の大地震では盛岡の自宅も大変大きな揺れで、本棚から書籍が散乱して大変な状況になり未だに片づいていないと嘆いていたが、奥様共々ご無事のようなので安心した。
今回は、馬場さんが以前に所属していた盛岡東ロータリークラブから卓話を頼まれて三浦文学について話をして来たとのことで、その時の内容が掲載されている会報を送って下さった。
この例会での卓話の所要時間は概ね30分程度の筈だが、短い時間の中で作家三浦哲郎の人となりを簡潔明瞭にお話されているので、失礼してここに紹介させて頂くことにしよう。
「芥川賞作家・故三浦哲郎の思い出」
盛岡東RC元会長 馬場 勝行
例会卓話にお招き戴き、お礼申し上げます。
三浦哲郎は、昭和6年3月に八戸市で生まれ、同24年4月に八戸高校から早稲田大学政治経済学部に入学しますが、家庭の事情で翌年退学します。
兄姉6人中、2人が自殺、2人が失踪という複雑な家庭で、代用教員後の同28年、父出身の金田一村湯田(現二戸市)から一戸町に家族帯同転居、同年、早稲田大学文学部仏文科に再入学している。
卒業後、従業員2人の出版社に勤務、瀬戸内晴美(寂聴)と川上宗薫の原稿取りを担当することになります。
すでに宗薫は、芥川賞候補になること5回、しかし、昭和36年に三浦の『忍ぶ川』が芥川賞を受賞します。原告取りの「坊や」が宗薫を差し置いて受賞し、彼は激怒し、ヤケ酒となります。
後に文藝春秋社が「思い出に残る芥川賞受賞作品」というアンケート調査をして、『忍ぶ川』は2位、1位は石原慎太郎の『太陽の季節』、3位は森敦の『月山』でした。
この結果を直木賞作家の林眞理子、浅田次郎、出久根達郎の3氏が論評し、「甘さと古風を持っている。三浦の古風さ、甘さは人間本来の営みの中で大変大きなことではないか」と言っています。
八戸では三浦を「青森県人」と言い、一戸や二戸では「岩手の人」だと綱引きをしますが、彼自身は『自作への旅』の中で「八戸は生まれ故郷」「一戸は郷里の町」と書いています。
どちらも傷つかないように表現しているように、それぞれが「わが街のひと」と思えば良いのではないでしょうか。
もっとも自治体の顕彰の取組みは岩手のほうが早く、一戸町名誉町民が平成9年に対し八戸市名誉市民は平成16年、文学碑の建立は一戸町が昭和53年に対し、八戸市は平成9年です。
私は昭和24年盛岡一高から早稲田大学政治経済学部に入学。
私は陸上競技部、彼はバスケットボールの部活動を希望し、大学の体育館で偶然出会います。言葉訛りが同じで名乗り合ううちに盛岡と八戸の旧南部藩同士ということになり、以後交流が始まったのです。
彼は八戸高校時代、石川国体バスケットボールで準決勝まで進み、「ハヤブサ(隼)の哲」と呼ばれたのですが、早稲田では大男たちを見て入部しなかったのです。
今では共通語が普及して画一化される中で方言が失われていくことを憂えますね。
二戸市に平成18年、「三浦哲郎文学を読む会」が組織され、合評会や講演会、全国の三浦ファンへの呼かけなど幅広く活動していることをお知らせし、終わりといたします。(卓話要旨)
馬場さんはもう少し詳しく話しをされたと思うが、会報の担当者が要旨をまとめて掲載したものなので、ご了承戴きたい。
馬場さんがこのような機会を得たのは、恐らく、二戸での講演会で講師をしたことが切っ掛けだったのではないか。
縁が縁を呼び、色々な場面で岩手にゆかりの作家三浦哲郎のことを多くの人に知って貰える機会が増えて行くことは、とても喜ばしいことである。
読む会の活動についても紹介して戴いたとのこと、大変光栄に思うと共に、それに恥じないように活動しなければと叱咤激励を受けた思いがしている。
早速、お便りのお礼の電話を入れたら、手持ちの資料の中から、三浦さんのことを取上げている岩手日報の新聞記事が色々出てきたと話していたので、今度お会いた時に見せて貰えることを楽しみにしている。
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