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pap*k*manさんからのコメントを読んで、三浦さんの『自作への旅』に『海の道』も取り上げられていたことを思い出して、読み返してみた。
今回の新聞連載記事で編集者の吉田さんは、『自作への旅』で三浦さんが書いている『海の道』という小説についてのことには触れていなかったが、 この作品は、まるで神様の引き合わせとしか思えぬような、幸運な出会いに恵まれたことから生まれた作品だったという。 偶然がもたらした作品でそういう作品に限って、自分の仕事に一つの新段階を迎えるきっかけになっているのは、我ながら不思議というほかはないと書いている。 もしも将来、自分に発表舞台と機会が与えられたら、郷里の八戸の港の歴史を背景にした長い小説を書こう、という夢を抱いているところへ、居酒屋で出会った〈文學界〉の編集長に 「長い小説を、毎月すこしずつ、丹念に書いてみたらどうでしょうね。田舎の話しでもあるといいんですがね、郷土史みたいな。うちで連載しましょうよ。ページを開けておきますからね」 と耳打ちされたというのである。 なんという幸運な出会いだったろう。 編集長の思いやりと三浦さんの夢は、その内容においてぴったり合致していたのだったのである。 やはり、三浦さんの混血児にたいしての思いは、家族への思いに繋がっているのであった。 三浦さんは他にも混血児が登場する作品をいくつか書いている。 「鰻の文鎮」や「少年賛歌」などがそうである。 三浦さんは、この小説を連載中、明治の末期から敗戦時までの八戸の風俗を確かめるために、月に一度は帰郷して、ホテルに滞在しながら古い土地の新聞を閲覧させて貰うために毎日図書館通いをしたそうだ。 町の様子を知るには、何よりも新聞が役に立つといって三浦さんはノートをとりながら1日分ずつていねいに閲覧したという。 その時に〈奥南新報〉昭和12年分の中から突然、『丸三呉服店の娘津軽海峡で投身自殺』という大見出しの記事を発見したのである。 連載が終わった時、三浦さんは38歳になっていたというから、初期の長編小説と言うことになる。 |
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