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一昨日の30度もあった真夏日とは打って変わって、真夏だと言うのに今夜の気温は12度。
当地には低温注意報が出ていて、半袖シャツでは鳥肌が立つほど寒さを感じている。 それでも今年も夏の土用がやって来た。 19日は土用の入り。 暦の上では土用の丑の日は27日で、本来なら金田一温泉も丑湯の日となるのだが、今年は21日(土)に行われる『金田一温泉まつり』が近年恒例になっている金田一温泉の「丑湯」の日になる。 「丑湯」には一年三百六十五日湯治したのと同じ効果があるそうだから、皆さんも入浴に訪れては如何か。 この金田一温泉の「丑湯」については、三浦さんが『笹舟日記 - 土用の丑の湯』に記載してくれているので紹介させて頂く。 ■『笹舟日記 - 土用の丑の湯』より抜粋 ……私のところでは、この七年来、土用の丑の日には丑湯に入って鰻を食べるのがならわしである。丑の日に鰻を食べるというならわしは何処にでもあるが、丑湯というのには馴染みのない人が多いのではなかろうか。 私は東北の人間だから東北のことしか知らないが、東北の古い温泉場では土用の丑の日を丑湯といって、この日に温泉に入れば、一年三百六十五日湯治したのとおなじ効果があるといわれている。 それで、この日はどこの温泉場も湯治の客で膨れ上がり、それに近在からも骨休めの人々が押しかけてきて、浴場という浴場は裸の人でごったがえすことになる。温泉神社の境内では、草相撲の奉納があり、夜は飛び入り勝手の素人演芸会で遅くまで歌や太鼓の音が絶えない。丑湯は、いわば湯治場の夏祭りである。 私は、この丑湯というのを、父の生まれ在所の温泉村でおぼえた。岩手県の県北の、裏山を一つ越せばもう青森県という県境に、金田一温泉というところがあって、ここが父の生まれた在所だが、私は東京の大学をやめてきて、八戸の海岸町の中学校で二年間教師をしてから、ふたたび上京するまでの一年間をこの村で過ごして、その年の夏、初めてここの丑湯に入ったのである。 いまでこそ、金田一温泉といえば、岩手県の県北では唯一の温泉として人に知られるようになっているが、そのころは誰も温泉などと呼ぶ人がいなくて、金田一村の湯田というただのひっそりとした山裾の集落にすぎなかった。いまでは当世風の温泉旅館が二十軒近くあるが、私の住んでいたころは、自炊の湯治客相手の古びた温泉宿が、たった三軒しかなかった。 田の畔道のそばに、白く濁ったぬるま湯が湧いていて、それを三軒の温泉宿がパイプで引いて、薪を焚いて沸かしていた。それでも、ラジュウムの含有量ではわが国第何位とかで、昔から皮膚病にはとてもよく効くといわれていた。 私が十円の入湯料を払ってよく出入りした温泉宿の、脱衣場に掲げてあった板の額には、そんな効能書のほかに、この湯には、かの俳聖芭蕉も入ったことがあると書いてあった。東海の小島の磯の白砂にの石川啄木も入ったことがあると書いてあった。真偽のほどはわからないが、もしこれが本当なら、芭蕉や啄木は、生前、悪質なおできに悩んだことでもあったのだろうか。 丑湯の日がくると、近在から集まってくる一日湯治の客たちで、静かな山裾の集落は村祭りの日よりも賑やかになる。三軒の温泉宿は忽ち満員になり、部屋からあぶれた人たちは谷間の浴場へ降りる曲がりくねった階段の踊り場などに坐り込んだり、宿のまわりの風通しのいい木陰に茣蓙を敷いて寝そべったりしていた。 浴場からは、終日、爺さん婆さんたちの歌う民謡がのんびりときこえていた。このあたりでは、風呂がひどく混雑することを『大根洗い』といっているが、私が丑湯へ入りにいったときも浴場はまさに大根洗いで、けれども、みんなは口を噤んで、ひとりの婆さんの詩吟に聞き惚れていた。その婆さんは、もう六十近いとみえるのに、とてもそんな齢とは思えぬようないい声で、実に朗々と歌っていた。湯船の縁に腰をおろして、胸の上から小娘のようにタオルを縦に垂らして、二重にも三重にもたるんだ腹を隠しているところが、可憐にみえた。 東京の銭湯では、菖蒲湯や柚子湯はやってくれるが、丑湯というのはやらない。銭湯は温泉ではないのだから、やっても意味がないのかもしれないが、要は暑いさかりに一日骨休めの日を作って、心身共にのんびりと過ごすというのが丑湯の眼目なのだから、どこかの温泉場の湯の花でも取り寄せて、丑湯というものもやってみたらどんなものだろう。 私は、七年前、風呂場のある家に住むようになってから、毎年丑湯に入っているが、私のところの丑湯にだって、別段、種も仕掛けもあるわけではない。普通の水をガスで沸かした、ただの風呂にすぎない。けれども、私は普段、季節も目に留まらないほどあわただしい暮らし方をしているから、こんな思い出のある日ぐらいは、田舎の流儀に従って人心地が取り戻したくて、この日は朝から丑湯と称する湯に入り、湯あがりにビールを飲んで、終日うつらうつらと過ごすのである。 以下省略 この後には八甲田山の酸ヶ湯温泉の丑湯の面白い話が続いているので、是非読んでみることをお薦めする。 文中の三浦さんが入ったという温泉宿は「古湯=神泉館」になるが、残念なことに数年前に廃業してしまって今はもう無い。 三浦さんが金田一温泉で過ごした一年は1952(昭和27)年4月〜1953(昭和28)年3月だから、今から60年も前のことで、私が生まれて間もない頃だった。 そして、この『笹舟日記 土用の丑の湯』が書かれたのが1972(昭和47)年の夏だから、それから丁度20年後のことになる。 この作品が書かれてからも既に40年が経っている。 旧金田一村生まれの私たちは、金田一温泉を「キュリー夫人もびっくりのラジュウム温泉」といってよく自慢したものだった。 そのキュリー夫人が二戸の偉大な物理学者田中館愛橘の友人だったとは…。 そのラジュウムも何故か今は表に出なくなっている。泉質が変わってしまったのだろうか。 夏の暑さを元気に過ごすためにも、是非、三浦さんも自慢だった金田一温泉の土用の丑の湯をご堪能頂きたい。 |

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