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4月13日は、郷土岩手にゆかりの歌人「石川啄木」の命日だった。
昨日はゆかりの宝徳寺で101回忌法要が行われたと地元テレビで放送していた。
今年は没後100年を記念して様々な顕彰行事が行われるらしい。
三浦さんは啄木と45歳違いだから、啄木が26歳で亡くなった19年後に生まれていることになる。
その啄木の「ローマ字日記」を三浦さんは大絶賛している。
そのことは『啄木のローマ字日記』(『春の夜航』1985.講談社刊。『恩愛』-「私と芸術」の章 2005.7世界文化社刊。初出は「太陽」1980.11月号。)という作品に書かれているので興味のある方は読んでみることをお薦めする。
そして啄木の『ローマ字日記』もである。
■岩手日報 新聞記事 4月14日
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120414_1
【101回忌、啄木しのぶ 関係者ら継承へ意欲】
盛岡市玉山区出身の歌人、石川啄木(1886〜1912年)の101回忌法要(啄木祭実行委主催)は命日の13日、同区渋民の宝徳寺で行われた。没後100年の今年はさまざまな顕彰行事が予定されており、関係者は啄木が残した歌や詩を後世へ伝えていくことを誓った。
関係者やファンら約140人が出席。出席者全員が焼香した後、没後100年を記念して新たに作った「啄木かるた」を奉納。地元の女声合唱団や吟詠会が啄木の作品を歌や詩吟で披露した。
合唱で参加した同市玉山区好摩の主婦村山栄子さん(68)は「歌っていると、古里を思う啄木の気持ちが胸に迫ってくる」と感動した様子で話した。
同日は啄木が最期を迎えた東京都文京区小石川の都旧跡「石川啄木終焉(しゅうえん)の地」周辺でも献花祭と講演会が開かれた。地元の久堅(ひさかた)西町会(井上義一会長)が没後100年を機に初めて企画。住民、研究者ら約30人が参加。啄木の遺影の前で手を合わせ、薄幸の天才歌人をしのんだ。
没後100年記念事業は、フォーラムや企画展などを予定。啄木が陸前高田市の高田松原を訪れたことを記念して建立された歌碑が津波で流失し、再建を目指して募金も行っている。
【写真=参列者が静かに手を合わせ、歌人石川啄木をしのんだ101回忌法要=盛岡市玉山区の宝徳寺】
(2012/04/14)
因みに、啄木が使ったローマ字は、同じ岩手のわが郷土二戸が誇る世界的物理学者田中館愛橘博士が考案し普及を図った「日本式ローマ字」である。
■ウィキペディアより
【ローマ字】
…略…
幕末の1867年、来日していたアメリカ人ジェームス・カーティス・ヘボンが和英辞書『和英語林集成』を著し、この中で英語に準拠したローマ字を使用した。これは、仮名とローマ字を一対一で対応させた最初の方式である。この辞書は第9版まで版を重ね[2]、第3版から用いたローマ字はヘボンの名を入れヘボン式ローマ字として知られるようになる[2]。
一方、ヘボン式ローマ字は英語の発音に準拠したので、日本語の表記法としては破綻が多いとする意見があった。そうした立場から、1885年に田中館愛橘が音韻学理論に基づいて考案したのが日本式ローマ字である。日本式は音韻学理論の結実として、日本国内外の少なくない言語学者の賛同を得た。
…略…
■田中館愛橘記念科学館
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/aikitu.html
三浦哲郎もいつの日か啄木のように多くの人に評価される時がくることを願っている。
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