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先日の日曜日に、車で40分ほどの青森県新郷村に在る三浦作品ゆかりの場所を訪ねて来たので紹介しよう。
以前に通りかかった時には寄らずにお預けになっていたが、改めて訪問してみて小説の内容が真実であるか検証できた。 まずは、その作品の一部から ……彼は、ふと思い出して、郷里の盆踊りの唄をひとふし口ずさんだ。 「……なんだい、いまの鼻歌は。」と、すこし間を置いてから相棒がいった。 「変な唄を知っているんだな。どこの国の唄?」 「どこの国って、おれの田舎の唄だよ。」 「おまえの田舎の? おれはまた、アフリカあたりの唄かと思ったよ。文句がまるでわからなかった。」 「盆踊りの唄でな。よく、月夜の晩に、こうして自分の影を踏みながら踊ったんだ」 そういって、足元の影をちょっと蹴るようにすると、踵を踏み潰したスニーカーが足から脱げて前の方へ転がった。相棒が、くすっと笑った。 「おまえ、踊れるのか?」 「踊れるさ。おれの村には踊れない奴なんか一人もいないよ。なんなら踊って見せようか。」 「いいよ。いまでなくったって。」と、相棒は本気で立ち止まりそうになった彼の腕に手をかけていった。 「それにしても、さっきのはなんだか変てこな唄だったな。御詠歌みたいな。あれをもう一遍やってみろよ。」 それはお安い御用で、 (にゃにゃどやらよおう、にゃにゃどなされのお、にゃにゃどやらよおう……) と低い声でゆっくり唄って見せると、相棒は首をすくめて噴き出した。 「驚いたなあ。まるっきりわからねえや。その先は?」 「先なんてないよ。歌の文句はこれっきりで、これをおなじ節回しで繰り返すんだ、際限もなく。」 「……際限もなく、ねえ。まるで唄というより呪文だな。一体、どういう意味なんだ?」 「それは俺にもわからない。俺ばかりじゃなくて、誰にもわからないんだよ。」 「どうしてだろう。おあめの田舎の唄なんだろう?だったら、東北弁だろう。」 「多分な。大昔の東北弁がだんだん崩れて、途中で意味がわからなくなっちゃったのかもしれない。でもね、ヘブライ語だという説もある。」 「ヘブライ語?」 「ヘブライ語だとすれば、<永久に汝安かれ>という意味になるらしい。」 相棒は笑い出した。 「ヘブライ語とは、意表を突くね。だけど、どうしておまえの田舎にヘブライ語の唄が残っているんだ?」 「それはな、キリストがきたからだよ。」 「キリストが? おまえの田舎にか?」 「そうよ。日本へは二度きて、その二度目におれの田舎の方へきたんだ。そんな話、聞いたことないか?」 「初耳だな、キリストが日本にきたなんて。確か歴史の時間にも習わなかったぜ。」 「当たり前だよ。歴史年表の第一頁の、西暦元年から百年までの間、つまりキリストが生まれてから百年間の項には、たった一行、<一月、倭奴国、後漢の光武帝に貢して奴国印を与えられる>と出ているだけだからな。」 相棒は、くすんと鼻を鳴らして舌打ちした。」 「おまえ、よくそんなことを憶えているな。」 「そりゃあ、ついこの春先まで、これに類したつまらんことばかりせっせと頭に詰め込んでいたんだからな。キリストが最初に日本へきたのは第十一代垂仁天皇のころで、そのときは十一年間滞在して専ら勉学にいそしんだ。」 「何を勉強したんだ。」 「多分、神様についてだろうな、ユダヤへ帰ってから日本と神様の尊さを結びつけて説いたっていうから。でも、残念ながらその教えは長老たちの容認するところとはならなかった。あまつさえ、パイサイ派の学者たちの猛反対に逢って、結局ローマ軍に囚われることになる。」 「あまつさえ」と、相棒は面白がって口真似をした。 「エルサレムはゴルゴダの丘で十字架に処せられるんだろう。」 「ところが、そのとき十字架に懸けられたのはキリストその人じゃなくて、実は弟のイスキリだった。」 「ほう。弟が身代りになったのか。」 「兄のキリストの方は、何人かの弟子と一緒にシベリアからアラスカへ渡って、それから俺の田舎へやってきた。」 「どうも、唐突だな。」と、相棒は顔を顰めながら頭へ手を上げて、五本指で長く伸ばした髪の毛を摑んだ。 「シベリア経由の、アラスカ回りか。まあ、大昔のことだからな、そんな遠回りも仕方がないとしても、どうしてそこへ突然おまえの田舎がでてくるんだ?」 「アラスカから舟で海流に乗っかってくれば、ちょうど俺の田舎のあたりの浜に着くらしい。」 「なるほど。それで安心したよ。キリストはわざわざおまえの田舎へきたんじゃなくて、偶然漂着したわけだ。」 「キリストは何をしたんだ。」 「まず、名前を十来太郎大天空と改めた。」 彼は、自分の手のひらに指でその名を一字ずつ書いて見せた。 「それから、ミユという女を妻にして、貧民救済のために諸国を行脚しながら生涯を送ったそうだ。」 相棒は、苦しそうな声を洩らしながら腕組みをした。 「おまえ、笑ったら怒るだろうな。」 「怒りゃしないよ。おかしかったら笑えばいいさ。だけど、俺は調子に乗って駄法螺を吹いたんじゃないんだからな。おまえが唄のヘブライ語説の由来を訊くから、俺は俺の田舎に古くから伝わっているキリスト伝説をそのまま話してやったまでなんだから。」 「それはわかってるさ。」 「だけど、驚いたな。まさか、あの変てこな唄からキリスト伝説が出てくるとは思わなかった。」 「東北には、これと似たような義経伝説があちこちにあるけど、キリスト伝説といえば俺の田舎だけだからな。」 と彼はいった。ひさしぶりに田舎の話をしたせいか、胸のあたりがすっきりとしていい気持だった。そういえば、この春、東京へ出てきて以来、独り言を除いてこんなに気楽に喋ったのは初めてのことだと彼は気づいた。これまでは、田舎訛が気になって、人前ではひたすら無口を装っていたのだが、今日はいきなりヘブライ訛の唄ではじまったせいか、話していてすこしも恥ずかしくはなかった。 これでいい。田舎者だからといって、なにもびくびくしながら暮らすことはない。どこでも住めば都なのだから、気兼ねなく自分の流儀で暮らすのがいいのだ。彼はそう思い、そんな自分を鼓舞するために、歩きながら何度か道端へ田舎風に唾を飛ばした。 「だけどさ」と相棒がいった。 「そのキリスト伝説を裏付けるものが、ヘブライ語の<永久に汝安かれ>の唄一つっていうのは、ちょっと淋しくはないか?」 「いや、まだほかにもあることはあるんだ。まず、墓がある。墓といっても、離れるとちょっとした丘みたいに見える、ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。それにな、その墓のある村には、いまでも子供が生まれると、おでこに墨で十字を書いたり、着物にダビデの星型を縫いつけたりする風習が残っている。」 相棒は、ほんのちょっとの間だけだが、狐につままれたような顔になり、それがまた彼の酔心地を一段と濃厚なものにした。 「だから、ひょっとしたら俺なんかにもキリストの血が混じっているかもしれないわけだけど、まあ、そんなことはどうだっていいんだ。重大なのは今夜のことだよ。海賊がナポリをみてから死ねってさ。元気を出そうぜ。」 と彼はいった。 この後、二人は歓楽街へと向かうのである。 そう、これは『歓楽』(『蟹屋の土産』などに収録)という小説に描かれていて、私たちの住むこの南部地域に伝わる盆踊り唄の「なにゃとやら」を、全く言い伝えられている通りに上手く解説してくれているのである。 この小説に描かれている通り、キリストの墓は新郷村に存在していた。 証拠写真をみれば一目瞭然。 離れるとちょっとした丘みたいに見える。…その通りだった。
ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。
■過去の関連記事 ・東奥日報連載三浦哲郎特集№30(11.10.23)「歓楽」 2011/11/28(月) ・新郷村の「キリストの墓」 2010/6/26(土) |
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2012年06月27日
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