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この春に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞した青森県弘前市出身の評論・批評家、三浦雅士さん(65)の祝賀会がこのほど郷里の弘前市で開催されたという記事が出ていたので紹介する。
■東奥日報新聞 6月27日(日) 三浦さんの芸術院賞受賞を祝う 「青春の終焉」や「人生という作品」などを著し、2011年度の日本芸術院賞・恩賜賞に輝いた弘前市出身の評論・批評家、三浦雅士さん(65)の祝賀会が26日、同市の弘前パークホテルで開かれ、関係者約160人が三浦さんの長年の功績をたたえた。 ■当ブログの関連記事 三浦雅士氏恩賜賞・日本芸術院賞受賞 2012/3/17(土)【この人この3冊:三浦哲郎=三浦雅士・選】毎日新聞過去記事 2010/12/6(月)三浦雅士氏は、三浦哲郎さんの著書『母の肖像』に、三浦哲郎作家論『二重の視線』を寄せているので、皆さんにも読んでみることをお薦めしたい。 |
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先日の日曜日に、車で40分ほどの青森県新郷村に在る三浦作品ゆかりの場所を訪ねて来たので紹介しよう。
以前に通りかかった時には寄らずにお預けになっていたが、改めて訪問してみて小説の内容が真実であるか検証できた。 まずは、その作品の一部から ……彼は、ふと思い出して、郷里の盆踊りの唄をひとふし口ずさんだ。 「……なんだい、いまの鼻歌は。」と、すこし間を置いてから相棒がいった。 「変な唄を知っているんだな。どこの国の唄?」 「どこの国って、おれの田舎の唄だよ。」 「おまえの田舎の? おれはまた、アフリカあたりの唄かと思ったよ。文句がまるでわからなかった。」 「盆踊りの唄でな。よく、月夜の晩に、こうして自分の影を踏みながら踊ったんだ」 そういって、足元の影をちょっと蹴るようにすると、踵を踏み潰したスニーカーが足から脱げて前の方へ転がった。相棒が、くすっと笑った。 「おまえ、踊れるのか?」 「踊れるさ。おれの村には踊れない奴なんか一人もいないよ。なんなら踊って見せようか。」 「いいよ。いまでなくったって。」と、相棒は本気で立ち止まりそうになった彼の腕に手をかけていった。 「それにしても、さっきのはなんだか変てこな唄だったな。御詠歌みたいな。あれをもう一遍やってみろよ。」 それはお安い御用で、 (にゃにゃどやらよおう、にゃにゃどなされのお、にゃにゃどやらよおう……) と低い声でゆっくり唄って見せると、相棒は首をすくめて噴き出した。 「驚いたなあ。まるっきりわからねえや。その先は?」 「先なんてないよ。歌の文句はこれっきりで、これをおなじ節回しで繰り返すんだ、際限もなく。」 「……際限もなく、ねえ。まるで唄というより呪文だな。一体、どういう意味なんだ?」 「それは俺にもわからない。俺ばかりじゃなくて、誰にもわからないんだよ。」 「どうしてだろう。おあめの田舎の唄なんだろう?だったら、東北弁だろう。」 「多分な。大昔の東北弁がだんだん崩れて、途中で意味がわからなくなっちゃったのかもしれない。でもね、ヘブライ語だという説もある。」 「ヘブライ語?」 「ヘブライ語だとすれば、<永久に汝安かれ>という意味になるらしい。」 相棒は笑い出した。 「ヘブライ語とは、意表を突くね。だけど、どうしておまえの田舎にヘブライ語の唄が残っているんだ?」 「それはな、キリストがきたからだよ。」 「キリストが? おまえの田舎にか?」 「そうよ。日本へは二度きて、その二度目におれの田舎の方へきたんだ。そんな話、聞いたことないか?」 「初耳だな、キリストが日本にきたなんて。確か歴史の時間にも習わなかったぜ。」 「当たり前だよ。歴史年表の第一頁の、西暦元年から百年までの間、つまりキリストが生まれてから百年間の項には、たった一行、<一月、倭奴国、後漢の光武帝に貢して奴国印を与えられる>と出ているだけだからな。」 相棒は、くすんと鼻を鳴らして舌打ちした。」 「おまえ、よくそんなことを憶えているな。」 「そりゃあ、ついこの春先まで、これに類したつまらんことばかりせっせと頭に詰め込んでいたんだからな。キリストが最初に日本へきたのは第十一代垂仁天皇のころで、そのときは十一年間滞在して専ら勉学にいそしんだ。」 「何を勉強したんだ。」 「多分、神様についてだろうな、ユダヤへ帰ってから日本と神様の尊さを結びつけて説いたっていうから。でも、残念ながらその教えは長老たちの容認するところとはならなかった。あまつさえ、パイサイ派の学者たちの猛反対に逢って、結局ローマ軍に囚われることになる。」 「あまつさえ」と、相棒は面白がって口真似をした。 「エルサレムはゴルゴダの丘で十字架に処せられるんだろう。」 「ところが、そのとき十字架に懸けられたのはキリストその人じゃなくて、実は弟のイスキリだった。」 「ほう。弟が身代りになったのか。」 「兄のキリストの方は、何人かの弟子と一緒にシベリアからアラスカへ渡って、それから俺の田舎へやってきた。」 「どうも、唐突だな。」と、相棒は顔を顰めながら頭へ手を上げて、五本指で長く伸ばした髪の毛を摑んだ。 「シベリア経由の、アラスカ回りか。まあ、大昔のことだからな、そんな遠回りも仕方がないとしても、どうしてそこへ突然おまえの田舎がでてくるんだ?」 「アラスカから舟で海流に乗っかってくれば、ちょうど俺の田舎のあたりの浜に着くらしい。」 「なるほど。それで安心したよ。キリストはわざわざおまえの田舎へきたんじゃなくて、偶然漂着したわけだ。」 「キリストは何をしたんだ。」 「まず、名前を十来太郎大天空と改めた。」 彼は、自分の手のひらに指でその名を一字ずつ書いて見せた。 「それから、ミユという女を妻にして、貧民救済のために諸国を行脚しながら生涯を送ったそうだ。」 相棒は、苦しそうな声を洩らしながら腕組みをした。 「おまえ、笑ったら怒るだろうな。」 「怒りゃしないよ。おかしかったら笑えばいいさ。だけど、俺は調子に乗って駄法螺を吹いたんじゃないんだからな。おまえが唄のヘブライ語説の由来を訊くから、俺は俺の田舎に古くから伝わっているキリスト伝説をそのまま話してやったまでなんだから。」 「それはわかってるさ。」 「だけど、驚いたな。まさか、あの変てこな唄からキリスト伝説が出てくるとは思わなかった。」 「東北には、これと似たような義経伝説があちこちにあるけど、キリスト伝説といえば俺の田舎だけだからな。」 と彼はいった。ひさしぶりに田舎の話をしたせいか、胸のあたりがすっきりとしていい気持だった。そういえば、この春、東京へ出てきて以来、独り言を除いてこんなに気楽に喋ったのは初めてのことだと彼は気づいた。これまでは、田舎訛が気になって、人前ではひたすら無口を装っていたのだが、今日はいきなりヘブライ訛の唄ではじまったせいか、話していてすこしも恥ずかしくはなかった。 これでいい。田舎者だからといって、なにもびくびくしながら暮らすことはない。どこでも住めば都なのだから、気兼ねなく自分の流儀で暮らすのがいいのだ。彼はそう思い、そんな自分を鼓舞するために、歩きながら何度か道端へ田舎風に唾を飛ばした。 「だけどさ」と相棒がいった。 「そのキリスト伝説を裏付けるものが、ヘブライ語の<永久に汝安かれ>の唄一つっていうのは、ちょっと淋しくはないか?」 「いや、まだほかにもあることはあるんだ。まず、墓がある。墓といっても、離れるとちょっとした丘みたいに見える、ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。それにな、その墓のある村には、いまでも子供が生まれると、おでこに墨で十字を書いたり、着物にダビデの星型を縫いつけたりする風習が残っている。」 相棒は、ほんのちょっとの間だけだが、狐につままれたような顔になり、それがまた彼の酔心地を一段と濃厚なものにした。 「だから、ひょっとしたら俺なんかにもキリストの血が混じっているかもしれないわけだけど、まあ、そんなことはどうだっていいんだ。重大なのは今夜のことだよ。海賊がナポリをみてから死ねってさ。元気を出そうぜ。」 と彼はいった。 この後、二人は歓楽街へと向かうのである。 そう、これは『歓楽』(『蟹屋の土産』などに収録)という小説に描かれていて、私たちの住むこの南部地域に伝わる盆踊り唄の「なにゃとやら」を、全く言い伝えられている通りに上手く解説してくれているのである。 この小説に描かれている通り、キリストの墓は新郷村に存在していた。 証拠写真をみれば一目瞭然。 離れるとちょっとした丘みたいに見える。…その通りだった。
ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。
■過去の関連記事 ・東奥日報連載三浦哲郎特集№30(11.10.23)「歓楽」 2011/11/28(月) ・新郷村の「キリストの墓」 2010/6/26(土) |
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このブログで7月移動例会南郷図書館『三浦文学の部屋』開催の記事を読んだ読者から、早速、参加申し込みのメールを頂いた。
■2012/06/25 (月) 21:12 ブログで拝見いたしました。
7月の移動例会に、参加させていただきたく、
✉送信いたします。
現在、車を持っておりませんので、
南郷まで、おいでになる何方かのお車に、
同乗させていただければ、と思います。
勝手を言って申し訳ございませんが、
可能であれば、お願いいたします。
(金田一までは、間に合うように電車で参じます)
先週末、
『JR東日本』企画の『駅からハイキング』で、
一戸町を歩いてまいりました。
三浦先生については、配布される案内図の中で、
岩瀬橋のたもとの記念碑が紹介されていたのみで、
「もったいないなぁ…」と思いました。
広全寺も、
観光ポイントの一つとして取り上げられていましたが、
解説はありませんでした。
いつか、
一戸、二戸、八戸を連携して、
三浦先生をテーマに掲げた、
『駅からハイキング』の企画ができたら、いいですネ。
『駅からハイキング』は、
特に、首都圏からの参加者が多いので、
三浦先生の故郷を知っていただく、
とても良い機会になると思うのです。
(ガイドできる人材があることですし)
夜分遅くに失礼いたしました。
それでは、また。
感謝感激! 早速、南郷図書館に企画書を送信して、地域の人たちへの参加呼びかけに協力してもらえるようにお願いした。 会員への案内ハガキの投函も終えた。 開催の案内文書は次の通り、南郷区や八戸市民への周知のための手立てを講じて、多くの人に参加して貰えるようにしたいと思うので、皆さんにもご協力を願いたい。 その際には、下記の案内文書をコピーして控えや宣伝に使用して頂けたら有難い。 |
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昨日、出かけた青森県内の温泉施設で新聞を読んでいて、偶然に八戸市で三浦哲郎文学散策会が開催されたというニュースを見かけたので紹介する。
■Web東奥日報news 2012年6月22日(金) 三浦哲郎文学ゆかりの地を散策 ●動画でも観られる ●写真:生誕の碑の前で三浦さんに思いをはせる参加者ら 八戸市出身の芥川賞作家、故三浦哲郎さんのゆかりの地を巡る文学散策会が21日、同市中心街で行われた。参加した三浦作品の愛好者33人は、三浦さんが生まれ育った土地を歩き、故郷の小説家をしのんだ。 散策会は今年で2回目、三浦哲郎文学顕彰協議会が主催した。この日は、2班に分かれて市公会堂前の文学碑や三日町の生家跡など8カ所を巡った。ゆかりの地では、同協議会の案内役が三浦さんの作品にちなんだエピソードを話したり、作品の一部を朗読。参加者は、情景を思い浮かべながら聞き入っていた。 文学碑の前では、同協議会事務局次長の宮忠さんが「ここは三浦さんの母校(八戸尋常小学校)があった場所。おそらく三浦さんもこの場所で遊び回っていたのだろう」と紹介した。 散策会に初めて参加した同市の金谷誠一さん(64)は「今まで知らなかった(三浦さんの)エピソードをたくさん知ることができてよかった」と満足げに話した。 ■デーリー東北新聞 2012.H24.6.24 |
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■画像:八戸市立南郷図書館「三浦文学の部屋」 |



