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「岩手県謎解き散歩」を読んで、文学編に岩手にゆかりの作家たちが掲載されていたので、青森県版には三浦哲郎氏も載っているのではと思って購入して確認してみたら、やはり郷土の芥川賞作家として取り上げられていたというのである。 昨日、私も書店で入手して、第3章―文学編「ハヤブサの哲―三浦哲郎」のところを読ませて頂いた。 この文章は青森県近代文学館提供のようである。 短い文章の中に作家三浦哲郎氏のことをとても上手く纏められていて、初めて読む人にも印象深く理解して頂けるだろう。 差し支えあるか分からないが、ここに紹介させて頂くことにする。 新人物文庫「青森県謎解き散歩」(盛田稔著 2012.H24.12.13 新人物往来社発行) 第3章 ― 文学編 ハヤブサの哲 ――― 三浦哲郎 三浦哲郎は、昭和六年(1931)三月、八戸市に兄二人、姉三人の末弟として生まれた。二年後の三月三日、大津波が三陸を襲う。三浦の自伝的小説『白夜を旅する人々』では、地震のあと東の空が青白く光ったと、翌日の海岸ではなにもかもが跡形もなく流され、一面の泥海の中に家の土台石が散らばり、波間に漂う残骸が次第に沖に流されていく様子が描かれている。 これが予告であるかのように、つらい出来事が続く。三浦の六歳の時の誕生日に、次姉が青函連絡船から投身。その夏、長兄が失踪。翌年秋には障害を持っていた長姉が自殺した。さらに昭和二十五年には次兄も行方不明になる。この「血」への苦悩から三浦は文学を志す。 しかし、三浦の作品は闇を指向しない。旧制八戸中学校三年で終戦を迎え、打ち込んでいた剣道がGHQの命令で禁止されると、代わりにバスケットボールに熱中し、昭和二十二年の国民体育大会には、県代表として出場。準決勝進出の大活躍をした。「ハヤブサの哲」と呼ばれたこのときのことを書いた「猫背の小指」「汁粉(しるこ)に酔うの記」(『笹舟日記』所収)は、悲しくもおかしい。 MPに剣道の道具を焼かれ、炎に向かって剣道部歌を歌ったこと、雨ざらしの体育館で、地下足袋を履いてバスケットボールをしたこと……。国民体育大会の会場となった金沢で、お汁粉の甘さに感動し、引率の先生と「明日勝ったら、二杯ずつ」食べさせてもらう約束をする。「青森県代表ハット中学」と場内放送され、「ハットなら食い飽きてらあに。お汁粉だ」と発憤する(「ハット」とは、小麦粉で作るウドンのような料理)。準決勝では札幌一中に一ゴール差で負けはしたが、「私たち」は一人五杯ずつのお汁粉を堪能するのである。 昭和四十六年、四十歳になった三浦が代々木第二体育館でバスケットボールをしている写真が残っている。それは、芥川賞をはじめ多くの文学賞を受賞した作家三浦哲郎が「ハヤブサの哲」に戻った瞬間であった。 (青森県近代文学館) 津波の災難のことをいくつかの作品に取り上げている三浦さんは、3.11の出来事については、どんな思いで文章を書いただろうか。そう思わないでいられない。 三浦さんのことについては、文中の以下の部分は特にも強調したいところだと思っている。 〈この「血」への苦悩から三浦は文学を志す。 しかし、三浦の作品は闇を指向しない。〉 この本には、三浦さんが多くの著書の中で紹介している郷土のことが色々紹介されていて、楽しみながら読める本なので、皆さんにもお薦めしたい。 |
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2013年01月24日
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