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若かりし頃の写真

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■写真:「書斎にて」/「西伊豆大沢温泉・竹林にて」 …書籍『熱い雪』(1967.S42.11.30大光社発行)より。

ウエブサイト「日本の古本屋」に出されていた龍生書林の1,890円の『熱い雪』は、どうやら購入者が現れたようで、既に売り切れていた。
龍生書林では、もう一冊3,150円のものも出していて、こちらはまだ売れ残っている。
昭和42年に出版されたときには定価380円の本だったのだが、この1,260円の差は一体何なのだろうか。古書は手元に届いてみないと分らないものである。

この書籍『熱い雪』の中に、2枚だけだが三浦哲郎さんの写真が挿入されている。
出版された昭和42年に撮影されたものと思われるが、白黒だが、若い時(36歳頃)の三浦哲郎さんの一コマを見ることができる。

1枚は「書斎にて」の和服姿。
もう1枚は、「西伊豆大沢温泉・竹林にて」。大きな孟宗竹に囲まれて、天を仰ぎながら佇む三浦さんがとても小さく見える、ダイナミックな写真である。
この本の表紙装幀は上口睦人氏によるものだが、写真の撮影者の名はどこにも記載がなかった。
出版部数のことを思うと、貴重な写真となるのかもしれない。

この大沢温泉は三浦さんにとって、思い出の多い場所になっていて、ここを舞台にした作品もいくつか書いているので、ゆかりの場所のひとつと言えるだろう。
大沢温泉ホテルhttp://www.osawaonsen.co.jp/ons04.htmの案内にも、《しっかりと「秘湯に惹かれた「井伏鱒二」(『山椒魚』)、「三浦哲郎」(『忍ぶ川』)といった作家は、当館をたびたび訪れては奥伊豆の自然に触れ、作品の構想を練りました。》と書かれている。

それらの作品を探し出してみるのも楽しみである。

小説『熱い雪』

この間から話題にしている本『熱い雪』(1967年.S42.11 大光社文学叢書発行 三浦哲郎作品集)は、AmazonQomの古書検索で探すと、10,000円の価格なのは驚かされる。
ところが、「日本の古本屋」でも久しぶりに検索してみたら、龍生書林で1,890円のものが見つかった。
欲しい人がいたら、買い時ですよ。

その本の中の小説『熱い雪』を、今まで温存して置いて最期に読んだ。
新潟を舞台にした芸者雪彌と、倒産した家業の建直しに励む黒木青年との交際を描いた、純愛(?)小説である。
昭和41年12月の「別冊現代」に掲載された小説で、三浦さんが当時大勢の読者を意識して書いたものだそうだ。

ストーリーには昭和39年6月に起きた新潟地震の震災の模様も出てくる。海岸の砂丘や、海釣りをしていて小船から眺める佐渡島や、海に沈む夕陽、海岸線の情景がとても素敵な文章で描かれていて、目に浮かべながら読んでいた。

繁栄から衰退へ、そして再起をかけて励む男を一途に慕う芸者雪彌の気持ちを、花柳界の裏側を舞台にしながら純粋な女心に描いている。
二人で阿賀野川に架かる泰平橋をドライブするシーンや、墨汁を付けた筆で日本髪に差す稲穂の鳩にもう一つの眼を入れようとする最期の場面などは、とても愛おしくてならない。

三浦さんの文章への拘りが伝わってくる思いがする作品で、どこか『忍ぶ川』に通じるところのある純愛小説であった。

『北国の春』

このところの春の陽気に、回りの雪が一遍に融けて、地べたの草々が見る見る青身をおびていく情景は、まさに生返る「北国の春」の訪れである。
千昌夫の『北国の春』は1977年・昭和52年に大ヒットした歌謡曲で、田舎の春の情景を懐かしく思い出させてくれるので、いつまでも親しまれている歌である。
その歌に誘発された訳ではないと思うが、三浦さんが1978年・昭和53年の「くらしのダイアリー10月号」に同じ『北国の春』という題の随筆を書いている。
我々が子供の頃のことを思い出させてくれる、いまでは見られないとても懐かしいことが描かれているので紹介する。

 川は、雪解け水でふくれ上がっていた。冬の間、両岸から氷が張って、その氷の上に降り積もった雪の中を黒い小道のようにうねっていた川は、いまは橋脚の川下で大きな渦を巻く轟々たる流れになっていた。
 橋の腹から、いまにも川面に触れそうなほど長く垂れていたツララが、いつの間にか消え失せている。土手では、川に流れ込む水に根を洗われて猫柳が頭を振っている。
 春先は、頬っぺたが痒くて困った。雪融けと一緒に頬の^しもやけ^も融けるのである。融けはじめの^しもやけ^は、痒くてならない。
 私の郷里では、ものが凍ることをシミるといっている。^しもやけ^は、寒さで皮膚が凍ったようになって腫れ上がるから、私たちはシミパレと呼んでいた。そのシミパレが融けるのである。
 私たち子供は、冬の間は毎日雪のなかを駆け回っているから、誰でも頬や耳たぶや手の甲にシミパレを拵えていた。シミパレは、夜、寝床に入って?默が暖まってくると、痒くなり出す。ところが、こちらは昼間の疲れで忽ち眠ってしまうから、眠りながら無意識に痒いところを掻くことになる。
 本当は、シミパレは直接掻いたりしてはいけないのだが、眠っているのだからどうすることもできない。それで、掻いたところが^かさぶた^になる。耳たぶに^かさぶた^がある者、頬にある者、手の甲にある者、さまざまだったが、シミパレの^かさぶた^は元気な子供の勲章のようなものだった。
 北国には、春がゆるゆるとやってくるのは何故だか、わかりますか?春がどっとやってきて急に暖くなると、子供たちのシミパレの^かさぶた^も一遍に融けて、ついでに耳たぶなんかも一緒に融けて流れ落ちてしまうからです。
 それで、春は、わざとのらりくらりやってくるのです。ちょっと立ち止まってみたり、道草を食ってみたりしながら。空っ風が吹きはじめる。雪が融けたあと、泥田のようにぬかるんでいた道もだんだん乾いてきて、通る人の足取りも軽くなる。雪を踏みしめる歯ぎしりのような音が、ぬかるみに難渋するガムを噛むような音になり、やがてそれが、からころと鎭守様の社殿の錆びた鈴のような音に変わると、もう春はすぐそこだ。
 私たちは、雛壇の前で白酒など舐めている女の子たちが羨ましくて、なけなしの小遣いで桜餅を一つずつ買ってきて、それをサイカチの木の上で、まだちょっと冷たい春風に吹かれながら食った。


NHKの盛岡放送局のローカル番組のコマーシャルに、赤いホッペをした女子アナが出ているが、その人を見るたびに、このような子供の頃のことを思い出してならない。
シミッパレ何てもう死語になったかと思うほど、本当に見かけなくなってしまった。

掻いてはいけないのに、堪らないあの痒さが今も忘れられない。
夕方になると家に駆け込んで、囲炉裏を切った炭火の炬燵に頭までスッポリと入って、冷えた体を暖めていると、ジワーッと痒みが出始めて、火照って堪らなくなったっけ。
そんなときには、「湯田の湯っこさ入ゃれば、直ぐに治るすきゃ、入ゃるさ行ぐべし」と言って、腫れ物やできものに良く効くと言われていた金田一温泉の風呂が重宝がられたものだった。
かさぶたが剥がれても、跡形が残らないって、評判だった。

あぁ、こんなことも懐かしい昔の話になってしまった。
そんなに歳をとってしまったかな。
三浦さんとは丁度20歳違いの自分でも、同じような暮らしをしていたのに、日本があまりにも急激に変わり過ぎたのだと、暮らしの変化振りに今更ながら驚いているのである。

この随筆『北国の春』『娘たちの夜なべ』(1981.S56.6.15新潮社発行)に収録されている。

「ある外套の話」

「三浦哲郎作品集」『熱い雪』〔昭和42年11月 大光社)の中に収められている『ある外套の話』を読んだ。
以前に何度も読んでいる、大好きな小説(随筆?)である。
だから、このブログでも何度か紹介している。
この小説に、金田一温泉郷の場面が描かれていることも書いた。

『熱い雪』は1967年・昭和42年11月に出版されているので、三浦さんの初期の頃の著書ということになる。
これは「文學界」昭和40年7月号に『毛布の外套』の題で発表されたものが初出で、その後、この『熱い雪』に改題して収録された。
その後、以下の本に再録されているので、関心のある方は是非読んで欲しい。

 『結婚』             〔昭和46年7月 新潮文庫)
 『北杜夫 三浦哲郎』       (昭和47年7月 講談社〔現代の文学30〕)
 『三浦哲郎短篇小説全集 第1巻』 (昭和52年9月 講談社)
 『三浦哲郎自選全集 第1巻』   (昭和62年9月 新潮社)

これらの本に載っている同じ作品を読み比べてみると、多少書き換えているところがあることが分る。
ほんのチョットしたところなのだが、読手にとって随分と印象の違う文章になってしまうことが体験できる。

例えば、父の指図で、村の駅前の雑貨屋の二階に間借りしている仕立屋を訊ねていった場面で、その仕立屋は「東京の店を」空襲で焼かれて帰ってきているとなっているが、当初の著書(『熱い雪』)では「街の店を…」になっていた。
そして、後に出てくる「私は、外套を着て町へ戻った」のところも、「私は、外套を着て市に戻った」に書き直しているが、なぜか、最新発刊である『三浦哲郎自選全集 第1巻』では、元のままになっている。
こんなところに著者の拘りが伺えるのも、読書の楽しみである。

村の駅前の雑貨屋とは、今の金田一温泉駅の前のことである。
そして、描かれている仕立屋さんは実在したのだが、残念ながら、数年前に亡くなっている。

このように、同じ作品でも、文章を修正しているところがあることが分るのは、地元の拘りを持って読んでいるからに他ならないのである。

読む会の例会では、この小説に出てくる、軍用毛布を外套にするのに、色を焦茶に染めるために母が鍋をかける「へっつい」のことが話題になる。
この「へっつい」とはどのようなものなのか?、果たして、何を使って焦茶色を出したのだろうか?
自分たちで毛布を染めたというこの場面に関心が及ぶのである。

また、勤労動員で雪道を履いて歩いた「ツマゴ」のことや、「釣鐘マント」「外套」の当時の様子が話題になるのである。
そして、何よりも関心があるのが、その後の「外套」の行方である。

三浦さんが、飼育していた豚を売ったお金で新たな外套を買うと、父が外套を引継いだ。
その父が亡くなると、知り合いの農夫の「喜十さん」に形見分けされる。
鉄砲打ちの喜十さんが、山で外套を着たまま凍え死にをしてしまう。
今度は、それを喜十さんの従弟の博労が肩身に貰っていったそうだ。
その後の行へは分らなくなったという。

《1枚の外套みたいなものにも、それにはそれなりの歴史があるわけだが、今後、あの外套がどんなに遠く流れていくにしても、もう誰も、あれが軍用毛布を染めて仕立てたものだと知る者はいないのである。そして、勿論、あの片貝上等兵のことも。》
豚を飼育するきっかけになったことは『ブンペと湯の花』という小説に描かれている。
そして、『金色の朝』には、豚の飼育についての物語りが描かれている。

実在したであろう農夫の「喜十さん」のことも、読む会の関心事となっている。

今、巷では映画『おくりびと』がフィーバーしている。
死者の冥土への旅たちを装い、演出する納棺師の物語りである。
未だ観ていないが、世界的に評価された映画なので、是非、観て置きたいと思っている。

三浦さんの作品にも、葬儀の場面が描かれているものが幾つかあって、納棺のシーンも登場する。
印象深いのには、長姉の葬儀の時に、棺桶の蓋の釘を打っているところへ、警官がやって来て。蓋を開け直させられ、屈辱を受けたという場面がある。どの作品に描かれていたか思い出せないので、心当りを探して、読み返してみようと思っている。
三浦作品の葬儀の場面には納棺師は出てこない。納棺は身内で行うのが当たり前の時代だったからだ。


今、仕事をさせて頂いているある葬儀屋さんの、上棟式が昨日行われて、その酒宴の席で納棺師達に、実際の仕事の話や思い等を訊く機会を得た。
冥土への旅立ちを演出するという仕事は、なるほどすばらしい仕事である。

納棺師から直接話しを聞いた後なので、尚更、映画「おくりびと」を観るのが楽しみである。


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