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金田一温泉郷の文学散歩のガイドをしていて、ダンジャ坂のゆかりの家の石垣にさしかかると、どうしても説明しないでいられないことが二つある。
ガイドマップのルート通りにゆかりの家を過ぎて歩いて行くと庚申塚が立つ石垣の突端に辿り着く。ここで今来た道を振り返ると石垣脇の小道の行く先に土蔵を見ることができる。そこで持参した『白夜を旅する人々』の文庫本を取り出して表紙に描かれている絵を掲げて、その風景と見比べてもらうことにしている。
本の装幀を担った作家で画家・装丁家・エッセイストの司修氏が描いたその絵は、正しくここの風景をモチーフに描かれていることが分かるのである。
●司 修 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E4%BF%AE
確かに長編小説『白夜を旅する人々』には、この金田一温泉と思われる情景が描かれている場面があるので、三浦さんの本の装丁を多く手掛けている司さんは、この地を訪れて目にした風景を描き残したに違いないのである。
雪に覆われた景色のその絵は、ここの冬の景色そのものなので、皆さんにも機会があったら訪れて確かめて頂きたい。
三浦さんの初期の頃の作品に、金田一温泉で暮らした一年を描いた『ブンペと湯の花』という小説がある。
昭和30年、早稲田大学文学部在学中の同人雑誌「非情」第二号に発表されたものなので、三浦さんにとっては第2作目の作品ということになるだろうか。
この小説の「仔豚」の章には、アイナさん家族が経済的に困っていると思ったブンペが、豚を育てれば儲かるからと言って、仔豚を一匹差上げる話が描かれている。
〈夕暮れに、父と母と私とは、石垣の突端に一列にならんでブンペと仔豚の到着を待った。私たち一家にとっては、豚一匹の加入は容易ならぬことであったのだ。父はねじれた木の枝をみがきあげたステッキでこつこつと石垣を叩き、母は小手をかざして身じろぎもせずに下手の谷間をながめやっていた。やがて黒犬の毛皮のチョッキを着たブンペが谷川沿いの道に姿を現した時、三人は一斉にちいさな歓声をあげた。谷の斜面は、菜の花でまっ黄色にぬりつぶされていた。ブンペは胸に白い塊を抱きしめて、ゆっくり黄色い斜面をのぼってきた。彼はすこしはなれたところで私たちを認めると、西日のせいか妙に赤らんで見える仔豚の腹を見せるように抱きなおして足どりを整えた。彼は私たちを横目で見ながら、そのままの姿勢で石垣の段々をのぼると、まっすぐ歩調を乱さずに先刻完成したばかりの小屋の方へ歩いた。私たちは無言でぞろぞろ彼のあとにしたがった。〉
私には、ここが悲観と希望が交差する思いが描かれているこの小説の名場面に思えてならない。
なぜなら、この仔豚から始まる三浦文学の豚に纏る物語がこの後、色々な作品となって登場することになるからである。
良質の種豚を飼っているゴロウタが近隣の村人へ仔豚とりに貸している。ある日その豚が何者かに襲われる話の『村の災難』。
出稼ぎで留守の父に代わって、飼っている豚の出産に立ち会う少年を描いた『金色の朝』。
軍用毛布で仕立てた外套を、上野駅に出迎えていた次兄に、東京ではそんなドテラのような外套は要らないのだと言われて、情けない顔をされたことから、
〈私が、どうやらからだにふさわしい外套を着られるようになったのは、そんな右往左往を重ねた末に、こんどは本気で志願して、ふたたび上京することになったときであった。私は、父の村にいるころ飼っていた豚を売った金で、出来合の外套を買い、それを着て上京した。そこのところを、私は次兄にちょっとみて貰いたい気がしたが、そのころはもう、兄はどこかに姿を晦ましていて会うことができなかった〉
と、豚が遂に外套に代わってしまう『ある外套の話』など、豚は三浦文学の作品に隠された一つのテーマになっているのである。
そして、今紹介した『ある外套の話』の外套は、片貝上等兵から贈られた軍用毛布から仕立てたものを三浦さんが着たあと、父が4年着て、父が亡くなった後形見分けに上げた知り合いの喜十が5年着て山の雪の中で死んでしまった。その後喜十さんの従弟の博労が形見に貰って行ったという。延々と引き継がれていく1枚の外套の歴史のとてもいい話になっている。
三浦さんが実際に豚を飼ったことがあるかどうかについては定かではないが、何かの本で飼ったことはなかったと読んだような気がしている。
軍用毛布から外套に仕立てたという村の駅前の雑貨屋の二階に間借りしている東京帰りの仕立屋は、この金田一に実在した人だった。
この作品中の〈飼っていた豚を売った金で、出来合の外套を買い、それを着て上京した。〉と書かれている部分が、初期のころの本から、後の本では削除されているのが残念でならない。
●ブンペと湯の花
・昭和30年、同人雑誌「非情」第二号に発表。後に昭和33年11月「北方春秋」第八号に転載。
・初収録 『忍ぶ川』 昭和36年3月 新潮社
・再録刊行 『旅の風』 昭和39年10月 学習研究社〔芥川賞作家シリーズ〕
『三浦哲郎自選全集』第1巻 昭和62年9月 新潮社
●村の災難
・昭和34年7月執筆、「文學界」昭和36年3月号に発表。
・初収録 『忍ぶ川』 昭和36年3月 新潮社
●金色の朝
・「文藝春秋」昭和47年2月号に発表。
・初収録 『妻の橋』 昭和47年4月 新潮社
・再録刊行 『野』 昭和49年12月 文藝春秋
『三浦哲郎短編小説全集』第2巻 昭和52年10月 講談社
『野』 昭和56年 3月 文春文庫
『三浦哲郎自選全集』第7巻 昭和63年 3月 新潮社
●ある外套の物語
・「文學界」昭和40年7月号に、「毛布の外套」の題で発表。
・初収録 『熱い雪』 昭和42年11月 大光社 現題に解題。
・再録刊行 『結婚』 昭和46年7月 新潮文庫
『北杜夫 三浦哲郎』 昭和47年7月 講談社〔現代の文学30〕
『三浦哲郎短編小説全集』第1巻 昭和52年9月 講談社
『三浦哲郎自選全集』第1巻 昭和62年9月 新潮社
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