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常連になってくれている二人のブログ来訪者の方のコメントに誘われて『真夜中のサーカス』の中の『赤い衣装』を久し振りに読み返して見た。
《嫁貰いに来るのが四十過ぎの男ばかりだということは、あたり一帯の村々には四十前の若い独身男がひとりもいないということであった。同時に、四十を過ぎてもまだ嫁も貰えないでいる男たちが大勢いるということであった。そういう人々は、ほとんどが農家の長男たちで、次男三男や若い娘たちは、都会に働きに出たきり帰ってこない。》
これは昭和48年(1973年)に出版された作品であるから、もう38年も前の日本の片田舎の状況が描かれていることになる。
以来、日本中の殆どの地方がここに描かれている地域社会の衰退の一途を辿っていることが分かる。
今回の被災地のほとんどがそんな地方なのだから、高齢者ばかりの地域の復興は一筋縄では上手く行く筈がないのである。
この話題はまたの機会に譲ることにして、兎も角、この小説は短篇でありながらも、溢れんばかりの兄妹愛と衰退していく田舎の問題提起を、押さえた文章の中に埋込んで、読者に強い衝撃を残してくれるのである。
「おろ呑み」や「お笑止」(おしょうし)など、またもや田舎言葉に詳しく解説を付けて登場させているのが三浦さんらしい。
今回の震災地でテレビのインタビューを受けて話している地域の子供たちを見てとても気になることがある。
殆どの子供たちや中年以下の人々からは、田舎言葉が聞かれない。
誰もが属に言う「標準語」で話しているので、年配の人が出てくると、訛りのある言葉とイントネーションで話してくれるのがとても印象的で、地域性のある田舎らしくて、心が和むような温もりを感じているのは私だけだろうか。
この地域では「笑止」という言葉のようにもう使われなくなった「田舎言葉」が沢山あり、このように文章で残して貰っていることが、どんなに重要なことか、三浦さんの偉業の功績を今更ながらに有難く讃えたいと思うのである。
「岩手弁」(南部弁)は、関西弁や九州弁、津軽弁のように失ってはならない地域性を育む大切なもののように感じている。
山形弁を話す外国人で有名なダニエルカール氏がその大切さを教えてくれているではないか。
子供たちから元気な田舎言葉が聞こえるような地域性を育む教育環境にできないものだろうか。
明日(もう今日になってしまった?)は、地元の金田一小学校の入学式の日である。
招待を受けているので、目出度い門出を祝福しながら、“田舎訛りを笑止がらないで堂々としゃべれる”子供がいるかどうか、様子を見に行って来るつもりでいる。
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