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今回取り上げられた「おりえんたる・ぱらだいす」は三浦さんが体験した終戦後の八戸市の様子が描かれているが、愛読者には、これは終戦間際の八戸の三浦さんを描いた「遺書について」改題の「十五歳の周囲」から続く内容となっていることが分かるだろう。
「十五歳の周囲」には、終戦の明くる年の春から叔父の家に寄食することになった時の様子が描かれている。叔父の百貨店が「おりえんたる・ぱらだいす」となり進駐軍の社交場として使われる様子を端で見ながらの生活を送っていたことが書かれている。

そういう意味でこの二つの作品はとても関連の深い作品なのである。

「赤い衣装」のこと

常連になってくれている二人のブログ来訪者の方のコメントに誘われて『真夜中のサーカス』の中の『赤い衣装』を久し振りに読み返して見た。

《嫁貰いに来るのが四十過ぎの男ばかりだということは、あたり一帯の村々には四十前の若い独身男がひとりもいないということであった。同時に、四十を過ぎてもまだ嫁も貰えないでいる男たちが大勢いるということであった。そういう人々は、ほとんどが農家の長男たちで、次男三男や若い娘たちは、都会に働きに出たきり帰ってこない。》

これは昭和48年(1973年)に出版された作品であるから、もう38年も前の日本の片田舎の状況が描かれていることになる。
以来、日本中の殆どの地方がここに描かれている地域社会の衰退の一途を辿っていることが分かる。

今回の被災地のほとんどがそんな地方なのだから、高齢者ばかりの地域の復興は一筋縄では上手く行く筈がないのである。
この話題はまたの機会に譲ることにして、兎も角、この小説は短篇でありながらも、溢れんばかりの兄妹愛と衰退していく田舎の問題提起を、押さえた文章の中に埋込んで、読者に強い衝撃を残してくれるのである。

「おろ呑み」「お笑止」(おしょうし)など、またもや田舎言葉に詳しく解説を付けて登場させているのが三浦さんらしい。

今回の震災地でテレビのインタビューを受けて話している地域の子供たちを見てとても気になることがある。
殆どの子供たちや中年以下の人々からは、田舎言葉が聞かれない。
誰もが属に言う「標準語」で話しているので、年配の人が出てくると、訛りのある言葉とイントネーションで話してくれるのがとても印象的で、地域性のある田舎らしくて、心が和むような温もりを感じているのは私だけだろうか。

この地域では「笑止」という言葉のようにもう使われなくなった「田舎言葉」が沢山あり、このように文章で残して貰っていることが、どんなに重要なことか、三浦さんの偉業の功績を今更ながらに有難く讃えたいと思うのである。

「岩手弁」(南部弁)は、関西弁や九州弁、津軽弁のように失ってはならない地域性を育む大切なもののように感じている。

山形弁を話す外国人で有名なダニエルカール氏がその大切さを教えてくれているではないか。

子供たちから元気な田舎言葉が聞こえるような地域性を育む教育環境にできないものだろうか。

明日(もう今日になってしまった?)は、地元の金田一小学校の入学式の日である。
招待を受けているので、目出度い門出を祝福しながら、“田舎訛りを笑止がらないで堂々としゃべれる”子供がいるかどうか、様子を見に行って来るつもりでいる。                                                                                                                                               

今回の震災で、万里の長城のような津波防波堤を巡らした岩手県田老町が大きな被害を受け、壊滅したという。
世界に誇る防波堤と言われていたが、前代未聞の大津波はそれを遥かに凌ぐ高さで町に襲いかかったそうだ。

三浦さんは和45年の夏にここを訪れていた。

三浦さんは日本全国の主だったところを訪れて数々の紀行文を残している。

昭和44年から翌年にかけての1年間「僻地の旅」と題して〈家庭画報〉誌に毎月連載にするために、この間、写真家の薗部登氏と一緒に毎月泊まりがけの旅をして紀行文を書いたという。
それは、単行本『旅の手帖』の書名て昭和48年に文藝春秋社から出版されている。

この本の中に『粗削りの自然の明暗』と題して三陸海岸を訪れた時のことを書いている。
家族で郷里の一戸町に旧盆の帰省をしてた時の合間に出掛けた旅だったようだ。
この紀行は、盛岡を出発して葛巻町の平庭高原に寄り、久慈市で一泊し、次の日は小袖海岸から黒崎、北山崎を巡って岩泉町に宿泊。翌日は龍泉洞を観てから山越えをして田老の町に出て、真崎の浜で旅を終えている。
残念ながら、田老町についての詳細な記述はされていないが、〈まるで万里の長城のような津波防波堤を巡らした田老の町〉と印象を書き残している。

その防波堤と街並みが被災し、壊滅してしまったという。
この惨状を三浦さんが見たら何と書いただろうか。

三浦さんは、他にも昭和47年10月から一年間、月刊〈小説サンデー毎日〉誌に「人里風土記」と言う題の紀行文を連載している。その時には、写真家の二村次郎氏と毎日新聞のQ記者と三人で毎月2泊3日ほどの旅をして全国を回ったという。
この連載文は後に『ふるさと紀行』(S51)という書名で毎日新聞社から出版になっている。

いずれも、旅先にはなるべく都市や観光地を避けて、都会に住む人達の郷愁をそそる人里ばかりを選んだのだと言われている。
それが三浦さんらしいのだと思う。


これらの紀行文は文庫本『ふるさと紀行』(1983.8 旺文社文庫)にまとめて収録しされているので、一読をお勧めしたい。

『海村異聞』・大津波

あの痛ましい震災から10日過ぎたのに、未だに大きな余震が続いていて、その度に大きな音を立てながら家が軋んでいる。
一日中何度も何度も揺れが起きるから、多少の揺れではもう驚かなくなってしまっていることに気付く。
しかし、雪の舞う今夜も避難所で寒い夜を迎えている被災者の人達は、忌まわしいこの余震の恐怖に悩まされていることだろう。

海辺の家や町を根こそぎ呑み込んでしまう大津波の惨状を、毎日繰り返すテレビの映像で見せられると、自然の破壊力にはとても敵わないと思わずにいられない。

テレビで映し出されるのはどの局も同じような大きな町の惨状だが、三陸の沿岸には方々に小さな漁村集落とその漁港が点在していて、そのほとんどが同じように大津波に襲われて壊滅状態になっていると聞く。

青森県と岩手県の境にある三戸郡階上町の漁村も襲われたと新聞に載っているのを読んで、思い当たる三浦作品を紐解いていた。
『海村異聞』の最後に描かれている〈廿一村〉のその情景であった。

《 海は、ざわめき立ちながら、沖の方へ、沖の方へと退いていた。干潮でなかった。干潮より速くて強い退き方であった。浜が広くなった。ざわめきが遠くなった。
 やがて、そのざわめきが聞こえなくなったかと思うと、海は遠い雷のような音を轟かせながら引き返してきた。横一線に仄白い波頭が見えた。高い海であった。水平線がいきなり持ち上がったかのように見えた。そのまま、海は駈けてきた。浜を護っている岩礁に躓いたが、前のめりに乗り越えて、覆いかぶさってきた。浜の雪が、一瞬のうちに消えた。次いで、村の家々の屋根の雪も素早くぬぐったように消えてしまった。
 海は、村を呑み込んだまま、あちこちで猫が舌を鳴らすような音をさせながらゆたっていたが、やがてゆっくりと退きはじめた。木の折れる音がつづけざまにした。木がねじれる音もした。それから、なんの音だかわからない、さまざまな物音が海に引きずられていったが、人間の声はたったの一と声もきこえなかった。
 海は、間遠く三度溢れて、静かになった。
 ―――夜が明けてみると、〈廿一〉の村は、無数の木片と百に近い骸だけになって、渚の波に弄ばれていた。村の跡には、いくつかの土台石が点々と残っているだけであった。静かな朝であった。生きものの気配はどこにもなかった。海鳥の声も、山鳥の声も聞こえなかった。ただ、裏山の鳥塚に捨てられたおびただしい数の鶏の頭だけが、干涸びた片目を並べて変わり果てた村を見下ろしていた。
 
 〈廿一〉の村跡には、いまはかつての地名だけが残っているにすぎない。
 青森県三戸郡階上町大字道仏字廿一。
 あたりに人家の一軒もない。ただ茫々とした岩浜である。》



作者はあえて、津波だとの説明書きは一切していないのに、これを読んだ誰もが、大津波に襲われたのだと分かるだろう。
物凄く臨場感のある文章になっていることに驚かされる。
この文章が現実のものになったのである。
三浦さんもさぞかし驚いていることだろう。


『海村異聞』
 初出「別冊文芸春秋」160号162号
 単行本『暁闇の海』(S58.6文芸春秋発行)
 文庫本『おろおろ草紙』(S61.10講談社発行)
 参考資料――斉藤勝年「松前詰合日記」、最上徳内「蝦夷草紙」

「地震」の話し

先日紹介した昭和三陸津波の話しの他に、三浦哲郎が地震について書き残している作品がいくつかある。
先ずは、タイトルに地震とついている作品2題。

『地震』(風景 S44.9月号初出、『妻の橋』S47.4月発行に収録)

『地震の話』(S46.10 暮しと健康 初出、『せんべの耳』S50.11発行に収録)

『地震』は、大工職人の夫婦と娘の3人3葉の地震体験の様子が描かれている。
林檎の花が咲く林檎畑での様子も描涸れていて、この地域にゆかりのある作品とも言える。

『地震の話』は、東京の自宅で遭遇した十勝沖地震の様子を、郷里の地震にまつわる話を交えながら書いている。

〈 郷里にいる私の老母は、世の中で地震ほどきらいなものはないといっている。実際、母は、それがどんなにちいさな地震でも、なにはさておき、「まじゃらく、まじゃらく。」と呟きながら、すたすたと外へ出ていく。……。
 そういう母に育てられたものだから、私自身も相当な地震嫌いで、子供のころはよく母と一緒にすたすたと外へ逃げたものであった。……。
 私が育った三陸沿岸地方は、昔から地震や津波の多いところで、そのせいか私は今でも地震には敏感な方だ。〉


三浦さんは、他にも八戸に帰省している時にホテルで大地震に遭遇した時のことを描いた作品もあった筈だが、探せないでいる。


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