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『乳房』

明日の例会での作品紹介を『乳房』にしようと予告したが、改めて読み返してみて、どうも御婦人の会員が多い読む会の例会で輪読するには問題があるような思いがしている。

今回は最近出版されたコレクション 戦争×文学15『戦時下の青春』に三浦さんの作品『乳房』が収録されていたので、皆さんに紹介しようと思ったのだった。

三浦さんの乳房への拘りは色々な作品で描写されている。しかし、それらはどれも厭らしさを感じさせない表現の文章で描かれている。
と、思うのは私だけだったら、やはり明日は問題だな。
予告してしまった手前、明日は輪読は止めにして、作品の内容の紹介に留めることにした方がよいかもしれない。

この『乳房』という作品への三浦さんの思いを書き残しているので、再掲載になるが紹介したい。



《私は、自分が田舎育ちのせいか野趣というものに強い愛着を抱いている。それで、田舎の片隅で黙々と自分たちの暮らしを営んでいる、いわば野の人々を書く のが好きだが、この『草の宴』は、そんな私の〈野の小説〉の最初の作品だといっていいだろう。短篇としては少々長いが、自分でも好きな作品の一つなので一 緒に収録した。
もし、自分の初期の短篇から一遍だけを選べといわれたら、私には『乳房』(41年「新潮」5月号)を選ぶほかはない。これは、知人の思い出話と自分の戦争中の体験とを絡み合わせて書いた、きっちり三十枚の作品だが、これを書き終えたとき、やっと短篇らしい短篇が書けたという気がした。出来映えはともかく、これを選びたくなるのはその時の自分の安堵感がいまでも忘れられないからである。》


この文章は、私の好きな『三浦哲郎自選短編集』の中の書下ろしエッセイ『私の短篇小説』に掲載されている。

三浦さんの作品に『落葉の坂道』という随筆がある。

三浦さんが、秋山駿、川村湊と共に選考に携わっていた木山捷平文学賞の授賞式に出席するために、木山のふるさと岡山県笠岡市を訪れて、生前を偲びながら墓参りをする時のことを書いている。

木山捷平(きやましょうへい)は小説家、詩人で、私小説の代表的作家の一人とされていて短編小説を得意としていた。(Wikipedia参照)
1929年(昭和4年)には処女詩集『野』を自費出版にて発表している。
1933年(昭和8年)に太宰治らと同人誌『海豹』を創刊。この頃、井伏鱒二と知己となり、以後親交が続いたという。

三浦さんと同じ分野でおまけに同名の作品まであるとは驚いた。

三浦さんは学生時代に小沼丹さんのお宅で初めて出会い、以後、井伏宅の将棋会でも対面したりして、先輩作家と交流を深めていたそうで、その頃の思い出がこの作品に描かれている。


木山捷平文学賞は1997年(平成9年)に笠岡市主催で純文学を対象とする文学賞としてして設けられ、2005年迄の9回にわたって受賞作が発表された。
開始時の規定により第9回で終了し、2006年(平成18年)からは公募の新人賞の木山捷平短編小説賞に模様替えされている。


■木山捷平文学賞 受賞作リスト

* 第1回(1997年) - 佐伯一麦 『遠き山に日は落ちて』
* 第2回(1998年) - 岡松和夫 『峠の棲家』
* 第3回(1999年) - 柳美里 『ゴールドラッシュ』
* 第4回(2000年) - 目取真俊 『魂込め』(第26回川端康成文学賞も受賞)
* 第5回(2001年) - 佐藤洋二郎 『イギリス山』
* 第6回(2002年) - 平出隆 『猫の客』
* 第7回(2003年) - 小檜山博 『光る大雪』
* 第8回(2004年) - 堀江敏幸 『雪沼とその周辺』(第40回谷崎潤一郎賞も受賞)
* 第9回(2005年) - 松浦寿輝 『あやめ 鰈 ひかがみ』


笠岡市では、木山捷平さんの業績と、市内にある捷平さんの文学碑・捷平文学コーナー(笠岡市立図書館内)を紹介している。

笠岡市のこれらの熱心な取組みは、三浦哲郎さんの顕彰に取組んでいる私たちの地域でも大いに参考にしなければならないと思う。
先ずは、金田一にも文学碑の建立を願いたい。



『落葉の坂道』は平成13年4月「一冊の本」に発表され、『母の微笑』2001年10月講談社刊と『恩愛』2005年7月世界文化社刊に収録されている。

『タンパ眼の誘惑』という作品は、青森県八戸市で発刊されていた「北方春秋」という月刊誌の昭和35年1月号に掲載されている原稿用紙60枚の小説である。


三浦さんが、早稲田大学を1957年(昭和32年)に卒業し、就職を断念して作家活動に入るが、2年後の1959年(昭和34年)2月に、原因不明の高熱に悩まされて衰弱し、止むなく所持品を売払って帰郷し、翌1960年(昭和35年)2月までの一年間を一戸町で過している。
この時のことを本人は「都落ちした」と言っているが、就職口が見付かり、再起を決して上京する際に、背広を買うお金を得るために、久々に小説を書いて、八戸の雑誌に持ち込んだとある随筆に書いている。


当時の三浦作品が掲載された《生まれ故郷の雑誌》はどうもこの『北方春秋』のことのようである。

『北方春秋』に三浦作品が掲載されたのは、


第8号(S33.11.1発行) 「ブンペと湯の花」掲載      …初出は大学時代の『非情2
                              号』(S30発行)
第12号(S35. 1.1発行) 「タンパ眼の誘惑」掲載      …60枚
  《創作・タンパ眼の誘惑・60枚  郷土が生んだ作家が久方に発表した力作》

第13号(S35. 6.1発行) 「非望の群れ」(連載第1回)掲載 …第14号が確認できていな
                              い。その後の連載が見当
                              たらない。


で、第8号の「ブンペと湯の花」は、新潮同人雑誌賞を受賞後に寄稿を依頼されたようだが、後の第12、13号は一戸に都落ちして過した昭和34年2月から翌35年2月までの1年の間に書いた作品になるのか。

第12号(昭和35年1月1日発行)に掲載された「タンパ眼の誘惑」は、今まで一切発表されていなかった作品で、大変興味を引く小説で有る。しかし、三浦さんが2月に上京する際に納めたとすると、発行時期の方が早いので、〈背広に代えた原稿〉とするには時期が合わない。それに、〈30枚の短篇〉より多い 60枚となっていて、文末に〈昭和31年2月〉の記載があるなどからして、どうやら、この作品ではなさそうである。

そうすると「非望の群れ」ということになろうか。

「非望の群れ」については、またの機会に触れるとして、今回は、先日東奥日報の吉田記者から電話問合せを戴いた「タンパ眼の誘惑」について探ってみることにしよう。

吉田さんの話では、早稲田大学で同人誌「非情」の仲間だった竹岡準之助さん(2011/8/22(月) の当ブログ記事中の連載三浦哲郎特集No.21(8.21)『文学的自叙伝』に写真が載っている。http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/33464630.html)から、三浦さんが大学の時に「タンパ眼の誘惑」という作品を書いていたが「タンパ眼」とはどういう眼のことなのか知りたいと電話問合せを頂いたとのことだった。
方言ではないかとも言われたそうだが、吉田さんはこの作品を知らなかったので、出所を知りたいと私に連絡をくれたのだった。
それで『北方春秋』に掲載されている作品で、中にそのことについて説明が書かれていることを教えた。

「タンパ眼」とは三浦さんの造語だった。
呉服屋を営むわが家に大の仲良しだった丹八という住み込みの手代がいて、彼の特技の寄り目を「タンパ眼」と名付けた。

この「タンパ眼の誘惑」は「私の履歴書」(「母の微笑」に掲載)の5〜8章に記載されている内容とほぼ一致する。
このことから、実在した手代の忠さんのことを描いた作品ということが分かってきた。


『北方春秋』はこの第13号の後、5年経って第14号がヤッと発行されていて、第17号まで発行後途絶えたという。

「非望の群れ」は連載第1回目として13号に掲載されたのに、残念ながらその後は連載されることはなかったようだ。



●過去の関連記事

■『北方春秋』    2010/9/24(金)
 http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/32390410.html

■「北方春秋」の情報    2010/9/29(水)
 http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/32406765.html

■北方春秋ーその後  2010/10/6(水)
 http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/32435264.html

タンパ眼の誘惑

皆さんは『タンパ眼の誘惑』という三浦作品をご存知だろうか?
あまり馴染の無い作品の筈である。

今日、吉田記者からその件について問合せの電話を頂いた。

pap*k*manさんからのコメントを読んで、三浦さんの『自作への旅』に『海の道』も取り上げられていたことを思い出して、読み返してみた。

今回の新聞連載記事で編集者の吉田さんは、『自作への旅』で三浦さんが書いている『海の道』という小説についてのことには触れていなかったが、

この作品は、まるで神様の引き合わせとしか思えぬような、幸運な出会いに恵まれたことから生まれた作品だったという。
偶然がもたらした作品でそういう作品に限って、自分の仕事に一つの新段階を迎えるきっかけになっているのは、我ながら不思議というほかはないと書いている。

もしも将来、自分に発表舞台と機会が与えられたら、郷里の八戸の港の歴史を背景にした長い小説を書こう、という夢を抱いているところへ、居酒屋で出会った〈文學界〉の編集長に
「長い小説を、毎月すこしずつ、丹念に書いてみたらどうでしょうね。田舎の話しでもあるといいんですがね、郷土史みたいな。うちで連載しましょうよ。ページを開けておきますからね」
と耳打ちされたというのである。
なんという幸運な出会いだったろう。
編集長の思いやりと三浦さんの夢は、その内容においてぴったり合致していたのだったのである。

やはり、三浦さんの混血児にたいしての思いは、家族への思いに繋がっているのであった。

三浦さんは他にも混血児が登場する作品をいくつか書いている。
「鰻の文鎮」や「少年賛歌」などがそうである。

三浦さんは、この小説を連載中、明治の末期から敗戦時までの八戸の風俗を確かめるために、月に一度は帰郷して、ホテルに滞在しながら古い土地の新聞を閲覧させて貰うために毎日図書館通いをしたそうだ。
 町の様子を知るには、何よりも新聞が役に立つといって三浦さんはノートをとりながら1日分ずつていねいに閲覧したという。

その時に〈奥南新報〉昭和12年分の中から突然、『丸三呉服店の娘津軽海峡で投身自殺』という大見出しの記事を発見したのである。
連載が終わった時、三浦さんは38歳になっていたというから、初期の長編小説と言うことになる。

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