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三浦哲郎文学の情景

私が仕事で取り扱った古民家の家主が、自分の住まいを三浦文学と関連づけて、作品の舞台をイメージした体感の場に活用して貰えないものかと、色々策を練ってくれているようだ。

裏手を小さな川が流れている956坪の土地に土蔵と倉庫を備えた茅葺き屋根(トタン葺で覆っている)の大きな農家を、田舎暮らしのために購入して、埼玉県から昨年春移住してきた元教員栗林氏である。

この敷地には二戸市指定の巨木が2本もあり、道を隔てた前の池の一角の桂の木の根元から清水が湧き出ているという、何とも、三浦哲郎の描いた田舎の情景そのものがここには存在するのである。

全国の三浦文学ファンを招いて体感をして貰えるように出来ないものかと、今日も電話で相談をされたのだった。

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■「第1回カシオペア連邦地域づくり支援事業」の事業実施報告書-その1

予定されていた公開報告会の開催が危ぶまれている「第1回カシオペア連邦地域づくり支援事業」事業実施報告書を事業主体のNPOカシオペア連邦地域づくりサポーターズに提出してあるので、その内容を公開させて頂くことにする。

未だ、審査員の審査を終えていないので、果たして度のような評価を得るのか気掛かりであるが、審査員長の龍谷大学・脇田教授からは、活動費収益を上げることを考えながら事業をするように指導をうけているので、今回も、「いつまでも支援を受けていないで、自立しなさい!」と言われそうな気がしている。

因みに、諸費用を切詰めたイベント開催だったが、入場者一人当たり約1,000円の経費が掛かったことになる。
それなら、1,000円の入場料で実施すれば良いでは無いかと言われそうだが、有料となると、この地域でまだ知名度が低いテーマだけに、果たして来場してもらえるかどうか自信を持てないのである。
それに、入場有料では会場費や上映フィルム借上費などが高額になり、奉仕精神で協力を頂いている講師の方々への謝礼も気遣いが必要になるなど、益々経費アップになるのでボランティア活動でのイベント開催は難しいのである。

小学生に三浦文学講話

25日(金)に予定されている金田一小学校の『ユタとふしぎな仲間たち』特別公演に先立って、演ずる6学年の児童達に作者三浦哲郎と『ユタとふしぎな仲間たち』について話しを聞かせて欲しいということで、総合学習の授業での講話を依頼された。
明日午前の授業時間に予定されている。

12歳の児童達にできるだけこころに残るような話しをして上げたいと思って案を練っているが、まだまとめきれないでいる。

この子たちがこれを機会に三浦文学と故郷とのゆかりをこころに刻み、郷里を離れた時の「我がふるさと自慢」の一つにして、色々な場面で宣伝マンになって貰えないかと期待している。

そういえば、一昨年に三浦さんの二戸講演会録音を聴講して金田一温泉郷文学談歩を体験した、当時金田一中学校3学年の生徒たちは今頃どんな思いでいるだろうか。
心に刻まれた思い出にしてくれていることを期待したい。

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■写真:真冬の岩手山…岩手町川口付近及び渋民より遠望


   ふるさとの 山に向ひて
    言ふことなし
   ふるさとの山は ありがたきかな
                   石川啄木


盛岡市に向う途中車窓から見える雄大な姿の姫神山や岩手山が見えてくると、いつもこの短歌が思いだされる。

石川啄木はふるさと旧玉山村渋民の辺りから見える両方の山を眺めながら育ち、その山を思いながらこの歌を歌ったのだろう。
私が小学校5年生の時に初めて知ったこの歌には、心にジーンと滲みるような共感を覚えたものだった。
因みに、我がふるさとの山はというと、折爪岳になる。

26歳2ヶ月の短い生涯を駆け抜けた啄木が、彷徨った地ではほんの束の間の滞在にも関わらず、今ではゆかりの地として歌人石川啄木を讃えて地域の人々や観光客に親しまれている。

渋民尋常小学校の代用教員を辞してふるさとを離れた21歳の啄木が函館に向ったのは明治40年5月4日であった。
函館では尋常小学校代用教員、函館日日新聞社遊軍記者と職を求めるが、函館大火で勤めを失い9月13日に札幌に向う。
9月16日から札幌で北門新報社に勤務。
10月1日からは小樽日報社に勤務。
翌明治41年1月22日から釧路の釧路新聞社に勤務。
そして4月5日には、ついに東京での文学活動をめざして釧路を発ったのは22歳の時だった。

北海道を旅行すると、釧路や小樽そして函館では、ゆかりの歌人として石川啄木を大きく取上げていて、短歌の舞台などゆかりの場所を観光ポットとして活かして、多くの来訪者に親しんでもらっているのである。
それなのに啄木が北海道の各地に滞在した日数は

 函館 130日 4.3ヶ月
 札幌  17日 0.6ヶ月
 小樽 112日 2.8ヶ月
 釧路  73日 2.4ヶ月

 合計 332日  11ヶ月

とこのようにほんの束の間だったにも関わらず、今では大変有名になっていて、その知名度はふるさと渋民を凌ぐほどになってるのではないだろうか。

一戸町を舞台にした小説『忍ぶ川』で芥川賞を受賞し、その一戸町を自ら郷里と言って憚らなかった三浦哲郎が、岩手では今一つ知名度が無いのは何故だろうか?
『ユタとふしぎな仲間たち』では、金田一温泉の「座敷わらし」のことや、「化石の宝庫」であることなどこの地域のことを作品にちりばめてくれている。
他にも多くの岩手にゆかりの作品を残してくれているにも関わらず、「岩手にゆかりの芥川賞作家三浦哲郎」は認知されていないのである。

そこで、一昨年、岩手県教育委員会に岩手にゆかりの作家として認めて、県立図書館開架書庫の郷土の作家コーナーに三浦哲郎の書籍も加えて貰えるように請願したことがあった。
その結果「岩手で生まれていない上に、岩手に住んでいないなど、基準に該当しないために「ゆかりの作家」にならないという結論の通知文章を頂いたのであった。
では、よその地域での石川啄木の例は何なんだ?と文句を言ってみたけれども、当時は結論先に有りきで、聞き入れて貰えなかった。

立派な『忍ぶ川』文学碑が建立されて、今では菩提寺・廣全寺に三浦さんが眠る一戸町は、正に三浦哲郎の郷里となっているのである。

岩手県教育委員会や県立図書館そして岩手日報社には、このことを踏まえて郷土の芥川賞作家三浦哲郎を認めて、地域に根差すための働き掛けに協力してもらいたいものである。

今日、盛岡の馬場勝行さんから久々に電話を頂いたので、そんな話しをしながら、昨年開催した三浦文学講演会をまた盛岡市で開きたい希望を持っていることを伝えた。

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