三浦哲郎文学を読む会

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盛岡市在住の工藤Nさんから頂いた手紙を読んでとても励まされた思いがしている。
工藤さんもこのブログを読んで下さっているようで、南郷図書館の「三浦文学の部屋」を本会の例会の前日にわざわざ訪れたり、金田一、一戸の文学散歩も楽しんで頂いたとのこと。
とても、味わい深い内容の手紙なので、多くの人に共有して貰いたくてここに紹介させて戴くことにする。


 南郷での朗読会が成功裏に終了しおめでとうございます。
生憎、当日は都合が付かず、前日の7日に南郷図書館「三浦文学の部屋」を訪れました。
執筆机は落ち着いた色調かつ質量感のあるもので、右側の袖が当たる部分が磨り減っており、沢山の作品がここから生まれたと思うと一歩三浦ワールドに近づいた様な気になりました。
また、壁面の写真には師井伏鱒二のふたつの姿があり、屈託の無い満面の笑顔が大変印象的でした。
きっと筆を走らせながら、合間に煙草を燻らせ師を仰いでいたことでしょう。
ところで、7月2日付日経コラム春秋に、上司が部下の背中を押すことの大切さの導入部として、井伏と三浦の出会いが掲載されていましたのでコピーをお送りします。
曰く、「君、今度いいものを書いたね」、「僕は、あの一行に羨望をかんじたな」の繋がり。すぐに日経「私の履歴書」や「師・井伏鱒二の思い出」を読み返し、『死ぬことじゃなくて、死のあっけなさがこわいんだ』というあの一行の意味を再度味わいました。
大学三年生と六十歳近い文士との出会い(これ程年齢差があると思わなかった)は、その時点で濃密かつ揺るぎ無いものになったのは間違いないし、今日の殺伐とした世界にあっては作品以外のところでも大いに感化されるものがあります。きっかけ、さりげなさは大事ですね!
7日の小旅行は、このほか一戸、金田一も回りました。過去の貴会の文学散歩に参加させて戴いたことをおさらいしながらガイドマップを片手にしての駆け足訪問でしたが、一戸のゆかりの家(と思われる家)、小倉かりんとう店、金田一の三葉沼、共同墓地、どんどん淵は初めてで作品の一端をしばし思い出すことが出来ました。
一戸町図書館では、三浦の家族からの寄贈もあり蔵書の多さに感激しました。また、きたぐに旅館も訪れましたが、情報収集不足(日帰り入浴は無し)で、ロビーの書籍や色紙をちらり見させて戴き、最後に温泉センターゆうゆうゆ〜らくで草鞋を脱ぎ旅の汗を流しました。
念願が叶い、いやぁ結構結構、満足満足の一日でした。
今度は、久慈街道、八戸市三日町界隈、小中野、鮫、白銀、種差、種市あたりを訪ねてみたいと思っています。
井伏作品の「七つの街道」(久慈街道は三浦が取材旅行に同行)、「おろおろ草子」、「白夜を旅する人々」、「海の道」等や憧れの諸随筆にどっぷり漬かれますように……。
貴会のますますの充実をご祈念申し上げます。

追伸  小生の住まいの近くでもあり、「岩手の文学展」を見てきましたが、三浦ワールドをもっとしらしむべきと言う意を強く感じました。春秋じゃないですが、良いものは良いんですね。地道に知らしめましょう!

追伸の追伸  同展で三浦の菩提寺が広金寺となっておりましたので、広全寺と訂正するようお願いしました。

平成24年7月12日  工藤 拝




工藤さんがこのように三浦文学の世界に浸り、満足いただけたことを知って大感激している。
この手紙を読んで、訪れてみたい思いに駆られる人が多くいると思うので、是非、参考にして頂きたい。

「岩手の文学展」では、三浦哲郎氏に大変気の毒な扱いになっていたことを知って、私達もとても不満を感じていただけに、同じ思いの人がいたことを知って大変心強く思っている。
工藤さんたち理解者の協力を頂きながら、これからも芥川賞作家三浦哲郎が岩手に大変ゆかりが深いことの周知を図っていこうと意を強くしている。


工藤さんからは、続きの八戸編もお便りいただけることを楽しみにして待つことにしよう。

以前にお知らせした永平寺系の愛知県のお寺が、三浦作品「とんかつ」についての愛読者との情報交換から、一戸町の菩提寺・広全寺との交流にまで発展していることが、pap*k*manさんの情報から分かったので紹介しよう。

■神野御住職様 三浦哲郎「とんかつ」問答
  http://blogs.yahoo.co.jp/papakoman/14560616.html

愛知県にある曹洞宗 島田地蔵寺のHPに、神野哲州住職とpap*k*manさんの往復書簡全文と、元日付寺報が掲載されているというので、ご覧になって下さい。

■曹洞宗 島田地蔵寺
  http://www.jizoji.or.jp


■年頭閑話 教科書に載った永平寺雲水の話 「とんかつ」問答
  http://www.jizoji.or.jp/news/48-3.jpg

神野哲州住職がpap*k*manさんに電話で話した時に、今度、住職が永平寺上山の折、監院老師にご報告申し上げる予定である事や、岩手の三浦哲郎ゆかりの寺の大黒様にも再度挨拶の電話をされた事などを話してくれたと言う。
直接お礼申し上げたく思い、携帯電話で連絡を差し上げたところ、住職はさらに詳しくお教え下さり、その上、「雲水皆に読ませたい、素晴らしい作品をお教え頂きありがとう御座いました。」と逆にお礼をいわれたそうだ。

今後の展開が楽しみである。

愛知県の曹洞宗の禅師よりpap*k*manさんに届いたメールによると、岩手県一戸町の三浦哲郎の菩提寺・広全寺の住職と電話で話したそうだ。

■pap*k*manさんの「韓国で脊椎椎間板ヘルニアの手術をしました」blog
【三浦哲郎「とんかつ」をめぐる岩手・名古屋両禅師の教え】  2011/12/12(月)

http://blogs.yahoo.co.jp/papakoman/14429530.html

同じ永平寺系という縁で、「とんかつ」その他について意見交換されて、ほぼ同意見であったとの報告を頂いたそうだ。

pap*k*manさんとの往復書簡を寺報に載せることになりそうなので、「とんかつ」は曹洞宗の人達に益々大反響が起こりそうな勢いになっている。

先日、広全寺の住職と会った際に、このことについてはあらまし話をしてあったので、住職も思い出しながら対応してもらえたことと思っている。
色々なところから、反響や注目を注がれると、広全寺や一戸の人達にも三浦哲郎という作家への注目度が高まってくるものと思われるので、文学散歩一戸コースの整備とボランティアガイド確立の為にも、これからも大いに期待したいところである。

読み人の言の葉

『忍ぶ川』の舞台・一戸町の出身者で大学の卒論にも三浦哲郎を取り上げたという三浦哲郎の大ファンの人のblogを紹介する。


■読み人の言の葉
  〜まゆの読書日記〜

 http://skyseablue.cocolog-nifty.com/book/cat21938859/index.html


blogには三浦哲郎の以下の作品の読後感想が綴られている。



●肉体について      2011年9月28日 (水)
  1763「肉体について」 三浦哲郎   講談社   ★★★

ある朝起きたら右足の親指に、こらえ難い痛みが走った。病院にも行かず、薬も飲まず、亡母がよく作ってくれた捻挫の特効薬で治そうとするが、効くはずもなく・・・。

最後の雑誌連載となった「肉体について」や、死後見つかったメモ、「文学的自叙伝」などをおさめた一冊。



●母の肖像        2011年2月10日 (木)

1660「母の肖像」三浦哲郎   構想社   ★★★★

子どもたちを次々と失うという不幸に耐えて、静かに、強く生きた母。その姿を描いた作品を集めた珠玉の短編集。



●旅雁の道草       2011年2月 7日 (月)

1659「旅雁の道草」三浦哲郎    講談社    ★★★★

病母の見舞いに、東京から岩手の片田舎まで、月に一度往復した五年間。その最後の一年の思い出を綴った随筆集。



●白夜を旅する人々          2011年1月10日 (月)

1646「白夜を旅する人々」三浦哲郎   新潮社   ★★★★★

六人兄弟の末っ子として生まれた羊吉。彼がこの世に生を受けたことがきっかけだったように、きょうだいたちは滅びの道を歩み始める。生まれつき、全身の色素が欠乏している長女のるいと、三女のゆう。その二人をかばうように生きてきた一家は、次女のれんの自殺によって、崩壊し始める。れんの死からまもなく、長男の清吾が失踪。そして、るいも自ら命を絶ってしまい・・・。



●師・井伏鱒二の思い出        2011年1月 2日 (日)

1641「師・井伏鱒二の思い出」三浦哲郎   新潮社   ★★★★

三浦哲郎が唯一「先生」と慕った作家・井伏鱒二。その出会いから、人生の節目に接した厳しくも温かいまなざし、その人となりを描く随筆集。



●笹舟日記          2010年10月18日 (月)

1593「笹舟日記」三浦哲郎   毎日新聞社   ★★★★

昭和47年4月から1年間、毎日新聞日曜版に連載された随筆集。



●拳銃と十五の短篇       2010年10月 1日 (金)

1579「拳銃と十五の短篇」三浦哲郎   講談社文庫   ★★★★

亡父の遺品から出てきた一丁の拳銃。父の生涯には不似合いなその銃の処分を母から依頼された私は、父の人生に思いをはせる。



●おふくろの夜回り         2010年8月30日 (月)

1553「おふくろの夜回り」三浦哲郎   文藝春秋   ★★★★

岩手の片田舎から東京の我が家にやってきた母は、毎晩、家人が寝静まったころ、全員の部屋を静かに回って歩く。母が何のためにそんなことをするかというと・・・。「オール讀物」の「おしまいのページで」に連載した随筆に「地唄<黒髪>の思い出」を加えた、随筆集。




●恩愛              2005年10月11日 (火)

867「恩愛」三浦哲郎   世界文化社   ★★★★

 自らの生い立ち、両親のこと、師事した井伏鱒二のこと、好きなモーツァルトのことなど・・・。
 短編小説の名手による、随筆集。



●時のせせらぎ 若き日の追想紀行       2005年9月 5日 (月)

852「時のせせらぎ 若き日の追想紀行」三浦哲郎   講談社   ★★★★★

「もしも、あのとき、私が駒込の寮で暮らすことにならなかったら、あの女に会うこともなかっただろう。そうすれば、あの女とのことを素材にした『忍ぶ川』という作品も生まれなかっただろうし、いまの私はおそらく存在しなかったのだ。」

 駒込・銀座・深川・上野、そして東北の郷里・・・三浦哲郎が思い出の地を再訪して綴った随筆集。



●いとしきものたち        2002年11月11日 (月)

72「いとしきものたち」三浦哲郎   世界文化社   ★★★★

Websiteで以下のブログに巡り合った。
貴重な内容の記事なので転記させて頂いて、みなさんに紹介しよう。

9月13日の東京会館での「三浦哲郎さんを偲ぶ会」の会場で竹岡準之助氏の追悼あいさつを聞く機会を得たので、その竹岡氏を思い出しながらこの記事を読ませて頂いた。

ブログの主について情報をお持ちの方がいたら教えて頂きたい。


■ブログ【クラシマ日乗】より
    「三浦哲郎「忍ぶ川」他を読む」
   2011/6/14(火)
      http://blogs.yahoo.co.jp/kurashima20062000/43032143.html

「三浦哲郎「忍ぶ川」他を読む」


◎三浦哲郎「忍ぶ川」 (昭和文学全集第二十三巻所収)を一気に読む。
続けて「十五歳の周囲」を。
すぐに河西政明「三浦哲郎・人と作品」、三浦哲郎編になる「三浦哲郎年譜」を読了。

竹岡準之助氏とは中国こだわりの旅に毎回参加されるため、いつの間にか親しくさせていただいている。
氏は村山先生の漢学聴講は一切無いまったくの部外の存在だが、村山先生のこだわりぶりというか、こだわりの旅の共鳴者となって久しい。
旅行の戦果といっても過言でない水彩画展を梅丘のジャズ喫茶ゾーエーで開催されるのが常となり、会期中にお会いすることもしばしばである。
大学同期のいつも十人をくだらない友人等がつどい、展覧を期のミニ同窓会が開かれる。
そんなときはカウンターの隅から羨ましく眺め、ひとりワインを飲むのである。
氏が故三浦哲郎氏と親交のあったことは、つとに竹岡氏発行の雑誌『パピヨン』(papillon。あすなろ社)によって知っていたし、本人から少しばかり聞かされてもいた。
先の「三浦哲郎年譜」の昭和二十九年の条にも氏の名が記されていた。

「昭和二十九年(一九五四)二十三歳
 秋、仏文科の級友竹岡準之助、佐藤光房、西村喜邦らと同人雑誌〈非情〉を創刊。創刊号に発表した「誕生記」で小沼丹氏(当時、英文科の助教授で新進小説家だった)に見出され、以後多の励ましと助言を承けることになる。」

氏と三浦哲郎氏とのかかわりを改めて知ることとなったのは昨年十月五日発行の『パピヨン』第56号のコラム「編集室から」の一文だった。
拝読して少なからぬ感銘を受けた。
ご本人の了解が有れば全文を紹介したいのだが、今は三浦哲郎氏と竹岡氏との記述を抜萃させてもらうことで事後承認をいただくこととしたい。

「記録的な猛暑がつづいた処暑の日(8月23日)の早朝、電話が鳴った。三浦哲郎の奥さんからで、ちょうどその日の朝刊に出ていたインタビュー記事《小説への気力「戻ってきた」5年ぶり随筆集 三浦哲郎さん》を読み了えたばかりのところだった。中略。その「随筆集」を送ってきた封筒の宛名の文字のふるえが以前より顕著で、中略。常日頃案じていたのだが。中略。字がふるえても書けるのなら結構なことだと思った。だが、奥さんから電話がかかってくることなどめったにない。中略。千駄木の日本医科大に転院した。いま集中治療室に入っている。先生から近しい方には連絡しておいた方がいいといわれたので電話しました、という。中略。「おい三浦、竹岡だ。またげんきになれるからな。しっかりな」と声を励ましてかけたが、反応はなかった。中略。昭和28年の春、私たちは早大仏文科に入学して出会った。三浦は私より3つ年長で、中略。三浦はいった。「太宰は津軽で俺は南部だけどね」と。亡くなってはいたけれど高名な作家と肩を並べるだけの自負が三浦にはあった。これは私の直感だが、三浦はただの文学青年ではなく、作家とはこういう人をいうのだろうと思った。まだ何も書いたものを見ない時点でそう思った。中略。2年生の秋、級友の佐藤光房が郷里盛岡から一緒に東京へ出てきた学友に仏文科で知り合った級友を加えて創刊した同人誌『ナルシス』に三浦と私が合流して新しい同人誌を出すことになった。三浦の主張で誌名の『ナルシス』は改めること、ガリ版刷りを活版刷りに改めることになり『非情』が創刊された。ただしこの誌名は三浦が命名したものではない。
中略。昭和36年、「忍ぶ川」で芥川賞を受賞するまで多少の曲折はあったが、畏友三浦の盟友として作家になる片棒を非力ながら担げたことになにがしの誇りを感じている。中略。昭和38年、私が結婚したときは、三浦夫妻にたのんで仲人をやってもらった。その翌年会社を起こしたときは、何も聞かずに役員になってくれた。8月29日、NHKTVが午後7時のニュースで三浦の死去を生前の映像とともに報じた。中略。9月1日に通夜が、翌日葬儀が執り行われ出版関係者やファン多数が三浦にとわの別れを告げた。式後、私は火葬場まで三浦を見送り、ご遺族らとともにその骨を拾った。後略。」

三浦哲郎原作の映画「忍ぶ川」は見ていたが、何故か三浦哲郎の小説を読む機会がこれまで巡り合わせなかった。
映画は、監督: 熊井啓、出演: 栗原小巻、加藤剛他。

先日、手元の資料で読んでもらいたいものをいくつか古我照彦氏に手渡した。
いつもの経堂の喫茶で、上記『パピヨン』誌の三浦哲郎追悼記を読み、竹岡氏と同世代の古我氏は同じように感動され、三浦哲郎の小説を再読され、所蔵の昭和文学全集からコピーして読むように渡してくれたのが、先の小説と資料だった。




この『パピヨン』第56号のコラム「編集室から」の全文を読んでみたいと思っているが、入手できないものだろうか。


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