三浦哲郎文学を読む会

三浦哲郎文学ファンの輪を拡げましょう

ゆかりの場所

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
「なにゃとやら」踊りの歌を聴くと、これが本当にヘブライ語に関係しているのかなと思い出してしまう。
そのことについて三浦さんも興味を持っていたようで、作品にも取り上げている
以前にも青森県新郷村のキリストの墓について紹介したが、そのことについてテレビ局が取材し放送した番組がYouTubeに掲載されていたので紹介する。

■YouTube 新郷村キリストの墓について
【キリストを解く鍵は日本にあり!-1/3】
【キリストを解く鍵は日本にあり!-2/3】
【キリストを解く鍵は日本にあり!-3/3】

フリーメーソンやテンプル騎士団
もっともらしいが、真実のほどは如何なものか。
『少年賛歌』を著した三浦さんはこのことについてどのように思っていたのだろうか?
先日の日曜日に、車で40分ほどの青森県新郷村に在る三浦作品ゆかりの場所を訪ねて来たので紹介しよう。
以前に通りかかった時には寄らずにお預けになっていたが、改めて訪問してみて小説の内容が真実であるか検証できた。
まずは、その作品の一部から

……彼は、ふと思い出して、郷里の盆踊りの唄をひとふし口ずさんだ。
「……なんだい、いまの鼻歌は。」と、すこし間を置いてから相棒がいった。
「変な唄を知っているんだな。どこの国の唄?」

「どこの国って、おれの田舎の唄だよ。」
「おまえの田舎の? おれはまた、アフリカあたりの唄かと思ったよ。文句がまるでわからなかった。」
「盆踊りの唄でな。よく、月夜の晩に、こうして自分の影を踏みながら踊ったんだ」
 そういって、足元の影をちょっと蹴るようにすると、踵を踏み潰したスニーカーが足から脱げて前の方へ転がった。相棒が、くすっと笑った。
「おまえ、踊れるのか?」
「踊れるさ。おれの村には踊れない奴なんか一人もいないよ。なんなら踊って見せようか。」
「いいよ。いまでなくったって。」と、相棒は本気で立ち止まりそうになった彼の腕に手をかけていった。
「それにしても、さっきのはなんだか変てこな唄だったな。御詠歌みたいな。あれをもう一遍やってみろよ。」

 それはお安い御用で、
(にゃにゃどやらよおう、にゃにゃどなされのお、にゃにゃどやらよおう……)
 と低い声でゆっくり唄って見せると、相棒は首をすくめて噴き出した。
「驚いたなあ。まるっきりわからねえや。その先は?」
「先なんてないよ。歌の文句はこれっきりで、これをおなじ節回しで繰り返すんだ、際限もなく。」
「……際限もなく、ねえ。まるで唄というより呪文だな。一体、どういう意味なんだ?」
「それは俺にもわからない。俺ばかりじゃなくて、誰にもわからないんだよ。」
「どうしてだろう。おあめの田舎の唄なんだろう?だったら、東北弁だろう。」
「多分な。大昔の東北弁がだんだん崩れて、途中で意味がわからなくなっちゃったのかもしれない。でもね、ヘブライ語だという説もある。」
「ヘブライ語?」
「ヘブライ語だとすれば、<永久に汝安かれ>という意味になるらしい。」
 相棒は笑い出した。
「ヘブライ語とは、意表を突くね。だけど、どうしておまえの田舎にヘブライ語の唄が残っているんだ?」
「それはな、キリストがきたからだよ。」
「キリストが? おまえの田舎にか?」
「そうよ。日本へは二度きて、その二度目におれの田舎の方へきたんだ。そんな話、聞いたことないか?」
「初耳だな、キリストが日本にきたなんて。確か歴史の時間にも習わなかったぜ。」
「当たり前だよ。歴史年表の第一頁の、西暦元年から百年までの間、つまりキリストが生まれてから百年間の項には、たった一行、<一月、倭奴国、後漢の光武帝に貢して奴国印を与えられる>と出ているだけだからな。」
 相棒は、くすんと鼻を鳴らして舌打ちした。」
「おまえ、よくそんなことを憶えているな。」
「そりゃあ、ついこの春先まで、これに類したつまらんことばかりせっせと頭に詰め込んでいたんだからな。キリストが最初に日本へきたのは第十一代垂仁天皇のころで、そのときは十一年間滞在して専ら勉学にいそしんだ。」
「何を勉強したんだ。」
「多分、神様についてだろうな、ユダヤへ帰ってから日本と神様の尊さを結びつけて説いたっていうから。でも、残念ながらその教えは長老たちの容認するところとはならなかった。あまつさえ、パイサイ派の学者たちの猛反対に逢って、結局ローマ軍に囚われることになる。」
「あまつさえ」と、相棒は面白がって口真似をした。
「エルサレムはゴルゴダの丘で十字架に処せられるんだろう。」

「ところが、そのとき十字架に懸けられたのはキリストその人じゃなくて、実は弟のイスキリだった。」
「ほう。弟が身代りになったのか。」
「兄のキリストの方は、何人かの弟子と一緒にシベリアからアラスカへ渡って、それから俺の田舎へやってきた。」
「どうも、唐突だな。」と、相棒は顔を顰めながら頭へ手を上げて、五本指で長く伸ばした髪の毛を摑んだ。
「シベリア経由の、アラスカ回りか。まあ、大昔のことだからな、そんな遠回りも仕方がないとしても、どうしてそこへ突然おまえの田舎がでてくるんだ?」

「アラスカから舟で海流に乗っかってくれば、ちょうど俺の田舎のあたりの浜に着くらしい。」
「なるほど。それで安心したよ。キリストはわざわざおまえの田舎へきたんじゃなくて、偶然漂着したわけだ。」
「キリストは何をしたんだ。」
「まず、名前を十来太郎大天空と改めた。」
 彼は、自分の手のひらに指でその名を一字ずつ書いて見せた。
「それから、ミユという女を妻にして、貧民救済のために諸国を行脚しながら生涯を送ったそうだ。」
 相棒は、苦しそうな声を洩らしながら腕組みをした。
「おまえ、笑ったら怒るだろうな。」
「怒りゃしないよ。おかしかったら笑えばいいさ。だけど、俺は調子に乗って駄法螺を吹いたんじゃないんだからな。おまえが唄のヘブライ語説の由来を訊くから、俺は俺の田舎に古くから伝わっているキリスト伝説をそのまま話してやったまでなんだから。」
「それはわかってるさ。」
「だけど、驚いたな。まさか、あの変てこな唄からキリスト伝説が出てくるとは思わなかった。」
「東北には、これと似たような義経伝説があちこちにあるけど、キリスト伝説といえば俺の田舎だけだからな。」
 と彼はいった。ひさしぶりに田舎の話をしたせいか、胸のあたりがすっきりとしていい気持だった。そういえば、この春、東京へ出てきて以来、独り言を除いてこんなに気楽に喋ったのは初めてのことだと彼は気づいた。これまでは、田舎訛が気になって、人前ではひたすら無口を装っていたのだが、今日はいきなりヘブライ訛の唄ではじまったせいか、話していてすこしも恥ずかしくはなかった。
 これでいい。田舎者だからといって、なにもびくびくしながら暮らすことはない。どこでも住めば都なのだから、気兼ねなく自分の流儀で暮らすのがいいのだ。彼はそう思い、そんな自分を鼓舞するために、歩きながら何度か道端へ田舎風に唾を飛ばした。
「だけどさ」と相棒がいった。
「そのキリスト伝説を裏付けるものが、ヘブライ語の<永久に汝安かれ>の唄一つっていうのは、ちょっと淋しくはないか?」

「いや、まだほかにもあることはあるんだ。まず、墓がある。墓といっても、離れるとちょっとした丘みたいに見える、ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。それにな、その墓のある村には、いまでも子供が生まれると、おでこに墨で十字を書いたり、着物にダビデの星型を縫いつけたりする風習が残っている。」
 相棒は、ほんのちょっとの間だけだが、狐につままれたような顔になり、それがまた彼の酔心地を一段と濃厚なものにした。
「だから、ひょっとしたら俺なんかにもキリストの血が混じっているかもしれないわけだけど、まあ、そんなことはどうだっていいんだ。重大なのは今夜のことだよ。海賊がナポリをみてから死ねってさ。元気を出そうぜ。」
 と彼はいった。

この後、二人は歓楽街へと向かうのである。

そう、これは『歓楽』(『蟹屋の土産』などに収録)という小説に描かれていて、私たちの住むこの南部地域に伝わる盆踊り唄の「なにゃとやら」を、全く言い伝えられている通りに上手く解説してくれているのである。
この小説に描かれている通り、キリストの墓は新郷村に存在していた。
証拠写真をみれば一目瞭然。

イメージ 3


イメージ 1
離れるとちょっとした丘みたいに見える。…その通りだった。
イメージ 2

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8
ただの大きな土饅頭だけどな。それが二つ並んでいて、一つはキリストの墓、もう一つは弟のイスキリの墓ということになっている。
イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

伝承館の展示室入口脇には、東奥日報社の三浦文学特集の当地の場面の記事が貼り出されていた。

イメージ 4
墓の回りで「なにゃとやら」踊りの行事が行われているポスター。

■過去の関連記事 
・東奥日報連載三浦哲郎特集№30(11.10.23)「歓楽」     2011/11/28(月)
・新郷村の「キリストの墓」      2010/6/26(土)
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

■画像:『水仙』に登場する「土橋」の場所には木橋が復元されている。
木橋の先の登り坂「ダンジャ坂」は「ゆかりの家」まで続いている。
因みに、「ダンジャ」は三浦さんのお父さんの実家=「ゆかりの家」
の屋号だった。


『水仙』に描かれている土橋 は、平成11年10月の集中豪雨による大水害でここ長川が氾濫して流失してしまった。
その後の災害復旧による護岸工事の際には橋は架けられないままになってしまった。
後に、三浦文学ゆかりの橋であることを知った地域の人たちによって木橋となって復元されたのであった。


短篇小説 『水仙』 より

 それでも、私は、家に帰りたくない子供が棒切れでいつまでも水溜りを叩いているように、靄がすっかり消えて日が昇るまで、釣れるでもなしに川べりにいて、それから大部分は父が釣った小魚を魚籠に拾い集めて引き揚げてきた。すろと、家の方へ登る坂道の登り口にある土橋のたもとに、小野木さんの錆びた自転車が横倒しに乗り捨ててあった。
私は、家へ帰ってくるのが早すぎたのか、それとも遅すぎたのか、判断に迷った。つい坂道を上る脚が鈍って、立ち止まっていると、上から誰か人が降りてきた。私は、それが小野木さんだとわかると、それきり坂道を上ることを忘れてしまったが、小野木さんの方も私を見て、ちょっとためらったような足取りになった。けれども、小野木さんは立ち止まらずに、朝日に眼鏡を光らせながら、膨らんだ手提鞄の方へすこし軀を傾けるようにして降りてきた。
私たちは、お互いになにごともなかったように朝の挨拶を交わした。小野木さんは顔を力ませるようにして笑っていた。
「釣りですか。いいですね。」
口髭が赤かった。それがゆっくりそばを通り過ぎようとして、やはり立ち止まった。
「夕方、向こうへお帰りですね。」
そういわれて、私は急に、きょうが日曜日だったことを思い出した。むこうというのは、私の勤め先のある町のことだ。
「今度は、いつ、こっちへ?」
「……多分、来月になると思いますが。」
「じゃ、もうお会いできないかな。」と小野木さんはいってせわしく目をしばたたきながら私を見た。「実は僕、もう二、三日もすると、東京へ引き揚げるんですよ。僕はずっとここにいたいんですが、いろいろ事情があってそうもいかなくなりましてね。それに、僕は戦時中の医専出身ですから、いまのうちに、もういちどしっかり勉強し直しておかないとね。じゃ、これで……。どうぞお元気で。」
「先生もお元気で。」
急なことで、私は面食らいながらそういってお辞儀をしただけであった。坂道の途中までくると、小野木さんの自転車が土橋を渡って軋むのがきこえた。


 好きな小説のこの一節に触れてしまった今は、この木橋の登り口にさしかかると、小野木さんの倒れた自転車の置かれた場所はどこだったろうと思うのである。




イメージ 1

イメージ 2

■画像:馬淵川〜長谷川合流地点の砂場は短編小説「水仙」の舞台
    

金田一温泉郷には三浦文学作品に登場する舞台がそこかしこにある。
私の毎朝の散歩道にも、そこに差し掛かると思い出す場面がある。


短篇小説『水仙』より

<…私はゴム長を履いて朝靄のなかに出た。
父は、自分の釣り場にしている砂の岸辺に腰を下ろして、ひっそりと打ち釣りの竿を振っていた。足音をしのばせていって、背中に声をかけると、父はちょっと驚いたように振り返って、唇に人差し指を立てて見せ、それから右脇の砂の上に釣り上げたおびただしい数の小魚を刺した。
私は父の背後にしゃがんで、
「大漁だ。」
と囁いた。父は笑って頷いた。
「まだまだつれる。」と父は私に顔を寄せてきていった。「やってみるか?」
わたしは、竿を受け取るとき、母が呼んでいると父に伝えた。父は訝しそうに私を見た。
「…なんで?」
と訊かれても、私にはなにもいえなかった。
「なんだかわからない。」と私はいった。「とにかく早く帰ってきてくんせって。」
父は、ちいさく舌打ちして、ポケットから煙草を取り出したが、私が竿を十回ほど振ってみてから、「さっぱりだ。」と振り向いたときは、もう黒いジャンパーの背中が田んぼの畦道の靄のなかに薄れかけていた。
私は、まだ父のぬくもりの残っている石の腰掛けにひとりになると、急に心細くなって、竿を振る腕にも力が入らなかった。こんなときに兄がいてくれたらと、行方が知れなくなってからちょうど一年になる次兄のことをそう思ったりした。私は、その兄から学費を貰って大学へ通っていたが、途中でやめて帰ってきて、いまは郷里に新しくできた中学校で代用教員を勤めていた。兄の最後の手紙にはかならず帰ると書いてあったが、当てにはならない。このまま兄が帰らなければ、六人きょうだいが姉と私の二人きりになってしまうが、その姉もまた、あんなただならない鼾をかいて眠りから覚めない……。
 私は、村の家には休みに帰ってくるだけだが、帰ったところでなにもすることがなくて、父に打ち釣りを教わっていた。けれども、その朝は、竿の先で川面を叩いて、せっかく集めた魚を散らしてばかりいた。それに、口のなかが変に乾いて、撒き餌の荏胡麻を口に入れて噛みたくなかった。
 それでも、私は、家に帰りたくない子供が棒切れでいつまでも水溜りを叩いているように、靄がすっかり消えて日が昇るまで、釣れるでもなしに川べりにいて、それから大部分は父が釣った小魚を魚籠に拾い集めて引き揚げてきた。>



ここの釣り場での場面については短編小説『河鹿』』にもっと詳しく描写されている。


‹父親は、市では呉服屋の店を持っていたが、戦後はその店も手放して、村に住むようになってからは近在のちいさな呉服商や洋品店相手に衣類仲買人のような商売をしていた。問屋から注文していた品物が届くと、それを風呂敷で背負って届けにいって、ついでにまた新しい注文を取ってくる。父親の仕事といえばそれくらいのもので、あとは気ままに、薪割りをしたり、朝な夕なに川へ釣りに通ったりして暮らしていた。
 父親の釣りは、打ち釣りといって、川岸に陣取り、村ではジュネと呼んでいる荏胡麻を口に含んで噛み砕いては、唾液と一緒に川へ噴き散らしながら、細身の竿でゆっくり川面を打つようにして雑魚を引っ掛ける釣りである。釣糸は西洋人形の髪の毛のように細く、鉤には、湾曲したところにジュネの噛み汁に似せたセルロイドの粒がついている。これを、雑魚がジュネの噛み汁に群がっているところへ落としてやると、忽ちあわて者が引っかかってくる。
 私は、自分で釣るよりも父親が釣るのを眺めている方が好きで、よく暗いうちから起き出して、朝釣りについていった。父親は、前から目をつけていた釣り場に着くと、まず川原から椅子の代わりにする石を運んできて、それを砂地の水際に据える。その石の腰掛けから右手の方の水際に沿って、砂地へ釣り上げた魚が飛び跳ねても川へ落ちないように拳大の石をきっちり並べるのが私の役目で、その間に父親は竿の用意をする。
 用意ができると、ゴム長の脚を流れに半分入漬けて、石の腰掛けに腰を下ろす。ポケットからゴールデンバットの袋を引き出して、いかにも旨そうに一服する。それから、ラムネの瓶に詰めてきたジュネをすこしずつ喇叭飲みして、撒き餌をする。すると、忽ちあたりの川面は魚の口で泡立ちはじめる。魚の寄り具合が思い通りだと、父は斜めうしろのすこし離れた砂地に腰を下ろしている私を振り返って、声をださずに大笑いをして見せた。
 河鹿の鳴く季節になると、夜明けの川は無数の鳴き声が濃密に重なり合って、なにか息苦しいほどだった。河鹿は水際に腰を下ろしている父親の足許でも、股倉の下でも鳴いた。父親は、河鹿の声に包まれて、寛いでいた。私は、父親が川で釣りをしているときほど、翳りのない、和んだ顔をしているのを見たことがなかった。父親はもう六十を過ぎていたが、どこかの日当りのいい農家の楽隠居のように見えた。とても息子や娘たちに、次から次へと裏切られてばかりいた、不運な父親には見えなかった。ましてや陰気な拳銃をこっそり隠し持っているような人間の影など、どこにも見えなかった。……›


そして、短編小説『盆土産』では、帰省する父のために蕎麦の出汁用にと主人公が雑魚を釣る場面もここを描写している。

温泉郷での打ち釣りの釣り場については、地元金田一の中学生たちが国語の教科書で『盆土産』を習っていることもあったので、三浦さんの自宅でお会いした時に、そのことを報告しながら、打ち釣りをしていた場所を訊ねたことがあった。
そしたら、この辺一帯で釣っていたと話してくれた。

三浦さんは、他にも色々な作品に「打ち釣り」のことを書き残している。
三浦文学では「打ち釣り」は父親の思い出として重要な題材なのである。

イメージ 1

三浦さんが八戸への帰省時に定宿にしていた八戸グランドホテルが経営難から事業譲渡したというニュースが流れたのは今月初めだった。
またしても、三浦文学にゆかりの深い施設の存続が危ぶまれる事態となっていたのには驚いた。
かろうじて譲渡先によってこれまで通りの名称で営業が継続され、再建に向けて再出発するとのこと。

三浦さんが色々な作品に描いているこのホテルには、多くの思い出も詰まっていて、三浦哲郎文学散歩コースのゆかりの場所として説明版も設置されている。
三浦さんが吐血して入院することになったのはこのホテルでの大きな出来事だった。

ホテルの一角に事務局がある八戸の三浦哲郎文学顕彰協議会との交流がご縁で何度か訪れたり、祝宴会の会場として幾度も参加させて頂いた。
八戸でも老舗で由緒あるホテルなので、存続されることに安堵している。
新生・八戸グランドホテルの今後に期待したい。


朝日新聞・青森版  2012年06月02日

■八戸グランドホテルが事業譲渡
  http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000001206020002

 八戸市番町の八戸グランドホテルは1日、ホテル運営会社「Suvaica(サヴァイカ)」(成田繁社長)に事業を譲渡したと明らかにした。ホテルはこれまで通り営業する。

 高橋優総支配人の説明によると、ホテル業界への異業種参入が続き、市内でも競争が激化して経営が悪化していた。昨年3月の東日本大震災で宿泊と宴会・結婚式の予約キャンセルが相次いで1億円近い減収となったことが響き、国内の投資会社に支援を求めることになったという。支援を受けるようになった経緯や負債額などの詳細は明らかにしなかった。

 サヴァイカはこの投資会社が同ホテル運営のために今春、設立した。ホテルの土地と建物は八戸グランドホテルから「HGH」に商号変更して東京都渋谷区に移転した会社が所有し、サヴァイカに賃貸する。

 従業員は正社員約50人とパート約50人の約100人。正社員の一部が5月末に自己都合で退職したが、そのほかの雇用は継続するという。

 事業譲渡をきっかけに、老朽化した宴会場や客室などを今夏をめどに、改装する予定。震災前の年間売上額約7億円を目指している。

 同ホテルは1966年7月開業。県内初のシティーホテルで、政治、経済界の会合や皇族の宿泊場所としても知られる。地上12階建てで客室数86、宴会場15。


■デーリー東北 企画・連載 八戸グランドホテル 事業譲渡の波紋
  http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/kikaku/kikaku2012/grand/grand_menu.htm

 ・(上)老舗の苦悩 業績不振 震災追い打ち
(2012/06/02)
     http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/kikaku/kikaku2012/grand/grand01.htm

 ・(下)過当競争 全国チェーン次々進出
(2012/06/03)
     http://cgi.daily-tohoku.co.jp/cgi-bin/kikaku/kikaku2012/grand/grand02.htm


.
oki*_
oki*_
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

三浦哲郎文学愛読者

三浦哲郎情報

登録されていません

二戸のブロガー

登録されていません

旧南部藩の住人

登録されていません

友だち(2)
  • よしO
  • ooh*ra*
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事