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今朝、新聞記事の切り抜きが、東京の親友からファックスで送られてきた。
日経新聞の一昨日の日曜版に掲載された「忘れがたき文士たち」という欄に、編集委員の浦田憲治という人が「磨きぬかれた珠玉の文章」と題して三浦哲郎のことを書いている。 プロフィール欄にも「出発点は不幸からの自己救済」と的を得た小見出しが書かれている。 三浦さんの事がよくわかる簡潔明瞭な、とても良い文章になっている。 ここに掲載して紹介したいが、生憎、パソコンを買い替える迄は画像の掲載が出来ないのが残念でならない。 ゆのはな文庫に保存するために、もっと鮮明な原本のコピーも欲しいので、図書館に行ってみることにしよう。 でも、地方版にも掲載されているのかな? 師匠と仰いだ井伏鱒二の 「僕らは、偉そうな理屈は言わずに一生懸命に書こうや。ひたすら書こうよ」 を思い出しては、 「僕らはひたすら書くだけだ。仕事で来い」 「僕は理論は苦手だ。小説は理屈ではない」 と言ったと書いている。 友人はここに痛く感銘したらしい。 仕事柄、私も同感である。 |
連絡、報告
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先日、鎌倉FM放送の小町さなえさんからCDが郵便で届いた。
熱烈な三浦文学ファンの彼女が受け持つ鎌倉FM放送の朗読番組『鎌倉図書室 小町部屋』で放送済みの三浦文学作品のいくつかを録音して送ってくれたのである。 小町さんとは、9月13日に東京の偲ぶ会で知り合い、その後、浅草の居酒屋に場所を移して、同席した東京の原田桂さんと一緒に、三浦文学についてお互いの思いを語り合ったのだった。 その時、番組を聴けないことを残念がっていたら、録音して送ってくれると言っていた。 CDには、8月に放送した『おふくろの夜回り』から「地唄〈黒髪〉の想い出」と「あとがき」、10月24日から放送した『ユタとふしぎな仲間たち』より「柱の中のエレベーター」の朗読が録音されていた。 元劇団に所属していたという小町さんの朗読はさすがに上手である。 作品の魅力もあるが、選者でもある小町さんの思いが伝わってくる朗読になっているので、ファンレターが届く番組になっているのだと納得した。 三浦文学の魅力を広めようと活躍している小町さんが、今度はスタジオを飛び出して、朗読と料理のコラボレーションを開催するそうだ。 選んだ会場が鎌倉の山あいに建つ古民家レストランだというから、何とも憎いことに三浦文学を知り尽くしている小町さんらしい選択である。 ひな×小町さなえ 『鎌倉図書室 小町部屋』ひなややまのいえ場所 2011年11月20日(日)17:00〜 席料 3,000円(料理、1ドリンク付き)予約制 問い合わせ先: 小町さんのプライベート先になっているので、Web上では未掲載とします。 鎌倉FMへ どんな佇まいでどんな作品が朗読されるのか、とても興味があるのだが、鎌倉は遠いから…。 小町さんからの報告を待つことにしよう。 近隣にお住まいの方には、是非とも出席して、小町さんの誘う三浦哲郎の世界を彷徨ってみることをお薦めします。 |
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会場の八戸市公会堂は、開場40分前に到着した時には既に館内のホールに長蛇の列が出来ていた。
寂聴さんの高い人気のお陰もあって、平日午後開催で心配された集客も何のそので、大ホールに入り切れなかった人達のために、ホールの外で実況映像を見せて上げていた。 この日の為に用意した金田一温泉郷での三浦文学のイベント広告チラシを、慌て並んでいる人達に手配りして歩いた。 実行委員会の人達の配慮でホワイエの一角に、ポスター掲示とチラシを置かせて貰う事ができた。 |
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井伏鱒二は東北の人が余程好きだったのかと言って、太宰治と三浦さんの井伏鱒二との師弟関係についても話してくれた。
三浦さんの井伏さんに対する尊敬の思いと接し方は、人から嫉みをかうような卑しさが無く、羨ましい程の師弟関係を築かれていた。 それは、誰でも三浦さんに逢って、嫌な気持ちを持つ人はいなかっただろうことと、誰からも三浦さんの悪口なんて聞いたことがない。 そんな三浦さんの人柄だったから。 講演に先立って、この日から市内の市民交流施設「はっち」で始まった『三浦哲郎特別展』を、市長達に案内されて観てきたそうで、「三浦さんは、この街の誇りになる偉大な作家なのだから、文学館を建てて上げないといけない」と、市長に強く要望したと話していた。 そして、「私が生きているうちに開館して!その時には挨拶をしたい」と言っていた。 開会の挨拶に立った八戸市長は、大きな宿題を頂いたと言って、早速、寄付を呼び掛けていた。 建てないなら、金田一温泉郷か一戸に建ててしまうことになるかも知れないと、そんな思いがしている。 |
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会場から幾度も笑いが絶えない寂聴節が続く。
途中、三浦朱門と言い間違えたところもあったが、それにしても、とても九十歳とは思えない饒舌と記憶力には驚かされる。 始めてあった時は、てっきりアルバイトの学生かと思ったが、既に結婚していて子供までいたのには驚かされた。 何しろどきんとするほどの美青年だったのだから、さぞかし、女の子に持てたことと思う。自分は三浦さんの母親か姉のような気持ちになって接してきたが、亡くなって改めて10歳しか違わなかったことを知ると、恋愛感情が起きてもおかしくなかった。 始めて会った時、「今に有名な作家になる」と予言して上げたのだったが、それから半年ほどして、芥川賞をとった若い新人の名前と写真を見て飛び上がらんばかりに驚いた。 まだ売れていない自分は、嫉妬心が出てもおかしくなかった筈なのに、本当に心から嬉しかったことを覚えている。 これまでお互いに新刊を出す毎に贈り合った仲だった。 その中でも、三浦さんから出稼ぎ家庭の妻の性を題材にした『夜の哀しみ』を頂いた時には、私が書くような小説を、純文学の三浦さんが書いて、今迄とは全く違う作風に挑戦したのには驚いた。 賛否両論有ったが、バルザックやモーパッサンの小説にも劣らない、最高傑作で直ぐに手紙で誉めて上げた。そうしたら、お礼の返事を電報でくれたが、そんな事をするのは三浦さんの他にはいなかった。 このように『夜の哀しみ』を絶賛して、聴衆の皆さんにも読むように強く薦めていたので、八戸の書店や図書館はその後、問い合わせが殺到しているに違いない。 何しろ、これも八戸の情景が描かれている作品なのだから。 |





