三浦哲郎文学を読む会

三浦哲郎文学ファンの輪を拡げましょう

ゆかりの人

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

三浦さんの八高の先輩

一昨日、石切所のアパート物件の調査に行った時、家主のO夫人から「『三浦哲郎文学を読む会』の会長さんですよね」と声をかけられた。
三浦さんのことについて色々と取組んでいる読む会の活動に、大変興味を持っているらしくて、すばらしいことなので、これからも頑張って続けて欲しいと。激励された。
どうやら、以前に金田一温泉郷の文学散歩に参加したことがあるらしい。
話しを聞いて見ると、Oさん夫妻は二人とも八戸高校の卒業生で、三浦さんの先輩だと言うことだった。
ご主人はバスケットボール部の先輩でもあるという。
奥さんは、お母さんが三浦さんのお姉さんに琴を習っていた時に一緒に付いて行ったことがあるのだそうで、最近、一戸のお姉さんの所に様子伺いの電話を掛けたら、覚えてくれていたと言って喜んでいた。
三浦さんに対する二人の思いは熱く、昔の思い出の写真もあると言っていたので、是非、交流を持たせて頂けるようお願いしてきた。

又、二戸でこうして三浦さんにゆかりのある人達との新たな出会いが生まれた。
今後が楽しみである。

三浦家にご縁の方

先日の夜に、読書感想文コンクールの入賞者のお母さんが、文集を貰いに訪ねて来た。
浄法寺の学校への文集の到着が遅れていたために、カシオペアFMの収録までの練習が出来ないので、早く欲しいということだった。
確か今日の収録とか言っていたので、FM局でも本格的に番組づくりに取り組んでくれているようだ。
そうなると放送日が果たしていつになるのか気がかりだ。
出来るだけ、入賞者本人や家族、友人、親戚など、多くの人が聞ける曜日と時間帯にして頂きたいとお願いしてあるので、上手く調整してもらいたい。

ところで、訪ねて来られたお母さんは、自分の妹の子供も一緒に入賞したのだと言って、大変喜んでくれていた。
そして、彼女の家は三浦家と遠い縁戚関係にあって、子供の頃から三浦哲郎さんのことは聞かされて知っていたそうで、作品にも親しんでいると話していた。
幾つかの作品の内容について話が出て、お互いに話題を共有できたのはとても嬉しかった。
玄関先での立ち話で失礼したが、今度機会が会ったら、もっと話しを聞きたいと思っている。
その母親姉妹は、以前にある地域おこしの会で一緒に活動した私の仲間でもある。
いろいろな縁が繋がって、支えられているのだなぁと感じさせられた出来事であった。

二戸ゆかりの文人たち

以前(2/15)にこのblogで、三浦哲郎と瀬戸内寂聴の出会いと繋がりについて書いたことがある。

http://blogs.yahoo.co.jp/onikosato/4979127.html

一昨日、ある会合の席で、知人のN社長から読む会の活動について批評を頂いた。
その際に、二戸にゆかりのある三浦哲郎と瀬戸内寂聴の若い頃の出会いの話が出て、二人とも今は文壇界の名士となっているが、二戸にご縁が深い二人なのだから、是非、この地で会わせる機会を作ろうではないかと言うのである。
N社長は、以前に三浦氏の自宅に訪問したこともある間柄と聞くが、関係の詳細は未だに教えて頂いていない。
三浦氏と寂聴さんの始めての出会いのことを知っているのだから、かなりの三浦ファンである。
先日のイベントの際の「忍ぶ川」上映会場にも参加して、前の席に座って熱心に観賞してくれたほどである。

又、直木賞作家・渡辺喜恵子さんとの縁についても、三浦さんはお互いに交流があったと作品にも書いている。

このような二戸に深いゆかりのある作家を市民の多くの人たちに知って親しんで頂けるようになって欲しいので、出来るものならそういう機会を作れたら素晴らしいと思う。

蹄鉄屋のアケミ

小説『ブンペと湯の花』に登場する「蹄鉄屋のアケミ」のモデルの女性が実在するらしい。
この間の例会の時の情報交換で、H会員からその人物に会ったという報告があった。
話しによれば、当人は小説の話は聞いたことがあるが、自分のことだとは知らなかったと言っていたそうだ。
そこで、H会員が小説のコピーを差し上げて読んでもらったそうである。
そしたら、どうも自分のことのような気もするが、「ブンペさん」と言う人のことは全く心当たりが無いと言っていたそうだ。
やはり、小説の中でもアケミはブンペさんとは一言も言葉を交わさなかったそうだし、三晩がかりで書いたラブレターも、提灯塚のテルコに握りつぶされて届かなかったようで、ブンペさんの全くの片思いだったことになるのだろうか。


小説のモデルの人物が新たに発見されたので、いつか話しを聞いてみたいと思っている。

座敷わらしのこと

先日、栗山会員が座視わらしの資料を持って訪ねてくれた。
八戸市立図書館で調べたという「座敷わらし」の資料は
『南部覚え書き』音喜多富寿著
        (音喜多富寿:http://www.hachinohe-u.ac.jp/machi/konakano/hca/tomiju.htm
『日本民俗大辞典』http://www.yoshikawa-k.co.jp/minzoku1.htm
から取ったコピーで、他に持参の『遠野物語』柳田国男著
であった。

『南部覚え書き』には、明治初年の頃の、八戸の遊里、春駒(仮名)ののれんで繁盛した貸座敷での座敷わらしのはなしが『座敷わらしの怪』のところに載っている。
赤いチャンチャンコを着た男の子が夜中に現れて、モウロウとしている酔客に腕相撲を挑んだりするが、相手になると勝てない。それが噂になり物好きに出かける者が引きも切らず、大いに繁盛したが、そうこうするうちに、スーッと消えるように大戸から出て行ってしまった。
以来、春駒の座敷わらしの姿もうわさも立ち消えとなって、春駒のあんどんにも、灯がはいらなくなってしまった。
という話しで、これは三浦さんの『笹舟日記』の『座敷わらしの話』でも紹介されている。

『日本民俗大辞典』には、家の奥座敷にいる精霊。岩手県を中心として青森・秋田の諸県にも分布しており、ザシキボッコ・クラワラシなどと称する土地もある。として、佐々木喜善著『奥州のザシキワラシの話』の、遠野や水沢市の座敷わらしの話しや、柳田国男の『遠野物語』の中の座頭部屋の話しが出てくる。

「主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。これを座頭部屋と云ふ。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚びたり。これを待たせ置く部屋なり。」として、民家の間取り図には小部屋が書かれているが、これを座頭部屋というとあるものの、古くはこの部屋でその家の神を祭った名残であったのではなかろうか。座敷わらしを家の神もしくはその家の守護霊として畏敬されていたとみられる。

と書かれている。

八戸市立図書館蔵の『十和田記』の中の、秋田市内にあった潟屋の八郎太郎にまつわる話しや、盛岡市の永福寺にもこうした部屋があったと記されているそうだ。

柳田国男の『遠野物語』に座敷わらしのことはたった8行程度しか記されていない。それも、女の座敷わらしの話しである。
その項のところに〈此の神のこと「石神問答」一六八頁にも記事あり。〉とあるのだが、いくら探しても後には座敷わらしの話しを見つけることが出来なかった。

それが、今は、座敷わらしを代表する本になってしまうとは……。

それに比べたら三浦文学の価値は大きいぞ。


わざわざ調べて届けてくれた栗山会員に感謝します。

栗山氏は、日本俳人協会会員であり、その氏の俳句にかける思いや、俳句を通しての人生の巡り合い・運命のことなど、色々話しを聞くことが出来て、大変刺激を受け、パワーを頂いたようで有意義なひと時であった。

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
oki*_
oki*_
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

三浦哲郎文学愛読者

三浦哲郎情報

登録されていません

二戸のブロガー

登録されていません

旧南部藩の住人

登録されていません

友だち(2)
  • ooh*ra*
  • よしO
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事