三浦哲郎文学を読む会

三浦哲郎文学ファンの輪を拡げましょう

ゆかりの人

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

14日の文学散歩に参加して頂いた地元金田一のSさんが、「親戚のおばさんが三浦さんのお母さんの付添婦をしていたことがある」と話してくれた。

何と、Sさんは私の親しい知人なので、こんな身近に岩崎さんの親戚の人がいたとは驚いた。

しかし、Sさんは年が離れている所為もあって、岩崎さんのことはそんなに詳しく知らないらしいので、「それなら、そのおばさんは『愁月記』『旅雁の道草』『七色の弁当』などに描かれている岩崎さんのことですね」と教えてあげた。
そして、三浦さんが作品の中で描いている岩崎さんのことを色々話して上げると、全く三浦さんが書いている通りの人だったと言って、私たちの方が、親戚よりも詳しく知っていることに驚いていた。

やはり、三浦さんは真実のことをそのままに書く作家だと言うことが、ここでも証明された。

散歩の後で、ゆかりの家の「三浦哲郎展」を案内して、岩崎さんの遺族から戴いた貴重な三浦文学の書籍について説明して、納得して貰った。
「ゆのはな文庫」の中から、岩崎さんの登場する作品を手に取って見て貰ったら、会場に座り込んで、書籍を熱心に読んでくれていた。
Sさんにとっては、三浦哲郎という作家を身近に感じる大きな出来事の日となったのであった。
家に帰ったら、家族や親戚の人達にも話して上げるように、お願いしておいた。

このこと一つ取っても、とても貴重な出来事で、三浦哲郎と言う作家が、地元の人達に一層身近な存在に成って行くのである。

ゆかりの家の広間のお茶会の席でも、Sさんと二人で岩崎さんのことを話していたら、それを聞いていたお茶会の主宰者の平栗さんも「私の父が入院した時も岩崎さんに付添いをして頂きました。その時も、床擦れを一度も起さない、献身的な介護をして頂いて、とても有難かったのですよ」と打ち明けてくれた。

他にも、「私は、岩崎さんからお稽古事を習いに通っていたことがある」と言ってくれた人もいた。

『愁月記』などに登場する付添婦の「石崎さん」=岩崎さんは、地元でこんなにも身近な存在の人だったのである。

講師の馬場さんを訪問

11月3日の二戸講演会で講師を務めて頂く馬場勝行さんの盛岡の自宅を訪問して来た。

先日の例会の時に、葬儀の受付を手伝っていた素敵な和服姿の女性は誰だろうという話題が出た。

松本会員によると、森林さんに、三浦さんの作品に登場する日本舞踊名取の先生だと紹介されたそうだが、参列した会員たちが、金田一温泉などでも見たことがある人だと言い出したので、真相の程を確かめなければいけなくなった。

昨日、八戸の森林さんに電話をして確認したら、やはり、三浦さんの教え子で、色々な作品に書かれている日本舞踊名取の西川鯉一二(こいかず)さんだと教えられた。
会員たちが見掛けたのは、もしかしたら、これまでのイベントに訪れてくれたことがあるからなのかも知れない。

作品から想像していたよりも、スタイルが良くて和服が似合う素敵な女性だった。

貴重な「ゆかりの人」に会えたのに、当日撮ったどの写真にも写っていないのが悔いが残る。
東京在住で、八戸にも教室を構えて教えに来ているそうなので、また何時かお目にかかることがあったら、ちゃんと挨拶させてもらうことにしよう。

新たな課題として、鯉一二さんが描かれている作品探しが生まれた。

先ずは、果たして『じねんじょ』もそうかどうか知りたい。
このようなことを、作者本人に確かめることが出来なくなったのが残念である。

皆さんにもご協力を願いたい。


西川鯉一二さんに関連した記事を見付けたので掲載する。

■デーリー東北新聞 2002年10月

 デーリー東北賞 受賞

◆日本舞踊振興 みちのくおどり親和会
   流派を超え成果競う 地域レベル飛躍的向上

http://www.daily-tohoku.co.jp/k_jigyo/dailysyo/2002/daily2002syo3.htm

1978年、八戸市新井田の対泉院に舞扇を供養する扇塚が建立されたのを機に、市内日舞界のつながりを強める目的で結成された。市文化協会に所属する日本舞踊の会主24人が所属。みちのくおどりは親和会結成11年前に始まったが、「出演者全員が同じ立場で」との理由で、しばらくは公演を運営する団体を設けなかった。

 「みちのくおどり」は、八戸市文化協会に所属する日本舞踊の各会主が総出演する古典舞踊の祭典。毎回、二十番前後の演目が披露され、会場の八戸市公会堂を超満員にする。
 きっかけは、約四十年前、花柳久美絵さんが同市文化協会の事務局員だった故石橋正美さんに語った一言だった。「日舞の先生方の横のつながりを持ちたいね。それで一緒に発表会ができたらいいね」―。
 当時、市内の日舞界を牛耳っていたのは小中野と鮫の花柳界。花柳さんと石橋さんは小中野と鮫に何度も足を運んで趣旨を説明し、協力を求めた。だが“お姉さん方”の反応は冷たく、あきらめかけた六七年十一月。やっと第一回公演にこぎ着けた。所作台は借り物、演出は市内の演劇関係者から、照明は洋舞教室からの応援を仰いだ。ゼロからのスタートだったが志は高く掲げた。「京都に都おどり、東京に東をどりがあるように、八戸にみちのくおどりあり、といわれるようにしたい」―。
 みちのくおどりは、それから一度も休むことなく今秋、第三十六回公演を行った。親和会の西川鯉一二会長、泉紫峰副会長の二人は裏方の仕事をしながらも自らも一度も休むことなく出演し続けた。開催が危ぶまれるピンチもあった。経済的負担も大変だった。「決算報告で赤字といわれると、身の置き場がなかった」と語る西川会長。市文化協会歴代の会長がポケットマネーで赤字分を補ったこともたびたびだという。
 出演者にとって、みちのくおどりは、一年間のけいこの成果を発表する場である。名だたる師範が見詰める中で下手な芸は見せられない。「それまでは自分の弟子を育てていれば良しとする先生が多かったが、もっと勉強し自分の芸を向上させようという機運が強くなった」(泉副会長)
 各会主がしのぎを削って芸を磨き、流派を超えた交流も行われ、八戸の日舞界のレベルは飛躍的に向上した。みちのくおどりの充実した内容と質の高さは日舞の専門誌編集者をも驚かせた。



ここで、舞扇を供養する扇塚が建立されたという八戸市新井田の「対泉院」は、三浦さんの小説『おろおろ草紙』にゆかりの寺院なのである。

葬儀に参列したA新聞東京本社のSさんからお礼のEメールを戴いた。

さすがにSさんは三浦さんご夫婦とお付合いが長くて親しい方だけあって、葬儀の後もご家族の方々と一緒に夕方まで過されたそうだ。
金田一温泉に宿泊して下さったSさんは、会場のある一戸駅までの移動は、金田一温泉駅からIGRいわて銀河鉄道を利用しているが、両駅とも三浦さんにとっては、懐かしいゆかりの場所なのである。

一戸に着いたSさんは、葬儀会場の広全寺に行く途中、お姉さんの住んでいた家(三浦さんの実家)を探したが、見付からなかったそうで、夕方、再度探し歩いていて、萬代橋の脇と思われるが、川端にいたお年寄りに尋ねたそうだ。
そしたら、何とその人は三浦さんの作品に出てくる銭湯を4年前まで経営していた方だったとのこと。
Sさんは偶然にも松乃湯の中崎さんに出会ったのである。
半世紀前の思い出話を聞かせて貰って、その後、三浦さんの実家まで車で案内して貰ったと言うから、Sさんはとても幸運な出会いが出来たことになる。

Sさんはその日、金田一温泉にもう一泊して、帰る間際に、二戸駅からお礼の電話まで頂いた。

早朝の金田一温泉のゆかりの場所の文学散歩もされたそうだ。
長い間三浦文学に関わってきたSさんにとっては、束の間の休息を兼ねた有意義な取材旅行になったことだろう。

Sさんからこんなコメントを頂いている。

  「人の心のあたたかさに触れることの多い取材でした。
   心よりお礼申しあげます。」 


今となっては、Sさんも大事な三浦さんのゆかりの人なのである。
そんな人に、また何時か来てみたいと言って頂いたのがとても嬉しい。

マスゲーム
マスゲーム
まちがった少女
まちがった少女


これは、三浦さんの生地八戸市の、幻の詩人といわれている村次郎(1916−97)の「マスゲーム」という詩で、随筆集『春の夜航』(1985.講談社発行)の『好きな誌』(初出:「俳句とエッセイ」1984年5月号)の中で紹介されている。

三浦さんが家庭の事情で早稲田大学を休学して郷里に帰り、八戸の新制中学校で助教諭をしていた時に、そのころ八戸で割烹旅館石田家を経営していた幻の詩人、村次郎(1916−97)に会って文学の影響を受けていたという。
まだ、本格的に文学と取り組む以前の昭和25、26年頃のことである。

「私は、土曜日の放課後、近くの海べりに住む村次郎という詩人を訪ねて、いっとき彼の文学談義に耳を傾けるのがならわしであった」
一緒に浜を歩きながら、熱く文学を語る村次郎が、興に乗って渚の濡れた砂に書き付けた「マスゲーム/マスゲーム/まちがった少女/まちがった少女/という四行詩に衝撃に近い感銘を受けた」
「あのころの浜歩きは、私にとってまぼろしの『渚の文学館』といってよかった」


青森県近代文学館のために書かれたというエッセイ『渚の文学館』で、このように村次郎との思い出を語っている。

『作家生活50年 三浦哲郎の世界』の18頁に、太平牧場らしき牧場をバックに二人が写っている思い出の写真が掲載されている。
この本の表紙に掲載の、三浦さんが渚を歩いている写真は、偶然にもこのエッセイにお似合いの場面になっているのに気付いた。


文学の影響を受けたという村次郎とのことは、なぜか「恩愛」では触れていない。唯一『好きな誌』として「マスゲーム」を紹介しているに過ぎなかったのは何故だろう。

青森県近代文学館には、三浦哲郎が書いた「渚の文学館」の原稿(200字詰め原稿用紙5枚 2005年4月)が展示されているそうだ。

「マスゲーム」…読み返す毎に、身に染みる詩だと分かってくる。

もう直ぐの春、陽気に誘われて花見がてらに、青森県近代文学館に行ってみることにしよう。


.
oki*_
oki*_
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

三浦哲郎文学愛読者

三浦哲郎情報

登録されていません

二戸のブロガー

登録されていません

旧南部藩の住人

登録されていません

友だち(2)
  • ooh*ra*
  • よしO
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事