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■僧侶 2011/11/24(木)11:44
恐縮しています。
「とんかつ」を僧侶仲間に紹介したところ、自分の思いも重なり、涙ぐむような方も有りました。
ありがとうございます。
永平寺の経験者が涙する 文学はすごい力があると 感じた次第。
最近、先日亡くなったアップル社のジョブス氏が曹洞宗の坐禅をしていたと報道され、私は少しいい気になっていました。ところが、「外から云われて自分のことを知るなんて・・・」と厳しい指摘も受けました。そうです、ジョブス氏の言葉、威光を借りて「禅を語る」のは 少し情けない 話です。
が、「とんかつ」は素直に 永平寺の修行経験者が 涙する 自分ことだからです。そして永平寺で修行されなくともこうして愛読され、親子、人間、ひいては宗教、禅について何も説明しなくて理解できるのですから、文学のすごさを感じます。
よい小説を紹介いただきありがとうございました。
『私はこの作品の隠れた主人公は亡父と考えています。「既に亡くなってこの世にはもういない人とともに(忘れずに)生きる」ことは、仏教の教えにも通じる生き方ではありませんでしょうか。』
とのご指摘、私は納得します。
■質問者 2011/11/25(金)23:13
『私はこの作品の隠れた主人公は亡父・・・仏教の教えにも通じる生き方ではありませんでしょうか。』と書いた時は自信も半ばでした。ですから、「納得します」と仰って頂き、ほっとしています。仏教者は常に心に仏陀や祖師を意識していると思いますし、それは宗教的で特別なのかもしれませんが、一般人でも「とんかつ」に限らず、女親が息子を見るときなどは、その子に父親(亡き夫)を重ねて見るのはごく自然な事では、と思います。
仏教は生に対する一切の執着を「苦」の因と見る教えだと思います。「生きることは苦」と考える事と、死者をそれを卒業したものとして心の中において忘れず生きることは矛盾しないし、忘れず生きる事で、苦に満ちた生を凛として生き抜く支えにもできる、それが自然だと思えます。そんな文学がたとえば三浦哲郎の自伝的代表作『白夜を旅する人々』であり、『とんかつ』といった小品にもうかがえると思います。
■僧侶 2011/11/26[土)23:00
いつも沁みいるご意見をありがとうございます。
それから、熊倉千之先生の論証ですが、改めて読みました。
実は少し違和感があったのです。もちろん、論証の深さを否定するものではなく、相対的には納得しています。 あえて申し上げれば、作者が 雲水に「とんかつ」を出す女将に 永平寺という倫理的権威に対する挑戦的な「たくらみ」を含ませる という批評は違っている様な気がします。 小説という物語 は 常識越がなければ成り立ちませんので 物語にすることに異議はありません。 と言いますのは、女将は 母親的感覚で 若い者に何を食べさせたらいいか、もちろん一年前のことがベースに有りますから、「とんかつ」を選びました。・・・この感覚は、そこまでです。 「『十六歳の修行僧がとんかつを食べるのを善しとする』、ここには永平寺の権威をものともしない、一人の日本人の秀でた感性がある」等は、熊倉氏の意見で、作者にも果たしてそこまで意識があるのだろうか、疑問です。 理由は、永平寺に修行の経験を持つ者の おそらく全員がこの小説に納得し、「とんかつ」を食したこの雲水を積極的に断罪する僧はいない と思われることです。・・・雲水は こうした問題は比較的楽に 乗り越えています。 作者に女将に、そんな意識があれば、この小説がこの者に共感されるとは思えません。 敢えて・・・永平寺の中で この雲水を非難する者がいるとすれば、上山(修行入門)数カ月の者にあるかもしれません。それは、毎日の生活で精一杯、決められたことを履修するだけで精一杯の者に想定外の対応を求めれば、拒否しかありません。・・・・女将の好意は固辞する可能性があると思います。 好物の香りに なごむ顔、黙っていただく、私は彼の成長を感じます。 これは、少しまとめてみたいと思います。 もし、三浦氏の他の小説、あるいは思想書にそのような主張が見られれば 、再考します。
■質問者 2011/11/27(日) 00:05
熊倉氏論文についてのご意見、真に有り難く思います。私にとり三浦哲郎は夏目漱石と並んでほぼ全作品を読んだ重要な作家です。高校の定番教材になりつつある「とんかつ」につき、曹洞宗僧侶の方のご意見は実に貴重で有り難いです。良い教材で良い授業を作り良い若者が育てられたら、教師冥利に尽きます。感謝申し上げます。
熊倉氏の論考について、師の仰る「違和感」、私も同感で意を強くしました。今私は熊倉氏の二つの著書を同時に読み始めています。熊倉氏は漱石についてのユニークな著書もあり、私には興味深い学者です。それと、師が指摘された「三浦哲郎の他の作品も含めての検証」も、重要です。熊倉氏の女将に関する論は妥当性の低い、少し偏った意見と思います。私は「亡き父=影の主人公」説ですが、これも頼りない説です。いずれにせよ、「宿題」として楽しみながら学んでいこうと思います。
私は、師の「とんかつ」についての思い、特に、僧侶のお仲間が読まれて感動なされたお話等をもし三浦哲郎本人が生前耳にされたとしたらどんなに喜ばれた事だろうと思いました。
■僧侶 2011/11/29(火)12:52
多くの曹洞宗僧侶はこの話に自分を重ねるでしょう。
とんかつを揚げる女将に対する 雲水の合掌ですが、やはり、一年を経た余裕と思います。
私の寺は昭和27年設置と言う保育所を併設しています。女性保育士が「結婚」が決まると、私にお茶をいれてくれたり、妙に気がつくようになるのでする。人の世話をしたいというか、心境の変化です。これも余裕と理解しています。
質問者が僧侶の言葉で最も感銘を受けたのは、
「永平寺に修行の経験を持つ者の おそらく全員がこの小説に納得し、「とんかつ」を食した この雲水を積極的に断罪する僧はいない と思われる」
「雲水は こうした問題は比較的楽に 乗り越えています。 作者に女将に、そんな意識があれば、この小説がこの者に共感されるとは思えません。」
だと言う
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