三浦哲郎文学を読む会

三浦哲郎文学ファンの輪を拡げましょう

日々の出来事

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

■画像:八戸市立南郷図書館の三浦文学の部屋訪問写真


昨日、やっと八戸市立南郷図書館の三浦文学の部屋を訪れてきた。
3月16日にオープンしてから大分過ぎてしまったが、三浦さんが愛用していた机とその周りの品物を身近に見ることができた。立花さんたちの贈り物だという立派な机だった。
実際に三浦さんの体の寸法を測って、体型と癖に合わせて地元大手家具店「ナナオ家具」で造ったものだという。



三浦文学の部屋

八戸市出身の芥川賞作家・三浦哲郎の執筆机等を展示した「三浦文学の部屋」を、南郷図書館内に開設しました。

三浦哲郎が自宅書斎で愛用した机は、「使いやすい机がほしい」という希望を汲んだ八戸の友人たちが、本人の身体寸法に合わせて特別に製作し、寄贈されたものです。

この机の上から、数々の名作が生み出されました。

「三浦文学の部屋」では、執筆机や座椅子、電気スタンド等、三浦文学が生み出された空間を間近に感じながら、畳敷きの読書室で三浦作品を読むことができます。

 …八戸市HPより転載


出来たら、この場所を借りて読む会の例会を開催してみたいと思っている。
生憎館長さんが不在だったので、改めてお願いしてみることにしよう。

イメージ 1

17日の朝、雫石町(岩手県)の新里さんという方から電話を頂いた。
3年ほど前に金田一温泉郷の三浦哲郎文学散歩に参加した者だと話されたので、あの時、熱心に聴きながら一緒に歩いて下さって名刺交換をした人だと思い出した。
6月に友達数人と一緒に一戸町の三浦文学の舞台を訪問したいので、新聞で読んだ読む会発行のガイドマップを譲って頂きたいとのことだった。
何とも幸いなことに、私は、当日午後に仕事でJA雫石に行く予定になっていたので、そちらで待ち合せすることにして、文学散歩ガイドマップを手渡すことができた。

久しぶりに再会した新里さんはとても清々しい方で、三浦文学関連の新聞記事のスクラップ帳を持参していたことからも、熱烈な三浦さんのファンであることが分かった。
そして、その中から、今回訪問を思い立ったきっかけの新聞記事を抜き出して見せてくれた。

それは、岩手日報1997(平成9)年1月13日発行の
 
   「新いわて路紀行 三浦文学の舞台・一戸」

という記事だった。
私たち読む会が結成される8年も前のもので、貴重な紙面なので、新里さんにお願いして近くのお店のコピー機でコピーをさせて頂いた。勿論「ゆのはな文庫」所蔵分もである。

紙面は、一戸町の三浦文学の舞台のいくつかを写真入りで紹介している。

  川沿いに日本のふる里
  ゆかりの地訪ねる旅も


写真3枚
 ・悠久の流れ:一戸町内を貫流する馬淵川。三浦文学の舞台として度々登場する。
  町外れの「みどり橋」の四つの親柱には同町出身の彫刻家田村史郎のブロンズ
  作品「四季の詩」が設置されている。
 
 ・素朴なたたずまい:東北本線一戸駅。「忍ぶ川」後半部の重要な舞台となった。
  乗降客の服装と会話に日本の古里を感じさせる風情が漂う。

 ・三浦文学の原点:岩瀬橋わきの馬淵川右岸にある「忍ぶ川」文学碑。昭和53
  年に建立。作品の一部が作者の直筆原稿から銅板に陽刻され自然石にはめこま
  れている。三浦文学のファンがよく訪ねる。


「メモ」欄にプロフィルが書かれている。

三浦哲郎(みうら・てつお)
  昭和6年八戸市生まれ。早大を中退して郷里の中学教師となるが、同大に再入
  学し仏文科卒。同30年「十五歳の周囲」で新潮同人雑誌賞。35年に「忍ぶ
  川」で芥川賞を受賞。
  その後「拳銃と十五の短篇」で野間文芸賞、「少年賛歌」で日本文学大賞、「
  白夜を旅する人々」で大仏次郎賞を受賞。一戸町に両親、姉が住んでいた関係
  で県北を舞台にした作品が多い。


 この記事では、一戸町と三浦文学の深い関係が簡潔に説明されているので、岩手日報社にも三浦文学に詳しい記者がいることが分かった。

文中では


…しかし、多くの根強いファンを持つ芥川賞作家、三浦哲郎の数々の文学の舞台になっていることを知る人はそう多くない。野間文芸賞を受賞した短編集「拳銃と十五の短編」「野」「おらんだ帽子」など一戸町を舞台にした小説、紀行、エッセーは枚挙にいとまがない。
 なかでも有名なのは、芥川賞を受賞した出世作「忍ぶ川」の舞台になっていることだろう。「志乃をつれて、深川へいった。」という書き出しで始まる「忍ぶ川」は、主人公の“私”が東京の料亭で見初めた志乃を連れて両親の住む一戸町に帰り結婚式を挙げるという自伝的小説だ。
「ふるさとは、さらさらとした粉雪であった。汽車をおりて、屋根のないホームをあるいてゆくと、それが油をひいてつやつやとした志乃の髪へ、銀粉のようにふりかかった」といった簡潔で美しい描写と情感に満ちた内容が話題になった。
 「忍ぶ川」の続編ともいうべき「初夜」「帰郷」なども一戸町が舞台になっており、一戸と三浦文学は深く結びついている。……馬淵川周辺に散在する三浦文学ゆかりの地をめぐってみるのもいいかもしれない。


と、読んだ人なら一度訪ねてみたくなるような誘われる記事になっている。
この頃は、金田一温泉郷もゆかりが深い三浦文学の舞台であることがまだ知れ渡っていなかったのだろう。この紀行シリーズに載らなかったのが残念でならない。

この記事を書いた六岡康光編集員と言う方は三浦文学に詳しいようなので、お話を伺う機会ができたらと思う。


今でも覚えていて電話で問合せして下さった新里さんのような文学ファンがいることを大変有難く又嬉しく思った日だった。

今の時点で、アクセスカウントがあと13回で10万回を目前となった。
それも明日の朝には達成するであろう。

この一年間毎週日曜日に入手して掲載してきた東奥日報新聞の連載記事が終わってしまい、ブログの掲載ネタが薄れるのは仕方がないことである。

さて、昨年入手を待って掲載を試みていたデーリー東北新聞の三浦哲郎追想連載記事が、まだ掲載しないままに過ぎていたので、これからしばらくの間その記事を掲載していきたいと思う。

石川啄木101回忌

4月13日は、郷土岩手にゆかりの歌人「石川啄木」の命日だった。
昨日はゆかりの宝徳寺で101回忌法要が行われたと地元テレビで放送していた。
今年は没後100年を記念して様々な顕彰行事が行われるらしい。

三浦さんは啄木と45歳違いだから、啄木が26歳で亡くなった19年後に生まれていることになる。
その啄木の「ローマ字日記」を三浦さんは大絶賛している。

そのことは『啄木のローマ字日記』(『春の夜航』1985.講談社刊。『恩愛』-「私と芸術」の章 2005.7世界文化社刊。初出は「太陽」1980.11月号。)という作品に書かれているので興味のある方は読んでみることをお薦めする。
そして啄木の『ローマ字日記』もである。



■岩手日報 新聞記事 4月14日
 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20120414_1

【101回忌、啄木しのぶ 関係者ら継承へ意欲】

 盛岡市玉山区出身の歌人、石川啄木(1886〜1912年)の101回忌法要(啄木祭実行委主催)は命日の13日、同区渋民の宝徳寺で行われた。没後100年の今年はさまざまな顕彰行事が予定されており、関係者は啄木が残した歌や詩を後世へ伝えていくことを誓った。

 関係者やファンら約140人が出席。出席者全員が焼香した後、没後100年を記念して新たに作った「啄木かるた」を奉納。地元の女声合唱団や吟詠会が啄木の作品を歌や詩吟で披露した。

 合唱で参加した同市玉山区好摩の主婦村山栄子さん(68)は「歌っていると、古里を思う啄木の気持ちが胸に迫ってくる」と感動した様子で話した。

 同日は啄木が最期を迎えた東京都文京区小石川の都旧跡「石川啄木終焉(しゅうえん)の地」周辺でも献花祭と講演会が開かれた。地元の久堅(ひさかた)西町会(井上義一会長)が没後100年を機に初めて企画。住民、研究者ら約30人が参加。啄木の遺影の前で手を合わせ、薄幸の天才歌人をしのんだ。

 没後100年記念事業は、フォーラムや企画展などを予定。啄木が陸前高田市の高田松原を訪れたことを記念して建立された歌碑が津波で流失し、再建を目指して募金も行っている。

【写真=参列者が静かに手を合わせ、歌人石川啄木をしのんだ101回忌法要=盛岡市玉山区の宝徳寺】
(2012/04/14)




因みに、啄木が使ったローマ字は、同じ岩手のわが郷土二戸が誇る世界的物理学者田中館愛橘博士が考案し普及を図った「日本式ローマ字」である。



■ウィキペディアより


【ローマ字】
…略…
幕末の1867年、来日していたアメリカ人ジェームス・カーティス・ヘボンが和英辞書『和英語林集成』を著し、この中で英語に準拠したローマ字を使用した。これは、仮名とローマ字を一対一で対応させた最初の方式である。この辞書は第9版まで版を重ね[2]、第3版から用いたローマ字はヘボンの名を入れヘボン式ローマ字として知られるようになる[2]。

一方、ヘボン式ローマ字は英語の発音に準拠したので、日本語の表記法としては破綻が多いとする意見があった。そうした立場から、1885年に
田中館愛橘が音韻学理論に基づいて考案したのが日本式ローマ字である。日本式は音韻学理論の結実として、日本国内外の少なくない言語学者の賛同を得た。
…略…



■田中館愛橘記念科学館
 http://www.civic.ninohe.iwate.jp/aikitu.html

三浦哲郎もいつの日か啄木のように多くの人に評価される時がくることを願っている。

ご声援に感謝!

思いに任せて日々綴っているこのブログにも、更新を楽しみにして待ってくれている人がいることを知って、とても励まされている。

今回は、東京在住の方からとてもうれしい励ましのコメントを頂いたので、ここに書き残して置くことにする。




■ juutarou   2012/4/11(水)

 いつもブログを愛読させて頂いております。
 母が三浦氏の大ファンでその影響で私も三浦文学に触れるようになりました
 東京在住のため、oki様の発信される貴重な情報と三浦文学のファンの輪を広げるべく様々なご活躍にいつも感謝しています
 この度、最終回を迎えた東奥日報の特集も当然ここで知り、東奥日報の担当の方に無理をお願いして日曜版だけ通信購入をしていました。
 この程の立花先生の「一生青春」もここで紹介されるや即注文し既に手元に届いており、母と共に堪能しています。
 「三浦哲郎文学顕彰協議会」への郵便為替に同封した御礼状には出版をこのサイトで知った旨も記載させて頂きました。
 正直ネット上に何か書き込んだりと言うのは殆どしないのですが、昨日の記事で例会の人数が少々寂しかったとの記載があり、私(間接的には母も)の様に食い入るようにこのブログを見てる者もいると言うのを知って頂こうかと思いコメントしました。
 今後も楽しみにしています!!



このブログの情報を生かして頂けてとても嬉しく思っている。
新聞や立花さんの自分史を入手することができて本当に良かった。
三浦文学ファンにとっては、大きな財産になる筈。
東京在住であれば、是非、「三浦哲郎文学散歩in東京」確立の為に探索と情報の提供にご協力頂けたら有難い。

私自身、とても尊敬できる作家に巡り合えたことに感謝し、その人の郷土を愛する思いを埋もれさせてはいけないとの思いから、一人でも多くの人に三浦哲郎とその文学の魅力を知って貰うために、勝手ながらも、このように続けさせて頂いている。

文学的教養を持ち合わせていないものが、このようなブログを運営するのはおこがましいのだが、現在のところ三浦文学に関係するブログやホームページが他に存在しないので、できるだけ頑張って発信の役目を続けたい思いでいる。

 お蔭様でアクセスカウント大台の10万回が目前に迫っていて、来週中頃には達成できそうである。

投稿して頂いたjuutarouさんにもご意見ご指摘など、気軽に投稿して頂けるようお願いしたい。

励みになりますので、これからもよろしくお願いします。

開く トラックバック(1)


.
oki*_
oki*_
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

過去の記事一覧

三浦哲郎文学愛読者

三浦哲郎情報

登録されていません

二戸のブロガー

登録されていません

旧南部藩の住人

登録されていません

友だち(2)
  • よしO
  • ooh*ra*
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事