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作品を読んでいて、ゆかりの有りそうな場面に差し掛かると、「これは何処のこと?」とか、「この人物は誰のこと?」などと、つい詮索してみたくなることが多い。そんなことを書き留めて置く。
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『日本の名随筆』と同じように編纂された書籍が他にもある。
三浦さんが所属していた「公益社団法人日本文藝家協会」が毎年出版を続けている編纂物で、それらに三浦さんの作品が多く所収されていることは分かっているが、過去の本は絶版になっているので、中々手にとって調べる訳にはいかない。

■日本文藝家協会編纂物

・文藝年鑑
・文学
・代表作時代小説
・短篇ベストコレクション
・ベスト・エッセイ


何れは、これらの中からも所収されている三浦作品をリストアップして見たいと思っている。
しかし、近くの図書館にはそろって無いだろうな。

作品の行方

先日来、注目している草稿の出現をみると、三浦さんの作品で、小説雑誌や機関誌への寄稿随筆など、著書に掲載されないままに眠っているものが他にもあるのではないかと思わずにいられない。

小説雑誌のバックナンバーをウェブサイトで調べてみたところ、一部ではあるが三浦作品を拾うことが出来たので確認してみる。


■小説雑誌に掲載された三浦哲郎作品一部)

1963年  「トナカイの夢」《小説現代 1963年7月号》

1964年  「浜吉のノート」《小説現代 1964年5月号》      年譜にない作品

1965年  「湯の花の匂い」《小説現代 1965年12月号》

1966年  「母とのたたかい」《小説ジュニア 1966年8月号》    年譜にない作品
      「永い初恋」《小説現代 1966年9月号》         年譜にない作品
      「ひとり生きる麻子」《小説ジュニア 1966年10月号》

1967年  「可憐な旅」《小説現代 1967年11月号》   

1968年  「巣立ちの夜」《小説ジュニア 1968年3月号》    年譜にない作品

1970年  「風薫る五月の夕雨子」《小説現代 1970年7月号》

1977年  「踏切」《野性時代 1977年5月号》

1978年  「岬にて」《プレイボーイ 1978年3月号》      年譜にない作品

1981年  「よだれ」《ショートショートランド 1981年夏号》

1985年  「モーツァルト荘」《小説新潮 1985年8月号》

1993年  「ひばしら」《小説新潮 1993年10月号》(三浦哲郎短篇文学館) 年譜にない作品

1995年  「じねんじょ」《文藝春秋 1995年7月臨時増刊号》(海燕 平成元年5月号) 
                                     年譜にない作品
2000年  「めちろ」《群像 2000年1月号》
      「つやめぐり」《文學界 2000年4月号》
      「おとしあな」《新潮 2000年6月号》

2004年  「肉体について (一)」《群像 2004年2月号》
      「肉体について (二)」《群像 2004年3月号》
      「肉体について (三)」《群像 2004年4月号》
      「肉体について (四)」《群像 2004年5月号》
      「肉体について (五)」《群像 2004年6月号》
      「肉体について (六)」《群像 2004年7月号》


このように『作家生活50年 三浦哲郎の世界』の年譜に掲載されていない作品もある。
著書に有るか無いか、もう少し時間を掛けて調べて見たいと思っているので、情報をお持ちの方がいたら協力を願いたい。

40年代にブームだったジュニア小説の代表とも言える『小説ジュニア』は、私も高校生の時に読むことがあったが、当時は「ジュニ ア小説の王者・富島健夫」が注目されていた。
三浦さんもジュニア小説雑誌に作品を書いていたとは…。
富島健夫に詳しい人のBlogによると、ジュニア小説の人生相談を担当していた三浦さんの真摯な回答ぶりが高い人気を得ていたそうである。
そこから生まれたのが「青春相談室」(秋元書房)なのかな。
小学館発行「ジュニア文芸」に創刊から終刊に連載されたもので、単行本発行は昭和42年(1971)のようだ。

読者の感想のBlog①、に②三浦さんの回答編ともに一部内容が紹介されているので、興味のある方は読んで見て下さい。

読者の感想 その2
この読者の「青春相談室」についての感想を転記させて頂きたい。

〈「あとがき」に、小学館発行の月刊誌『ジュニア文芸』に5年間連載された「人生相談室」から64編を抜粋収録した、とあります。1971年刊ですから、三浦の30代後半の仕事、という事になります。『兄と弟』『燃ゆる瞳』『ひとり生きる麻子』等、青少年向けの作品を多く書いていた当時の三浦らしい仕事といえます。64編中、1編だけが男性で、他全て女性からの相談です。
 三浦の回答は、実に真剣で、まっすぐで、時には容赦のないものでした。確かに言葉は選んでいますが、率直で、時には厳しく、感情を隠さず、言い切っています。作家にしてみれば「余技」のようなこんな仕事でも、手を抜いているようないい加減さは全くありませんでした。
 考えて見ると、「すべてを言葉で表現し、伝え、そのことに全てをかける仕事である」という点で、心理カウンセラーと作家は通じるものがあります。〉








三浦哲郎作品 size=2 color=orangered>「とんかつ」と曹洞宗永平寺系の見解について、先日来pap*k*manさんから情報を戴いて、私も気掛かりだったので、同じ曹洞宗で三浦家の菩提寺・広全寺を訪ねてみることにした。

一昨日の夕方、お寺に寄って住職にお会いして、今回の永平寺系の見解などをお伝えしながら、この小説の題材は廣全寺の春覚東堂(前住職)から得たものではないかとの疑問を投げ掛けたのだったが、高齢の東堂さんは近ごろめっきり衰えて恐らく思い出せないだろうと言われ、直接本人と会うことができなかった。

住職も「とんかつ」を読んだことがあるそうで、勿論永平寺で修業された方なので、その時の体験談も話して頂いた。

永平寺では兎に角お腹が空いてとても辛いそうだ。
今の時代の人達にはあの空腹の苦痛感は分からないだろうと話していた。
我慢できないくらいお腹が空くと、大好物なものを腹いっぱい食べる夢を見たりするのだそうだ。

小説で、息子との一年ぶりの再会を待つ母親に対して宿の女将が

〈「わかりました。お任せください。」
と引き下がって、女中にとんかつの用意をいいつけた。〉


と、何とも言えない心遣い、思いやりを表していることが理解できるのである。

お寺の門から外に出たら、与えられたものを有難く頂戴するのは、悪いことではないと、やはり、同じようなことを話していた。

三浦さんは一体どんな思いで永平寺修行僧がとんかつを食べる小説「とんかつ」を書いたのだろうか?

春覚東堂ならば、何か情報を知っているのではないかとの期待は拭い去れないでいる。

『繭子ひとり』についてコメントを頂いているので、関連記事を掲載しておくことにする。


『繭子ひとり』はNHKの連続テレビ小説の第11作目として1971年4月5日から1972年4月1日まで放送され、ヒロイン・繭子が、生活の中で「幸せ」を求めて生きていく様子を、ドラマチックに描いた作品である。このことも有って三浦作品の代表作の一つとなっている。

以下に、ウィキペディアWikipedia『繭子ひとり』の記事を転載してみる。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%AD%E5%AD%90%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A

物語の舞台は、青森県・三戸町と八戸市、東京、宮城県・鳴子温泉、広島、石川県・能登半島など様々で、視聴者の望郷心をくすぐり、当時お茶の間にさまざまな話題を投げかけた。

1972年2月10日放送回が、テレビ視聴率歴代20位(2007年1月までで)の55.2%を記録している。ドラマ歴代では7位となる(平均視聴率は47.4%)。

当時圧倒的な人気を誇ったが映像が1話も現存しないため、過去の人気番組などでも紹介されず、おはなはんなど同様に人気となった作品と比べると忘れ去られている感が強い。記録より記憶に残る作品である。

映像の現存状況

本作は原作を1年間のドラマにするため制作サイドにより大幅な変更が加えられたが、スチール写真は現存するものの、本作を収録した全話のマスターテープは他の番組制作に使い回された(当時の放送用VTRテープは高価だった為)ゆえに、NHKアーカイブスには映像は残っていない。テープの経年劣化も考えると、視聴者が録画して現在まで保存している可能性は低い。そのため全話の再放送および全話収録の完全版映像ソフトの製作・発売は絶望的である。

このことから、2010年12月現在において本作の詳細な内容を知ることは非常に困難であり、「幻の連続テレビ小説」と言われている。

大変な人気を博したことを記念し、主人公の出身地・青森県三戸町の城山公園に繭子像が立っている。


ここで問題にするのは、大人気だったドラマなのに、本作を収録した全話のマスターテープが他の番組制作に使い回しされたために、NHKアーカイブスには映像が残っていないということである。
視聴者が録画して保存していたとしてもテープの経年劣化を考えると可能性は低いと言われている。
だから、全話の再放送および全話収録の完全版映像ソフトの制作・販売は絶望的であると断言していることである。

三戸町役場にでも保存されていれば良いのだが。
無いと言われると価値観が高まるので、探し出して見たくなるのがマニアの拘りで、放って置けなくなるのである。

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■写真:三浦哲郎氏の郷里の実家(岩手県一戸町)…芥川賞受賞作『忍ぶ川』に描かれている「郷里の家」

三浦さんの作品を読んでいて、ゆかりの有りそうな場面に差し掛かると、「これは何処のこと?」とか、「この人物は誰のこと?」などと、つい詮索してみたくなることが多い。
その都度、メモでも取って置けばよいのだが、のめり込んで読み続けている内に、殆どがそのままになってしまっている。
実在の人物などは、他界されてから知って、三浦さんとのゆかりを直に尋ねる機会を失ったことに悔しい思いをすることがある。
「付添婦の岩崎さん」や「長靴を預かった商店の女将さん」、「その商店の息子さん」が昨年立て続けに亡くなった。
そして、先日は「お姉さん」が亡くなられた。
どの人も面談を試みていた人達だっただけに、本当に残念で成らない。
いや、人物だけでは無い。
昨年は建物も失った。
座敷わらしの宿「緑風荘」は大きな事件だったが、他にも二戸市内の旧福岡町で、お姉さんが琴の教室に使っていた関邸も、解体の目に遭っている。
恐らく、これから一戸に在る三浦さんの実家が、それと同じ状況に曝されることになるだろう。
この家には、三浦さんや三浦さん家族の思い出が一杯詰まっている筈である。
「父の机」や「なみだ壷」など、ゆかりの品々も沢山置かれたままになっているだろう。
何よりも、芥川賞受賞作『忍ぶ川』に登場する「郷里の家」そのものなので在る。
それが老朽している上に、借家であることがとても気掛かりとなっている。

失っては成らない貴重な建物だと思うので無下に出来ないのである。

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