三浦哲郎文学を読む会

三浦哲郎文学ファンの輪を拡げましょう

判ったこと

[ リスト | 詳細 ]

三浦哲郎文学に関する情報で判ったことを書き留めて置くコーナー
記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

■画像:文庫本「白夜を旅する人々」の表紙の絵と同じ構成のゆかりの家の前の小径の風景写真


『白夜を旅する人々』の文庫本の表紙に描かれている絵と、その構成に使われたと思われるダンジャ・ゆかりの家前の小径の風景写真を実際に見比べて頂きたくてここに掲載する。
如何でしょうか?

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

■画像:一戸町立図書館とその三浦哲郎コーナー
    中野清見氏著『町長室から 正午のサイレン』の表紙
     (真冬で寒暖の差のために室内でカメラのレンズが結露して霞んでしまった)


隣町の一戸町立図書館では、館内の一角にゆかりの作家三浦哲郎の書籍コーナーを設けている。他にも閉架書庫に多くの書籍が保管されているという。

先日、一戸の仕事帰りに立ち寄ってこのコーナーを覗いてみたら、同じ本棚に見覚えの無い本が並んでいるのが目に留まり、手に取って見た。
それは元一戸町長の中野清見氏が書いた『町長室から 正午のサイレン』という本だった。
中野氏は何冊かの著作を発刊している作家としても知られていたが、その書籍を手に取ってみるのは初めてだった。

この本は、町長が折りに触れて感ずることをそのまま文章にして、昭和49年2月から57年12月まで一戸町の広報紙に毎月一編づつ掲載したものを一冊の本にまとめた、町内に住む人々への呼びかけのような内容の随筆になっている。

物書きの他に釣り好きでもあったようで、「町長室」「釣りの歳時記」の2部構成になっていて、当地出身の彫刻家・舟越保武氏の「序にかえて」が寄せられている。

まだ読み始めだが、さすがに東大卒の秀才とあって、博学な上に話題も豊富で、地元の話題だけに時世を知ることができて何とも面白い。良くもまあこんなに赤良様に自分の思うことを町民にさらけ出したものだと感心させられる思いで読んでいる。
作家の心得がある人だけに、28年過ぎた今でも参考になる内容で実に読みやすい文章になっていることも凄いと思う。

目次の中に三浦さんの文学碑に関する項を2編見つけた。
そこに書かれている文学碑建立を思い立った経緯などを読んで、中野清見氏が町長だったからこそ建立が実現した「三浦哲郎”忍ぶ川”文学碑」だと、今さらながら思う。
これら先人たちの熱意と苦労に報いるためにも、町民たちはもっと文学碑を有効に活かさなければならないと思う。

ここにその内容を紹介する。

町長室から 正午のサイレン

       中野清見(元一戸町長) S58.12.1 杜陵印刷発刊

      "忍ぶ川"の文学碑を建てよう

 三浦哲郎氏の”忍ぶ川”は後世に残る名作だと思う。全篇美しい文章で綴られているが中でもその「さわり」とでもいうべき部分は、結婚初夜に新妻と二人で、窓辺に立ち、遠ざかっていく馬橇の鈴の音を聴く場面だろう。
 しかし、その場面が、私たちの一戸町を舞台にしていると知る者は、この町の読者以外にはあまりいないにちがいない。
 私たちが読めば、馬淵川と袋町の通りにはさまれた、あのあたりだということがよく判る。三浦氏のお父さんは金田一のご出身で、八戸市の三浦家に養子に行かれ、お母さんはそちらの家つき、したがって作者の三浦氏も八戸出身であるが、お姉さんのお仕事の関係で、この町の袋町に住みつかれて既に長い。そうした不思議な縁で、この町が名作の舞台となったわけである。
 この不朽の名作を記念して、馬淵河畔岩瀬橋のたもとあたりに文学碑を建立したいと、私はかねてから思っていた。それで昨年の春ごろだったと思うが、広全寺の佐藤春覚氏を通じて、作者の承諾を得ようとした。ところが、作者の返事は、自分の文学の師である井伏鱒二先生にも文学碑がないのに、弟子の自分が先んずるわけにはいかないので、遠慮したいということであった。文章に似て美しい話しだと思い、しばらく遠慮していた。そうして日を過ごしているうちに、この作者は、昨年九月に出版された”拳銃と十五の短篇”によって野間文学賞を受賞したのである。
 ここで私は、遠慮ばかりしてはいられないという気になり、井伏氏には此方からお願いしてご同意を得るから、といって、直接手紙で承諾をお願いした。
 その直後三浦氏はお母さんを東京にお連れするため、一戸に来られた。十二月のことである。そのときおめにかかって無理にお願いしたら、反対はされなかった。これでご内諾を得たものとして、私は今年こそ記念碑建立に踏みきりたいと考えている。
 井伏氏にもご同意を得るつもりであるが、それ以上に、町内の文学を愛好する人たちの賛意を得たい。町単独で建てることも不可能ではないが、こうしたものは、できるだけ多くの人々の協力によって作る方が、その意義を深めると思う。
 何れそのうち、準備委員会のようなものを開いて、具体的に発足したい考えなので、その節はよろしくと申し上げておく。


      文学碑の建立がおくれていることについて

 三浦哲郎氏の名作「忍ぶ川」の碑を、岩瀬橋のたもとに立てたいといい出してから一年以上にもなります。私たちの計画では、昨年秋には除幕式を行う予定でした。それが未だに着工できずにおり、しかもそれについて何の発言もしないで今に至りました。もう止めたのか、と思っている人もいるかも知れませんし、何よりも三浦さんに申し訳ないことをしてしまいました。
 計画を放棄したわけではありません。おくれているだけです。おくれた理由を申し上げておきます。碑を立てる場所は、岩瀬橋の東側のたもとと当初から決めていました。「忍ぶ川」を読んでみれば、あそこ意外にその場所がないことが分かると思います。しかもあの場所は町有地だと思っていたので、計画は何の支障もなく進行するものと考えたのでした、
 ところが準備に乗り出したとたんに、思いもかけなかった障害にぶち当りました。その場所が全部町の所有だと思っていたのに、半分が他人のものだということが判明したのです。
しかもその人の所有地が、川岸に寄った方だったので、交換して貰うか、売ってもらう意外に方法がなかったわけです。早速その交渉を始めましたが、それが難航を重ね、時間が経っていきました。土地所有者には、独自の計画であり、文学碑の価値を理解してもらうことは容易なことではなかったのです。それで一時は絶望だと思われました。他の場所を考えたりしましたが、あそこに代わる場所がありませんでした。
 困惑し、絶望的な思いに沈んでいたら、交渉に当っていた担当職員から「何とかなりそうですから、もう少し待ってみて下さい」という話しがありました。それから交渉が続けられ、十二月頃にはだいたいの話しがついたとのことでした。近いうちに法的な手続きもすまされるものと思います。
 それで、おくれているので建立を急ぎ、五月末か六月始めには完成したいと考えましたが、やはり時間的に無理なようです。ちょうど一年おくらして、秋十月、紅葉の季節に除幕式を、とする方が無難だと思います。
 建設費をすべて町でもってもよいとは思いますが、やはり文学を愛する人々、郷土一戸とあの作品の因縁を大事に思う人々の出資による方が、意義が深いと考えられます。建設委員会が動き出したら応分の寄進をいただきたいものです。


この文章に接して、一戸町の文学散歩コースの確立に向けての整備の必要性を尚更強く感じた。

亀本美砂さん

一昨日、お会いした徳島県立文学書道館の事業主任の方は、凄い人生経験の持ち主で、著書も出されている人だということがネットに出ていた。
「宇宙大学広報部」というHPに書かれていたので紹介しよう。

旅館の女将さんがつぶやいた「亀本さんの舞いを見られないのが残念ですね。」と言う言葉が気になっていたが、これでその意味が判った。


【亀本美砂さん】
  http://www.fsinet.or.jp/~yonemitu/shoukai.htm
1996年6月に沖縄でお会いしました。その時は「魂の目覚め」の執筆中で、教師の仕事をしながらの執筆活動は大変なようでした。この時は、本の中でも登場されますが、沖縄全土の小中学校に本と花の種を配られ、祈りの旅で世界中をまわられているSさんもご一緒でした。わずか30分位の時間(実質的には2時間位に匹敵するのですが)でしたが、不思議な体験をさせていただき、私の役割を知ることになります。美砂さんは、とても純粋な方でお世辞抜きで心の美しさは宇宙一だと思いました。
※ 実は美砂さんに連絡を取りたいのですが、勤務先が分かりません。沖縄の中学校に勤めていらっしゃるはずですので、ご存じの方はお手数ですがメールで教えてください。お願いします。
★おかげさまで再会することが出来ました。ありがとうございました。美砂さんは沖縄で色々な活動をされています
が、下記のページに紹介しておりますので、ぜひご覧下さい。
美砂さんのページ



【亀本美砂さんの紹介】
  http://www.fsinet.or.jp/~yonemitu/misa.htm

【プロフィール】

・四国の自然の中で生まれ育つ。

・三才半より創作バレエの手ほどきをうけ、以来クラシックバレエ、日本舞踊を身につける。

・早稲田大学在学中より、国際舞台芸術研究所のメンバーとして海外公演や国際演劇祭に参
 加する。

・学生時代にはじめた古武道がきっかけで、こころと体のしくみの探求に入り、ヨーガ、気
 功法、東洋医学、心理学などを学ぶ。

・インド留学後、インド舞踊公演と共に、創工能力開発研究所で心と体の健康セミナーを開
 発、自然のなかで人間本来の生命力をよみがえらせ、心と魂の成長をはかる“ナチュラル
 ・メディテーション”セミナーを全国各地で開催。

・その後、吉野山中で仙人生活をしながら、いかに自然と調和しながら生きるかを実践し、
 「斎心健康法」としてまとめる。

・現在、セミナーや講演活動と共に、“よみがえれ、自然の輝き。よみがえれ、いのちのよ
 ろこび。をテーマに、星空コンサートやインド祭りなど天地神楽(アワカグラ)・インド
 古典舞踊家としても活躍中。



* 亀本美砂著『魂の目覚め』(PHP研究所)

 舞踊と武術の達人であり、ヒーリング・セミナーを全国で主宰していた(永遠に)若く美しき著者は、やがて日本有数の聖地天河にて仙人生活に入るものの、幾多の限界を体験し、苦悩を深めることになる。そのとき偶然沖さんの知遇を得た著者は、沖縄に移り住み、沖さんの修行や祈りの旅に同行する内に、徐々に内奥まで癒やされて、ついに魂の目覚めを経験する。(お陰様で売りきれとなったそうです)


* 亀本美砂著『神心』(かみぐくる)
  ―人が神の心に目覚めるとき―
 (太陽出版) 本体1600円+税

 沖縄では、思いやりのある人、あたたかくて優しい慈悲深い人を「神心をもった人」と言います。「神心」とは「真心」のこと。『魂の目覚め』から四年、中学校の教員として様々な現実と向き合いながら、沖さん(S氏)の心の教えを実践すべく道を模索する著者。S氏との最新エピソードや時空を超えて伝えられる魂の叫びは、まさに新しい地球に向かう人類への羅針盤となるでしょう。


釜本さんが魅せられた人とは


沖縄の一男性「奇蹟の旅人」

  愛に満ちた無私の行


 上記の匿名男性について少しご説明しましょう。彼は沖縄本島在住です。SさんとかS師とも呼ばれますが、ここでは沖縄の一男性を略して『沖一(おきはじめ)』さんと呼ばせてもらいます。今からおよそ15年前、校内暴力の嵐の第一波が荒れ狂った頃、居たたまれなくなった沖さんは、何か子供たちのためにできることはないだろうか、と自分のことのように真剣に悩みました。そして、優しい子供に育つようにと、仏の教えを描いた絵本や七色の花の種を小中学校に配り始めました。それも匿名でです。この点が本当に大事だと思うのです。殆ど日本中の人々が、校内暴力関連のニュースについて当時聞き及んでいました。しかし、その解決のためにいったい幾人の人たちが立ち上がったのでしょうか?
<誰も立ち上がらなければ何も変わりません>
そして、
<人の心が変わらなければ地球も変わりません>

 当時一労務者であった沖さんは昼食代を切り詰め、衣服も買わず、少ない収入をやりくりして経費を調達したのです。貧しさのためホテルや旅館には泊まれませんので沖縄本島以外ではほとんど野宿でした。配達は沖縄本島から始めましたが、沖縄県全域、鹿児島県、宮崎県の八百校前後もの小中学校を訪れて、絵本と花の種を直接手渡したのです。この『愛に満ちた無私の行』により沖さんはやがて深く覚醒し、地球と人類のためのさらに大きな仕事に携わるようになりました。この『愛に満ちた無私の行』こそ地球浄化のための秘密兵器なのではないでしょうか?

 すでに長く悟りの境地にあり、比類ない能力を持つ沖さんですが、宗教団体はもちろん後援組織さえ作らず、各地で乞われて講演するときもただ『沖縄の一男性』として聴衆に語りかけ、酒も飲まず、タバコも吸わず、家族とともに慎ましくも朗らかな生活を送っています。沖さんについては、すでに幾冊もの本が出版されています。



劇団四季の浅利慶太が行動を起こした、三浦哲郎原作『ユタと不思議な仲間たち』の無料招待公演も、沖一さんと全く同じ思いからスタートしたものだった。

こんな人が取材活動をしながら企画している「小松久子作品展」がどんな内容になるのかとても楽しみである。

釜本さんに依頼された写真を見繕ってプリントできたので、送り届けることにしよう。

先日来、当ブログのコメント欄で、三浦さんが早稲田時代に下宿をしていた頃の、下宿屋の末裔という方との情報交換が行われている。

現在、札幌市に住んでいる40代の男性の方で、終戦当時、東京都杉並区荻窪に在った祖母の家に早稲田大学に入学した三浦さんが下宿をしていたとコメントしてくれたのである。
祖母は、本人が生まれた時には既に亡くなっていたが、下宿で三浦さんに会ったという父親から聞いたところによると、三浦さんは

1.優秀なバスケットボールの選手であった。
2.物静かな学生だった。
3.早稲田の法学部かどこかの学生だった。
4.彼が入っていたのは2畳の部屋だった。そこに友達を連れてきて住んでいた。
5.友人の駆け落ちの金を祖母に借りて、あとで返した。
6.三浦先生が青森に帰られるとき「机を預かっておいてほしい」とおっしゃって、置いて行かれた。
  机はそのまま今でも親族が持っている。

……だったと言う。

三浦さんと祖母のことは詳しく知らないので、何かの小説に書いてあるらしいから、作品を知りたいとの問い合わせだった。

何と!、『時のせせらぎ 若き日の追憶紀行』(単行本1994.H6.8.20講談社発行)の「荻窪」の章にその下宿生活のことが書かれていて、1から4まではこの本で実証されている。
5と6についてはこの本には書かれていないので、今のところ、不明確であるが、しかし、ここには、荻窪駅から下宿への方角や通い道の様子、祖母のこと、お父様のこと、出された食事の事など、下宿生活の様子が書かれていて、末裔さんの話とも合っている。

下宿の在った場所は末裔さんも定かでないようだが、〈荻窪駅の南口から線路と直角に延びている道の一本を15分ほど入ったところにある、水野さんというお宅であった。〉と書かれている。
実際は、その当たりには線路に直角の道は無く、斜めの道ばかりだが、桃井第2小学校方面に間違いないと思われるので、末裔さんの話とも合う。

五郎さんはお父様のことだろう。

2畳間で一緒に住んだのは、幼なじみの歯科医師立花さん(八戸市在住)で、私たちも本人からその当時の話をよく聞かされている。

今回は「預かった机」が新たな発見で、大変興味のある話である。
立花先生が聞いたら喜びそうだ。何しろ、2畳間だから寝る時に鴨居に渡した板の棚に揚げて、落下の危険があるその下に二人で寝たという思い出深い机なのだから…。

三浦さんが荻窪に下宿していたのは、最初に早稲田大学政経学部に入学した1949年・昭和24年4月から、翌年3月に休学届けを出して帰郷するまでの1年間のことである。

この本に書いている文章が『恩愛』(単行本2005.H17.7.1世界文化社発行)の中にも「私の東京追憶紀行」〈荻窪〉として再録されている。
又、この本の「「わたしの白夜」〈青春の道草 その2〉の後半〜〈青春の道草 その3〉にも、下宿時代のことが書かれている。

『歓楽』(「作品」S54年1月号に発表、単行本『蟹屋の土産』S58.8福武書店発行に初収録、文庫本『蟹屋の土産』S61.5福武文庫、『三浦哲郎自選全集第四巻』S62.12新潮社発行に掲載)という短篇小説にも当時の下宿のことが描かれている。

他にも、日経新聞『私の履歴書』『母の微笑』(単行本2001.H13.10.22講談社発行に掲載)でも下宿生活のことに触れている。

この下宿屋跡もゆかりの場所として『三浦哲郎文学散歩・東京編』に加えなければならない所である。
荻窪界隈は、駅のホームは級友船越康昌さんと出会った運命の場所だし、大学をさぼって入り浸りだった船越さんの寄宿先の病院があり、師井伏鱒二宅へ通った最寄りの駅でもある。

5.の駆け落ちをした友人とのことは他の作品にも描かれていた筈なので、お金を借りたことも書いていたかどうかは、後で調べてみることにしよう。

これらのことについて、より詳しい情報をお持ちの方に情報を戴けたら有難い。

郵便局員の三浦さん

先日の例会の時に、オブザーバーの小原さんから「三浦さんは一戸町の郵便局で働いていたことがあるんですよ」といわれて驚いた。
何かの随筆で三浦哲郎さん自身が「もしかしたら郷里の郵便局員になっていたかも知れない」と言うようなことを書いていたのは覚えていたが、これまでハッキリしたことが分からなかったので、一戸町の人から断言されたことに驚いたのであった。

今、三浦さんが書いたその部分を著書の中から探しているが、なかなか見つからない。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
oki*_
oki*_
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

三浦哲郎文学愛読者

三浦哲郎情報

登録されていません

二戸のブロガー

登録されていません

旧南部藩の住人

登録されていません

友だち(2)
  • ooh*ra*
  • よしO
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事