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毎回恒例となりつつある、「(株)ニッコクのカレンダー」に記載されている哲学やよりよい生活への指針。 先日、2008年のカレンダーを頂いたので、今回はその中から抜粋してお送りしております。 男女問わず、これらの指針や哲学というものの中には日常から心掛けておいてほしい言葉が数多くありますが、 女性の行動や発言を客観的に見ている限りでは、この手の言葉とは真逆の生活を送っているように映ります。 それはただ自分自身が損をして不幸になるだけではなく、「周りの人々への多大な迷惑」へも繋がっていきます。 男性差別もその1つです。この様な愚行を悔い改めるためにも、常日頃から哲学に触れて頂たいものです。 《向上心のある人は、賞賛よりも批判されることを喜ぶ》 【解説】 自分に対する批判を素直に受け入れることはなかなか難しいものです。 それがどんなに適切で的を射たものであっても、私達は何かと言い訳や弁解を試み、 簡単には認めようとはしません。 しかし、それは、せっかくの自分の欠点や未熟な点を改める機会を、 少しばかりの自尊心を守るために、みすみす無駄にしてしまうことになるのです。 また、反対に、人から褒められることは大抵の人が喜び、 それがお世辞に過ぎない事であっても、単純に受け入れてしまいがちです。 しかし、大した努力もせず、成果の蓄積もない状態で、 人からの賞賛をいたずらに望むことは、向上心にとっては最大の障害です。 そんな姿勢では、自分の現状を錯覚し、油断とおごりの心が生じ、 向上どころか後退していくことにさえなりかねません。 常に努力すべき要点や方向を探り、真剣に向上を目指すものにとって最も有り難いものは、 適切で率直な批判であることに改めて気付きたいものです。 ※何歳になっても精神年齢が子供のままで大きくなってしまう、 女性のそんな性質が作られていく工程の正体がこれですな。 褒めてもらえば「嬉しい・この人は優しい」、でも怒られると・・・ 「逆ギレ・復讐・嫌がらせ・ウツになる・自殺未遂・・・」 まぁ、こんな生き物が堂々と社会に出れば、そりゃ世も末なわけで。 怒られた時は「自分が悪い」と認め、でもそれ以上深くは考えない。 やるべき事は「自分を責める」ことではなく、「悪い所を直すこと」なのだから。 しかし、その部分においても自己嫌悪のみで終わっている様が多々見受けられる。 その上、「私はあの時、怒られてメチャ泣いたの」とか「本当に悩んだのです」なんて、 自分の悪い所がまだ直ってもいないのに、同意と共感を求めるのだから、これほど悪質なものはない。 真面目という言葉の欠片も見当たらない多くの女性の皆様、心から反省しなさい。 《欠点は、素直に認める勇気があれば、必ず改まっていく》 【解説】 人間には誰にでも、多かれ少なかれ、自尊心というものがあり、意識せずとも、 自分の長所や得意な点は自ら表現し、自慢もし、誇示しようとします。 その反面、欠点や弱点は知られたくない気持ちが働き、隠そうとするどころか 自分で気付こうとさえしない場合があります。 長所というものは、放っておいても周囲はその存在と価値を認め、 周囲に役立つ十分な要素となりますが、欠点や短所は、そのままにしておいたのでは、 自分自身の働きの邪魔にもなり、いずれ表面化した時には、周囲の落胆を招き、 迷惑をかけることにもなります。 自分の多くの至らぬ点に全く気付こうともせず、また、気付いても認めようとする勇気がなければ、 それらは改まっていく道理がありません。 人間としての現在の自分に不幸な点があるとすれば、その原因の大きな要素が自分の欠点であり、 短所であると知り、謙虚に妥協なく、必ず改めようとする努力を続けてほしいものです。 ※あなたの不幸はあなたの安直な行動や、無道徳な発言から来ている。 自然災害や余程の不幸な事故・事件に巻き込まれない限り、 あなたの不幸はあなたの責任。決して誰かのせいにせぬよう・・・ 《僥倖を願う心は、堕落と不幸への道に繋がっている》 【解説】 「僥倖(ぎょうこう)」とは、偶然の幸い、思いがけない幸運、ということです。 昔から「蒔かぬ種は生えぬ」という諺があるように、何か良い結果を得ようと思うのならば、 それ相応の準備や努力、工夫や研究を積み重ねる事は必要不可欠です。 たまたま、努力もせずに偶然に良い結果があったとしても、 それは自分が身に付けた実力に対する報いではないため、 今後も同じような結果が何度も得られるはずがありません。 そのことを、「自分には運がある」などと錯覚し、 何もしないで偶然の好結果が再び出て来ることを いたずらに待ち続けることは大変愚かなことです。 そんなことを続けていくうちに、真面目に取り組むことや地道な努力を疎かにするようになり、 怠ける癖がつき、次第に堕落し、不幸への道を進むことになってしまうのです。 日々、努力精進を重ね、一歩一歩着実に成長の階段を上っていく以外に、 幸福への道は開かれないことに、改めで気付いてほしいものです。 ※女性の人生は僥倖に始まり、そして僥倖に終わる。 生まれた時から優しく扱われ、学校では内申も高くつけてもらい、 高校・大学・就職はアファーマティブアクションで合格・内定。 社会では多くの女性のみの特権店や公共事業が立ち並び、 罪を犯しても余程のことがない限り温情判決か不起訴。 そして男性差別・社会・国のお陰で守られて生きているこの状態を、 「女性は強くなった」などとほざき、自分の実力だと信じきっている。 とことん不幸になれば良い。これだけの事をすれば不幸にならない理由がない。 |

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哲学の裏を読むと、ただの押し付けのような印象があります。
ただ、哲学を上手く利用して、
実はエゴを振りかざしている人間がいると考えると、
哲学よりも性別や感情で全てが決まることになると思います。
実際、性別や感情で決まる社会によって
人間自体の存在が消滅する可能性もあるでしょう。
2007/12/23(日) 午後 7:04 [ smart-intelligence ]
他人に嫌われたくないっていう気持ちがあるので、友人であろうと欠点を言ってあげるのは難しいですね。
本人が認めていることであってもそれを言うと後々避けられるとか恨まれるとかあるので、いい事は言えるけど悪い事は言いたくないものです。自分が言われた場合は素直に聞くようにしたいものですね。
2007/12/23(日) 午後 9:16
so1utionさんへ
哲学っていうのは、押し付け云々以前に、
「人間や社会の性質上、ほぼこういう結果になりますよ。」という、
先人からの教えですね。押し付けというのはその場その場や、
その人によって変えても良いものに対して型にはめることなので、
また少し意味合いが違ってきますね。
このような哲学(人間が行うべき、より良い行動の基本理念)を無視して、
己の感情を中心とした行動に徹してしまえば、世の中が狂っていくのも道理で、
それが現代に見られる多くの症状に繋がっている事は、もはや明白としか言い様がないでしょう。
2007/12/24(月) 午前 8:08
すず姉さんへ
女性の人間関係はドロドロしてますからねぇ^^;
当たり前の注意をしただけでも、「この人は私の敵」になってしまいますから、
まぁそれ故に「幾つになっても大人子供になっている」のでしょうね。
2007/12/24(月) 午前 8:14
http://kuki-shimin.com/archives/313#comments
特定久喜市のブログ
相変わらず捏造ばかりしていますが、日本女性の事だから
それでもホイホイと付いていくでしょうな。
んでもってオタクが神社を穢しているとほざく様になる。
2007/12/24(月) 午後 1:24 [ - ]