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歴史とは学問として成り立っています。学問とは現実社会になんだかの利益を生み出さなければ意味のないものです。勿論、歴史も学問として重要な意味があると思います。
私は、過去の過ちや成功例を知ることによって、より良い選択を行えるようにする為のものと考えています。また、原因と結果をトータルで眺めることができる為、どのような行為が人間社会で有益なのか害なのかが判りますから、それに評価を与えることによって、憲法や法律やルールを作る上でまた倫理観を教育する上で大変重要な指標となると思います。
である以上、過去の物事を客観的に判断し評価を与えなければいけません。ですが、身内だったりすると感情移入してしまい汚点を過小評価したり、功績を過大評価したりなど自身にとって好ましい状態にしたりします。
この為、第二次世界大戦下で日本がした悪行は大したことなかったという意見に対して疑いを持って相対しています。勿論、被害を主張し賠償を要求する側の意見も疑いを持って相対しています。
再び繰り返したくないのであれば、原因は何なのか?どの様な判断ミスがあったのか?そして誰に責任があるのか?をハッキリさせて評価を与えて欲しいですが…。
狂った時代だったんだ、みんな正常な判断ができなかった。だからみんなが悪いんだという意見もあるかもしれませんが、私にとってそれは原因を曖昧にする為の言い訳にしか聞こえません。
まぁ、国民の声という圧力が民主主義には存在しますが、責任を持って決断を下すのは指導者達です。国民の声が間違っていると判断するならば無視し、国民の為になる判断する必要があります。その為に貸し与えられた地位であり権限であり特権なのですから、責任を果たして貰いたいものです。国民の声や時流で判断するのであれば、そもそも指導者という存在は必要ありません。時流に流され酷い結果になりましたとは、私は無能ですと言っているのと同じです。時流に流されるのなら誰だって出来るのですから…。
(ちなみに権力を担う者が無能であるということは、それだけで大罪です。)
他のブログのレスで客観に関する話をした事がありましが、確かに誰もが主観を持っているのですから、客観的判断とはどういったものかは大変難しいものがあります。難しいからといって一つの基準となり指標となるものを考えることを放棄する訳にはいきません。
その時代の出来るだけ多くの人が納得のいくものと、私は考えています。(ですので、客観は不変のものではなく、変わっていくものと捉えています。)
そして諦める事無く繰り返し辛抱強く再評価していくことが大事だと思います。
歴史とは過去を記述したものですから、もう確定したことは再評価する必要がないかといえば、そうではありません。その時その時までの蓄積で出した結論(教訓)をもって、再評価を繰り返すべきものだと思います。(倫理の教育にも影響するので。)
例えば、趙襄子を暗殺しようとした予譲、始皇帝?魂政を暗殺しようとした荊軻は、かつては自らを捨て義の為に行動した壮士として、その有り方や行動が高く評価されていましたが、今では暗殺という手段で為政者を亡き者にし時流を変えんとする行為は、良い結果を生まないことから悪く評価すべきではないかという意見も出されています。中東辺りで暗殺の話は良く耳にしますが、それである程度定まった時流が変わったのでしょうか?良い結果が生まれたのでしょうか?是非、話を伺いたいものです。
前漢の武帝劉徹は、対外に積極的で後の世まで影響する優れた功績を残しましたが、今では黷武(悪戯に武を用い、武を汚した)の君といわれ若干評価を落としています。何かとちょっかいを出してくる遊牧民族を黙らせるまでは兎も角、オアシス国家や朝鮮への侵攻と領土拡大はやりすぎです。それで国の財政が傾いたのですから尚更です。自国の領土が安泰ならば過度に、また軽々に武を用いるべからず。この様な考えが生まれたことは大変素晴らしいですが、あまり世の中の為政者は学習していないようですね。アメリカ辺りは、影響力が大きいのですから是非とも学習して戴きたいですが…。(まぁ、現在では世界各国と密接に繋がっており、その為無関係では済まされないという事情もあるのですが…。)
先日、日米中の三カ国による歴史の共同研究の提案が中国によって事実上拒否されました。
まぁ、中国側が、日本とアメリカに対して不信感を持っている為、日本よりの判断や評価が行われることを懸念(も)しているのでしょうから、仕方が無いといえば仕方が無いですが…。
ですが、日中韓を逆に提案してくるのは戴けません。流石に、日本側としては中国や韓国の日本批判は政治の道具にされていたり、過剰であったりという感が拭えません。まぁ、近代を除くのであれば、中国王朝と朝鮮王朝が争っていた過去は多々あるので、問題はなさそうですが…。
利害関係の絡まない第三者(というものが存在しうるのか…。)を加えるか、互いの力関係が同じになるように調整するかしなければ、実現しそうにありませんね。
まぁ、まだ当事者と当事者の影響下にある以上、理性的な判断は望めないでしょう。ですが、この様な場を持ち、評価は置いておいても事実関係を確認ぐらいはしても良いと思います。
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