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東夷、北狄、西戎、南蛮
それぞれ東の野蛮人(国)、北の野蛮人(国)、西の野蛮人(国)、南の野蛮人(国)という意味になります。
歴史の教科書に出てくる、「後漢書東夷伝」とは後漢書の東の野蛮人(国)についてという意味です。
大変、失礼な表現ですね。
まぁ、大体何処も自分の国や地域を中心に物を考えるようなのでお互い様ですが…。
それに当時の文化のレベルからいえば決して嘘を言っているとも非難できません。
中国王朝が最も頭を悩ませていたのは、やはり北方や西方の遊牧民でしょう。
遊牧民族が団結して強くなったり、中国王朝が混乱していたりすると南下して来ます。
理由は、遊牧民の王が代替わりし部下に対してのパフォーマンスであったり、天候不順で草が生えず羊が死に餓えに苦しんだりなどですが…。極めて個人的な理由ですね。
まぁ、彼らは文字を持たない為、中国側の主張ということになります。ですが、否定する材料も特にないですから、概ねそうだったと思います。
遊牧民の恐ろしいところは、まず誰もが馬の名手であるということです。全体的なレベルがかなり高いです。
そして、定住民族と異なり長期間の移動生活が苦にならない事が挙げられます。普段の生活がそのまま長期遠征に耐えうるということです。この辺りの効率の良さは流石に洗練されています。
最も性質が悪い点は、土地に強い執着を持っていない点です。牧草が良く生える土地などは彼らにとって望ましい土地ですが、その土地に居辛くなったらあっさりと土地を捨てて移動します。つまり、黙らせようと中国側が侵攻したとしても、不利となれば何処までも逃げていきます。仕方なしに中国が引き上げるとすぐに戻ってきます。また遊牧は、同じ土地に留まっていると草が無くなる為、絶えず移動を繰り返します。この為、侵攻しようにも本拠地が移動する為、何処に侵攻するかが問題となってきます。
また、中国側が頑張って確保したとしても、遊牧以外に特に富を生み出すものがなく費用ばかりが掛かります。万里の長城を築いたのも頷けるところです。
次に挙げられるのは、チベット(吐蕃など)でしょうか…。
中国にとってシルクロードの途中に位置している為、大変悩ましい相手です。
朝貢やらの使節が中国にたどり着く前に、力づくでチベットに連れて行かれたりしています。何より中国から見たら交易の邪魔になりますしね…。シルクロードの西側終着点といっても過言でない、ペルシャ(またはイスラム)にとっては、絹や陶磁器が欲しい以上中国に用があるわけですから…。
チベットは、標高の高い峻険な山に国があります。あまり土地は肥えてはいない為、国力はさほど高くはありません。ですが、その土地そのものが要害となっています。
中国は、その国力にモノを云わせた兵隊の数や騎馬を導入してきますが。峻険な山である為、大軍は返って動きが取れなくなりますし、騎馬の機動力は障害が多すぎて生かせません。
空気も薄いですから慣れない人にとってはかなり大変です。
まぁ、騎馬民族と異なり中国へ侵攻してくることは、さほどなかったようですが…。あくまで周辺を切り取りに来る程度でしょうか…。土地柄、歩兵を良く運用していますから、長躯して関中に至るには無理がありそうです。
中国も基本的に侵攻を食い止めるに留まることが多かったようです。
南の方はどうだったのか余り話を目にしない為、詳しく知りません。
東ですが、朝鮮と日本が挙げられると思います。
朝鮮王朝とは遼東半島辺りの領有権を巡って良く争っています。
中国王朝の皇帝が、あの土地は中国だという認識であれば、統一の為と力づくで奪いにきます。
朝鮮王朝側としては、長年土地を治めており自身の領土と思っているのですから迷惑な話です。
まぁ、それぞれが幾度と無く土地を奪っては治めている為お互い様なのですが、どちらの領土なのかは良く判りません。
そんなこんなあって今でも朝鮮族が多く住む土地のようです。(漢民族と朝鮮族の違いも良く判りませんね。言語や風習でしょうか?)
日本ですが、倭寇です。倭寇といっても、殆ど海賊行為ですね。
まともな軍事行動としては、秀吉の朝鮮出兵が挙げられます。因みにこれも中国では倭寇と記されているようです…。
まぁ、故なく遣って来て略奪して返るというところは、海賊と対して違いはないですが…。確かに性質が悪いですね。
倭寇は、もっぱら近場の朝鮮王朝で暴れていたようです。その為か、死後も倭寇に睨みを効かし国を守るために海に王墓が作られたりもしています。よっぽど迷惑だったのでしょう。
まぁ、倭寇というのも、東の海で暴れまわる海賊という意味合いもあったので、中国人海賊も倭寇と記されているようです。
巨大な国家であり、富に溢れ、文明技術は洗練されていましたから、周辺国にとっては魅力的なのでしょう。
それら外敵に対する対応の数々が、より制度やら技術やら戦術やらを高めることになったのでしょうが…。また、それぞれの風土の異なる土地を治める必要がある為、様々な知恵が結集して対処し強くなったとも言えます。
当事者にとっては堪ったものではないでしょうが、後世の歴史愛好家にとって中国史は様々に彩られており楽しませてくれます。
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