永遠に工事中

技術的な話を書くつもりが時事ネタばかりに…

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世界を征服したと表現するならば、この二人が挙げられると思います。
切り取った土地の多さでは圧倒的にチンギスハーンですが、時代が大きく異なる為一概に評価できません。
アレキサンダー大王の頃は、文化、技術、制度の洗練度もそれ程ではありませんでした。また、東西の繋がりがそれ程では無かった為、他国の話や風土についての確固たる情報が得られなかったであろうと思われます。

まぁ、バッサリとぶった切るのなら、ギリシャ(正確にはマケドニア)の野蛮人、草原の野蛮人と言っても良いと思います。故無く次々国を征服していくなんて蛮行としか表現できませんし、実際それ程文化的レベルが高いとはいえませんし…。
まぁ、現在と異なり、文化や技術のレベルの高さが、そのまま戦争の強さになるというという事にはなりませんでした。逆に文化レベルが高く軟弱な生活をしている文明人の方がハングリーさに欠けて兵隊は弱いと見ることもできます。

アレキサンダー大王の方は、当時その付近で文化レベルや国力が高かったのはペルシャですね。
アレキサンダーも当初はギリシャの思想を広めるとかギリシャに対する誇りが強くあったようですが、ペルシャ攻略以後はペルシャの文化にどっぷり嵌ってギリシャ人に反感を買っています。
制度や人材登用は、巨大な帝国を作る上でより洗練されたペルシャのものを導入するのは致し方ないでしょう。また、土地の人間の反感を得ない為にも土地の人材登用は大事です。ですが、服装や軍衣などもペルシャ風にしたという話があります。事実ならばやり過ぎといえるでしょう。
当時の世界の水準では馬を大量に保有するのは難しかったという事情もありますが、戦い方は、重装歩兵による密集隊形で長い槍でハリネズミの様に武装した最小単位の陣形として「ファランクス」が有名ですね。勿論、「ファランクス」と機動力のある馬を有効に用いて戦った訳ですが…。(欧州ではこの歩兵密集隊形が伝統的に良く用いられていたようです。)
延々と征服してインド辺りまで行っています。ただギリシャは農耕民族であった為、土地や故郷というものに執着があり、部下の厭戦気分が高まった為に断念したようですが…。

閑話
アレキサンダーが征服した土地に「ソグディアナ」という国があります。
誇り高い人々だったらしく、従属をよしとせず各地に散らばった者が多かったそうです。
散らばってもその土地に同化することなく誇りを持ち続け、それぞれ連絡を取り合い助け合ったそうです。この繋がりから情報を得て物資を輸送するという生業を始めたとか…。
これがシルクロードで名をはせた「ソグドの商人」の始まりです。
シルクロード自体もアレキサンダーの東征によって切り開かれたという一面もあります。

同じことが中国にも起こっています。
周によって滅ぼされた殷の殷人も同様に従属を良しとせず、散らばり連絡を取り合い物資を輸送し利益を挙げたそうです。
因みに「殷」とは後世の歴史家が付けた名前で、彼らは自身の国を「商」と呼んでいました。
ですので、「商人」という言葉が出来たという話です。
閑話休題

チンギスハーンですが(「ハーン」は王の意ですから、正確にはチンギスなのですが語呂が悪いので…。)、いうまでもなく遊牧民です。
歩くより先に乗馬を覚えるとまで言われる程の騎馬民族ですから、乗馬のレベルはかなり高いです。
馬に乗ったまま軍機を図り、馬に乗ったまま食事、排泄も行ったとか…。
馬が疲れたら馬を走らせたまま空馬に乗り換え行軍を続けたといいますから、その機動性は当時世界一でしょう。生活道具一式もそもそもが持って運ぶようになっている為、長期遠征になんら不都合も生じませんし…。
アレキサンダー大王のギリシャは、農耕民族ですから土地に執着がありますが、遊牧民族はそこまで執着がありません。遠い土地に来てもホームシックに掛かるということは無かったようです。それどころか自身の遊牧する土地を得て喜んでいるところを見ると、遊牧さえ出来れば何処でも良いのでしょう。
この機動性の高さと人間性の影響もあり版図拡大に対しての、内部からの抵抗は少なかったことがアレキサンダー大王との違いでしょうか。
征西して地中海辺り、北を回って征西してドイツ辺りまで行っているのですから…。何を考えていたのでしょうか…。地の果てまで征服しなければ終わらないつもりだったのでしょうか…。因みに歴史上ロシアの冬将軍を攻略できたのは彼らだけのようです。ナポレオンもナチスドイツもロシアの異常な寒さに負けて逃げ帰ってきています。それどころか川が多くて進めないから冬まで待って進軍したそうですから、冬将軍が逆に味方をしたようなものです。
ですが、文化的錬度はかなり低かったです。何せチンギスハーンが作らせるまでは文字が無かったのですから…。それまでは、漢字やウイグル文字を用いて音に会った文字を記述していたとか…。
攻城戦の道具は、征服した国の民に作らせていたとか…。そもそも剣や槍、弓矢、甲冑なども自らは作りません。

彼らの優れている点は、異民族であろうと有為な者は登用し用いるだけの器量があったということです。何せ帝国内での人口比を考えれば、自身の民族はどうしたって少数派になります。同族からの反感を買おうが用いないことにはどうしようもありません。
異民族を率いて異国を撃つ…。いつ味方が裏切ることやら…。その辺りを上手く乗り越えたのですから大したものです。それをこれ程の規模でやってのけたのですから、この二人の器量の大きさは計り知れません。
学があったとはいえない彼らですが、話を良く聞き、認めるべきは認めるという政治的感覚は優れて優れていたようです。頭が良い=政治家として優れているではないことの証明ですね。まぁ知識は、あるに越したことはないのでしょうが…。(侵略を思いとどまらせる進言だけは、両方とも受け入れなかったようですが…。)
宗教やら文化、風習にも慣用であったようです。まぁ、従うならそんなことは些事という事なのかもしれませんが…。正直、その後の帝国の維持を考えれば、一体感や帝国の人間だという認識を植えつける必要があると思うのですが…。その点を考えればアレキサンダーの方が、各地に統一された様式のアレキサンドリアの建設を行っていたようですからやや優れていたとも言えます。まぁ、遊牧民にとっては何か拠点を建設するという発想自体が思い浮かばないのかもしれませんが…。この辺りは、統治という感覚や制度を持っている農耕民族の優れている点だと思います。
遊牧民族には、地位とか階級とか、王を敬う文化とかは無いようですから…。無能だとあっさり殺されます。常に威で持って優れていることを示し続けなければなりません。社会を安定的に存続させるという点では恐ろしく不安定なあり様ですね。

偉大としか言いようのない彼らですが、彼らの作った国はあっさりと瓦解しました。やっぱり急激な膨張は無理があるのでしょう。当事者本人の器量で持っている国ですから…。逆に言えば一個人が恐ろしく優れているという意味でもありますが…。ワンマンではなく、制度を整えて臣下に任せるという形態で、尚且つ帰属意識が持つように勤めなければ存続しないということなのでしょう。(最近の新興企業にも言えることですが…。社員を大切にしないとあっさり見捨てられ、一発屋で終わってしまうことでしょう。)
ただ、言える事は、極めてはた迷惑な奴等であります。故なく、故なくば作り侵略していくなんて乱暴者も良いところです。彼らが優れていたことは認めても、延々と侵略を行ったことは野蛮人のそしりを免れないでしょう。

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確かにモンゴル帝国は広い領土持ってましたよね。。モンケ=ハンが死ななければバトゥは帰還しないで、もっとヨーロッパまで進出してたのに。。世界史大好きなんです。。暇があったら是非きてください。。

2006/2/9(木) 午後 5:01 [ tak*ru1*87*71* ]

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私はどちらかというと中国史に偏っていますが、中国も他の文明と関わっていますから興味はあります。是非、拝見させていただきます。

2006/2/10(金) 午前 1:40 [ onl*oke**1 ]

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