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私はもともと犬派で、猫が嫌いだった。
身勝手で、こちらのことなどお構いなしで、一方的に可愛くて。
仔猫はヤンチャで爪を立て、ボロボロになった本棚の本数知れず。
座敷犬が追い出され、最初に猫がやって来た日のことは、悪夢のように思っていた。
家の周りの交通量が多くて、最後に残ったのが、用心深くて慎重なしめじだった。
人見知りの激しい猫で、嫌いな人間の靴音を聞いても、どこか見つからないところに逃げ込んでいた。
来客のある時は、決して姿を見せなかった。
活発で、若い頃は鳥を捕まえて見せにきたりしていた。
屋根を飛び回って、よそ者猫を追いかけ回していた。
◇
そんなしめじもある日、『時計台』と呼んでいた背の高い食器棚に飛びつくのに失敗した。
隠れ家にしていたグルニエの梯子にのぼって降りられなくなった。
『おろしてよ』と鳴くようになった。
そのうち梯子にのぼることもできなくなった。
走らなくなった。
寝ている時間が増えた。
最初の痙攣があった。
若い時よりもむしろ良く食べるようになった。
一方で人なつっこい猫に変わった。
人を見かければ鳴いて呼ぶようになった。
人に付いて歩き回るようになった。
リビングに座っていると寄ってきて膝に乗せてというようになった。
膝の上で撫でてやると寝付くようになった。
朝早くから鳴いて起こしてくれた。
人肌で温めてもらわないと、寝付けなくなっていたのかもしれない。
夜枕元に来るようになった。
座ってこちらをじっと見ていた。
布団に抱え入れてやると、胸の上でごろんと横になり、やがてスースーと寝息を立てて寝てしまう。
いつの間にか私も寝てしまい、目を覚ますと、となりに大きな目をしっかり開いたしめじが私を見つめている。
やがて布団の中が暑く感じたのか、私の手を解いて、しめじはピタピタと足音をさせながら、闇の中に消えていった。
それが昨夜のことだった。
◇
ネクタイを選んでいる時、気がつくとしめじが足下に来ていた。
最近はいつ来たのだろうと思うほど、鳴きもせず、音も立てずにそばに来る。
家にいる時は、『いつでも一緒』というぐらい、そばを離れなかった。
今日が仕事納め。
「しめじ、私はこれから出かけるんだ。お前を抱いてあげたいけど、いまは時間がないんだ。明日になれば、いくらでもお前を抱いてあげられる。だから今朝はごめんね」
しめじは、顔を上げなかった。
めずらしく。
◇
私が玄関で靴を履きかけた時のこと。
洗濯物を二階に運んだ家内の大声が聞こえてきた。何を叫んでいるか解らなかったけど、何が起こったかは想像できた。
二階に駆け上がると、しめじを胸に抱えた家内がうずくまっていた。
「もっと抱いてあげれば良かった。しめじはお別れを言いに来ていたのに、解ってやれなかった。いつもと同じだと思っていた」
私も同じ気持ちだった。
自分を責める家内を慰めながら、私は自分に言い聞かせた。
「痛いともいわず、しめじは良く頑張ったと思うよ。最後まで、一生懸命生きてくれた。今朝も3缶も食べて、元気なふりをしていてくれたんだね。長生きすることで、『ありがとう、大好きです』って毎日言ってくれていたんだね。でももう私たちは解っていたね。しめじがもう長くは生きられないことを」
しめじはまだ膀胱炎の出血が治まっていなかった。家内が悪戦苦闘してしめじに薬を飲ませて、昨日はしめじの歯で指を切った。しめじは本能的に抵抗するけど、最後はけなげに飲み込んだ。そうしたところで本当は快復しないのだけど、それが義務であるかのように。
私がしめじに「行ってくるからね」を言って階段を下り、家内も洗濯機が停まった音に会談を下り、誰も居なくなったほんの数分の間に、しめじは突然、倒れて、心臓も呼吸も止めてしまった。
2009年12月29日、午前8時30分頃、しめじ、永眠。21歳8ヶ月。
しめじが生きた長さは、私たちがしめじを愛した量と、しめじが私たちにくれた感謝の量を足した大きさだと思う。
◇
しめじの顔は、まるで眠っている時のように穏やかだった。抱きかかえると、首の据わっていない赤ん坊のように、首がだらんと垂れたことで、眠っているのとは違うと解った。
私たちは階下の母親にどう伝えようか迷った挙句、家内が母親に声をかけた。
「おかあさん、しめじが死んだの」
母は「ええっ?」と声にならない声をあげて階段を駆け上がってきた。
「ああ、いつかその日が来るとは思っていたけど、来てみるとやっぱり悲しいね。しめじ、あなた昨日まで元気だったじゃないの!」
父の死もそうだった。
「順番ね、お別れは順番だけど、寂しいね。もう鳴き声も、足音も聞こえない。あなたが汚した跡を拭いて回ることもない。寂しいね」
それは母にだけではない。しめじを亡くした寂しさは、きっと後から、私たち家族全員に、降り積もる雪のようにしんしんとやってくるだろう。
私たちは当たり前のように明日が来ると思っているが、いつかは誰にも明日が来ない日が来る。そのことを今日はしめじに最後に教えられた。言い古されているけど一期一会。一日を大切に生きなければならない。賢者と愚者の差は、後悔の量だろう。
◇
しめじは何も言わなかったけど、多分、体中痛くて苦しかったのだろう。背中を曲げて、尻尾を下げて、フリーズしたように立ち止まりながら歩いていた。
風邪を引いたらいけないからお風呂にもいれられず汚れて臭くもあった。でも老醜を晒しても、歯が少なくなった口で、鬼気迫るほど食べて、生き続ける努力をしてくれた。
そんなしめじが、私たちはどんどん好きになっていった。家族なのだから。家族は外見で愛している訳ではないのだから。
しめじについて語ることは多過ぎる。思い出も多過ぎる。しめじは人間ではなかったけど、人間と同じようにコミュニケーションができた。しめじは人間ではなかったけど、間違いなく家族だった。
人間、本当に悲しいと涙が出ない。正気を保つために、感情を崩壊させている余裕などない。
◇
私は言った。
「急いでいるからごめんね。また明日」
しめじは顔を上げなかった。
多分しめじはうつむいたままこう言っていたのだと思う。
「いままでありがとうございました。お別れの時が近づきました。いつも寝るときに話してくれたように、私はきっと生まれ変わります。そしてもし少しの間待ってくれるなら、私はきっとあなた方をお訪ねして、今日で終わるこの私たちの話の続きを、その時また一緒にしたいと思います。その日まで、元気でいてください。さようなら」
◇
しめじ、長い間、ありがとう。合掌。
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