雅趣雅俗 − 不可解な徒然 −

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以下は、
昨夜映画「メアリと魔女の花」を観た率直な感想と自らの怒りを鎮める為に言いたいことを極めて無配慮に実に長々と書き放題に散らしたブツなのでご了承下さい。

ネタバレもしまくっているので特に未見の方はどうかご容赦下さいませ。


















歯がゆい。
とにかく歯がゆい。
昨夜映画館で歯がゆい思いをした訳です。
何故こんなにも美しい映画がアニメーションで最も難しい問題をクリアした作品が此処まで悲惨な事になったのか。

つまり、
メアリのセリフをあと三分の一削って、ピーターの声優を交代して、メアリのマイナス部分の描写を丁寧に描いて、あと五分早く大学に到達するようにして、せめてフラナガンの背景を一分でもいいから描写して、元魔女叔母さんにもっと伏線を貼って、本作において成長とは何なのかという点を明確に提示して、ファンタジー要素に対して変な現実感を持ち込まず、本作における魔法使いという設定をキチンと説明して、過剰なジブリオマージュを半分に控えて、せっかく魔法の真髄を持っているのですからメアリはもっとバンバン色々な魔法を自在に使う描写を挟み、登場するキャラクタに存在意義を与えて、与えられないのならば登場させない、等の事をしていれば相当良い映画になったのにと全編歯がゆさで気が狂いそうでした。

これが昨夜大高イオンシネマのレイトショーで22時からメアリと魔女の花を観た率直な感想です。
もしも点数を付けるのならば60点というところでしょうか。
一応映画としては完成していてストーリーも表面的ではあるものの取り敢えず消化しているのでこの時点で50点あるとすれば残りの10点は映像美とけものフレンズだとすると60点という事になると思います。

とにかくこの映画はチグハグ感が際立っていて、それに由来するもどかしさと歯がゆさを120分中100分間感じ続ける映画だったなと。


ではまず、良かった点は映像美でした。
エンドロールのスタッフを見てもジブリで主力だった原画、動画、背景さんがこれでもかと注ぎ込まれているので映像美という点では他を圧する完成度でした。
他のアニメ映画には到底真似する事の出来ない贅沢な画面がこれでもかと作り込まれていてそこは大変な満足がありました。あるいは映像美にだけ満足してしまう方ならば十分素晴らしい映画だったのではないでしょうか。米林監督の作品としてはアリエッティやマーニーよりも映像美という点では上回っていたと思います。

次にけものフレンズです。
実験動物達に掛かっていた魔法を解除して実験棟から開放されていく描写は凄まじいの一言で鳥肌が立ちましたし本作で一番面白いところでした。
そしてどうしようもない位の危機に陥った際に動物達が助けにくるところも野性解放みたいでよかったです。
良かったといえば猫も含めて動物達が喋らなかったのはとても良かったなと思いました。
もしも一言でも人語を喋ったらお終いだったし何もかもぶち壊しだった事でしょう。


じゃあ、拙かった点はそれこそ数え上げればキリがないのですけどもお前の罪を数えていこうと思います。



1・神木隆之介のミスキャスト

拙かった点は沢山あるのですがその中で何よりも駄目だったのがピーター役の神木隆之介。
これがもうとにかくどうしようないくらい駄目なんです!
もう何故この演技でOKが出たのか一体どうして彼をキャスティングする事にしたのか。
謎が謎を呼んでピーターが喋る度に映画に集中できず頭がおかしくなりそうでした。
これをどう表現していいのか分からないのですが、とにかく彼の演技は酷いの一言。いや、違うのです、神木隆之介が酷い訳ではなく彼は彼の持ち味を活かした演技をしていたのですがそれが明らかにミスキャストである事が問題でした。

振り返るならば庵野秀明の堀越二郎、木村拓哉のハウル、岡田准一の風間 俊、三人共それはどうなんだろうと思うほどの棒読みでしたが作品として違和感なく溶け込んでいたと思います。そういえば木村拓哉や岡田准一はともかく庵野秀明はそもそも役者ですらなく映画監督であるにも関わらず二郎の声に違和感はありませんでした。なので取り敢えず棒読みそのものは問題ではない事を断っておきます。今回の神木隆之介のピーターも悲惨な程の棒読みではあるのですがそれは問題ではあるのですが問題にはしません。つまり棒読み演技である事を承知の上で起用した側に問題があるからです。

さて、神木隆之介は借りぐらしのアリエッティでも主人公の翔役で出演していてこの際は違和感なく作品に溶け込んでいたと思います。内気な少年を難なく演じていらっしゃったと思います。
借りぐらしのアリエッティは今作メアリと魔女の花においても監督を務めた米林宏昌監督のデビュー作。興行成績も中々でした。
つまり監督としては神木隆之介とは使い勝手の分かっている外さない役者の一人だったという訳です。
更に言うのならば去年大ヒットした映画「君の名は」の主人公役も神木隆之介でした。起用すれば話題性もあると踏んだのかもしれません。
考えてみるならば今回のメアリと魔女の花はジブリから独立して設立したスタジオポノックとして第一作目という非常にプレッシャーの掛かる作品で監督としては絶対に外してはならない作品において使い勝手の分かっている気心の知れた役者を起用しようとしたのは当然といえば当然だったのかもしれません。それに神木隆之介の主演したアニメ映画において過去興行成績を見てハズレた事が無いのも一因となったのかもしれません。
ともあれ何かしらの理由によってメアリと魔女の花において神木隆之介は男性主人公のピーター役に起用されました。そして最後の最後まで作品に馴染めず違和感を放ち続けたのです。
では何故ピーターはこれ程までに異物だったのでしょうか。

庵野秀明の二郎が超ウルトラ棒読みであるにも関わらず違和感どころかこれ以上の起用は他に考えられない程ハマっていたのはそれが宮駿が想定する堀越二郎というキャラクタにハマっていたからに他なりません。
つまり二郎とはそもそも棒読みのように喋ると想定されて作画されて演出されてセリフを与えられている訳です。だからこそ違和感もなく近年稀に見る完璧なキャスティングとなったのですね。もしかすると宮駿監督は最初から庵野秀明の声でセリフを考えていたのかもしれないくらいです。

さて、サマーウォーズの小磯 健二、借りぐらしのアリエッティの翔、君の名はの立花瀧。
この三役ともに神木隆之介が演じた事によって違和感や異物感はありませんでした。
サマーウォーズとアリエッティは内気な少年、君の名はは現代的な高校生。
いずれも難なく熟していますしむしろ彼が主演した事は作品としてポジティブであった事は明らかです。
そしてだからこそ今回のピーター役はハマらなかったのではないでしょうか。
要するにそれらを一言でいうならばミスキャストなのですが、ではどの辺りがミスキャストであったのか。

ピーターは男性主人公としては非常に地味な設定で何処かの外国の(イギリス??)辺鄙な田舎の村に住む貧しい家庭で育った少年です。家計を助ける為に新聞配達等をして働いています。
つまりキャラクタに明確な陰があるのですね。
こういう陰のあるキャラクタに必要なのは声の低さあるいは陰だと個人的には思うのです。
貧しさに鬱屈を溜めた少年。こういう役を演じるに神木隆之介はあまりにもミスキャストでした。
何処かのヨーロッパの田舎の貧しい少年を演じるに当たって必要だったのは間違っても棒読みをしない確かな声の演技力だったのではないでしょうか。
棒読みをしない演技力が何故必要であったのかというと何処かの架空の国の田舎の貧しい少年(しかも時代設定も微妙に分かりにくい)に対して現代日本に生きる私達に共感出来るあるいはその生活実感を感じる事は恐らく出来ないのですね。なので役者の演技によってピーターの内面や共感の取っ掛かりをしっかり伝えなければならない訳です。さもないと何時まで経ってもピーターの何処に共感して良いのか分からない訳です。
声の陰りとは貧しさの象徴ではないでしょうか。ピーターは子供や少年というよりはもう少しだけ成長した大人の一歩前のような少年ですし前述の通り貧しいという設定がありますから幸せな声をしていては拙いと思うのです。それにきっと幼くして働いているという境遇は彼にある種の逞しさがある筈なのですが、そういう逞しさ等は棒読みでは伝わらない事でしょう。故に棒読みにならない演技力が必要になってくると思います。
サマーウォーズの小磯 健二、借りぐらしのアリエッティの翔、君の名はの立花瀧。
これら三役(勿論神木隆之介は多忙な俳優なのでこれ以外にも様々役を演じている)は日本人としては設定として生活実感のあるキャラクタですので殆ど棒読みのような演技であってもむしろそれこそがリアルさを引き出しているのでハマっていたのではないでしょうか。こういうやつ居るよね、という共感を声が後押しするという構造が三役にはあったと思うのです。
ところがピーターは前述の通り共感する要素や設定やキャラクタデザイン(これも拙かった)に至るまで何処にも見当たらないので棒読みの演技は浮くばかりで利点は何一つとしてありませんでした。
これこそが神木隆之介がミスキャストである理由です。
彼の武器である共感を誘う語りかけるような棒読みが今回に限ってはキャラクタの設定によって致命傷となってしまったのですね。
そしてこのミスキャストは男性主人公のキャストを間違えた訳ですから影響は作品全体に及んでしまい取り返しのつかない事になってしまった訳です。
ミスキャスト恐るべし。

ではどうするばよかったのか・・・
根本的な対処は役者を変更する事ですが前述した通りの理由、つまり監督が気心の知れた役者で興行成績という点からもポジティブという理由で神木隆之介を起用するのであれば神木隆之介が活きるキャラクタにピーターを変えるべきだったと思うわけです。
つまり現代の日本人が共感できるキャラクタに設定やデザインを大胆に名前やあるいは性別だって変更するべきだったという訳です。むしろ男性主人公が必要だったのか、という根源的な問いかけすらしてしまう程にピーターというキャラクタには存在意義を疑うのですがそれはまた次項ですね。
もしもあるいはそういう変更をしていたのならば彼が喋る度に異物感を感じ続ける事も無かった事でしょう。
繰り返しますが神木隆之介は何も悪くないのです。
この作品に彼を起用した側が何処までも悪いのです。

何故こういう事になってしまったのか。それはテーマの混乱に起因しているのではないかというのが個人的な意見なのですが。
次項。



2・テーマ

本作においてテーマは何だったのでしょうか。
私には分かりませんでした。分からないというのは単に私が映画をしっかり見れていなかったあるいは解釈する力が足りないだけなのかもしれませんがとにかく分かりませんでした。
作品にはテーマがあると思います。
こういうテーマがあるからこういう作品になった。
その逆も有りえるのでしょうが希少だと思いますし極めて実験的な作品以外には存在し得ないのではないでしょうか。
数ある映像作品の中でも特に映画においてテーマは欠かせないところです。
昨今の映画は長くて120分短ければ90分以内という作品も珍しくありません。
その中で何を描写するのかは監督の自由ですが本作では102分という尺があってこの時間内に監督の意図に沿った様々な表現をしていく訳です。
102分つまり6120秒内で伝えられる事には限りがあって故に多くの映像作品は引き算で作られる事になるのはご承知の通りだと思います。あれもこれもやりたいけれどテーマに沿わない点を編集やあるいは脚本の段階で削って削って伝えたいないしはやりたい事を尺内に詰め込んでいくという訳です。
故にテーマこそは作品の背骨でテーマがしっかりと設定されていれば脚本や編集方針がブレる事もなく一貫性を保持して(一貫性が必要かどうかは議論がありますが)いられるのならば本作においては明らかにテーマが無いあるいは過剰で故に何もかも中途半端であったと言わざるを得ません。

本作のテーマを頑張って見つけてみようとすれば、まずは反核、反原発、反科学文明という事でしょうか。
大変申し訳ないのですが私はこの時点でメアリー・スチュアーの原作を読んでいないので原作がどれほど反核反原発だったのか分からないのでそこは何とも言えないのですがもしも反核、反原発であるのならばそこをもっと強調するべきだったと思うのですね。
実験の最終段階で炉心溶融みたいな事が起こってそれはつまり明らかに福島第一原発事故なのですけども、ああいう事をしたいのならばもっとその力の強大さやおぞましさみたいな事を明確に描写するべきだったし制御不能の恐ろしさやそれが齎す影響等を描写する(例えばメアリが住む村にも過去の実験の負の影響が間接的に及んでいる、村長の葬式というイベントが序盤でありましたけれどもその死因が放射能汚染に似た理由であったとか、等など。っていうか村長の葬式というイベントは必要だったのか????)べきだったのではないでしょうか。もしもテーマが反核、反原発であるのならば、ですけれども。
如何にも取って付けたような実験の失敗における福島第一原発事故的描写は唐突さを感じますしそれが本当に必要な描写であったのか疑問を感じる訳です。福島第一原発事故を反省したいのならばもっとそこに焦点を置くべきだったなと。故に取り敢えず時間も無いけど原発とか制御出来ない技術って怖いよねーまあ事故といえば福島っしょ的な事も置いておくかー的な雑さを感じましたし作品に対する疑問にもなりました。
 
次に続々と繰り出されるジブリ作品のオマージュこそがテーマだと見出すならば過去のジブリ作品の総括そしてあるいはそこからの脱却なのでしょうか?
そういえば本作のキャッチコピーは「魔女、ふたたび」でしたね。
キャッチコピーにもなるくらいですからやはり本作は単なる魔女宅を下敷きにした過去のジブリ作品の焼き直しなのでしょうか。
本作は102分中殆どの画面において過去のジブリ作品の残滓を見ることが出来ます。それこそありとあらゆるジブリ作品要素がこれでもかと詰め込まれているのでメアリと魔女の花を見れば過去のジブリ作品が全部見れる事にもなる訳である意味で物凄く贅沢な作品には違いないですし一足早いジブリ博物館という趣向なのかもしれないと捉えるならば一応の成功?があるのかもしれない訳ですね。
こうして書いていて気が付きましたが本作のテーマはやはりジブリ博物館だったのですね!!!!
つまり本当は監督なんてやりたくなくてずっとジブリで原画として働いていたかったのに勝手に会社を畳やがって(しかもメアリと魔女の花を製作中にパヤオは引退を撤回して新作の制作に取り掛かる!)という監督の鬱屈や怨みつらみが爆発したという訳です。
その当てこすりでスタッフロールの最後に感謝として高畑勲、宮駿、鈴木敏夫の名前が入っているのではないでしょうか。
そう考えると神木隆之介ミスキャストもあえてかもしれないなって。
本職の声優外して棒読み役者を起用するというのは本来こういう事なんだよという当てこすり!
いやあ監督も中々やりますねえ!!

という冗談はさておき、もしもジブリ博物館がテーマであるのならばポノックという新規のスタジオの存在意義が問われるのではないかと思うのですね。
それというのもやはりスタジオポノックはスタジオジブリでは無い訳ですから、違う以上は何かポノックとしてのレゾンデートルがあって然るべきですし、もしかするとそれは次回作以降に強く出てくるのかもしれませんが、少なくとも本作からはそういうものを何も感じられなかった訳です。
感じられませんでしたが監督がそれで問題ないと考えているのならばつまりポノックはジブリの焼き直し専門スタジオであると明確に本作において宣言したのであればこれはもうどうしようもないので一観客としては諦める他にない訳です。

次に本作のテーマがドラマであるとかガールミーツボーイであるとするならば最低の失敗作なのでこれは流石に違うと思います。
何となれば本作においてドラマパートはあってなきような代物に違いない添え物のような存在ですから、それが証拠に人物の深みやバックボーンを徹底して何かも描かないという状況が全てを物語っているのではないでしょうか。人物の掘り下げをしないからドラマは発生しないし取り敢えず原作にあるので仕方がないから描写しなければならない点を嫌々描いている様は如何に監督がドラマパートを描くのが嫌であったのかが伝わってくる訳です。
特に箒の番人であるフラナガンの背景を何も描かないというのはドラマ性を全否定していると言われても仕方がないですしよくもそんな脚本が許容されたなと驚くばかりです。
フラナガンは劇中で重要な役割を果たす、つまりラストでメアリを救いに来るにも関わらず箒の管理に口煩いというのが主な情報で何故彼が箒の番人をしているのか何故大学到着当初からメアリに肩入れするのかという重大な動機等の当然の疑問に何も答えないというのは斬新ですらありました。
細けえ事はいいんだよと言わんばかりの投げっぱなしジャーマン!
もしかすると此処にこそ米林監督のオリジナリティがあるのかもしれません。

こうして見ていくと本作でやりたかった事はやはり過去のジブリ作品の演出の現代的な再現だったのではないでしょうか。
元ジブリの優秀なスタッフがいればこれくらいの予算でこれくらいの表現が出来ますし興収もこれくらい弾けますよーというプレゼンテーション作品。だから面白い原作とか脚本とか野心的な演出家さんとかをドシドシ待ってまっせーという業界に向けたメッセージ。
もしもその通りであるならば本作に何も疑問はありませんし意図も明快で成功しているのではないでしょうか。
本作は映像作品として大変な完成度でどの場面を見ても美しく描写には迫力があって動画は大変な精度で動いている訳です。
場面場面の空気感や質感の表現も殆ど極限に達していて映像表現にという点においては宮駿が現場に居なくてもここまで出来るのだという事を示したというのはどうあっても成功だったと思うのですね。
過去のアリエッティやマーニーよりも画面画面の完成度は高い訳ですから映像表現にという点に関して明らかに進化していますし監督の才能を感じさせる訳です。

ですが冒頭でも書きましたがアニメーション映画として最も難しい点をクリアしているにも関わらず内容が悲惨な事になった事は返す返すも残念でなりません。
さて、こう書くとどうしてもゲド戦記を思い出さずにはいられませんね。
ゲド戦記もそうでした。
素晴らしい映像、悲惨な内容。
しかしながらゲド戦記は前半は面白かったじゃないですか!
こういう事がやりたいんだよという前半の感じを後半に繋げられずに破綻してしまったのがゲド戦記ですけども、翻って本作はゲド戦記と比べても見るべき箇所が無いのですね。
米林監督がこの作品に込めたメッセージとかそういうものを見て取る事は出来ませんでした。
出来なかったので仕方なくメタ的な視点でテーマを掴もうとする訳なのですが・・・

スタジオジブリとは基本的に宮駿監督と高畑勲監督の個人的なアニメスタジオです。
特に高畑勲監督はスタジオの経営にすら無頓着でひたすら自らの作家性のみを追求するという突き抜けっぷりでそれを許容しているのは宮監督の作品が商業的に成功して金があるから、なのですが殆ど現代の奇蹟のようなスタジオでした。
お二人に共通しているのは作品を作る為の動機が確固としてあったという事だと思います。
動機があるからテーマも決まるしテーマがあるから脚本あるいはイメージボードは次々と出来上がって伝えたい対象が明快だから演出も明快な訳ですね。そこに高い映像技術を注ぎ込むことで極上の作品が出来上がったという訳です。

勿論、米林監督は宮監督ではないので天才宮駿級の作品を期待するのは酷ですし脚本も望めないので故に原作にべったりの作品にしてしまうのも分かるのですが、分かるのですが米林監督は本当にこのメアリと魔女の花を作りたかったのでしょうか?
酷く散漫な構成の本作を見るにつれてどうしてもそこが気になってしまいます。
一言で云うならば原作に対しての愛情を感じられないのですね。
だからこそ本作は業界向けのプレゼンだったのではないかと思った次第なのです。


そういう次第でテーマがあって無きような映画だったので小手先の演出をどれだけ変えても良い映画にはなりようがないのですが、しかしながらこれは酷いという演出や脚本の拙さが目立っていたのでそこを改善するだけで随分とマシになったのではないかなと思う訳です。





3・脚本・演出


作中における魔女の設定について

何よりも脚本として拙かったのは本作における魔女の設定が明快にならなかったことです。
魔女とは何なのかどういう存在なのか、魔女の才能があるとはどういう事で何故赤毛が魔女として優れているのか。完璧な使い魔とは何なのか。本作を見ただけでは何も分からない訳です。
これは児童向けとしては致命的ともいえる状態で何となれば本作は三歳くらいのお子様もご覧になると思うのですが魔女なる設定や前提となる知識のない子供が本作を見た場合どう思うのでしょうか。
本作は作中における魔女の何たるかを定義しなかったので物語の根幹である魔女なる存在が不明なまま物語が進行して終わります。観ている側としては実に宙ぶらりんな訳です。
本作は定型としての魔女という存在を知っている事が前提としての謂わば魔女物の二次創作とも呼べそうな脚本構成で皆魔女くらい知ってるしハリポタも見たよね??というような乱暴さが随所に見て取れます。
じゃあ魔女宅はどうなんだという話になると思いますが、魔女宅において魔女とは箒で空を飛んで使い魔と会話が出来る以上の事はしないのです。徹底してそれ以外の事はしないのです。
だから作品を通じて伝わる事は魔女とは箒に跨って空を飛ぶ存在である事、以上終わりというのが明快に伝わってくる訳です。あれこれしないのですね。
翻って本作では魔女はただ箒に跨るだけではなく呪文を唱えて色々な魔法が使える訳ですし魔法は科学との融合を果たそうとしている訳です。そういう過剰な設定があるにも関わらず根本としての魔女や魔法使いやそもそも魔法とは何なのかという点や本作における科学とはどの程度の科学を意味するのかとか地上と大学との関係性など全く不明なまま進行するので意味不感が強く残る訳ですね。
明らかに説明不足ですし脚本の拙さが際立つ訳です。



メアリの台詞について

ピーターに比べてメアリの声は良かったと思います。
メアリの声は時を重ねるにつれて違和感は消失していきますし棒読みであっても悪くありません。
確かに個性的な声でありましたがそれがハマっていたと思いました。
ですが、これは脚本が悪いと思うのですが余計な台詞が多いのですね。
状況をそこまで台詞で説明する必要があったのでしょうか。
むしろそこは映像描写で説明するべきだとするシーンはかなり多かったと思います。
一回観ただけなので今直ぐ何処がと具体的に指摘は出来ませんが特に序盤から大学に到着するまでに顕著だったのではないかなと。


メアリの行動について、マイナス部分の描写

メアリに関して一番気になった部分がメアリのマイナス部分の描写でした。
主人公のマイナス部分を描写して作劇中に改善していく、それこそが成長というのを狙ったのだと思いますがこれも失敗しているのではないでしょうか。
それというのもメアリのマイナス部分の描写というのは誰かのお手伝いをしようとして空回りして失敗するという物ですが、これがクドいんですね。
何度も同じような失敗を繰り返させるというのは明らかに拙いですし、しかもそこを強調しておきながら空回りして失敗する根本原因が提示される事もなくそれらが改善された描写も薄い。
きっとメアリは作劇終了後の人生においても空回りして失敗を続ける事になるのではないでしょうか。
これでは何の為のマイナス部分の描写だったのでしょう。
それに細かい事ですが庭師のゼベディが手塩に掛けて育てている花を折った後の始末もつけず更には誰に頼まれた訳でもないのに勝手に木の葉の掃除をしようとして失敗して周囲を滅茶苦茶にしたにも関わらずそれらの後片付けをした様子を描写しないのは観ている側としてはメアリに対して反感を覚えるような事があるのかもしれないなって。原作がどうかは知りませんがこれは映画の脚本としては相当危険な事だと思うのですね。
そして、それだけのリスクを冒したにも関わらずマイナス部分は明確に改善されないまま終わるのです。
故にこのマイナス描写の連発が物語序盤に必要であったのか極めて疑問だと思った次第です。
この時間を使ってもっと色々出来たのではないでしょうか??


夜間飛行について

作中においては夜間飛行の実を潰すとメアリに魔力が供給されるという重要アイテムですがこれも意味不明な点が多いですね。
何故夜間飛行と呼ばれているのか、何故潰すと魔力が供給されるのか、何故7年に一度しか咲かないのか、何故それをゼベディは知っているのか、そもそもこの実にはどういう由来があるのか。何故そんな大事な実が大学構内に生えていたのか。
何も分からずに映画は終わりました。
原作にはキチンと設定があるけど説明する時間が足りなかったのか、あるいはそもそも設定が無いのかもしれませんが無いなら無いで設定は作るべきだったし何かしらの説明をするべきだったなって。
最重要アイテムからしてフワフワな設定では他の部分もフワフワで致し方ないのかもしれませんが。


・・・・・・・etc
ええ、言いたいことはまだまだ沢山ありますが、どうも一回観ただけなので記憶が不確かですから、来年くらいにやるであろう金ローを観た後にまた続きを書き足したいと思います。
今言いたいことをガーッと書き散らした訳ですが本当に惜しい映画だという想いは変わりません。
本当に惜しいのです。
今一番懸念している事はジブリの最新作とポノックに続編を作る事が出来るのかという事です。
最終的な興収によってはスタジオを解散しなければならないでしょうし本当に一作で消えてしまうには余りにも惜しいという事は間違いありません。
だって、そうでしょう!
アニメーション作品として最も高いハードルをクリアしているスタジオなのですから。
だからこそ脚本や演出の拙さが余計に目立ちますし、そもそも作品のテーマが、と言いたい事がループしますので辞めます。
ポノックにとって元ジブリのスタッフが集結してしまった事はあるいは不幸な事だったのかもしれません。
元ジブリのスタッフが協力しなければここまでの映像美を持つ作品にはならなかったでしょう。
しかしながら仮に僕が監督であったとするならば極上のスタッフが手元にある訳ですよ、で、そのスタッフの持ち味を活かそうとしてしまうのではないでしょうか????
それは自然な成り行きではないでしょうか・・・
こういう原画を描ける人がいるからこういうシーンを、こういう動画が出来る人が居るからこういうシーンをという風にあるいは映画を作って行ったのではないでしょうか?
シーンありきりで作劇はその整合性さえ取れていれば良い、みたいな。
そうして自然と出来上がったのが一足早いジブリ博物館映画だった、みたいな。
米林監督はジブリの原画出身ですから他のスタッフに対して敬意があってその敬意を創作の現場にまで持ち込んでしまったのではないかと。
だからこそ元ジブリの主力が集まらなければ随分と違う映画になったのではないかなと。
この推測はかなり当たっているんじゃないかなって個人的に思いつつそんな事はないよと誰かに言って欲しい今日このごろです。

やはり監督とは暴君でなければいけないですね、創作者というのは。
人間を人間として扱ってはならないのですね、監督は。
人間としての尊敬を創作の現場に持ち込んではいけない訳なのですね、映画って。
他人の人生を平気で喰い潰す事に抵抗なんてあってはならないのですねえ、特にアニメの世界では。
ピラミッドを作ろうと決意する人間が創作者なのだなって。

アリエッティを作り終えた後にジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんがこれは完成されている、磨呂さあ処女作っていうのは破綻していなければいけないんだよと漏らしたそうですが、あるいはこのメアリと魔女の花こそはその破綻した処女作なのではないでしょうか。(ポノックの処女作だし)
そう考えると今後の米林監督がどういう作品を創り上げるのか大変な興味が湧いてきますし、是非とも二作目をと思う訳です。

という訳で取り敢えず気持ちは落ち着いたので書いて良かったと思う次第です。
お疲れ様でした。


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第14回博麗神社例大祭はルージュ合同です。

イメージ 1













概要

第14回博麗神社例大祭
2017年5月7日開催
東京ビッグサイト
東123地区
I−46b
サークル 雅趣雅俗 にて頒布します。


「初めてルージュをひいた合同誌」
A5
200P
一冊 1000円です。

表紙は 若宮キネ さん
裏表紙は mago さん に担当して頂きました。


参加者

 春日傘
 仮面さん
 羽切
 山ひこ
 柘榴
 めるめるめるめ
 いたみ
 あおい
 町田一軒家
 mago
 狭霧 ぶろん
 若宮キネ
 ぽんきち
 豆腐屋
 くしなな
 なまちょこ㌠
 しゅがーどうる
 ノヴェー
 久我暁
 たすろ主任
 ホプレス
 藍もどき
 


22名の参加者でお届けする彼女達の初めての口紅に纏わる優しくも時に哀しい物語を集めてみました。
是非お手に取って頂ければ幸いです。
それでは会場でお待ちしておりますので当日はどうぞよろしくお願いします。
m(_ _)m





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イメージ 3


















































イメージ 4

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東方安酒合同誌



名華祭は東方安酒合同誌









イメージ 1
























































2017年4月2日 開催
東方名華祭11

G−21
雅趣雅俗
「東方安酒合同誌」
A5
94P
一冊500円で頒布致します。
素晴らしい表紙は屋敷さんに描いて頂きました。


八本の小説と一本の漫画でお送りする安酒をテーマにした合同誌です。
淡麗辛口だから毎日読める合同誌ですのでどうぞよろしくお願いします。
安酒合同誌だけど全年齢向けだよ!!





    原材料








































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