雅趣雅俗 − 不可解な徒然 −

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お疲れ様です。




第14回博麗神社例大祭はルージュ合同です。

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概要

第14回博麗神社例大祭
2017年5月7日開催
東京ビッグサイト
東123地区
I−46b
サークル 雅趣雅俗 にて頒布します。


「初めてルージュをひいた合同誌」
A5
200P
一冊 1000円です。

表紙は 若宮キネ さん
裏表紙は mago さん に担当して頂きました。


参加者

 春日傘
 仮面さん
 羽切
 山ひこ
 柘榴
 めるめるめるめ
 いたみ
 あおい
 町田一軒家
 mago
 狭霧 ぶろん
 若宮キネ
 ぽんきち
 豆腐屋
 くしなな
 なまちょこ㌠
 しゅがーどうる
 ノヴェー
 久我暁
 たすろ主任
 ホプレス
 藍もどき
 


22名の参加者でお届けする彼女達の初めての口紅に纏わる優しくも時に哀しい物語を集めてみました。
是非お手に取って頂ければ幸いです。
それでは会場でお待ちしておりますので当日はどうぞよろしくお願いします。
m(_ _)m





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東方安酒合同誌



名華祭は東方安酒合同誌









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2017年4月2日 開催
東方名華祭11

G−21
雅趣雅俗
「東方安酒合同誌」
A5
94P
一冊500円で頒布致します。
素晴らしい表紙は屋敷さんに描いて頂きました。


八本の小説と一本の漫画でお送りする安酒をテーマにした合同誌です。
淡麗辛口だから毎日読める合同誌ですのでどうぞよろしくお願いします。
安酒合同誌だけど全年齢向けだよ!!





    原材料








































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シンゴジラ公開以降、様々な意見主張評論等が錯綜した2016年後半でしたが私は今日という日まで一抹の気持ち悪さを抱えていました。
気持ち悪さ、あるいは喉に刺さった棘、つまり、何故私はシンゴジラを観てあれほどの一種圧倒されるほどの感慨を持ってしまったのか。
その心の答えを探して各種評論を読み漁っていました。
そうして遂に完全に満足できるものに出会う事はなかったのです。
それはある事に言及していない事による不満によって満足を覚えなかったという事です。
問題はそのある事とは何か自分でもよく分かっていない事でした。
しかしながらそのある事は厳然として私の胸の中に横たわり圧迫を続けていたのです。
そのある事とは何かという問に答える為にこの数ヶ月はありました。
本媒体やweb媒体の各種評論を可能な限り読み漁る事である事を探し続ける日々。
そして読み続ける事によって、つまり各種評論やその他創作品の鑑賞から浮かび上がる不満を総合した結果ようやくそのある事が見えてきました。
2016年中に思い至れたのは幸運であったと思います。

そのある事とは結論から申し上げるのならば日本人、いや、あくまで私個人(以降日本人)は要するにアメリカともう一度無計画に何の意味もなくある状況に流されるままに宣戦を布告して今一度徹底的に核を含むあらゆる蹂躙を受けた後に再占領されたいという事を希望しているという事です。
そうした後にもう一度戦後を誕生させて憲法を2010年代以降の現実に最適化した物に書き換える機会を与えて欲しい。

以上が私的ではありますが本質的な希望欲望なのだと思い至りました。
故にシンゴジラはその希望欲望つまり普段は決して意識すらしない、してはならない部分の希望欲望を十全に満たしてしまった作品を鑑賞した強烈な満足感によって何か圧倒的な呆然とするような感慨を覚えた、端的に表現するならばそういう事なのだと思い至った次第なのです。

考えて見るならば私達が立脚しているこの日本は一から十まで米国製である事に疑いの余地を持つ人は恐らくいないと思います。
米国更にその発端となった英国らによる外圧によって二百数十年継続された政体は解体されて新たな政府が誕生しました。
それから数十年後に今一度の解体を経験して今日の日本があります。
この百数十年の間に日本人はいわゆる日本的な物と肯定するべき文化(武士道なる道徳)やテクノロジーをそれこそ一から十まで米国によって発見されて評価されてきたのです。
日本人の持つ美徳やテクノロジーなるものは自ら発見した物ではなく何もかも他者の発見に依拠してそれを再発見したに過ぎません。その再発見を積み重ねて今日があります。
思うに昨今の日本文化を日本人が自ら礼賛する風潮は実は外部によって再発見された物をもう一度確認する行為であるならば、何故そのような事が行われるのかと言えば要するに外部から数十年前程は日本とその諸々の良さを発見して貰えていないという欲求不満から出ているのだと思います。
欲求不満とは日本は凄い国であるという無意味な自負と賞賛の減少によるもので、何故それが不満であるかと言えばそのように持ち上げて貰わなければ実は日本とは要するに世界の東の片隅にある貧しくせせこましい島国に住む惨めな人間の集合である事を自覚しなければならないからです。

さて発見には関わりが必要で関わりとは密接が必要であるものだとするならば60年前の占領期こそはまさに密接な関わりに他ならなかった、とするならばサンフランシスコ講和以降は次第に関わりが徐々に薄れていく過程でありました。
密接が薄れる事によって日本はいよいよ米国から精神的にも独立しなければならなくなった。
独立とは米国から発見して貰えた日本人の言うならば米国製アイデンティティを捨てて一から日本人を定義して自ら良さなるものを発見(無いかもしれないという予感あるいは事実を薄々認識している)しなければならない困難を抱えた事の理不尽に由来する不満や不安と向き合う事に他ならない訳です。
外交といえば日米安保であり外国といえばアメリカであるという状況の脱却つまり戦後レジームからの脱却なる政治的なワードをわざわざ建前上は独立国家の首相が名言しなければならない、そしてそれは遅々として進んでいない、そういう状況を苦々しくつまり不満に思って見ている私(=あるいは≠日本人)を直撃したのがシンゴジラだったという訳なのです。

安直に言うのならば未成熟な子供が大人にならなければならない、つまり困難に立ち向かわなければならない、そしてそれを乗り越えなければならないという事を提示されて回答が示された満足感がシンゴジラにあったのだと思います。そして乗り越える過程をアメリカが手取り足取り助けてくれて(乗り越える為に必要な決断を下す為のタイムリミットを切ってくれたのもアメリカ)日本を成熟へと導いてくれた、それがこの映画の満足感の正体ではなかったのでしょうか。
つまり未熟な子供のまま数十年間育ててくれた米国という父母にもう一度手取り足取り助けて貰いあわよくば成熟(米国が完全に望む、米国が永遠の愛情を注げる国であるところの全世界から認められた存在=国連常任理事国入り)までさせて貰いたいという願望の具現化。

遂にこの数十年間、戦後という時間の中で自らの意志で改憲出来なかった民族の挫折感そこから派生する幾つもの矛盾それが齎す圧倒的な閉塞感。
矛盾とはつまり自衛隊と象徴天皇制の事です。
更には沖縄と各地に点在する米軍基地と思いやり予算の事です。何なら北方領土の事です。中国共産党との対立と台湾問題の事です。
これらの問題を遂に我々日本人は今日という日に至っても解決出来ませんでした。
いや、解決する方法は誰もが十分過ぎる程分かっているのです。
つまりもう一度全世界に宣戦布告して戦争をして勝つあるいは負けるしかないのです。
いやむしろ負けるしかなく負けてもう一度再構成して最適化して貰うしかない、今度はその過程で国家の成熟まで折り込んだ形で。
しかしそれは出来ない相談で何故出来ないのかといえば行えば必ず破滅的な事態に至る事が自明であってつまり今生きている日本人の大半が死滅する選択で更には今度こそは遂に成し遂げられなかった本土決戦が不可避であるからです。
けれどもシンゴジラは甘美な再生と成熟の可能性をフィクションとして日本人に向けて提示してくれました。
故に国内で大ヒットしたのだと私は考えます。(海外の不評は当然です)

振り返るならば日本が成熟へと至る道は実はひとつしかありませんでした。
それは本土決戦を遂行する事で日本人が最後の一人まで戦い続ける事でした。
それを回避した事であるいは日本国は永遠に成熟する事を不能としてしまったのです。
本土決戦をあくまで遂行して最後の一人まで戦い続ける過程で初めて国家としての成熟へと至った筈です。
この筈という部分あったかもしれない未来故に戦後のフィクションや創作品における本土決戦下の日本人なる物はある種の美化をされてきました。

シンゴジラにおける日本の官僚機構の美化も本土決戦下による美化の焼き直しでありますが、それを現代的な技術を総動員した映像で明示したので圧倒的であったのでした。
シンゴジラに登場する巨大不明生物は如何なる国家の意志とも無関係な言うならば国際的に無害な存在であり脅威でつまり巨大不明生物に対して武力を行使しても国際的に問題になる事はなく発砲させてくれる存在で更に自衛隊の生みの親である米国と共同しての作戦を通じて日本を成熟へと導く都合の良い存在です。
あまつさえ巨大不明生物は海に帰る事もなく東京駅に永久に起立して密接する永遠に関与が薄れない寄り添い続ける他者となったのでした。
故に日本人にとって決定的なまさにクリティカルな作品となった。
その内なるいわば脳の裏側にある普段は表に出ない願望を全て満たした作品。
これが私的なシン・ゴジラ評です。


この世界の片隅にという作品を鑑賞しなければ私はこのようなシンゴジラ評に至れませんでした。
本土決戦を遂行するとはどういう事か。
それは四肢が千切れ飛んでも暴力に屈しない事を貫く事で、
言うならば物質はともかく精神の敗北を拒否する、その為に全存在を捧げる。
その過程に生じる人間の精神の崇高さを獲得する過程。
それらが民族に波及してまさに最後の一人まで戦い続ける決意を保有する。
これが本土決戦でつまり戦後の日本人が夢想する本土決戦そのものなのだと思い至った次第です。


(了)

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紅楼夢12

いひ

紅楼夢はマナー合同です。
あと個人誌も。












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概要
第12回東方紅楼夢
日時 2016年10月9日(日) 10:30〜15:00
会場 インテックス大阪 


合同誌新刊
死体を食べる時のマナー合同
スペース I-05a
サイズ A5
ページ数 160P
頒布価格 800円

表紙 富居とみゐ 様
主催 春日傘



【通販のお知らせ】

紅楼夢には都合が悪く参加出来ないという方の為に通販のご案内です。
都合により100円の割高となってしまいますがご了承頂けると幸いです。
通販の場合、一冊につき本体価格900円+送料350円、合計1250円を銀行振込み頂く事になります。
発送は紅楼夢翌日の10月10日となります。

【マナー合同通販希望】
↑必ず上記をコピーしてメールの件名として以下のメールアドレスに送信願います。
asagayatown@gmail.com
その際に送付先の住所氏名及び希望冊数を記入して下さいませ。
なお、頂きました個人情報は通販完了と同時に破棄致します。
過去にご利用頂いた方も必ず住所氏名の記入を願います。
よろしくお願いします。


追記
なお、個人誌と合わせて申し込み頂きますと送料は一冊分として換算致します。

参加者


すみれいゆん
日対 希理華
ノヴェー
オセンベイ
プラシーボ吹嘘
めたぐろ
山ひこ
町田一軒家
フィナーレ井上
もなつ
菩薩峠榮
るゐ
下道
電柱.
藍田真琴
富居とみゐ
設楽秋
春日傘



内容

幻想郷の妖怪や神様は主に人型を模しておりますが、彼女たちの主食あるいは祭祀行為である人間の死体を食べるという行為に対して独自のマナーや礼法や作法を考案して漫画や一枚絵や小説で表現していく事を目的としております。
幻想郷の妖怪や神様は多種多様で種族も異なれば当然お里も違いますから作法やマナーや礼も違ってくると思います。あるいは個人で食するのか集団で食するのかでも違ってくると思います。
そういった差異を描く事によって幻想郷の妖怪や神様の理解の一助になれば幸いです。




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更に、







今度こそ、

個人誌新刊

不可能な境界Rewrite Ⅰ+Ⅱ総集編

表紙 甘樫アカネコ
本文 春日傘

ページ数 180P(予定)
サイズ A5
頒布価格 1000円

【通販のお知らせ】

紅楼夢には都合が悪く参加出来ないという方の為に通販のご案内です。
都合により100円の割高となってしまいますがご了承頂けると幸いです。
通販の場合、一冊につき本体価格1100円+送料350円、合計1450円を銀行振込み頂く事になります。
発送は紅楼夢翌日の10月10日となります。

【不可能な境界通販希望】
↑必ず上記をコピーしてメールの件名として以下のメールアドレスに送信願います。
asagayatown@gmail.com
その際に送付先の住所氏名及び希望冊数を記入して下さいませ。
なお、頂きました個人情報は通販完了と同時に破棄致します。
過去にご利用頂いた方も必ず住所氏名の記入を願います。
よろしくお願いします。

追記
なお、合同誌と合わせて申し込み頂きますと送料は一冊分として換算致します。




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【注意】




シン・ゴジラに関する内容に触れています。

未見の方は必ず読むのを中止して絶賛公開中の映画「シン・ゴジラ」を観て頂きたく思います。

 



















































 それでは、失礼して、

 

あーーーーーーーーーーーーーーーシン・ゴジラ面白かったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

もう何処を切り取っても全部よかった訳ですがそれでは余りにもあれなので順を追っていきたいと思うわけです。とっ散らかった感想文その他となりますがよろしくお願いします


まず映画が始まって直ちに物語が開始されます。ナレーションやOPのような物は無し。いきなり東京湾が写って例の白いテロップが出てくる訳です。そう、あのテロップ!もうあのテロップが出ただけでおっしゃー感が凄かったです。マジ庵野だわー感半端ないでした。で、前田あっちゃんがチョイ役で写ったりする民衆がなんかパニックの前兆に巻き込まれるエピを挟みながらドンドン物語は進行していく訳ですが、この辺りダラダラやろうと思えば幾らでも出来る箇所ですが展開が早い。あっという間に巨大不明生物が2016年の円谷英二が存在しなかった世界線の日本に姿を現しました。呑川を遡上する際に小型のクルーザーや漁船がどんどん押し流されていくシーンをバーっと映った際に私はこの何かキモいCG丸出しの生き物とゴジラが戦うのかなと思った訳です。なんだ、シン・ゴジラって結局VS物かよ、と。その時は思っていました。ところが、まさか進化を遂げるとは。主人公の矢口が進化をする巨大不明生物を観て「凄い」という台詞を口にするのですけれど、この「凄い」の言い方がとても良くて、矢口の「凄い」という台詞は観客に対して此処は安心して素直に凄いと思っていいのですよという語りかけでありまして私も思わず凄いと口に出しそうになったのです。


思い返せばエヴァンゲリオンでも同様の演出がありました。初号機がサキエルを圧倒する前段階で損傷した左腕を復元する際に思わず「凄い」とミサトさんが呟きます。これも自分が好きなシーンで印象に残っている、という事はやはり監督が得意としている演出なのでしょう。要するに作品世界への没入感を高める為の誘導でありますがワザとらしくなくそれでいて狙い過ぎでもない。しかしながらわざわざ役者さんに当該する光景を「凄い」と言わせる演出は如何にも上手いと思うわけです。シン・ゴジラでも同様の手法が採用されたという訳ですね。


ところで初回を観に行った際は(この感想を書いている時点で既に三回目を観ています)例の最終稿のチェックに加えて連日の早番勤務による疲労が重なっていて情緒不安定でありました。自分で書いた作品世界にどっぷり漬かった後にこういう映画を観る訳ですので如何にも頭の中は少しの事で動揺して感情の起伏は激しく結果としてポリティカルサスペンスを観るのに最適な体調であったと思います。


最初のアクアトンネルの浸水によって官邸地下にある危機管理センターが稼働するシーンが描かれただけで私は何故か軽く涙目になっていました。発生した危機に対してこれだけ大勢の人々が真剣に対応しているのだという光景に早くも涙目になっていたのです。こういう演出はハリウッド映画が得意とするところで目新しい点はありませんが、シーンを挟む事で本映画は如何にもシリアスで物事や危機に対して仕事として真剣に取り組む人々を描くのだと明確にする訳ですね。実際危機管理センターで働く職員達の真剣な表情はそれを雄弁に物語る訳です。この時点で私はもう相当拙い精神状態にありました。つまり作品世界を疑うことなく頭の天辺からつま先までドップリだったという訳です。つまり本映画は甘い部分の無い私好みのテンションがあると嗅ぎとっていた訳でつまりはもはや作品世界のなすがままでしかもそれを是正しようとも思っていませんでした。願わくばこのシリアスなテンションのままラストまで誘って欲しいとまで考えていた次第だったのです。私は如何にも主人公達の危機に共感して危機の対象に畏怖するのに最適な状態であったという事です。


本映画のような政治劇つまりポリティカルサスペンスの肝は如何に主人公達の置かれた状況や危機に対して観客に強く共感させるのかという点にあると思います。映画の早い段階で観客を危機に取り込む事、これが演出の重大な要件となる訳ですね。何故なら

ば危機感を共有出来なければポリティカルサスペンスの特徴である所のこれから延々と続く会議のシーンに観客が耐えられないからです。冷静に振り返るならばシン・ゴジラはある種のメタ的な視点が観客の殆ど全員にある以上は、つまりゴジラという怪獣が結局は東京に上陸して破壊の限りを尽くすのだという事を観客が既知の上で、謂わば折り込み済みの危機を如何に際だたせて共感を得させるという難しい演出が求められる訳で、開始から十分までに積み上げた素早い展開がそれに見事に答えていると思いました。


何か正体の分からないが危機が発生した時点で総理レクが開始されます。この映画の主となる会議シーンがいよいよ始まる訳です。

おお、あれは松原副部長に石井副部長じゃないですか!と謎のテンションが急上昇。朝日中央銀行の銀行マンが内閣特命大臣や国土交通大臣になったという訳ですね。映画「金融腐蝕列島 呪縛」をVHSが擦り切れるほど観た私にとって俳優の矢島健一さんは永遠に石井副部長ですし中村育二さんは松原副部長な訳です。それはともかく。

発生した危機に対して海底火山の噴火か何かだと結論付ける室内の雰囲気に抗って矢口が未知の生物の可能性を示唆します。ネットで尻尾らしき物が映っている映像をみたからなのですがしかし総理レクは既定路線で結論有りきでしたから矢口の提案は半ば無視されてしまいますが彼は未知の生物説を捨て切れません。


映画の観客はメタ的にそれが明らかに生物でしかも多分ゴジラだと確信している訳です。それでも作中の役者たちはそんな事は思い至りもせず作中の中においての現実的な線で結論をつけます。そこから更に会議のシーンに移って今度は議事録に残る公共性の高い会議が始まります。そのシーンにおいて如何にもありそうだという演出、つまり矢口がそういう席上であってもなお執拗に未知の生物説を推す事でこのシーンにおいて俺こそがまさに主人公だと矢口が宣言すると同時に観客の思いを代弁した訳ですね。同時に五里霧中な序盤だけど取り敢えず矢口に付いて行けば大丈夫だ、とも示したのですね。


そして矢口説が正しいという事が作中の現象において証明されていよいよ本題へと突入します。巨大不明生物はあっという間に呑川を遡上して蒲田に上陸した後に品川に達して例の進化を遂げて矢口の「凄い」という台詞に繋がりました。


その間の政府の対応などは非常に丁寧に描写されている印象です。思うに全シーンの中で此処ら辺が一番ディティールに富んで情報量が多かったと思います。日常と危機の境目を描く重要な箇所でした。此処が甘いと残りのシーンが全て甘くなってしまうので勝負どころだったのですね。危機に対して平常は意識もしないであろう手続き上の問題が俎上に上がったり有識者会議が機能しなかったり尾頭さんが超可愛かったり直ちに避難命令を出せない政府を東京都知事が批判したり、けれど結局は避難といっても人口過密な東京での出来事ですから具体的な避難命令は出せずに住民の自主避難に任せる他はなかったりします。


巨大不明生物はどのような特徴を持つか不明ですし今後被害地域が拡大するにしてもそれが具体的に何処なのか特定する事は叶わない以上は(巨大不明生物との意思の疎通は無理だと事前に結論付けられている)迂闊な指示は出せないですものね。この都庁でのやり取りによる結論、つまり自主避難に任せるしかないと副都知事が言ってしまうところで更に私はヤラれた訳です。この台詞によって行政では最早どうしようもない出来事が起こってしまっていて警察は精々交通を整理しようと試みるくらいで、既存の地震等のマニュアルでは対処不能で現場が持たなくなる様子等も描写されるのですが、自主避難に任せるしかないという余りにもリアルな対応を見せる事によってそれまでの政府上層部の謂わば雲の上の出来事の対応と違って災害の最前線に立つ立場の人間が状況のなすがままになるしかないと宣言した事、つまりパニックが具体的に描かれた訳です。あるいはその他の作品であるならば副都知事はそのような事を言ったりせずにもっと別の何か希望の持てるような事言ったり自己陶酔的な台詞や現場を信じよう的な無意味な台詞を言ったりするものですが本映画の登場人物は誰もが各々の役職に沿って公的な発言をします。つまり甘い台詞を吐いたりはしないのです。痺れました。このような台詞によって如何にも危機感が増幅された訳ですね。そして遂に中々動けない政府に業を煮やした東京都知事が害獣駆除を名目とした自衛隊の治安出動を要請する訳です。


それに先立って巨大不明生物が呑川を遡上している最中に総理が記者会見するシーンがあるのですが、会見に先立っての打ち合わせの中で確実な事実だけを公表して不確実な憶測は発表しないと確認したにも関わらず総理は不明生物が上陸する事は有り得ない、仮に打ち上げられても自重で潰れるから安心して欲しいなどと憶測を口にしてしまって見事に状況に裏切られます。その際にお付きの人に何故原稿以上の事を発言したのかと責められる訳ですが、はっきり言わんと国民は安心しない、心が伝わらんだろうと総理は言います。これが如何にも重要な台詞で本映画の方針を宣言したのだと思いました。つまり心を伝えようとした、公的な場に私的な感情を持ち込んだ結果状況を悪化させた。これを反省して以降は全ての登場人物は公的な状況を最優先させて私的な感情を抑制する、と。

 

本映画の批判において「人間ドラマが無かった」というのが如何にも多い印象です。それもその筈、本映画はこのシーンにおいて心を伝える演技をつまり感情を通わせるドラマ的な演出を半ば放棄すると宣言しているのですから無いという批判は当然といえば当然な訳です。つまり無いものを無いとそのまま指摘して批判した訳ですね。これが連続テレビドラマであればこの辺りは当然違う演出になった筈です。時間的な余裕から人間ドラマなるものを差し込む余地もあったでしょう。しかしながら本映画は映画なので約120分というリミットが予め設けられています。その中で作品を成立させなければなりません。如何にも濃密な脚本において果たして人間ドラマなるものを差し込む余地があったのでしょうか。もしもあったのならば何処を削ってどのような人間ドラマを差し込むと効果的であったのか。そこは是非とも批判している方に伺いたいところであります。残念ながら私は本映画においてこれ以上削る箇所を見つける事が出来ませんでした。


本作品は日本(現実)対ゴジラ(虚構)というキャッチコピーが付けられています。

言うならば国家対ゴジラという事であると思います。

国というのは如何にも抽象的で国家というものがどういう物であるのか具体的に想像できる人がどれくらい居るでしょうか。ちなみに私としては漠然としていて全然掴みどころのないものであります。けれども、本作における国家とは国を保全する事に対して責任を負った集団、つまり具体的に言えば国家公務員がそれに該当して平たく言うならば公務員(一部民間人)対ゴジラという構図となっていました。


ゴジラと具体的に主にフィジカル的に対応したのは自衛隊、ソフト面で対応したのは官僚と政治家達でした。本作においてゴジラ討伐案を立案するのは巨災対という組織です。組織の主なメンバーは各々役所に勤める公務員です。つまり巨災対の彼や彼女達は日常の仕事の延長線上において働いているに過ぎないと言いう事も出来るでしょう。

其処に脚本の妙があるのだと私は感嘆しました。


仕事である以上つまりは公務です。それであるならばあくまで公私の区別をつけなければなりません。それであるならばよくあるところの「矢口は自分の家族を省みたりするシーンが僅かにも無い、不自然だ。これが要するにオタク的描写なんだ、社会性を欠いている幼稚な映画」という批判は如何にも私には的外れに見える訳です。


彼は仕事をしています。矢口は政治家それも衆院議員で30代という若さにありながら内閣官房副長官・政務担当という要職に就いている人間です。如何に父親のコネがあったとしても本人が優秀でなければそのポストにその若さで就く事はあり得ません。言うならば相当な無茶を重ねてなりふり構わずそのポストまで昇ってきた人間です。


今回彼は巨災対というこの未曾有の事態に立ち向かう最前線の職場に事務局長として就任してスタッフを招集して現場を立ち上げます。大変な激務であります。政治的にはもしも失敗すれば責任は全て彼が被らなくてはならない損な役回りです。しかし一度事を成功に導けば今後のキャリアに計り知れない恩恵が齎されるポストでもあります。まさにゴジラとは災いであり福音であるのです。


彼らは日常の仕事の延長、国家を保全して振興するという仕事の延長においてゴジラと対決する術を模索します。時間は限られてしかも此処は最前線。此処が抜かれれば全てが終わるという重要な部署です。彼らは勿論家族が居たりその他の社会性を背負ってはいますがしかしながらそれらを匂わせるシーンは僅かに厚生課長が休憩の時間に家族にメールを送るシーンがあるのみです。そのシーンですら休憩という私的な時間に初めて家族の事に対応する訳で仕事中は公的な時間ですから私的な事を決して持ち込みません。これはそういう演出なのだと思いました。


矢口に妻や恋人が居るかどうか分かりませんが、少なくともご両親その他家族はいらっしゃる筈ですが矢口はそれらを省みたりしません。何故ならば彼は国家の最前線の部署の責任者で何よりも優先的に考える事はゴジラの対策であるからです。殆ど不眠不休で戦う彼の頭に私的な事を優先する思考は些かも持ちあわせていないのです。何故ならばゴジラ討伐が成らなければ国が消えてしまうからです。国が消えてしまうのであれば其処に住む国民も(矢口の家族も)また破滅的な事態に直面しなければならないのです。そういう事態の渦中に置かれている男が果たして自分の家族の事を仕事中に省みたりするのでしょうか。また省みる描写が必要でしょうか。作中において矢口の唯一私的な時間、束の間の休憩時間は仮眠に費やされました。その休憩中にゴジラは再度侵攻を始めて東京は半ば壊滅して怒涛の後半に突入していくのです。前半の日常パートもどきですら彼の家族を省みたりするシーンが無かった以上後半においてはまさに望むべくもありません。


公私の区別はまさに徹底的に付けられていて終盤、ヤシオリ作戦の詳細を詰めた自衛隊の統合幕僚長に向って矢口は礼を言います。彼らの素晴らしい仕事に対する矢口の私的な感情の発露でしたが幕僚長は「礼はいりません。仕事ですから」と応えます。最期の最後まで私的な感情の入る余地を許さない徹底した演出があった訳です。

 

では、何故此程までに私的な感情は抑制されなければならなかったのでしょうか。

思うにこの徹底的とも言える登場人物達の私的な感情の抑制がヤシオリ作戦に際して犠牲が出る事に対しての脚本的な許容に繋がるのだと思いました。


ヤシオリ作戦決行に際して矢口は自衛隊員と民間企業協力者に対して演説をします。

これは非常に危険な任務で死ぬ危険までもあるがどうかそれでも実行して欲しいと訴えます。

この演説をする矢口がもしも自分の家族だけは安全な外国に避難するように手配するシーンがあったり妻や恋人と泣いて抱き合う等のシーン等を挟んでの演説であったとしたら相当印象が変わっている筈です。矢口は私的な感情の抑制つまり徹底した自己犠牲(しかも最前線で指揮をとる)を払っている、言うならば身体を張って国難を打開しようとしています。
そういう主人公の姿を観ているからこそヤシオリ作戦に際しての演説は押し付けがましい空虚な演説ではなくまさに身命を賭す者達に向けた激励に聞こえる訳なのですね。
そしてクライマックスへと突入していきます。
全ては終盤の盛り上がりの為に設計された脚本であった訳なのですねえ。
この説得力の為に殆ど全ての登場人物は私的な感情を抑制されてきた訳です。
それは最終盤にも現れていてゴジラを凍結させた後に訪れたのは喜びではなく安堵でした。
その安堵の光景も知らぬものがみれば敗北した後のようにも見えます。
最終盤でも喜ばない。そういうところにカタルシスを求めない。
やはり何度見返しても素晴らしい脚本です。

問題は危機に際して犠牲は許容されるのかという問題ですが難しいですね。
これが如何にも難しいのでシン・ゴジラの脚本はかくもこのような構造を獲得したともいえます。
犠牲を出す命令を発する者を観客に許容して貰う為に綿密に設計された台本。
別の言い方をすれば国の為に死ね、という過激な発言を観客に許容させる物語であったのかもしれません。
意地悪く見るならば国家とはこのようなロジックを用いて国民を殺す(犠牲を出す)事を正当化するのだと捉える事も出来るのでしょう。
そういう危険な側面もシン・ゴジラの魅力のひとつである事もまた事実だと思いました。

 

本映画は実際の公官庁等に綿密な取材を敢行して脚本を練られたそうです。まさにわずかでも実際の有り様と違うのであれば修正したそうです。専門用語の羅列を恐れない演出の勇気に驚嘆する訳です。リアルを追求する事、リアリティを付加する事を優先した結果こういう脚本になるのだと私は慄えました。その鬼気迫るかのようなリアリティを探求する姿勢こそ私が最も学ばなければならない点で更にその為にどれ程の覚悟が必要であるかも思い知らされた訳です。

 

さて、長くなりましたが締めに入りたいと思います。

勿論、一匹狼尾頭さんとか百合子っぽい防衛大臣とかタバ作戦とか内閣総辞職ビームとか対空砲とか丸の内凄い高いビル爆破下敷き作戦とか、無人在来線爆弾の事を沢山書きたい気持ちはありますし、それこそワンシーン、ワンシーンを取り上げて書きたい事やゴジラ単体とか音楽や効果などの要素もあってまさにそれらは充満しておりますが取り敢えず今回はこの辺りで終わらさせて頂きます。


やはり前半の濃密な展開に比べて後半は謂わば解決編でそして随所にスカスカな展開であったりもしますので前半ほど語るべき点が少ないという事もありますのでそれは次の機会に。

つまりはBD絶対買うしメイキングの本も(最終稿の台本付き!!!)絶対欲しいと思うまさに近年稀に見る良映画でした。

 

お疲れ様でした。

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