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「安易なカラ売りは身の破滅」とは兼松日産株の相場が訴えていました。「株価が理論的に説明のつかない水準に達したときどう動くか」。多くの賢者は「こんな相場が長続きするわけがない」とどんどんカラ売りを入れます。仕手筋も強烈なカラ売り攻勢に対しては「一応の礼を尽くして株価はいったん下押し」します。ところがここから尋常でない動きが始まりました。「行き過ぎ」との単純な思い込みからカラ売りすることは身の破滅を招きます。 |
父の思い出(エッセイ風に)
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アキの父は,34歳の時にあの兼松日産の大相場を見事に捕らえました。アキは当時13歳。可愛い少女だったといいたいところですが外野席からの大ブーイングの前に平伏します。 |
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とても恥ずかしいことなのですが,アキは小学校6年生まで父と一緒にお風呂に入っていました。ごく自然に父の背中を流したり,髪を洗ってあげたりしていたのです。 |
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大部分の皆様は既にお気づきでしょうが,アキは天蓋孤独の身です。アキは京都で生まれました。12月28日です。アキは母親の顔を知りません。父は,会社員でしたが「放蕩癖」があり,そのうえ大の博打好き,一時期は当たりに当たりまくり,1日で何十万と稼ぎ出し,稼いだお金を仲間と共に一夜で使うような「破天荒な生活」をしていました。京都という土地柄ゆえ私がどんな経緯でこの世に生を受けたかある程度察しはつきますが,私が思春期になっても私からは一切何も言い出しませんでした。本来なら顔すら見たことの無い私の「母親」が私の親権者となり私を引き取るのでしょうが,私は幼いころから父と2人暮らしでした。父は22歳の時妻と離婚したと聞いています。父と私は20歳しか違いません。下手をすると兄妹みたいに見えないこともありませんでした。小学校の授業参観,運動会はいつも父が来ました。アキに寂しい思いをさせたくないとの一念からだと思いましたが,その父もアキが高校3年の冬に交通事故で亡くなりました。そのときからずっと私は1人なのですが,厳しい父の教えは今もこころの中に残っています。ここのブログで「株」には関係ないことですが,つれづれなるままに父「想像がつくと思いますが(寛一・かんいち)という名前です。暁子はニックネームで本名は別です(念のため)のことを中心に書いてみたいと思います。 |





