アキの株日記

10年で時代は変わります。相場も人心も

父の思い出(エッセイ風に)

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「安易なカラ売りは身の破滅」とは兼松日産株の相場が訴えていました。「株価が理論的に説明のつかない水準に達したときどう動くか」。多くの賢者は「こんな相場が長続きするわけがない」とどんどんカラ売りを入れます。仕手筋も強烈なカラ売り攻勢に対しては「一応の礼を尽くして株価はいったん下押し」します。ところがここから尋常でない動きが始まりました。「行き過ぎ」との単純な思い込みからカラ売りすることは身の破滅を招きます。
スタート時から10倍化を果たし96年1月10日に3960円高値をつけたのですが,実態から見て割高と判断した売り方が「仕手筋の資金ショート説」をダイヤルQ2(アキはよくしりません)で宣伝しまくり2月16日(寒い雨の日だったのを記憶しています。父は「涙雨」と言っていました)に2200円のストップ安売り気配にまで落とし込まれたのです。
 ここで買い方は激しく動揺しました。当時は同時進行で「5454 大同鋼板」という株が兼松日産の小型のような動きをしており,兼松日産の暴落は「仕手筋総倒れ」の印象を呈していました。ところが翌週のこと週足で「はらみ線」を出し,ここから7月4日の5310円まで暴上げとなるです。(正確には5月末頃に1000円幅の暴落あり)。しかしこの株にも転換点が訪れました。しきりに株式専門紙などで「株価1万円説」が出ていたころのことでした。仕手株の末路と奇跡の逆転が時期を近くして起こったのです。(続く)

アキの父は,34歳の時にあの兼松日産の大相場を見事に捕らえました。アキは当時13歳。可愛い少女だったといいたいところですが外野席からの大ブーイングの前に平伏します。
 きっかけは阪神大震災です。忘れもしない95年1月17日アキは中1でした。その頃兼松日産の住宅地用地盤改良剤「ジオテック」の成長性で震災の復興需要にからんで大きく需要が伸びる(株式市場は連想ゲームなのです)ことを手掛かりにした報道が出ていました。
 当時の証券市場は悲観ムードが席巻し,兼松日産が大きく上げても「何やこんな株しょせんたいしたことあらへん」とのコンセンサスでカラ売りが堆積したのです。
 カラ売り残高は95年10月13日に最大の1600万株に達しました。
 兼松日産のスタート時点の株価は95年3月24日の「392円」です。その年の7月以降のカラ売りが増加した関係で売り方の絶対期日の96年1月を睨み株価は上下に大きくぶれました。
 今思えば売り方の期日到来に呼吸を合わせたかのように株価は乱高下しました。

とても恥ずかしいことなのですが,アキは小学校6年生まで父と一緒にお風呂に入っていました。ごく自然に父の背中を流したり,髪を洗ってあげたりしていたのです。
 12歳になれば,さすがに私も胸の膨らみが目立つようになり「これでいいのかなあ」と思いながらも「明日からは私1人で入るよ」とはなかなか言い出せませんでした。父が寂しがると思ったからです。
 アキは料理が得意です。いつも2人で一緒に食べてました。父が仕事で遅い時も私が1人で料理を作りずっと帰りを待っていました。午後10時を過ぎると「お腹がすいたという感覚」が反対に消えてしまい,あまり食べられなかったとの記憶があります。
 意外なことに,私は中学時代は「野球部」でした。「試合には出れないのになぜ?」と皆様はお思いでしょう。アキは6歳のころから父とキャッチボールができたので割りといい線いってました。部活動で帰宅が遅くなったことはありません。私は練習試合でしか出れなかったのでふだんの日は早めに帰り「夕食の支度」「洗濯ものの整理」「掃除」「勉強」で反抗期に突入するヒマが逆にありませんでした。
 母親がいなかったので,アキは幼いころからさまざまな「苛め」にあったのですが,「家に帰るまでは涙を見せない」と心に誓っていたので,ほとんど無抵抗でした。父は96年に「兼松日産」の大相場を勝ち取ることができたのですがこのころからアキも株を見るようになったのです。このことは詳しく書いてみます。アキでした。

大部分の皆様は既にお気づきでしょうが,アキは天蓋孤独の身です。アキは京都で生まれました。12月28日です。アキは母親の顔を知りません。父は,会社員でしたが「放蕩癖」があり,そのうえ大の博打好き,一時期は当たりに当たりまくり,1日で何十万と稼ぎ出し,稼いだお金を仲間と共に一夜で使うような「破天荒な生活」をしていました。京都という土地柄ゆえ私がどんな経緯でこの世に生を受けたかある程度察しはつきますが,私が思春期になっても私からは一切何も言い出しませんでした。本来なら顔すら見たことの無い私の「母親」が私の親権者となり私を引き取るのでしょうが,私は幼いころから父と2人暮らしでした。父は22歳の時妻と離婚したと聞いています。父と私は20歳しか違いません。下手をすると兄妹みたいに見えないこともありませんでした。小学校の授業参観,運動会はいつも父が来ました。アキに寂しい思いをさせたくないとの一念からだと思いましたが,その父もアキが高校3年の冬に交通事故で亡くなりました。そのときからずっと私は1人なのですが,厳しい父の教えは今もこころの中に残っています。ここのブログで「株」には関係ないことですが,つれづれなるままに父「想像がつくと思いますが(寛一・かんいち)という名前です。暁子はニックネームで本名は別です(念のため)のことを中心に書いてみたいと思います。

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