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関東平野の空は晴れ渡り、これも天照大神の思し召しということでございましょうか。。。
天皇陛下の記者会見・全文【問1】秋篠宮ご夫妻に、皇室にとって41年ぶりの親王となる悠仁さまが誕生されました。紀子さまのご懐妊を聞かれたときの陛下のお気持ちは、どのようなものだったでしょうか。また、出産までの10月間、紀子さまをどのような思いで見守られたでしょうか。悠仁さまと初めて対面されましたときのお気持ちや参内された際のご様子、男のお孫さまとしての教育のあり方についても、あわせてお聞かせください。 【陛下】懐妊の兆候があることは聞いていましたが、安心な状況というばかりの話ではなかったので、検査の結果、順調に懐妊しているということを宮殿で侍従長から聞いたときには本当にうれしく感じました。 その後、秋篠宮妃には、つわりや大出血の可能性のある前置胎盤の症状が生じましたが、それを乗り越え、無事、悠仁を出産することができました。秋篠宮妃には喜びとともに、心配や苦労の多い日々であったと思います。 予定日より早い帝王切開での出産でしたが、初めて会ったときには立派な新生児だと感じました。出産に携わった関係者の尽力に深く感謝しています。また、大勢の人々が悠仁の誕生を祝ってくれたことも心に残ることでした。 悠仁の生まれたとき滞在していた北海道をはじめ、その後訪れた各地の道々で、多くの人々が笑顔でお祝いの言葉を述べてくれました。 最近の悠仁の様子として目に浮かぶのは、私の近くでじっとこちらを見つめている時の顔です。 教育の在り方についての質問ですが、今は秋篠宮、同妃、眞子、佳子の2人の姉に愛情深く育てられていくことが大切だと思います。15歳になった眞子は、今年1年、非常に頼もしく成長したように感じています。きっと眞子、佳子が悠仁の良き姉として、両親を助けていくことと思います。 【問2】皇太子ご一家はこの夏、雅子さまのご療養を兼ねてオランダを訪問されました。陛下は海外でのご静養についてどのようにお考えでしょうか。また、その後の雅子さまのご回復の様子や、幼稚園生活を始められた愛子さまのご成長など、皇太子ご一家へ寄せられる思いも、あわせてお聞かせください。 【陛下】このたびのオランダでの静養については、医師団がそれを評価しており、皇太子夫妻も喜んでいたので、よかったと思っています。皇太子一家を丁重におもてなしいただいたベアトリックス女王陛下ならびにウィレム・アレクサンダー皇太子、同妃両殿下に対し、深く感謝しています。 最近の愛子の様子については、皇太子妃の誕生日の夕食後、愛子が皇后と秋篠宮妃と相撲の双六(すごろく)で遊びましたが、とても楽しそうで生き生きとしていたことが印象に残っています。 ただ残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪を引くことも多く、私どもと会う機会が少ないことです。いずれは会う機会も増えて、うち解けて話をするようになることを楽しみにしています。 皇太子妃の健康の速やかな回復を念じていますが、身近に接している皇太子の話から、良い方向に向かっていると聞き、喜んでいます。健康を第一に考えて生活していくことを願っています。 【問3】今年は、いじめや自殺、虐待など、子供たちをとりまく環境の厳しさがクローズアップされ、夏には故富田朝彦・元宮内庁長官が残した昭和天皇の発言に関するメモが明らかになり、靖国神社をめぐって様々な議論が起きた年でした。子供たちを取り巻く環境についてと、戦没者追悼について、どのようにお考えかお聞かせください。 【陛下】今年は子供のいじめや自殺、虐待など悲しい事件に多く接した年でした。子供を失った親の気持ち、いじめにあった子供の気持ちを察すると、誠に心が痛みます。このようなことをできうるかぎり防ぐために、親、子、先生が互いに信頼し合う関係を築いていくことが大切であり、子供たちが自分の立場とともに他人の立場にも立って、物事を考える習慣を身につけて育つように、親や先生が助けていくことが重要と思います。 近年、生徒が高齢者や障害者との交流やボランティア活動に取り組み、様々な立場の人々に対する理解を深める機会を作っている学校が多くなっていることは心強いことです。私はこういう面に今日の教育の明るい兆しを感じています。 戦没者の追悼は極めて大切なことと考えています。先の大戦では310万人の日本人が亡くなりましたが、毎年8月15日にはこれらの戦陣に散り、戦渦に倒れた人々のことに思いを致し、全国戦没者追悼式に臨んでいます。戦闘に携わった人々も、戦闘に携わらなかった人々も、国や国民のことを思い、力を尽くして戦い、あるいは働き、亡くなった人々であり、今日の日本がその人々の犠牲の上に築かれていることを決して忘れてはならないと思います。 私どもは今までに軍人と民間人合わせて18万6000人以上の人々が亡くなった沖縄県や、2万2000人近くの軍人が亡くなった硫黄島、そして、昨年の戦後60年にあたっては軍人と民間人あわせて約5万5000人の人々が亡くなったサイパン島を追悼の気持ちを込めて訪れました。救援の手が及ばない孤立した状態で食糧や水も欠乏し、死者や負傷者の続出する中で、特に硫黄島では地熱に悩まされつつ、敵の攻撃に耐えて戦ってきた人々の気持ちはいかばかりであったか、言葉に言い表せないものを感じています。 また、原子爆弾を受けた広島市と長崎市は熱風と放射能により、広島市ではその年のうちに約14万人、長崎市では約7万人が亡くなりました。生き残った人々も後遺症に悩み、また、受けた放射能により、いつ病に襲われるか分からない不安を抱いて過ごさねばなりませんでした。 戦後に生まれた人々が年々多くなってくる今日、戦没者を追悼することは自分たちの生まれる前の世代の人々がいかなる世界、社会に生きてきたかを理解することになり、世界や日本の過去の歴史を顧みる一つの機会となることと思います。過去のような戦争の惨禍が二度と起こらないよう、戦争や戦没者のことが、戦争を直接知らない世代の人々に正しく伝えられていくことを心から願っています。 【関連質問】3問目の戦没者追悼についてのお話しに関連しまして、追悼の気持ち、あるいは追悼の形について昭和天皇とお話し合いになったことで何か印象に残っていること、あるいは昭和天皇から伝えられたことといいますか、そのようなご記憶にありましたらお聞かせいただければ幸いです。 【陛下】追悼のことについては伺ったことはありません。引用元 朝日新聞 http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612220415.html http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612220416.html http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612220417.html |

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そういえば・・・慶事でしたね・・・
2006/12/23(土) 午後 0:53 [ ぬくぬく ]
そう。言わなくても、、、『慶事』です。。。
2006/12/23(土) 午後 1:09
午前中に病院に行ったら祭日なので9:00〜10:00までです、といわれ、旗日であることに気がつきました。しかも何の日か忘れてた!!イカン、イカン。アバターの背景、納得しました。
2006/12/23(土) 午後 1:57
病院ですか・・・御大事に。今年は土曜日に当たってしまいましたからね。そういう意味では、この日ばかりはずらせませんので、金曜日や月曜日を振り替え休日としてみるなど、国民の意識低下防止を図ることも必要かもしれません。。。他の休日をあえて作るより、必要な措置ではないかって思えます。。。
2006/12/23(土) 午後 3:08
雅子様が手を振ってましたね。テレビで見たよ(・∀・)夜勤明けでした。
2006/12/26(火) 午前 2:29
いつもながら看護師さんは大変だね。お疲れさん^^。。。雅子さまもだいぶ回復されたようです。皇室の方々は元気な姿をああしてお見せになることが、まず一番大切なことだと思います。。。
2006/12/26(火) 午後 6:34