|
「創価学会と平和主義」佐藤優著(朝日新書)を読んでみた。
最近、佐藤氏の本を読むようになったが、これもなかなか面白かった。
一応、書くにあたって・・・予め書いておくが、佐藤氏同様に私も学会員ではなく、佐藤氏はプロテスタントだそうだが、私の実家は浄土真宗の檀家である。
また、私は極めて文化的な佐藤氏と違い宗教への造詣は残念ながら深くない。
僅かにガキの頃は、檀家回りしてきた住職の読経を共働きの両親に代わってアクビしながら聞いていたので、(今は既に亡くなられたと聞いているが)住職の「南無阿弥陀仏」の経の響きは今も耳に残ってはいるし、朝の通勤でクルマを運転中に見かける不幸にも惹かれてしまった猫の亡骸を見た時には、心の中でそれを唱えるくらいはする程度のものだ。
他所様の葬儀に参列した際はその家の宗教による読経に耳を傾けるが、その際のその読経について深く考えたことはないし、そもそも最近は坊さんすらいない葬儀も多く、それは本人の意思の場合もあるんだろうが実に味気無いものだと思ったりはしている。
・・・まぁ私はこの程度の人間である。。。
***
1章は・・・集団的自衛権行使容認の閣議決定における彼らの「やりやがったな!」的な話です。そりゃ「明白な危険」なんて銃口が額に突き付けられでもしなければ有り得ない表現と言えるでしょうね。国民の生命財産よりも大事なモノを「国として」どう考えて行動するか・・・を決定した筈なのだろうけど、行動できはしないことが平和主義なのだろうか?と思いました。
2章は・・・日蓮〜日興〜牧口〜戸田〜池田に至る流れも整理され、佐藤氏の幼時体験を交え巧く説明されていると感じた。(他を読んでいないので、佐藤氏の文章の読み物としての面白さだけしか評価できませんが…)まぁ私は先に触れたとおり、「道路上の猫の為に念仏を心の中で唱えた」ことしかないので日蓮についての説明の一部しか理解できていないと思いますがね。
3章は・・・また、公明党により政治の世界に進出することで彼らが自らの思惑としての平和主義と達成しようと(…したいと)考えているディテールの説明としては十分なものだと思った。(どこをどう読んでそう思うのかという説明をここでするべきだろうが、、、それについては「第3章 『池田大作』の思想と行動」を読んでいただくのが一番です…とだけ申しておきます。)
4章は・・・政教分離の世間の誤解(誤訳)と、国立戒壇を日蓮正宗との決別ですり抜け、中道左派が「現実に影響を与えうる政党としての選択肢」としてその活路を見出し与党自民党に小判鮫のようにへばりつく様が巧みに説明されています。そして以前よりも右傾化していく現状の日本の民主主義政党政治におけるガードがら空きゾーンである中道左派を巧く手中に収めていく流れが示されています。
5章は・・・池田氏がSGIを組織し、創価学会の世界宗教化を目指す件…キリスト教の布教の歴史を引用しながら彼らの「広宣流布」について説明をされています。蔓延るグローバリズムの中で、同時に世界宗教に発展させていく流れを作ってきたということなんでしょうね。また、その流れの中でそれぞれの国でナショナリズムが強まることを公明党が嫌っている根拠、且つ1章で集団的自衛権行使容認の閣議決定に影響を与えた根拠・・・とも言えている章です。
6章は・・・「今を生きる宗教」として創価学会の現状と未来を書いているようです。その上で今更政権から離れさせようとも離れない彼らを、逆に今後はどう利用するかとでも問うている様にも思えたりしました。
あとがき・・・佐藤氏がこの本を書いた理由が書かれています。
資料・・・閣議決定文書「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」平成26年7月1日国家安全保障会議決定、閣議会議決定(全文です)
***
この本は、創価学会や公明党に興味があって買ったわけではなく、長らくインテリジェンスに携わってきた佐藤氏の考え(今回の場合は「国家と国民と一宗教に関する考察」)をより知りたくて買った本のうちの1冊です。。。
この本は素直に読むと、公明党の選挙対策書であり、佐藤氏の個人的な過去の因縁に纏わるところを紹介でもしているかのような文章にも思え、これを書くことでは彼にとって利害で言えば害しかないと言え「それでも裏に何かあるんじゃないの?」という思いすら湧いてきますが、とりあえず資料として、読み物として、これはこれで面白いのでまぁいいかというところです。。。
ただ言えているのは、政教分離云々以前に、平和を希求する私としては「相手に腕力を使わせない為に腕力がある」と思っている人々及び周辺国家がある限り、それに相対するだけの最低限の軍備を備える必要がある筈だ。。。
また、お題目を唱えてたら、たまたま故障で砲弾が飛ばぬことがあり、そして相手の砲弾がたまたま飛んでこなかった人が一人いたからと言っても、、、実際に同じことをして戦死してしまった人が居ない証明が為されない限りは奇跡と言えないし、、、もし「あの世に行ったとしてもそれでもそこで平和が実現すればいい」だなんて考えでは、そもそも日蓮の考えとは違うモノになってしまうのじゃないか?という疑問となり、やはり宗教としておかしいのじゃないかと思えるんだよね。。。まぁこんなことを疑念として提示したら、宗教家たちはまた都合のいい言い訳を考えて自らは生き延びる道を図るんだろうけども、、、
憲法改正の際には、より現実を見た結論を導き、より良い現世の未来を築いてもらいたい・・・という思いだ。。。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
学問の基本姿勢を疑われる米国の日本歴史学者たち慰安婦問題の「事実」に目を向けよと新進の米国人学者が猛批判 |
全1ページ
[1]





