聖イエス会尾道教会のブログ

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赦すことで乗り越える

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マタイ18:21-22 新約p 35(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、
兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
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憎しみを持って生きることは、

生きることの力になる場合があります。

けれども、復讐を果たしたとしても、

そこに一体何が残っていくのでしょうか。

おそらく、虚しさが心を覆い尽くしてしまうことでしょう。


本当の意味で乗り越えていくためには、

「赦し」が必要です。

心の傷の場合、

トラウマとして何度も思い起こしますが、

そのたびに傷ついてしまうことを思うと、

7の70倍、おなじ仕打ちを受けるということは

ありえる話です。


イエス・キリストは十字架の上で、赦しを祈られました。

私たちは、本当の赦しを経験された、

キリストに導かれ、支えられながら、

赦しを宣言するように招かれているのです。


あなたの心を縛り、傷つけている事柄は何でしょうか。

赦しによって乗り越える道を発見することができますように。



海よりも深い愛

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ミカ7:18-19 旧約p 1458(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)

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あなたのような神がほかにあろうか咎を除き、罪を赦される神が。
神は御自分の嗣業の民の残りの者にいつまでも怒りを保たれることはない
神は慈しみを喜ばれるゆえに。
主は再び我らを憐れみ
我らの咎を抑え
すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
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海は全てを飲み込んでしまいます。

川から水が入っても、何事もなかったかのようです。

大雨が降っても、量は変わりません。


神様の愛は、海のように深いものです。

私たちの全ての罪を飲み込み、

全てを包み込んでくださるのです。


私たちにできることは、

ただ創造主の愛に飛び込むことだけなのです。



叱責と許し

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ルカ7:47-50 新約p 117(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、
わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
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失敗をしたときに

相手に対して、より効果のある対応は

叱責でしょうか、許しでしょうか。


もちろんそれぞれのケースによって異なりますが、

相手が何をすべきだったか、

これからどうすべきなのかを理解している場合は、

叱責より許しの方が効果があるのではないでしょうか。


次へのチャンスが与えられたこと、

お互いの関係が壊れなかったことに感謝し、

次へのステップにつながっていくのではないでしょか。


神様は私たちに赦しを与えてくださいます。

赦しが私たちにとって最も効果あるものとするためには、

私たちの罪のためにイエス・キリストが十字架で死んでくださったとの

信仰が必要になるのです。


そのとき、神様の赦しは

私たちの内面に大きな変化を起こしていきます。


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エフェソ2:4-8 新約p 353(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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しかし、憐れみ豊かな神は、
わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
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自分の意思と神の導き、

これはコインの表と裏の関係のようなものです。


信仰を持つということは、

人に委ねられた自由意志による決断と言えます。


けれども、信仰を持つように神に導かれたとも言えるのです。


どちらかではなく、どちらも同時に存在しています。


全ての事柄も同様です。

私たちが自分の意思で行動していると同時に、

創造主の御手の中にあるとも言えるのです。


今日一日の私たちの歩みに、

創造主に導かれていることを発見することができますように。



傘の下にいるように

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使徒13:38-43 新約p 240(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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だから、兄弟たち、知っていただきたい。
この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、
信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。
『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」
パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。
集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。
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雨が降ったとき傘をさします。

傘の下にいれば、雨を避けることができます。

「神の恵みの下に生きる」とはそんなイメージでしょうか。


人生の中で降ってくる様々な課題がありますが、

神の恵み傘の下にとどまることで、

守られることができるのです。


もちろん完全防備とは行かないかもしれませんが、

ずぶぬれになり、大風邪をひくことは避けられるでしょう。



必要が満たされる

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詩編34:9-11 旧約p 865(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、
御もとに身を寄せる人は。
主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
若獅子は獲物がなくて飢えても主に求める人には良いものの欠けることがない。
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信仰を持つことによって、どんな良いことがあるのでしょうか。

信仰を持って人生を生きるとき、

必ず必要が満たされます。


必要が満たされることと、ほしいものが手に入るとは

全く意味が違います。


自分の願いどおりにならなかったとしても、

必ず必要は満たされていくのです。


全能の神様が、私たちにとって最も必要なものを

必要なときに満たしてくださる。

これが信仰の道で獲得できる経験です。


もちろん、欲しいものが手に入らないジレンマはあるでしょう。

けれどもその先に素晴らしい視界が開けてくるはずです。



人間は偶然生まれた?

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エフェソ1:4-7 新約p 352(引用は、日本聖書協会発行『聖書新共同訳』)


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天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
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わたしという存在は偶然生まれたのでしょうか。

生殖的な面から言えば、

一つの精子と一つの卵子によって人間が生まれますが、

精子の数は億単位ですし、

卵子も数百個の他の可能性があったことを考えると、

わたしという人間が生まれる確率は、

宝くじの1等どころの話ではありません。


宝くじの1等が連続して当たるよりも、もっとすごい確率になるのです。


けれども聖書は、私たちが確率で生まれた偶然の存在ではなく、

創造主の計画の中で、天地創造の前から、

わたしという存在を見ておられたというのです。


「わたし」という存在に救いを与え、赦しを与え

豊かな恵みの中で生きるように、招いておられます。

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