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「フリードリヒ=ヴィルヘルム=ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche」
1.経歴と概要
フリードリヒ=ヴィルヘルム=ニーチェ
Friedrich Wilhelm Nietzsche(1844-1900)
ドイツの哲学者。1844年にプロイセン王国領ザクセンに牧師の子として生まれた。
ボン、ライプツィヒ両大学に学び、ワーグーナーとショウペンハウアーに傾倒した。
24歳でスイス・バーゼル大学の古典文献学の教授となる。
1872年に処女作「悲劇の誕生」を発表。
1879年に大学を辞し、10年にも及ぶ漂泊の中で執筆活動を続けるが、1889年に精神が崩壊、1900年にワイマールに没した。
ヨーロッパ思想への痛烈な批判、英語を回帰、力への意思など、その鋭く独自の思想により、ハイデッガーをはじめとする20世紀の哲学思想に大きな影響を与えた。
引用「超約 ニーチェの言葉」奥付
フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦編訳 株式会社ディスカバー・トゥエンティワン
2.ニーチェの思想
(a)「神は死んだ」
ニーチェはキリスト教道徳を根底から掘り崩した。
キリスト教的道徳は絶対的中身を土台として、正義や愛のような道徳的善悪を規定している。
しかしニーチェは、
『絶対的な神など存在せず、絶対的な神を想定することで、絶対的存在にはなりえない弱い自己を正当化するために弱者が作り出したものでしかなく、キリスト教道徳はルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)が生み出した奴隷道徳である』と言っている。
(b)「超人」
「それでツァラトゥストラは群衆にむかってこう語った。
『私はあなた方に超人を教える。
人間とは乗り越えられるべきあるものである。あなたがたは、人間を乗り越えるために、何をしたか。
およそ生あるものはこれまで、おのれを乗り越えて、より高い何ものかを創ってきた。
ところがあなたがたは、この大きい潮の引き潮になろうとするのか。……………
超人は大地〔地上の現実の世界〕の意義である。あなたがたは意志の言葉としてこういうべきである。
超人が大地の意義であれと。
兄弟たちよ、私はあなたがたに切願する、大地に忠実なれと。
あなたがたは天上〔神〕の希望を解く人々〔キリスト教徒〕を信じてはならない。かれらこそ毒の調合者である、
彼らがそれを知っていてもいなくても。
かれらこそ生命の侮蔑者、死滅しつつあり、自ら死毒を受けているものである。
大地はこのようなものに倦んだ。
滅びゆくかれらを滅びるにまかしておくがいい。
かつては、神を冒涜することが最大の冒涜だった。
しかし、神は死んだ。
そして神とともにそれら冒涜者たちも死んだのだ。こんにちでは大地を冒涜することが、最もはなはだしい冒涜である。」
(2010年2月3日 編著者/浜島書店編集部 発行者/株式会社浜島書店 最新図説倫理 p203より)
ニーチェはドイツの厭世主義哲学者、ショーペンハウエルの影響を受けている。厭世主義は人生を苦とし、生きるに値しないという考え方で、ショーペンハウエルによると、人間は「衝動的な生への意思」を持っていて、すべての苦しみや争いの原因となるのであきらめだけが救いだという。
しかしニーチェは、そのように人生をいやなものだと消極的にならず、新しい価値を追求し強く生きることに、人生の意義を認めた。
つまり、生への意思とは自己自身を強化し向上させることであると説き、それらを「力への意思」と呼ぶ。
彼は、この力への意思を実現して生きる理想的な人を「超人」とした。
またニーチェは、人生の精神の展開をラクダから獅子、獅子から小児へという変化で、比喩的に説明している。
ラクダは義務と禁欲を意味し、キリスト教道徳に従順で、重荷に耐える敬虔な精神をもう段階である。
しかし、ラクダが獅子に変化するとき、義務への忍従は否定され、獅子は孤独に耐えながら「われ欲す」の自由な精神を獲得。従来の神や戒律を批判、戦闘を挑んでいくが、この段階では新しい価値創造までには至らない。
そこから小児の段階に代わる必要がある。小児の段階は新しい価値創造が始まる時期であり、真に積極的な価値創造の自由を持つ時期である。ニーチェは、ラクダの忍耐力と獅子の強さと、小児の創造力を合わせ持つものとして超人を描いている。
(c)「永劫回帰」
「『見よ、われわれ〔人々〕はあなた〔ツァラトゥストラ〕の教えることを知っている。
それは、万物は永久に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰するということだ。
また、われわれはすでに無限の度数現存していたのであり、万物もわれわれとともに無限の度数現存していたということだ。
あなたは教える、生成の循環が行われる巨大な年というものが存在することを。
その年は、砂時計のようにいつもくりかえして新たにさかしまにされ、このようにして、すべてはくりかえして新たに行なわれ、過ぎていくのだ。―
―だから、めぐり来るこれらの年々はつねに最大のことにおいても最大のことにおいてもあいひとしい。
だからわれわれ自身も、この大いなる年を幾度重ねても、われわれ自身にひとしい存在なのだ。最大のことにおいても最小のことにおいても。』」
(2010年2月3日 編著者/浜島書店編集部 発行者/株式会社浜島書店 最新図説倫理 p203より)
3.意見、感想
(a)何故今『超約 ニーチェの言葉』なのか
どうやらベストセラーらしい
私はこの本は、ニーチェの思想から現代社会を生きるためのノウハウのようなものをまとめたものだと思う。
例として、
「一日の終わりに反省しない ―仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。
すると、自分や他人のあらが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。
たいていは、不快で暗い結果にたどり着く。
なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。中略。
だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。
そういう時は、さっさと自分を休ませなければいけない。」
(フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦編訳 株式会社ディスカバー・トゥエンティワン 『超約 ニーチェの言葉』003 2011年3月10日 第31刷 )
一見吃驚するような言葉でも解説を読むと納得できるものであり、
宗教や政治、哲学といったような昔の人が思っていた人生を支える根拠のようなものが、すべてフェイクだと考えられている現代の日本の社会だからこそ誰もが知っている、難しいと思われるようなニーチェの言葉をわかりやすく和訳したものがうけているのではないかと思う。逆に言えば、だれでも不安を持って生きているので、何らかの生きるための根拠を持ちたいという意思の表れではないのではないだろうか。
(b)自分自身について
私自身は無宗教であり、冠婚葬祭以外に宗教に触れる機会がない。
また、特に自分自身の哲学を持っているわけでもない。
それでも将来、自分一人で社会に出て生きていく中で、何かの根拠を持ち、自分自身を肯定する必要があるかもしれない。正直言って、超人思想や永劫回帰についてはっきりと理解できたわけではないけれど、人生を積極的に肯定し、生きたいから生きるという意志を「超人」という言葉で表したニーチェの言葉には共感できる。
4.参考文献
『超約 ニーチェの言葉』
フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦編訳 株式会社ディスカバー・トゥエンティワン 2011年3月10日 第31刷
『最新図説 倫理』
編著者/浜島書店編集部 発行者/株式会社浜島書店
2010年2月3日
『ツァラトゥストラはこう言った 上』
ニーチェ著 氷上英廣訳 株式会社岩波書店
2010年10月15日 第70版
『ツァラトゥストラはこう言った 下』
ニーチェ著 氷上英廣訳 株式会社岩波書店
2011年5月16日 第65版
『漫画で哲学しよう!!』
原案・監修/三井貴之 漫画/古川日向 株式会社宝島社
2011年4月15日
文字数 2795
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お久しぶりです。
すごく難しいですね・・・。
私にはついていけません・・・。
2011/9/3(土) 午後 5:34
うわ!マジで難しいですね・・・
2011/9/12(月) 午前 8:05 [ - ]
数学のほうが、簡単です。
2011/9/13(火) 午前 3:21 [ kazz ]