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7月16日 その12 八百津駅跡からさらに東に10分ほど 人道の丘公園、変わった名前の公園であるが 八百津町出身である、杉原千畝を記念して作られた公園である。 「命のビザ」の話は有名であるが、国からすれば命令に背いた人間であり 実際、戦後は外務省をやめロシア語が得意なことを生かして貿易会社で働いていたそうである。 それにしてはその彼の発行したビザで日本に問題なく入国できたのも不思議な話だが。 命のビザ・モニュメント、愛・心・勇気を表しているのだそうだ。 ここから八百津の町が一望できる。 シンボルモニュメント、パイプオルガンをイメージしており、一日何回かなるそうだ。 八百津の町の案内。 バスの本数は案外あるが、実際にはここへバスで来るのは現実的ではない。 公園内には杉原千畝記念館が建っている。以前はもっと小さな建物であったが 2000年に総ヒノキづくりの建物に建て替えられた。 中は撮影禁止とのことだったので、ホームページから写真を拝借すると 彼がビザ発給を決断した執務室を再現したもの 実際に発給されたビザが展示してある。 旅行でここまでくるのはなかなか難しいが、犬山まで来る機会があれば レンタカーで30分ぐらいである。 このあたりは栗が名物なので、秋がベストシーズンである。 終わり
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2011年7月東濃地方
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7月16日 その11 不自然な形の道の合流があり 駅の跡がこのような形で残されていた。 やはり元々の路線跡を道路に作り変えたようである。 廃線前に来たときは駅舎に喫茶店が併設されていたが、建物は残っていない。 このすぐ近くに県立高校があり、生徒はほとんどが八百津線で通学していたため 廃校や移転も計画されたようだが、結局は代行バスの運転で落ち着いているようだ。 木曽川があるため町の中心まで列車が入っていなかったことも
廃線を早めたかもしれない。 |
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7月16日 その10 病院に停めてあった車に乗り、再度御嵩方面へ出発。 バス停の名前どおり、旧兼山町役場(現可児市兼山地区)。 兼山町は小さな町で、住所が兼山町の後いきなり番地であった。 (例:この役場の住所は可児郡兼山町657であった) 市町村名の後に地名が無い住所は私は他には知らない。 もっとも●●地区という呼び名はあったようだ。 可児市と合併したが旧可児市とは接していない、いわゆる飛び地になっている。 旧役場のすぐ近くにこのような線路があった跡が 旧名鉄八百津線兼山駅跡である。 色々な廃線跡に行っているが、手書きのものは初めて見た。 駅舎などは取り壊され、広場になっていた。 可児市に住んでいたころ、可児川の駅で「金山」までの切符を買うとき(当時は有人駅だった) 「兼山」と間違えやすいので私は旧駅名の「金山橋」と言って買っていた。 若い駅員など変な顔をしていた。金山橋という旧駅名を知らないのであろう。 こんな場所である。 さらに進むと、道路をまたいでいたであろう橋の跡を発見。 今は道路になっていて鉄道の痕跡は全く無い。 タクシーの営業所を発見、確かこのあたりに駅があったはずなので
車を降りて歩いて探してみた。 |
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7月16日 その9 もと来た道を逆戻り (今にして思えばバスに乗っても面白かった) 新可児では新型車両が。 2両編成のクロスシート。 どうということは無い都市近郊の風景の中を走り 可児川に戻ってきた。 名古屋方面、朝はセントレアや河和行きの特急があるが 指定席はいつも通勤で使う客で満席のようだ。 というわけで、広見線の紹介は終了である。 が、まだ続く。
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7月16日 その8 電車を見送ってから行動開始。 ここにもコミュニティバスが来ている。 お決まりの地図も。 一見どうということのない道だが このあたり、旧中仙道の御嶽宿にあたる。 今までのパターンどおり、お寺があり 休憩所 由緒ありそうな名前であるが、単なるタバコ屋であった。 本陣跡 庄屋だった建物 このあたりはこれから木曽路に入る入り口であり、足を止める人が多かったのであろうか。
そんなことを考えながら、駅に戻った。 |


