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6月30日 その10 線路があったところから見えるのが、鵜住居小学校、隣の釜石東中学校と共に 釜石の奇跡と言われたところである。 ここは地震直後に中学校の生徒が小学校低学年のこの手を引き、あるいは おぶって一目散に高いところに向かって避難し、当初の避難所だったデイケアセンターまで 逃げたものの、センターの老人が「この裏山が崩れたのは見たことがない」といったのを聞き さらに高いところにある石材所まで逃げ、全員無事だったという日ごろからの訓練や備えが 実った学校である。(デイケアセンターは2階まで津波の飲まれたそうだ。「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」の「避難の3原則」を守ったことが、大事に至らなかったと言えよう。どっかの電力会社に聞かせてやりたいものだ) 校舎は屋上まで津波に飲まれたそうだ。今年中に取り壊すとのこと。 グラウンドががれき置き場になっている。 ここのがれきもかなりの量である。 学校から数分のところに海岸がある。学校の場所に問題があるのは否めないが。 海の家も傾いたまま。 このような仮設住宅がいたるところに見られる。 釜石シーウェイブのクラブハウスとグラウンド。この日はお休みであった。
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2012年6月三陸
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6月30日 その9 高台になっているところに登ってみた。 道路にしては道幅が狭く見えるが・・・ こんなものを見つけた。 JR山田線、鵜住居駅である。(思わず駅跡と書きそうになってしまった) 線路も流されてしまっている。 花まで咲いている。 これが震災前の様子だが、これを見るとこのまま廃線になってしまう可能性が きわめて高い気がする。 駅前のアパートも放棄されている。 宮古方面だが、とてもここを1年前に鉄道が走っていたとは思えない光景である。 駅前の駐車場であろうか。 再建の道はまだまだ厳しい。
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6月30日 その8 街中に戻ってみると 放棄された建物が至るところに残っている。 警察署の隣の運転免許センターもこの有様。 土台しか残っていない。 津波のパワーというのは恐ろしいものだ。 瓦礫の山、かたずけるのにどのぐらいかかるのだろう。 このアパートも3階までやられている。 防災センターと消防署、ここは避難場所ではないにもかかわらず 地震直後住民がここへ避難したため、100人以上がここで津波にやられて なくなったそうだ。 このあたりが500人以上が津波でなくなった、鵜住居地区である。 復興ツアーの人も来ていた。
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6月30日 その7 記念館のマスコットキャラだそうである。 1200億円と30年の年月をかけて完成したが、津波の前に破壊されてしまった・・・ 子供が遊べるスペースを作ってある。 現在はこういったものを生産しているとのこと。 釜石の歴史が年代順に並べられている。 日本の鉄鋼業の父、大島高任。 石炭と鉄が産出されるこの地に製鉄所を作ることを決めたそうだ。 テラスからは釜石湾を一望できるが、この地形では津波が来たら ひとたまりもないことが良くわかる。 ひどいものだ 復興ツアーのバスが来ていた。 釜石大観音、津波をどんな気持ちで見下ろしていたのだろう。
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6月30日 その6 訪れたのは鉄の歴史館、製鉄所とともに歩んだ 釜石の歴史を振り返る場所である。 製鉄所内を走った機関車のようだ。 鉄鉱石6.5トンだそうだ。 周辺にいろんな産業遺産があるようだが、とても回りきれない。 アンカーとガス灯も釜石製だそうだ。 外回りはこのぐらいに、中に入ってみた。
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