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7月15日 その11 少し歩いて到着したのが 武豊停車場跡地、いわゆる武豊港駅跡である。 小さな公園になっている。 ターンテーブルが十字になっていて、時間を短縮できる。 当時の機関車が小さなもので、人力で回していたからこそできるのであるが。 自転車で来た小学生が、説明書きを熱心に読んでいた。
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2012年7月築港・武豊・東海道
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7月15日 その10 このあたりは味噌や醤油を製造している蔵元がいくつかある。 開くことはあるのだろか。 土日は休みである。商売っ気はない。 気候と交通網の発達がこの地を味噌醤油の産地にしたようだ。 そういえば、富嶽三十六景で唯一尾張のものは こんな図柄で味噌or醤油樽を通した富士である。 こんな大きな樽が入り口にあった。 店から少し離れたところはこんな町並み、まったくそぐわない。 何の工場だろうか。 別の醤油蔵元。
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7月15日 その9 踏切から見た武豊駅 町の花、サザンカをモチーフしたそうだ。 長尾城跡 このようなものに沿って歩いてみた。 城は残っていないが、石垣の上に古い屋敷や寺が建っている。 昔懐かしい感じの酒屋 私の生まれる前の話である。
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7月15日 その8 窓口はしまっていた。 朝夕のラッシュ時は名古屋までの区間快速が運行される。 手書きのマップ 駅舎はそれほど古いものではない。 高橋煕像 1953年(昭和28年)9月25日に襲来した台風13号の影響で発生した高潮により、武豊 - 東成岩駅間の 線路が流失した。この異変を武豊駅に向かって進行中の武豊行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手・高橋煕(さとし)が発炎筒を手に、東成岩駅方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、非常停止した後、東成岩駅まで後退し、列車の乗客乗員約100名は難を逃れる事ができた。しかしながら高橋駅手は武豊駅に戻れず翌日、捜索隊により、線路際で殉職した彼の姿が見つかった。 この事柄は全国に報道され、高橋の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、日本全国の国鉄職員と小中学生の募金を主に、銅像が建立された といった内容が記されている。 本数はそれなりにあるほうだろうか。 ちょうどバスが来たが、さすがに下調べもしていないので乗る気にはならない。 かつてはこちらにもホームがあったようである。
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7月15日 その7 駅前にはご立派なお屋敷が。 駅舎はわりと新しめ。 知多半島には酪農農家が126戸あるそうだ。 愛知県全体では460戸あり、全国4位だそうである。ぜんぜん知らなかった。 小さな駅だが、みどりの窓口もある。 お約束の物産品の展示。 跨線橋を渡り(明治43年製でJR最古のものだそうである) 島式のホームへ。 駅舎側にもかつてはホームがあったようだ。線路は撤去されている。 島式ホームが2番線と3番線なのはその名残であろう。 ほとんどの方がこの名古屋行きに乗る中、これには乗らず 反対方面のがらがらの武豊行きに乗り 終着武豊に到着である。
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