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6月27日 その6 制限区域内へ入る。搭乗口がどこか分かりやすい。 それにしても、どこへ行っても龍馬というより 福山雅治人気であろう。 羽田行きが搭乗を済ませた後なので、待合に人は少ない。 デッキにいる子供に向かって手を振っているようである。 少し前にはCRJをバックに3人で記念撮影をしていた。 この便ももうすぐ運休である。 エプロンを歩いて機内へ。 少し広い非常口座席に座る。ほぼ9割がた埋まっていた。 ドリンクはお茶は紙コップであったが、 りんごジュースは市販の紙パックのものを配っていた。 尾鷲上空を通過後、雲が厚くなり外は見えなくなった。 雲が切れると、小牧山城が左に見えたので北からの着陸、 梅雨前線の影響か、かなり揺れるフライトであった。 小牧は本降りであった。 残念だが、いくら乗っても残せない公算が高い。 34:JAL4358 長崎→小牧 CRJ200 株主優待 456マイル 1074ボーナス 1494FOP
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2010年4-6月
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6月27日 その5 長崎駅まで戻ってきて、空港連絡バスに乗車。 積み残しが出るほどの状態であったが、何とか乗車でき 空港に到着。 赤組、青組ともに似たような混み具合 羽田行きはどちらも満席で案内されてていた。 以前来たときは無かったような気がするのだが、記憶違いか。 ひらめやとびうおが丸々入っているのがすごい。 デッキに出てみた。この日は暑いためか人も少なかった。 搭乗機はすでに到着していた。 JALとSNA共に羽田行きである。 カードラウンジにもよってみた。 JALの搭乗券とANAダイナースを出すのがなんとなく恥ずかしい。 狭いせいもあるが結構な混み具合であった。
お茶だけもらって早々に引き上げた。 |
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6月27日 その4 さて、入場料100円を支払い中に入る。 長くて立派なカウンターである。 この時代、これほどの需要があったというのは信じがたい。 カウンター内はミニコンサートが開けるようになっていた。 何の集まりか知らないが、記念撮影中である。 19世紀の紙幣と銀貨。やはり銀は日本ではくすんでしまう。 支店長室に置かれてあった、当時の金庫。 2階に上がってみると 会議室であろうか、立派な調度品である。 3Fへ 昭和8年にすでに中国への観光ツアーがあったというのも驚く。 当時長崎から上海へは船で26時間、東京へは列車で30時間以上かかったようで 長崎の人にとっては東京より上海のほうが近くて楽に行ける大都会だったようである。 (当時はパスポートも不要だったそうだ) スケールは違うが、与那国島から那覇より台北が近い、そんなイメージであろう。 思わぬことに気がつかされた展示であった。
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6月27日 その3 中華街から歩いて数分 たまたま目に付いたのが 旧香港上海銀行長崎支店。 江戸時代からすでに日本で営業をしていたとはさすがHSBCである。 ウロ覚えではあるが、当時外国での金と銀の交換比率が1:20だったのに対して、 日本では1:5であった。 当時の日本は世界でも有数の金の産出国だったようで 金の価値が諸外国に比べて低かったようだ。 つまり、長崎と上海を行ったりきたりすれば 金と銀を両替するだけで大もうけできたわけである。 さて折角なので中をのぞいてみることにした。 実は私、HSBC-HKGに口座を持っているわけで
単なる興味本位である |
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6月27日 その2 今回長崎に来た理由は、ここへ行きたかったからである。 軍艦島 どんなところかは皆さんご存知かと思うし 各自ネット等で調べていただけたらと思う。 あいにくこの日は波が高く、ツアーは中止。 飛行機の出発時間までやることがなくなってしまった。 長崎は有名な観光名所が多数あり、普通の方なら そういったところを見学するのであろうが、 学生時代を九州で過ごした私は大体のところは行っているし そのうちこどもをつれてまわるべきと考えているので 例によって このようなものを入手し 長崎駅前から路面電車にのり 全線ののりつぶしである。 車内はこんな感じで 西鉄路面電車と同系とのこと。 西鉄は前に西鉄の車輪のマークが入っていて、ヘッドライトは上だったか。 順番に乗っていって、2時間ほどで乗りつぶしは終了。 中華街に行ってみたが思ったより狭い範囲であった。 続く
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