プロレス回顧の24章

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成瀬VSカシン 健介VS藤田  永田、秋山VS武藤、馳 
など夢のカード目白押しだった大会。

長州を主軸に据えた【昭和プロレスontakarin独善的回顧記事】も
今回で一区切り、最終章にしたいと思います。

何故この大会を最後に話題にするかといえば、
藤波の引退ロードカウントダウンという設定があったり、
この大会で新日本の顔だった藤波と
ザ・全日本看板外人のファンクスの顔合わせが
1つの時代の終焉という感じで、
どことなくセンチメンタルな気分に浸っていたからです。

藤波辰巳、ボブ・バックランドVSザ・ファンクスの一戦が
事前にマスコミで発表された時、自分はすぐに
『古館さんの実況でこんなことを言ってくれたらいいなあ』と
よく頭の中でイメージ(妄想ともいいますか!)したものでした

今日はこの自分勝手な妄想実況を記事にさせていただき、
もはやそれ以降、プロレスの多団体時代にどうしても
ついていけなくなって現代に至る自分の現況確認も踏まえて、
ひとつの区切りにさせて下さい。

もちろん、プロレスLOVEの立場は一生続くとは思いますし、
テレビや雑誌はこれからもチェックしていくことは間違いありません。
気まぐれに平成プロレスにメスを入れる記事を書くこともありましょう。
(といいながら、先日のNOAH中継ではいつも以上に
永源遥の引退に伴う懐かし映像に釘付けになってしまった…。
特に長州が鶴田に放ったリキラリアートの直後、
永源選手が手を上げて応援していたシーン、懐かしかった!
確かあの時、倉持アナは実況で
『おっと、永源遥も立ち上がった!』と言っていた記憶があります。)

24回にわたってお送りしてきた長州中心プロレス関連記事の
最終章はこの2001年ドーム大会で幕を閉じたいと思います。


ここで読者の皆さんにお願いがあります。
今から書きます自分の妄想古館アナ実況は、
‘テリーの入場テーマ曲スピニングトーホールドのテーマを
頭の中で流していただき、ファンクスが花道を入場している
場面での実況’という設定でお読みください!
(よく分からない方は普通にお読みくださいね♪)



《さあ、数年前、否、1年前であってもこんな試合カードが組まれるなんて、ファンは夢にも
思わなかったことでありましょう。一時代を築いてまいりましたアントニオ猪木と
ジャイアント馬場のBI砲を見ることはもはや不可能となってしまった今、長州、蝶野、
永田らストロングスタイルにこだわる男達、そして全日本王道プロレスの流れを汲むNOAHの
三沢、小橋、秋山など一流どころの選手が一戦交えるのは、もしかしたらちょっとした流れで
可能になっていくのかも知れません。さ〜あ、いよいよ入場してまいりますテリーファンクと
ドリーファンクJr。ファンクスが新日本マットに上がるだけでもオールドファンはしびれる
ことでありましょう。この〜懐かしい入場テーマ曲。スピニングトーホールドのテーマ!
かつては全日本のリングでしか聞くことが出来なかったわけであります。あの当時、テリー&
ドリーに対してチアガールルックでポンポンを持って踊りながら黄色い声援を送っていた
ファンの女性たちも、今ではもはやミニスカートをはける世代ではなくなっていることで
ありましょう。ブラウン管の向こう側で菜箸片手に手を振っているのでありましょうか?
ジャンボ鶴田が世界を取ったバックドロップを多くの選手達にガンガンかけていた頃、
当然テリーもその餌食になったのでした。自虐的にもだえ苦しみ、意味もなくフェンス近辺で
やられていたテリーははっきり言って強いか弱いか全く分からない選手でありました。一方、
スタンハンセンのウエスタンラリアートに散々苦しみ、リキラリアートを編み出し、ラリアート
だけでなく垂直落下式バックドロップを繰り出していった長州!その長州からバックドロップを
何度食らったか分からないこの対戦相手の藤波辰巳。長州一人では名勝負数え歌は決して
成り立たなかったわけであります。あくまでも対戦相手の宿敵藤波がいたからこそであります。
その藤波はかつて、新日本から移籍していったタイガージェットシンの全日本マットでの練習量
不足を指摘し、暗に全日本選手が練習していないぬるま湯体質であることを批判したわけであります。
小林邦明からはワルツとまでコケにされた全日本。はっきり言ってそんな団体で看板外人レスラー
だったテリーは大した選手ではなかったのではないでしょうか?否それは全く違うのであります。
プロレスは芸術であります。攻めだけでなく受けも大切な要素なのであります。まさに〜、
全日本系選手は打たれ強さはピカ1でありましょう。三沢光晴をご覧下さい。鼻骨骨折なんて
怪我のうちではないと言わんばかりの過激なファイトを展開してくれるわけであります。
さあ、今宵は受けのレスリングの天才、無我の藤波辰巳に対して王道プロレスを日本での主戦場に
し続けたテリーファンクが果たしていかにしてスピニングトーホールドをかけてくるので
ありましょうか?見所一杯のカードの幕開けです。いよいよ夢の試合が始まります!!》


最後に古館さんの言葉でかつて
とても感動したものがあるので、
ご紹介します!

《チャンピオンベルトなんて、世間一般的に見れば何の変哲もないただのガラクタ、おもちゃであります。しかし戦う男達はこのガラクタを目指して頑張り続けるのであります。》

また違った角度で数日後からプロレスを語ります!

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今まで、新日本プロレスの過去にさかのぼりながら、
長州中心に語ってきましたが、
ここ数回の記事では個々の選手にスポットを当てる
スタンスに変りつつあります。
今日話題にするのは、稲妻戦士、木村健吾。
かなりの間、タッグにおいて、
藤波の二番手という位置づけだった感がぬぐえません。

黄金コンビといわれた猪木&坂口組、
全日本でトップに君臨し続けた鶴田&天龍組(カクリューコンビ)、
維新軍代表長州&谷津組、分裂後結成された鶴田&谷津組五輪コンビ
などに比べてどうしても見劣りしてしまう藤波&木村組。
しかし、とても動きがスピーディーで、
かつてエリック兄弟からも絶賛された稲妻レッグラリアート。
藤波の人気と分厚い胸板に比べてどうしても劣ってしまう木村。
でも新日本サイドは藤波木村コンビをトコトン
売り出そうとしたのは間違いなかったと思います。
ルックスも(藤波よりやや鼻赤さんですが)まずまずかっこいいし、
背は藤波より高いし、何より話が上手です。
(藤波さんは早口で何を言っているかわからないです…)

うわさでは奥様のご実家がとても裕福で、
新日本で名を上げることにさほど執着していなかったらしいです。
大相撲出身にしてはスタイルも抜群でしたが、
なぜか野次の嵐にあうことになっていきます。(これが悲しかった…)

すぐにタッチをしてしまう消極性にBOO!
簡単にフォールされてしまいBOO!
勝利しても『木村、若手には強いな!』と
皮肉をファンに投げかけられる始末。

そんな状況から脱皮しなきゃときっと考えたのでしょう。
藤波に牙を向いた時期がありました。
シューズに凶器を隠したかどうかでおおもめで、
後楽園ホールも尋常でない雰囲気でした。
あの緊張感は新日本ならではです!!
ある程度のシナリオは恐らくあったのでしょうが、
藤波に対する表情が怖かった。
ジェラシー丸出しって感じでした。やるじゃない、木村。

そんな状況もつかの間、さほど話題にもされず、
藤波と木村の抗争は影が薄くなって行きます。

テーマ曲もさわやかなものから
アップテンポの刺々しいものに変えたり、
自分の身も平成維新軍とか反選手会同盟とか、
正規軍とは違うスタンスを選択していきます。
木村なりのこだわりだったのでしょう。
名前も健悟に変えましたっけ。

UWF勢に蹴りまくられ、人間サンドバックという汚名を着せられ、
野次を集中して受け
(自分としては、ちょっと話は違いますが、
タッチしてから自分のコーナーで
いつまでもしゃがみこんでなかなか立ち上がらず、
のらりくらりやっていた『天龍』の方にこそ
野次を飛ばして欲しかった!!!
あれはいつ見てもむかつく!!)
なかなか木村の存在価値を誇示する場もなかったようですが、
会社にはとても尽くすタイプなのですね。
稲妻解説という触れ込みでテレビに登場したときはびっくりしました。

木村さんはいい人過ぎたのかな?
大好きな選手でした。

プロレス馬鹿剛竜馬

最初に剛選手を知ったのは、第8章で話題にしました、
全日本プロレスマット年末世界最強タッグリーグ戦で
ラッシャー木村と電撃合体を果たし国際血盟軍が結成された時です。
それまでは国際や全日本はほとんど見ていなかったので、
名前くらいしか知らなかった選手です。
全日本と新日本の看板外国人レスラー
引き抜き合戦が真っ盛りの時代でした。

例えばあのおとなしめの全日本プロレスですら、
スタン・ハンセンが全日本マット初参戦の乱入劇を展開した際、
馬場が救世主のようにリングへ颯爽(?)と登場し、
ハンセンの脳天へチョップをしたりといった演出が
凄かったのが記憶にありますが、それくらい当時は
『え、あの選手がこのリングに立つの?』というのが、
斬新かつ殺気立った雰囲気を持つ話題だったわけです。

確かに剛選手はハンセンやブッチャー、ブロディのような
凄く強烈な選手ではないですが、
翌年早々から長州が全日本マットに登場する可能性が大で、
面白そうな展開(つまり三つ巴の抗争!)になりそうだったので、
剛選手の登場はウキウキモードで見ていました。
しかも木村や菅原、高杉、更には鶴見と、
ごつくて余り華やかでない選手ばかりなので、
まったく雰囲気の違う軍団抗争が楽しみでした。

倉持アナも『おおっと、ラッシャー木村、
馬場への裏切りか?おおっと、剛竜馬がいます。
なにやら耳打ちしていますねえ。
山田さん、どうやら新しく軍団を結成したようですねえ?!』
と燃えた実況!しかし長州軍団のネームバリューや実力の前では
影は薄くなっていき、当時の全日本は選手数が増えすぎてしまって、
フリーの剛選手が登場する機会はかなり少なかったでしょう。

しかし、数年後剛選手はFMWより前に
インディー団体のはしりとも言えるパイオニア戦士を設立しました。
剛選手はそんなひそかに凄い偉業を結構成し遂げているのです。

他に有名なのは藤波辰巳に勝ったことがある点でしょうね。
そして第1次UWFにも出ているのです。
しかし、プロレス馬鹿と自称して戦い続けた剛選手も
窃盗事件を起こしてしまいます。

Asahiより
15日午後6時25分ごろ、東京都新宿区新宿3丁目のJR新宿駅西口切符売り場で、千葉県浦安市の主婦(69)が財布を手提げかばんに入れようとしたところ、近くにいた男に財布を奪い取られた。男は逃げたが、近くにいた男性会社員(41)ら3人が約50メートル追跡して取り押さえ、警視庁新宿署員に窃盗の疑いで逮捕された。
調べでは、男は、神奈川県寒川町岡田3丁目、会社員八木宏容疑者(46)。八木容疑者は「剛竜馬」の名前で活躍し、02年に引退した元プロレスラー。「財布が落ちていたので拾って渡そうとしただけ」と容疑を否認しているという。


プロレス馬鹿といわれた男の哀れな姿、とても悲しくて悲しくて…。

当時自分は泣けてきました。
プロレスラーって大変な思いをして試合をしているのに
野球選手よりずっと少ない年棒で頑張っているのですよね。
一途で無骨なプロレス馬鹿に報われる日が来ることを祈っています。

イメージ 1

先ずは以下の日刊スポーツの記事をご覧下さい。

荒井FMW元社長、3億円借金苦に自殺
 今年2月に約3億円の負債を抱えて倒産した
FMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング株式会社)
の社長だった荒井昌一(あらい・しょういち)氏が
16日午前6時20分ごろ、東京都葛飾区の水元公園で
首をつっているところを通行人に発見された。
すぐに近くの病院に運ばれたが死亡した。36歳だった。
亀有署によると家族にあてた遺書のようなものを
身につけていたといい、自殺とみられる。
インディー最大といわれた団体の倒産が悲劇を引き起こした。
 荒井氏はこの日午前6時20分ごろ、
葛飾区の水元公園でジョギングをしていた人に発見された。
管轄の亀有署は「自殺方法についてはコメントできない」
としたが「家族あてに自殺をほのめかす遺書のようなものを
身につけていた」という。
またこの日、FMW関係者あてに15日の消印で
遺書ともとれる手紙が届いていた。
関係者によると、文面には「ご迷惑をおかけしました」と
書かれていたという。
FMWは今年2月14、15日に2日続けて不渡りを出し倒産。
倒産時には約3億円の負債を抱えており、
借金を苦にした自殺の可能性が高い。
 荒井氏は89年、旧FMWにリングアナウンサーとして入団。
95年には、新生FMWを創設し、社長に就任した。
団体はエンターテインメント路線を目指し、
時には自ら選手としてリングに上がることもあった。
だが99年ごろから徐々に経営が行き詰まり負債額が増大。
倒産時には、団体運営の責任感にかられた荒井氏が
1人で28件の「街金」とよばれる金融業者から
約3000万円を借り入れていた。
団体倒産後は都内に身を隠しながら
倒産までをつづった著書も発行していた。
 荒井氏の自殺は関係者にはもちろん、
プロレス界全体にも大きなショックを与えることは間違いない。
特に現在は30以上ともいわれるプロレス団体が乱立しており、
業界全体の地盤沈下が叫ばれてもいる。
経営に苦しんでいる団体も少なくなく
「このままでは近いうちに第2、第3のFMWが出てもおかしくない」
と言う関係者もいる。
荒井氏の自殺というショッキングな事態につながったFMW倒産。
今はただ、めい福を祈るしかない。


2002年5月16日の朝、同年2月に倒産したFMWの元代表取締役社長、
荒井昌一さんが亡くなりました。36歳でした。
第19章、20章とFMWとの関わりを書いてきましたが、
飲み会の席での荒井さんの第1印象は
その辺の一般人といった感じでした。
ただ、大仁田さんをしっかりヨイショしていて、
純粋にプロレス界を盛り上げていこうという気概を
感じたのは確かでした。自分と年齢が同じでした。
甲高い声でFMW旗揚げ戦途中からリングアナウンサーを引き受け、
次第に力をつけてきたFMWをしっかり支え、
最終的には新生FMWで社長にまでまつりあげられ、
選手からの人望がとてもあった方だったことが拝察されますね。

第15章で記事にしました
【新日本がTPGとのトラブルで両国大暴動が沸き起こった際、
自分がTVを前に涙を隠していた葛飾柴又の友人宅】付近にある
水元公園での荒井サンの自殺…。
その水元公園には友人と遊びに行った懐かしい思い出もあります。
(近くにはあの有名な矢切の渡しも見られます。)
葛飾柴又は自分とプロレスを語る際、涙なしには出来ません。
そう言えば自分の職場で当時プロレス大好きだった先輩が
仕事を辞めることになって残念で『お別れですね』という曲を
作って心の中でずっと歌いながら金町駅から京浜急行に乗ったっけなあ。

「ontakarin55さんの応援されている里美和選手が勝ちました!」
という自宅への電話のあの威勢のよい声。
川崎球場でのFMW大会が大成功をおさめたときの
自信に満ち満ちていたあのリングアナとしての大声。
荒井さんさんに自宅まで送っていただいた旗揚げ戦入りのVHSテープ。
『翼をください』をギター片手にリング上で熱唱してくれたあの姿。

週間プロレスではなんと表紙を
荒井さんのギター担いだ写真が堂々と威張ってくれました。
精一杯威張ってくれ。当時の自分はただ悔しくてそう思いました。
表紙のタイトルは『荒井さん、荒井さん、荒井さん!』という連呼!

ハヤブサ選手の成長と頑張りはとても素晴らしかったですよね。
でもその後大技の失敗から半身麻痺による車椅子生活
を余儀なくされてしまいます。
そしてしばらくしてあの冬木弘道選手の死去を迎え、
いよいよFMWの方向性が険しくなっていきます。
(因みに冬木選手と一回サウナで隣同士になったことがあります!)

荒井さんはFMWがつぶれた後も
どう工面したのか、
律儀にも各選手を回り、
給料を払い続けていたそうです。

大仁田さんとの飲み会から数日後、
あのエネルギッシュピュア男、
荒井さんから自宅に電話が入りました。
「あなたが注目していらっしゃる
里美和選手が本日はじめてフォール勝ちを
おさめました!あと、旗揚げ戦を収録した
ビデオテープを早急にご自宅にお送りします。
では失礼します!!」
あのリングアナとして選手をコールするような
はっきりと大きな声で熱く語ってくれました。
ちょっと耳が痛かったです!
はっきり言って連絡しても
メリットがなさそうな自分のような
平凡な一般市民にわざわざ電話してくださる
感動的な企業努力には脱帽でした。

それ以降、後楽園ホールでは可能な限り
FMWを観戦するようになっていきました。
(今でもレンタルビデオ化されている
FMWものに観客として自分も映っております、ハイ。
暇な方はこのブログの主がどんな奴か
そのビデオをご覧になりながら予想してみてください。
分かるわけがないですけどね!)

数日後、確かにFMWから
ビデオテープが届きました。何回も見ました。
これは永久保存宝物です。上田という
キックボクシング出身の選手が
とても強烈で強面で強かった!
(実際会場でも見ましたが、すごい厳つい選手でした。)
今どうしているのかお分かりの方、情報お願いします。
(最近の多団体時代のプロレスについていけない
哀しき昭和プロレス世代からのお願いです!
つまり上田選手が今どこかの団体にいるのかも知れないので…。)

また、以前記事にもしましたが
ストロングマシーンNo,2の力抜山選手は
どうしていますかねえ?
この記事に遊びにいらっしゃる方は
相当マニアックなファンも多いようなので、
是非お分かりでしたらお教えくださいませ。
(多分韓国の選手でしたよね…)

話が脱線しましたが、その後もFMWの
進んでいった道に対するコメントと
荒井さんがお亡くなりになったときの
自分の思いを次回綴ります。

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