おおきなき交流広場 〜言の葉(ことのは)〜

おおきなきHPにもお越しください。プロフィールからどうぞ。
吉田育実さんの俳句<その6>〜生みの苦しみからの脱出〜
                                *吉田育実は俳号です。

 
  入院等のため2か月間訪問授業ができなかった後、再び訪問授業を再開し、俳句を作ろうとしていました。しかし、2月に1句を仕上げた後、体調が思わしくない日が多く、育美さんは、生みの苦しみを味わっていました。
  以前は、月2回の授業の間に1〜2句は頭の中で仕上げていたのに、1句も完成に至らずに次の授業を迎えることが続きました。  

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▲ソメイヨシノのつぼみ(大田区立下丸子公園にて)

  授業で何とか春の句を1句仕上げようと、言葉を探します。前回は、文字盤の読み取りで「手にも春」というフレーズが出てきていて、「手で春を感じるのは、どんな対象に向き合った時か」の問いかけに「つぼみ」という言葉が出たところで終わっていました。
   今回は、「つぼみ」をキーワードにスタートです。育実さんから「撫でる」「頭」「母」という言葉が2時間の授業の終わり近くに出てきます。
  「つぼみ」「手にも春」と結びつけて4回の授業でやっと1句が完成にこぎつけます。
 
母撫でる つぼみの頭 手にも春

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  育実さんは、自分自身の手ではなく、母の手をそこに浮かび上がらせました。この1句には、育実さんのお母さんの深い愛情も詠みこまれることになります。何度か口にしていると自分が母に頭を撫でてもらった記憶も蘇るようでした。

  育実さんの険しかった表情が笑顔に変わり、私もほっと胸をなでおろす想いでした。肩の力も抜け、今、いたるところで開き始めた桜の花のつぼみを目に浮かべて、そのつぼみの頭を心の中で自然と撫でていました。

 そして、「さあ、今だよ、咲いていいよ」と話しかけたくなるのでした。 

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▲キンセンカのつぼみ

イメージ 1▲キンセンカ

*吉田育実さんの俳句<その5>は、こちらです
                                         (相澤純一)

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訪問大学おおきなき(4年制)2期生が卒業しました!<渉さん>

 渉さんとの出会いの始まりは、おおきなきへの1本の電話からです。
 まだ特別支援学校の訪問学級の高等部2年生の3学期でした。学ぶことは好きなのだけれど、人工呼吸器を使用しているため、通所可能な施設の見通しが立たないという担任の先生の相談でした。

 その後、3年生になってから担任の先生がおおきなき事務局に来られて渉さんの障がいや現在の様子を丁寧に説明してくださり、私は、特別支援学校の訪問授業も見学させてもらいました。何とかその熱意に応えたいと事務局会議で話しました。

 ご希望は週1回でしたが、上限の月3回で了承していただきました。大好きな絵本の読み聞かせを中心とした授業と音楽療法の授業、そして、私がスイッチや視線入力の授業を担当することにしました。
 視線入力については、角膜の状態がよくなく、眼振(自分の意思とは関係なく眼球が動く状態)もあり、難しいのではないかという引継ぎを受けていました。
 それでも、スイッチについて何回か試してみて随意的に動かせる部位は見つからなかったので、視線入力の可能性に私は賭けていました。

 私が経験不足ということもあり、始めはまったくいい結果が得られず何回も撤退しようかと思いました。でも、「渉さん自身があきらめていない」ことに気付いたのです。私の設定がうまくいけば、眼振に負けずに、意図的に視線を動かそうとしていることが見えてきたのです。このことについては稿をあらためたいと思います。

 「絵本が好き」という引継ぎを受けていて、訪問大学でもたくさんの本を読んできました。渉さんの表情の変化が楽しみで、講師の本の選択や読み聞かせの工夫にも力が入りました。音楽療法の授業ではギターが好きだということがわかり、文化祭ではLook to Learnというソフトの中のギターのソフトで、講師のキーボードの演奏に合わせて視線で演奏することにしました。最近では、絵本の読み聞かせから視線入力で絵を描くことに発展させる授業も行っています。

*Look to Learnについては、福島勇先生のブログが参考になります。残念ながら、ギターのソフトは、無料体験版にも有料版(80000円)にも入っていなくて、拡張版に入っています。Lookto Learnのお試し版のダウンロードについては、こちらを参照してください。


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久しぶりに会った講師の先生のお祝いの言葉の声に気付き、目がぱっちり開いたところ。

 最近は体調の変化が心配で、車いすに座ることが難しく、ベッドの上での授業が多くなっています。時々、睡魔と戦っていて、目の開きが細くなり、瞼をしばたかせていることがあります。でも、必ず復活して、課題に挑戦しようとするところが、渉さんのすごいところです。

 卒業生の言葉は、講師と相談して作った文章をTobii EyeTracker 4CをつけたPCのDropTalkのキャンバスに録音し、注視でON(マウスの左クリックと同じ)して、発表しました。
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              ▲固定具は用意していなかったので、位置を合わせるのにちょっと時間がかかりました。

**卒業生の言葉***************
訪問大学の勉強を、熱や発作でお休みするのは残念でした。
眠くなることもありましたが、一生懸命がんばりました。
絵本を読んだりギターを弾いたりするのが楽しかったです。
***********************

 また、卒業の歌は、ゆずの「うたエール」でした。授業やご家庭で練習してきた成果が出て、式の中では一番いい表情が出ていましたし、めったに動かない右腕が動きました。

 渉さんは、卒業後も、生涯学習コースで学び続けます。願書には、
「体調がなかなか思うようになりませんが、だからこそ家で、できる限りの楽しみを継続していきたいです。」
と、書いてありました。
 たとえベッドの上の時間がほとんどでも、「楽しく学ぶこと」の大切さをあらためて感じています。
 学び続けることで、渉さん自身の人生が豊かになり、ご家族にとっても講師にとっても、その時間を共有できることは、大きな喜びになっています。

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                                    ▲ご両親と、授業を担当した講師のみなさんと。
                           
                                          (相澤純一)

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吉田育実さんの俳句<その5>
〜やっと完成した17音〜
                           *吉田育実は俳号です。

   育実さんの日々の生活を支えているお母さんが怪我をされたため、その回復を待つ間、育実さんは長い入院生活となっていました。
   そのため、ずっと俳句の発表ができないだけでなく、自分の想いも十分発信できない生活になっていました。

  2か月間、訪問授業ができずにいましたが、1月に再開しました。声も出しづらくなり、私の読み取りがうまくないことからなかなか完成にいたらずにいました。
  3回目の授業で、文字盤を使いながら講師2人で聞き取り、やっと1句を形にすることができました。
 長いトンネルから抜け出して、発表することができる17音です。

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<前回、紹介したタイプアート作品のモデルの「こてつ」です。>  

樋(とい)の上 猫寝ぼけてる 外は春
      
   この日も育実さんの部屋には猫が行ったり来たりしていました。この俳句は、ベッドの上の視点から、外に出ている猫に発想を飛ばしています。
育実さん(講師もですが)、「プレバト!!」を見て学んでいます。

*「プレバト!!」=TBS系列の番組で、前半は芸能人が作った俳句を夏井いつき先生が辛口で査定する
  吉田育美さんの俳句<その4>はこちらから。       文責:相澤  

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明けましておめでとうございます。
旧年中の皆さまの応援、ご支援に心より感謝申し上げます。
おおきなきは、2013年より任意団体として活動を続けてまいりましたが、今年の4月に訪問大学おおきなきをNPO法人にする予定で準備を進めています。下記は、昨年の11月25日に行った設立総会に寄せて書いた文章に加筆したものです。
初めての卒業生である有咲さんが教えてくれたことを胸に刻んで、2019年をスタートします。
皆さまといろいろな意味でつながりながら進んでいきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

特定非営利活動法人 訪問大学おおきなき設立総会によせて
                      おおきなき代表 相澤 純一

「おおきなき」は、訪問大学を、2019年4月発足を目標に特定非営利活動法人とすることを決意した。

2012年、私が「おおきなき」を始めようと考えていた時に参加していたのが、友人であり進行性筋ジストロフィー症患者である阿部恭嗣さんの遺稿集になる「七転び八起き寝たきりいのちの証し」の編集委員会だった。
そこで、私が仙台を離れた後自立生活に踏み切った阿部恭嗣さんのボランティアをしていた浦尾裕子に出会う。さらに、彼女の友人の田中千加子、私と同時代に阿部恭嗣と活動をともにした竹内理恵の3人が賛同してくれて、「おおきなき」の活動を4人で始めることにした。

背伸びをせずに、障がいのある2人と障がいのない2人で力を合わせて、障がいのある人、ない人の架け橋になる活動をしたいと語り合った。だから「おおきなき」の根っこには阿部恭嗣さんの存在がある。

任意団体の「おおきなき」が、最初に形としてスタートさせたのが、おもちゃと絵本の部屋「おおきなき」だ。2013年7月7日に看板を掲げた。私の自宅の1室、14畳ほどのスペースの片側に玩具とスイッチ、もう片側に絵本を並べた。看板の下には「障がいのある子もない子もどうぞ」と書いた。

2013年末には、東京都の多摩地区ですでにスタートしていた「訪問カレッジ@希林館」の門を、大田区の特別支援学校の進路担当の山村先生がたたいていた。その時、理事の下川さんが私のことを紹介して下さった。「おおきなき」の地域に、障がいが重いため特別支援学校を卒業したあと通所するのは難しく、進路先をどうしても見つけてあげたい人がいると言う。この1人の方を受け入れ、訪問大学「おおきなき」を立ち上げる決断をした。出発に当たり、講師を引き受けて下さった方々に改めて感謝の気持ちを伝えたい。

あれから5年がたつ。2018年11月25日、設立意思の確認の場である設立総会の開催により、訪問大学「おおきなき」は、NPO法人として新たな産声を上げる。

今まで以上に責任も社会的な使命もより重くなる。この活動に賛同し、会員になってくださった皆さまの想いは大きな後押しとなった。そして、阿部恭嗣とともに、1人目の卒業生の金澤有咲さんも天国から応援してくれている。有咲さんは、23歳の若さで今年の8月17日に急逝したが、私に訪問大学の存在する意義を授業の中で教えてくれた。

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<有咲さんがトーキングエイドで、初めて自分からお母さんに伝えた絵文字のメッセージー音声にすると「「プレゼント・お母さん・バンザイ」となった>

有咲さんは、口を開けて「はい」、首を小さく横に振ったら「いいえ」というコミュニケーション方法を獲得していた。生活を共にする家族や支援者は、親身に有咲さんの表情や様子を見て、言いたいことを想像し、確認のために十分問いかけてくれていた。万が一予想がはずれてしまった時は、有咲さんが「はい」と口を開けるまで考えられる選択肢を上げていった。

ただ、このコミュニケーションには、弱点がある。やりとりのキーを、有咲さん本人ではなく、言いたいことを予想する側が握っていることである。キーを有咲さんに握ってもらうために、視線入力も含めて入力方法を決めるまでに半年(月1回)、試行錯誤を重ねた。最終的に顎の関節の上にピエゾスイッチをつけることにした。

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<トーキングエイドがオートスキャンしていて、目当ての文字になるのを待ち構える>

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<いまだ!(口を開けて入力する)>

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<入力成功!>

試みとして「行きたいところ」を聞いてみる。ディズニーランド等いくつかの選択肢の中から、地域のイトーヨーカドーを選ぶ。もう答えは分かったので、コミュニケーションの目的は果たしたが、iPadのトーキングエイドをオートスキャン(ア行から順番に色枠が移動し、行が決まると1字ずつ枠が移動する)させて、入力する(口を開ける)タイミングを「まだだよ」「今だよ」と1回1回伝え、「わたし でかけたい いとーよーかどー おねがい」と入力する。そして、最後に、発声キーを選び、機械の音声で伝えるのである。ここでお母さんが、初めて「行こうね」と答えたのだ。

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その時の有咲さんのうれしそうな顔を忘れない。あの笑顔が私の訪問大学を続けていく原動力になっている。

今まで、訪問大学おおきなきを応援し続けて下さった方々、そして、障がいの重い方の生涯学習について制度化も視野に入れて応援して下さる方々に心より感謝いたします。
これからもよろしくお願いします。

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―報告―
2018.12.12 
大田区障がい者総合サポートセンター ピアカウンセリング事業
<学習会>「障害の重い人たちの生涯学習とコミュニケーションの支援」
               
<企画>大田区重症心身障害児(者)を守る会
                 <会場>大田区 さぽーとぴあ 5階 多目的室

2018年が幕を閉じようとしています。
この1年間、みなさんのご支援、応援なしには歩んでこられなかったと思います。
この場をお借りして、心よりお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

12月、私は、上記の学習会の他、支援学校のスイッチ教材製作講座があり、その合間をぬって京都で行われたATACカンファレンスに初めて参加しました。忙しかったのですが、とても充実した月になりました。

ATACに参加したことで、それまでの実践を見つめ直すことになり、新たな疑問や課題も湧き出てきて、とても貴重な月になりました。
その解決は2019年に持ち越していきますが、とりいそぎ12月12日のまとめをしておきたいと思います。

ブログ「おおきなき交流広場」は、12月は1回もアップできずにいましたので、滑り込み投稿になります。


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12月12日、訪問大学おおきなきを団体としてご支援いただき、個人的にも多くの方からご支援いただいている大田区重症心身障害児(者)を守る会から、話す機会を提供していただきました。

タイトルは、今まさに、おおきなきとして私が取り組んでいる内容なので、90分間、盛りだくさんの内容を用意して臨みました。
要望として、iPadや視線入力装置を活用した具体的な支援の内容も含まれていました。
駆け足で進めましたが、やはり時間が足りなくなり、iPadについては実演できないで終わってしまいました。ただ、視線入力については、実際に体験してもらうこともできたので、イメージを持つことができた方もいらっしゃると思います。

終了後、視線入力については、生活介護の施設の方から導入に向けての相談もありました。

今回の学習会では、最近、脚光を浴びている視線入力について、企画された守る会の会員の方のお子さんにモニターをお願いし、2回訪問させていただき、息子さん
(20歳)に体験していただいた感想をいただきました。

また、私が2年以上前から時々訪問している方(30歳)で、ご家庭で日常的に視線入力を取り組めるように環境を整え、2年間実践を積み重ねられたお母さんからの感想をお聞きする機会を得ました。

私からの一方的な話に終わらず、違う立場・視点から考えることができたことは学習会に厚みを加えることができて、よかったかと思います。
具体的な話は、今後あらためて書こうと思っています。

私の一番伝えたいことは、いつも「いのち」のことです。「今」ともに過ごす時間の重みを感じることや、目の前の「いのち」を持つ方が充実した時間を過ごせることが一番大事なことかと思っています。
写真は、その話をしている冒頭の部分になります。
アンケートから、一部を引用させていただきます。

・(障がいのある方にとっての)あたり前のこと(うれしいこと、認められること)を改めて感じる機会となりました。
 事業所に戻り、目の前の利用者の方と向き合いたいと思います。

・おおきなきを利用している障害者の家族からの話もよかった。
学習することが障がい者の生活を豊かにするだけでなく、家族の支援にも繋がっていると思った。
 おおきなきを運営することの困難さも分かった。
 少しでもお手伝いできたらと思います。

・視線入力は、言葉でのやりとりができることが基本かと思っていましたが、言葉が 話せない人にも、自分を表現するという使い方があるということがわかりました。
 支援の機器もローコストになってきているようなので、上手に取り入れていければと思いました。
 また発達に関するお話もあり、大変勉強になりました。日々の関わりに関して、見直したいと思います。

・私の子供は何も考えていないだろうと思っていたので、はずかしながら、これから接し方を変えて、尊重してあげたいと思います。

・「ひとりひとりの命をどれだけ自分が大事にできるか」という先生の言葉に力づけられました。

・コミュニケーションの支援(方法)を知ることが出来ました。その為には内に秘めら
れている思いを支援者側が引き出す、受け止めることが大切・大事であると改めて考えされられました。 施設職員として考えなければいけない事(関わり方)学びが 必要だと思いました。

学習会は、私自身が、これから学んでいかなければいけないことを教えていただく貴重な機会にもなりました。
企画してくださった大田区の守る会のみなさん、参加してくださった方々に感謝いたします。
2019年につなげていきます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
                                                                              (相澤純一)

 

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吉田育実さんの俳句<その4>
            〜季節の移り変わりを感じる〜
                                                 *吉田育美は俳号です。
       

 暑い夏はつい最近のことだったようでもあり、遠い昔のことだったような気もします。今回は、夏から秋への移り変わりを詠んだ俳句と、冬の季語「炬燵」を使った俳句です。

 1句目です。「爽やか」が秋の季語だということを歳時記で確認します。寝たきりの育実さんは、歳時記をめくることはできませんが、季語は、頭の中でいつも的確に考えています。
  家の玄関から一番近いところに育実さんの部屋があります。育実さんはほとんどの時間をベッドで寝て過ごしています。育実さんの部屋の扉は開いていることが多いので、玄関が開くたびに空気が動き、その温度や人の動きを肌で感じるそうです。
その風で季節も感じ取っています。季節は夏から秋に移行し、気温も下がり、湿っぽさもなくなってきていました。
  涼しくなってきた風に気付くのは特に夜になってからということでした。育実さんの家は、少し住宅地に入っていますが、商店街がまだ続いています。玄関から入ってくる風は「街の風」だそうです。 

爽やかや 夜の玄関 街の風

 2句目です。
 夏井いつきさんのネット上の投稿サイト『俳句ポスト365』の次回の募集作品の題が「炬燵」で、考えておくことになっていました。Hさんの家では、猫を3匹飼っていて、作りやすかったようです。

動かない脚に猫達のる炬燵

  冬は、Hさんが寝ている布団の上に猫が集まり、寝ているそうです。動かない脚に猫のぬくもりが伝わっていきます。「それはまさしく猫炬燵だね」という話になりました。

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▼第22回(平成22年度)「肢体不自由児・者の美術展」 
審査員特別賞受賞「どこ見てんのよぉ。こてつ!」(タイプアート)

*タイプアートは、電動タイププライターで始め、その後パソコンを使って描いていました。
  文字や記号を組み合わせて、スイッチで1文字ずつ入力しながら描いた絵です。

★スイッチ一つで広がるタイプアートの世界

〜育美さんのタイプアートの作品や川柳集を見ることができます。

  
 
  最後に、育実さんの最近の1句です。

長袖に替えるを待ちて秋の暮
 
  ベッドに寝た切りで着替えも自分の想いのままにはならないのですが、半袖から長袖になる季節の移り変わりを待ち続けていたそうです。
  日が短くなり、寒さも感じる秋の夕暮れに詠んだ句です。


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「ねずみくんのおくりもの」出版記念会に参加して
   〜11年の時を経て誕生した、阿部恭嗣原作の想いのこもった絵本〜

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  2018年11月12日発行 出版:教育画劇

11月10日(土)、11月とは思えないくらい暖かな日差しの中、
仙台に向かいました。
おおきなき発足のきっかけとなり、今も天国から見守り続けて
くださっている阿部恭嗣さんの原作の絵本
「ねずみくんのおくりもの」の出版記念会
(主催:一般社団法人あいうえおが行われたのです。

この物語は、恭嗣さんが妻の昭子さんの誕生日に
贈ったものでした。
2006年1月17日の日付で、20年の自立生活の中途で
がんを患い、再入院した病院のベッドの上で
クチマウス を使って、書かれています。
原作は「チュウ太の贈り物」というタイトルでした。
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 「ねずみくんのおくりもの」原作原稿

10年の時を経て、昨年(2017年)、仙台のデパート「藤崎」の福袋
「世界にたったひとつの絵本」に昭子さんが応募したところ当選し、
絵本「やっちゃんの贈り物」が10冊誕生しました。
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「やっちゃんの贈り物」

そのときの絵本は、絵本作家つちだよしはる先生が下絵を描き、
昭子さんが色を塗って仕上げました。その本を創りながら、昭子
さんはつちだ先生に、恭嗣さんのこと、その仲間たちのことを
詳しく話したそうです。つちだ先生は、恭嗣さんの人柄や想いに
惹かれ、それが、この絵本をぜひ出版したいと思う原動力となった
と記念会で話されていました。
絵本のあとがきにも、そのつちだ先生の想いが記されていますので、
ぜひ読んでいただきたいです。

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「やっちゃんの贈り物」、つちだ先生と昭子さんの作業風景

私も、恭嗣さんに実際にはお会いしたことはないけれど、つちだ先生と
同じように、恭嗣さんの人柄や想いと、その想いを引き継ぎ日々奮闘
する事務局メンバーに惹かれ、今おおきなき事務局としてここにいます。
絵本では、「自分は何もできない、でも愛する人のために自分ができる
ことを考えて精一杯やってみる」ということが書かれていて、私はその
想いに強く惹かれました。「私にも周りの人に対して何かできるかも
しれない」「小さなことでもいいから、大切な人たちのことを考えて何か
少しずつでもやってみよう」という勇気がふつふつと沸いてきました。
それは、私にとってこれから先の人生に向かうにあたり、とても大きな
ものとなりました。
恭嗣さんは、ねずみくんに託して、今もなお私たちを励まし続けて
くれます。絵本を通じて、その想いをぜひたくさんの方々に感じて
いただければと願っています。

出版記念会には、文と絵を創られたつちだよしはる先生をはじめ、
今回この絵本を出版した教育画劇さん、絵本福袋を企画・担当
された藤崎の方々や、昔からの恭嗣さん、昭子さんのお仲間など
50名ほどの方たちが集まりました。
恭嗣さんの懐かしい映像や写真を見て、恭嗣さんとの
思い出を語り合ったり、絵本からイメージしたという美味しい
ケーキを頂いたりしながらのとてもあたたかな会となりました。
その様子を写真でご紹介します。

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恭嗣さんとねずみくん

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「ねずみくんのおくりもの」展示

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ねずみくん、ねずみちゃんのケーキで昭子さんにサプライズ
つちだ先生(右側)がケーキを運んでくださいました。

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サプライズを受け感激する昭子さん

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恭嗣さんの誕生日と絵本の誕生日、両方のお祝いのケーキでした。
こくちょう菓詩屋さんが心を込めて作ってくださいました。
ねずみくんとねずみちゃんは、つちだ先生作です。
のちほど切り分けてみんなでいただきました。

子どもたちにクリスマスに届けたいと、つちだ先生と教育画劇さんが
必死に頑張られ、11月上旬の、それも11月12日、まさしく恭嗣さんの
誕生日に発行することができたのです。
それは偶然ではなく、恭嗣さんの想いの深さなのではないかと感じます。
この絵本が、たくさんの方々の元に届きますように。

♪絵本については、教育画劇さんHPの「ねずみくんのおくりもの」
紹介ページに詳しく載っています。こちらもご覧ください。
http://www.kyouikugageki.co.jp/bookap/detail/1803/

♪事務局のゆうこさんの個人ブログ「障がい者せんせい」にも
この絵本の記事が投稿されております。合わせてご覧ください。
⇒ コチラ



(おおきなき事務局 田中千加子)

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私は書かずにいられない
    ―生きて生きて生き抜いた*恭嗣(やすつぐ)
を想う(その5)―
         *岡部健氏(医療法人社団爽秋会理事長が本の帯に書いた表現
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私は書かずにいられない

 私の5年間(19歳〜24歳)の仙台の生活の中で、一緒に活動していた進行性筋ジストロフィー症の仲間が3人も天国に旅立った。仙台から東京に戻った後も訃報は続いた。
 筋ジス病棟のことになると、さらに大きな数になる。恭嗣はこう書いている。
 「私のいる3階病棟は9年前にでき、当時80名いた仲間は、1人減り2人減りして、
 今は9名しか残っていません。」(「七転び八起き寝たきりいのちの証し」より)
 恭嗣が2007年2月から、毎日ベッドの上でクチマウスという道具を使って書き続けたブログの6日目に、ブログを書こうと思った動機が綴られている。

 「私の仲間は、みな夢果たせず亡くなった。
  ゆえに、私は書かずにいられない。」 
                (2007年2月11日)

 恭嗣は、夢見た自立生活を20年にわたり実現したものの、進行性筋ジストロフィー症に加えて新たにガンとも闘うことになった。そのため、彼は病院に戻り、再出発のベッドの上で自分が今なすべきことに向き合うのである。
 恭嗣はペンの代わりに、唇でパソコン上のマウスを動かし操作できるクチマウスという道具を得た(上の写真はクチマウスを使用して文章を綴る様子)。入院前は、ペンはもう持てなくなっていて、何かを書き留めるにはボランティアさんなどがいるときだけの口述筆記が主な手段だったが、クチマウスを使い自分自身のタイミングと力で、思いの丈を綴れるようになった。
  2008年7月1日、彼自身が天国に旅立つ日、そのぎりぎりまで、恭嗣は、口でマウスを動かし続け、ブログという形で1年5ヶ月、ほぼ毎日発信し続けた。

恭嗣と私にとって大事な存在だった喜美男のこと

 一緒に活動してきた仲間の中で、進行性筋萎縮症連絡会の活動に参加していた喜美男のことを、私は、恭嗣と同じように大事にしている。正確には、喜美男には、大きな悔いを残していて、40年近くたった今も思い出すのだ。あの時のことを。
   自立生活を夢見る恭嗣の背中を押したのは、喜美男の言葉だった。
 改めて近いうちに私自身も「あの時のこと」を書こうと思っているが、下記に引用する「自立を目指した喜美男のこと」は恭嗣が書いたブログの記事の中では、私にとっては限りなく重く切ない文章だ。
 
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自立を目指した喜美男のこと
                (恭嗣のブログ「やすぐすくんの心象風景アラカルト」より)

   「俺、今度痰が絡み出したら、もうだめかも知れないなぁ・・・」
と、喜美男は、大きく身体を揺らしながら言った。
   私たち筋ジス患者は、病状が進むと、車椅子上で「舟こぎ」と言われる、呼吸を幾分でも補正する動作をするようになる。当時は、今のような呼吸器が発達・普及しておらず、多くの重度の筋ジス患者は、真綿で締められる蛇のように、慢性的に息苦しさを感じていた。
   喜美男は、私より一つ年下であった。
  中学校時代は、いつも弟のように人なつっこい笑顔を見せていた。同級生のKが、喜美男の車椅子を押して、私の所に来ていた。
  ところが、そのKが心臓を悪くして、僅か15歳で亡くなってしまった。私は、Kを見送りに霊安室に行った。弟のように可愛がっていたKが亡くなったことで、どこか動転していたのだろう。同じようにKを見送りに来ていた喜美男に、「病状的に、お前の方が先だろうに。」と、思わず口走ってしまった。「しまった!」と私は思ったが、あとの祭りだった。その時の喜美男は、半分泣きそうな顔をしていた。
   私は、喜美男にとても済まないことをしてしまった。

  私たちは、中学と仙台第一高等学校の通信制を卒業後、共に自分たちのアピール運動に参加した。喜美男は、貧しい家の中で、早くから「自立」を意識して関わっていた。私は、どこかのんびりと構えていた。
  そうした中で、喜美男が「舟こぎ」をし出し、次第に弱っていった。そして、とうとう恐れていた痰が喜美男に絡み出した。喜美男は観察室に行き、息苦しかったのに、私たちが見舞いに行くと、無理に話しかけて来た。喜美男は、私に、

「俺、一度で、いいから、外で暮らしたかった。
いつか、俺の代わりに出て行ってくれよ!」

と、最後に言い残し、亡くなったのだった。
  私は、その時の喜美男の言葉に、自分の横っ面を張られたように感じられた。
  私の生きる方向が、明確になったのだった。
  それから私は、遮二無二、自立運動にのめり込んで行ったのだった。
  絶えず、私の後ろには、いつも彼らの思いがあったのだった。    
                                      (2008年3月18日)
---------------

恭嗣から受け取った見えないバトン

 喜美男がベッドの上から羽ばたきたかった場所は天国ではなく、自分の意志で生きられる場所だった。
 恭嗣は、このとき誓ったように病院を出て、20年間の自立生活を実現する。
 喜美男の夢も自分の夢に重ね合わせて恭嗣が実現する。
 いのちのバトンが受け継がれていくように感じる。
 恭嗣は、一緒に病棟で暮らしていた仲間の中で最後に残った筋ジス患者の一人になった。
 喜美男の他にも、多くの仲間の夢や願いを恭嗣は脳裏に刻んでいた。
 病棟や家で夢や願いを果たせず早く亡くなっていった仲間の思いを大切にしながら、生きていく使命を感じていた。そして、本当に最後の1秒まで生きて生きて生き抜き、あふれる思いを書き留めていこうとしていた。

  私達「おおきなき」の事務局メンバーも、恭嗣から受け継いだバトンをそれぞれが自分の生き方の中で感じながら生きている。
 「障がい者せんせい」を書いているゆうこさんもその一人だ。
 この文章を恭嗣が読んだら、何と言うだろう。ブログの中では、「何を選んでも道は開ける」と書いている。だから、「自分らしく生きて」と優しく語りかけてくれそうだ。

  見えないバトンを受け取っているのは、私達だけではない。
  恭嗣の自立生活を支えた多くのボランティアが全国に今散らばっている。
  恭嗣と過ごした時間をきっと今でも大切にしていて、ぞれぞれの人生を生きているだろう。
                                             (相澤純一)

 
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*私が大学生の時に親に買ってもらったいすゞフローリアンバン(中古で8万円)に乗って旅をする。
   ドライブインで背中を伸ばす恭嗣。

*10年目の月命日に掲載してきた「生きて生きて生き抜いた*恭嗣(やすつぐ)を想
  う」は、今回で一旦終了とさせていただきます。
*「生きて生きて生き抜いた恭嗣を想う(その4)は、こちら

*今後は、不定期で書くことになりますが、また、読んでいただければうれしいです。

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トックン、これからも一緒にいてほしい
―「トックンのアート館」いつまでも―(第5回・最終回)

  トックンの月命日(13日)です。
    NHKの朝ドラの「半分、青い。」は9月で終わりましたが、
私は録画して主人公の漫画家としての生活が始まった頃から、
毎回見ていました。そして、放送終了後、亡くなった方とともに
生きていくというテーマが強く心に残りました。
  特に最終回につながる3回での「(亡くなった人達も)ここに
おるよ」というセリフが耳にリフレインしています。

  トックンもここにいます。これからもずっといてくれると思います。
  このトックンの追悼記事の連載は、今日で終わりますが、
「トックンのアート館」は、おおきなきが続く限り、そのままにしておく
つもりです。
  どうぞよろしくお願いいたします。

トックンのお母さんに対しての感謝の表現
  やはりトックンを一番身近で力づけていたのは、お母さんの
不変の深い愛情であり、お母さんの絶え間ない支えです。
  トックンはお母さんに対しての「ありがとう」の気持ちをいつも絵で
表現してきました。
  ごちそうしたい物を描くことが多かったのですが、その中の1枚
です。
イメージ 1
                    『親子丼定食』 Tokkun's Art Museum<68>

その日、一番雄弁になり目を輝かせて喜びを表現してくれたトックン
 
   トックンと最後に会って話した日は、1月14日(日)で、天国に
旅立つ3か月前でした。日本肢体不自由児・者の美術展に
初めて応募し、東京都都知事賞に選ばれたものの
外出許可が下りるのが2時間以内だったため、表彰式への
出席は断念していました。
   郵送でおおきなきに届いたメダルと賞状を届けるのは1か月
遅れとなってしまいました。
   
   その日、トックンは初めてお母さんと待っていてくれました。
   お母さんは、平日にいつも面会されていたので、病院でお会い
することは1回もありませんでしたが、トックンがお母さんに話し
てくれて、その日は特別に休日に面会に来てくださったようです。
   2人で、その日が特別な日であることを意識してくれたのです。

生きてきた証しと、認めてもらえた自信を胸に

  
特別支援学校時代の教員4名で表彰式に近い形で、メダルと
賞状を手渡しました。
イメージ 4

 
その時に、トックンにブログにも掲載するからと説明し、一言
話してもらいました。それまで、気管切開もしているため声は
小さく、発音も聞き取りにくかったので、聞き直すことが多かっ
たし、長い会話をすることもありませんでした。
   この日のトックンは違いました。一つ一つの言葉に力があり、
話している内容を1回ですべて理解できたのです。表情も自信
に満ちていました。


  私の脳裏には、この時の元気で目を輝かせていたトックンの
姿が残っていたので、3か月後の4月13日のお母さんからの電
話には、耳を疑いました。この日、トックンが33歳で人生のゴー
ルのテープを切りました。

  自ら「絵描きの卵」と称し、絵を描くことを生きる証しとしてきた
トックンが、社会的に認められて、亡くなる前に表彰されたことは、
本当によかったと思うのです。「間に合ってよかった!」とも思い
ました。
   トックンは天国に心の勲章をかけて旅立つことができたのです。
この時のトックンの笑顔を思い出し、新たな一歩を踏み出してい
ます。
                                 (相澤純一)

 
★昨年度の「日本肢体不自由児・者の美術展全入選作品は、

★最後に、秋の私のお気に入りの作品を2つ。
イメージ 2
           『お月見をするカタツムリの夫婦』 Tokkun's Art Museum<7>

イメージ 3  
               『みのむし君と銀杏の妖精』Tokkun's Art Museum<106>

・お母様からもご承諾いただき、引き続き、トックンのアート館に掲載しているイラストを絵はがきにして販売いたします。
  ・今まではトックンに売上の一部を渡せるように80円に設定しておりましたが
今後は材料・印刷費のみにして一枚50円でお分けいたします。
詳細につきましては、下記をクリックしてください。

https://blogs.yahoo.co.jp/ookinaki_koramu/55354959.html

★「トックンのアート館」いつまでも―第1回〜第5回は下記で読むことができます。



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目で描く喜び、目で奏でる喜び(その3)
ー視線入力を始めて4年目ののぞみさんー
       
〜サウノスヴァルカの演奏と詩の朗読のコラボの試み

  始めは、こちらが用意したプログラム通りに、のぞみさんに
やってもらうことばかり考えていた。
 たとえば改造キーボードを1スイッチで演奏する。音楽は、当時、
プロジェクトに参加していたので、OAK(オーク)を取り入れて、
キネクトというカメラセンサーで、器用に動く舌の動きをとらえて
空間でスイッチにし、内蔵曲を演奏してもらった。
 なかなか気持ちが乗らず、1曲を演奏するのに時間がかかった。
CASIOのサイトから、のぞみさんの好きな嵐の曲を取り込んでも
あまり楽しそうでないことが多かった。
  でも、気持ちが乗った時の舌の動きは巧みで速く、すごかった。
私にはとても真似できない動きだった。
  長く続けていると、決められた曲を演奏できることが楽しいとは
限らないことが分かってきた。

  こちらの予想と学生さんの反応が違うことはよくある。ここまで準
したから、これは楽しいはずだからと思い込んでいるとすれ違う
ことがある。
   OAKをスイッチで試してみたかった私のこだわりは、のぞみさん
思いとずれていってしまっていることに気づくのにだいぶ時間が
かかった。

 その後、視線入力を試してみる環境が整い、絵を描くことにのぞみ
さんが没頭するようになって、4年になる。楽しいことは続けられる。

   音楽は、SOUNOS VALKAを視線入力で演奏できることが分かって
から、スイッチ併用で試してみることにする。これが、のぞみさんの
羽根をはばたかせることになる。自由に好きな音を出せるSOUNOS
VALKAは、のぞみさんの心をとらえた。
イメージ 1


   この日は、私が、機器をセッティングしている間に、のぞみさんは
りえさんと盛り上がっていた。
 「今日はりゅうのめのなみだを読むから、りゅうのところで声を
出してね。その後、絵を描こう」
 「それから、サウノスヴァルカの演奏で詩を読むよ」
と言われると期待が膨らんだのか、目が輝き、呼吸器から息が漏れ
大きな喜びの声なっていた。

   「詩を朗読するのは、私がいいかな? りえさんがいいかな?」
私がのぞみさんに事前に確認したが、はっきり頷いて「りえさんと
やってみたい」と意思表示した。

   おおきなき事務局のりえさんは、 5年前からヘルパーとしても
のぞみさんにかかわっていて、最近は訪問大学の授業の方にも
サポートに入ってくれている。家から谷川俊太郎の詩集を何冊か
用意してくれていた。


イメージ 2   
  この日は、「朝のリレー」「朝の祭り」「おはようの朝」の3篇、りえさんが
朗読し、のぞみさんが視線入力と首の動きで演奏した。
のぞみさんの表情は意欲に満ち溢れ、二人の息が合い、すてきなコラボ
になった。

目で描く喜び、目で奏でる喜び(その2)は、こちらから。
*SOUNOS VALKAについては、こちらから
*この授業では、ノートPCTobii Eye Tracker Cを装着し、GazePointまたはmiyasuku EyeCon LT
使用している。Tobii Eye Trackerのドライバーで常時バブルが出るが出るように設定している。このバブ
ルがあることで、支援者ばかりでなく本人が自分の視線の動きをフィードバックできて、とてもいい効果が
出ている。

                                                         (相澤純一)

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