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下は本山で授かった2人の男の子を含み一家8人で撮影 3年前 )
◇ 「神の子を知るための人生だった」
と気付き、研修生となる 私はすぐに研修生を希望しました
「今までの人生は『人間神の子』を知るための人生だった」 と分かったのです。 もっともっと深く『人間神の子』をわかりたいと思ったからでした。 実は私は、妻と、4人の子供が在りまして
(当時6歳、5歳、2歳、10ヶ月) 常識的には、とても研修生などやれる自分ではありませんでした。 当然会社もあります。 しかし、一度調整のために帰郷いたしました。 ◇ 3ヵ月後・・・
35年ぶりに生みの母と再会 そこで思わぬことが起こりました。
会社の役員でもある伯母の家へ行きまして、 これまでの経緯を話しますと、 意外にも研修生となることに賛成してくれたのでした。 しかも、話に「生みの母」の事が出てきまして、
生み母 の妹から昔、 生みの母の電話番号をメモに書いてもらっていたのになくなった・・・ という話でした。 ・・・しかし数日後、そのメモがみつかったのです。
妻がそこへ電話してくれて、 なんと私は、思ってもみなかったのですが、 35年間会えなかった、 「九州の宮崎県に住んでいる生みの母」と 再会することができたのでした。 9月の練成を受け、 楠本先生のご指導を受けて、 わずか3ヶ月目のことでした。 ◇ 「35年あなたに恥じることのないように
一生懸命生きてきた」
私は四国の愛媛。
母は九州の宮崎。 海を越えて、山を越えて車で会いに行きました。 母は思った以上に温かく温かく迎えて下さいました。 そしてこう言ってくれました。 「あなたと、離れ離れになったときは、
まるでひきちぎられたように辛かった」 「頼るもののなさに愕然とした」 その時 「頼る人生よりも、頼られる人生を歩みたい」 と思い 「人の為になる生き方をと、今まで生きてきましたよ」 と。そして 「35年あなたに恥じることのないようにと一生懸命生きてきましたよ」 と。 ◇ 「父母の愛」を知った時、
絶対に会えないはずの 二人が再会できた
その時、驚いたことが一つありました。
生み母がこう言ったのです 「実はあなたとは一生会うまいと思っていました!」 それは 「あなたには会いたいけれど、育ててくれたお母さんに悪いからね」 と。 実は私も同じ事を思っていたのでした。
育て母に悪いから生み母には一生会うまい! しかし不思議ですよねぇ。 「一生会うまい」 とお互いに堅く誓っていた二人なのに、 この宇治で「父母の愛」を知ったとき、 絶対に会えないはずの二人が再会できたのです! 生み母も嬉しそうでしたが、私も嬉しかった。
そして、妻も嬉しそうでした。 子供達もうれしそうでした。 ◇ 全てを礼拝していく
生き方をしていこう!
その日の日記に、
私はこう書いておりました。 ≪私は今まで、人に拝まれようと
「成功者」「億万長者」を目指して やってきた。 しかし今思うのは
「拝まれる人生よりも、 拝む人生の方がどれほど幸せだろう!」 ということだ。 これからは、全てを礼拝していく
生き方を私はしていこう! それを私は宇治の練成会で 教えていただいたのだ。 ありがとうございます。≫ ◇ 研修生、伝道練成
・・・天降る気付き そうして私はその年、研修生として年末を迎えたのでした。
練成会というのは皆さん、何回でも受けるといいですよ。 私も、研修生として毎月 『伝道練成会』というのを受けさせてもらえたのですが、 それを受けるたびに、 いろいろな「気付き」が まさに「天降ってくるように」あるのですね。 ◇ 臨死体験の18日は、
育ての母の月命日 9月の練成会で、まず驚いたこと。
私がまさに、宇治に来ざるおえなかった直接的原因、 臨死とも言えるような体験をした18日というのは、 よく考えてみると、私の育て母の「月命日」だったのです! ◇ 祖父と同じ境遇、同じ時節に、
同じ気持ちを経験 研修生になってはじめての伝道練成会。
戸籍を調べてみると、なんと祖父は、 4人の子供を残し、 一番下の男の子が昭和19年11月2日に生まれて、 丁度7ヶ月めピッタリの翌年6月3日に亡くなっていました。 じつは私の長男は平成14年1月15日生まれ。
あの、体調急変の8月16日は、 この子が生まれてピッタリ7ヶ月め当日だったのです。 なんと私は、五十数年を経て祖父と同じ境遇・同じ時節に
同じ気持ちを経験していたのでした。 私の長男も父と同じ四番目の子で男。 同じ立場です。 実は、祖父の4番目の子供というのが他でもない・ 私の父だったのです。 ◇ 育て母の念願・・・
「生み母と私を一度で いいから会わせたい」
研修生になって2回めの伝道練成会で知った事。
私の育て母は「生み母」と「私」を一度でいいから会わせたい! 会わせたい!と言い続けていたことを、 妻から聞きました。 奇しくも私は、
ご先祖様、そして母に導かれた宇治の練成会のお陰で、 その『母の念願』を果たす事が出来た事を知ったのでした。 もし宇治の練成会に参加できてなければ、 一生かけてもわからなかったであろう色々なことが、 練成会を受ける毎に 謎がほどけるように分かっていきました。 ◇ 感謝極った幽斎殿での祈り
・・・母が浮かび、満面の笑顔で 「よかったねー」
その年の年末。
12月31日、私は幽斎殿でお祈りをしておりました。 「ありがとうございます。
ありがとうございます。 お父さんありがとうございます。 お母さんありがとうございます。 ご先祖様ありがとうございます。 谷口雅春先生、楠本加美野先生 ありがとうございます。 一緒に練成を受けた方々、研修生の皆さん、 ありがとうございます」 もう心も胸もいっぱいでいっぱいで、
感謝でいっぱいになった時、 なんと幽斎殿に亡くなったはずの、 母さんの顔が浮かんできて、 満面の笑顔で 「よかったねー」と。 ◇ 「そんな人になってほしかった」
・・・育ての母の真の願いを知る 「私はね、そんな大人になってほしかったんだよ」
「そんな人になってほしかったんだよ」 と言ってくれました。 今まで心配のかけどうしで、
あのバブルの時も、いくらお金持ちになっても、 決して喜ぶより、むしろ心配してくれてた母が、 今度は、本当に嬉しそうに満面の笑顔で…。 それを見て私も嬉しかった。
嬉しい心と心がひとつになって、 涙がつーっと流れたら、 もう止まらずポタポタと最後まで涙がこぼれ続けました。 ◇ 生まれて初めて
・・・生みの母からの喜びの手紙 よかったよかった本当に
「神様の世界」を知れてよかった。 宇治に来れてよかったと思いました。 実はその前日、
生み母からも生まれて初めての手紙が、 この宇治に来ていたんですね。 その中には 「来てくれてありがとう。
今まで7月3日という、 あなたの誕生日は辛い日だったけど、 これからは喜べるよ」 「ありがとう」 と書いてありました。 ◇ 「いのちは一つ」・・・私が救われた時、
霊界の母も生み母も
同時に救われていた
私はこの練成で、
私一人が救われたように思っていたけれど、 そうじゃなかったんですね。 私が本当に救われたーと思った時、 霊界の母も、遠く海を隔てた地にいる生み母も、 同時に救われていたんですね。 やっぱり私と「いのちは一つ」であったのですね。 「お父さんありがとうございます」
「お母さんありがとうございます」 私はこの宇治で 「人間は神の子である」 という素晴らしい真理と同時に、 「父母の愛は神の愛だったんだー」 ということを教えていただきました。 ◇ 御先祖・父母の愛に導かれている
・・・この真実を多くの方にお伝えする 遠く離れた地にあろうとも、
ご先祖の御守りと、父母の愛が 常に私たちを導いて下さっているのだと知りました。 この素晴らしい真実を、
家族と共に一生涯、 多くの方にお伝えしていきたいとおもいます。 神の子の皆様、 御清聴ありがとうございました! (生長の家宇治別格本山大講堂にて)
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