雑木林の尾根道----幻の高瀬城を歩く
交流と魅力づくり部会/里山を歩く会
11月18日(日)、前日からの雨をものともせず11人の山好きが集まりました。
今日は、宮田・高瀬から岡・芳賀野にかけて広い範囲の尾根筋に築かれた
南北朝〜戦国期の山城「高瀬城址」を訪ねます。
8時半、大蔵市民センター集合。
予備学習の後、9時出発。
高瀬の三柱神社から山に入ります。
尾根の堀割りの道を進みます。
左右の崖の上には曲輪(くるわ:防御等のため兵士が集結できるよう削平された区画)が配置されています。
主稜線に出ると高瀬側斜面の黄葉がきれいです。
ときおり陽が射してきます。
コナラやクヌギ、カシなど、伐採されなくなったので
大木に育っています。
馬の背状に両岸が切り落とされた土橋を進みます。これも防御施設です。
右側、宮田の深谷から、左側、法道寺の吉竹へ越す標高
265mの峠です。地図をのぞいて確認します。
お昼前に登頂!
梨ヶ岳290mの山頂は、幅5〜10m、延長120mの削平地が、二本の堀切で三区画に
区分されています。高瀬城の主郭です。
山頂を吹き抜ける風は、もはや冬の風!お昼をすませ、早々に下山にかかります。
1時間ほどで麓の東谷へ下りました。
東谷の「大田(おおだ)」と呼ばれる水田跡の石垣です。とても田んぼの石垣というようなものではありません。上の平地は、元は屋敷だったのでしょう。高瀬城主の居館だったかもしれません。
これはすごいですね。
元はこの東谷一帯に設置されていたのでしょう。五輪塔や宝篋印塔の残欠、
地蔵さまや阿弥陀さまの板碑(いたび)が大量に集めてあります。
この後、大蔵小学校発祥の地―見妙庵(けんみょうあん)跡―を見学し、午後2時、
全員元気で市民センターに帰り着きました。
時雨にけぶる雑木林と数々の歴史遺産に、心満たされた高瀬城址の山行でした。
(撮影/文:交流と魅力づくり部会 斉藤)
大蔵地域自治協議会のHPへ戻る→http://ookura-jichikyo.com
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