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極楽浄土見る
四天王寺「日想観」沈む夕日
黄金色の夕日に、
秋分の日
境内のに大門(極楽門)と鳥居と落日が一直線に結ばれ、
集まった参拝者らは夕日に手を合わせ、日没を見届けた。
写真見るだけでパワーがいただけそう。
大阪日日新聞、23・9・24一面記事。
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こんにちは、ゲストさん
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極楽浄土見る
四天王寺「日想観」沈む夕日
黄金色の夕日に、
秋分の日
境内のに大門(極楽門)と鳥居と落日が一直線に結ばれ、
集まった参拝者らは夕日に手を合わせ、日没を見届けた。
写真見るだけでパワーがいただけそう。
大阪日日新聞、23・9・24一面記事。
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昔、昔1493年 4月25日河内の国;正覚寺の陣.明応の政変、クーデターによって室町幕府第10代将軍 足利義材公と昵懇の公家、葉室大納言光忠卿と光忠卿の叔父、妙法院賢長と三人他投降した、光忠卿は29日天王寺の地蔵尊で殺されたという。この地蔵堂がどこか探していた、文献では『一心寺の西側にあったこと、水がわき出てお茶などに使っていた等々、現場にって、聞いていたら、四天王寺(天王寺1番地)、車で入った道路の最初の右にありました。道路電車が通った時こちらに移したと記載あった。実は光忠卿の一男、藤原末光公が備前に隠遁して現在に至る、子孫が私です。先の将軍はとらえられ京都天竜寺に幽閉の時逃亡、のち15年後再び将軍になる。光忠卿の末っ子当時一歳の子が16歳となった時のこと都に出て公家、葉室家を継いだ。長男は隠遁地備前吉永町都留岐(つるぎ)旧大股村に本姓の藤原姓となりこの地にとどまり活躍した。なお妙法院賢長は叔父の教忠卿の嘆願によって命は救われた。光忠卿の甥 阿野季綱は義材公に15年間付き従い各地の援軍を集め活躍した再将軍への功績は最も大きいという。ここに流浪の公家、流浪の公方を呼ばれています。
2012/4/8(日) 午後 9:20