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これは最高に面白い伝承:何しろ大きな巨人がわが田舎の八塔寺山を一跨ぎしたが「金玉」が引っ掛かったという、、山が削られた跡がある等々の話よ:この伝承は
書名「大いなる巨人の伝説」第一部:著者 書 智(ふみ 章)発行:奈義町立図書館。2001年8月1日発行2007年9月7日改訂第一章史実と伝説のはざまで、、、、ほか 偶然ヤフーで本文を発見、わがふるさとの一番高い山をまたいで、、男の一番痛いとこの「金玉・・・きんたま」が引っ掛かったという。このような話が田舎に伝承があったことうれしいね。 さっそく本を買いたいね、、以下ご紹介します。 注釈1-1f:さんぶたろうに関するさまざまな伝承 前記のほかにも、岡山県奈義町、勝田郡、美作地方東北部一帯には、さんぶたろうに関する伝承地が数多く残っている。(『さんぶ太郎考』(奈義町教育委員会発行)から引用、または参考にした。) A.地名に関する伝承 ... (1)頼光(よりみつ):さんぶたろうの恋敵である頼光の在所。奈義町西原地区。 (2)豊田屋敷:奈義町西原地区、柿地区へ越す古道の谷頭地。さんぶたろうの妻小菅戸のいた豊田氏の住居地という。 (3)さんぶたろう屋敷:那岐山頂、あるいは是宗川上流、是宗城(細尾城)の北方人形石より戌亥の方角の山頂にあったといわれる。 B.さんぶたろうの死に関する伝承 (1)さんぶたろうが吹く:かつて北風のつよく吹く日には「さんぶたろうが吹き出した」と言った。彼の死にあたり吐き出した息吹という意味。 (2)くろぼこ:那岐山麓一帯の肥沃な黒土を「くろぼこ」と呼ぶ。さんぶたろうが死んだ後、その肉や血がくさってできたものといわれる。 (3)「じやがたに」または「ちあらいのたに」:さんぶたろうの死んだ時、那岐山の一角が崩れてできたといわれる。また一説には鎌倉山城の北方のこの地で戦いがあり、その血をあらったために「血洗いの谷」というともいう。 (4)山麓に点在する巨石群:さんぶたろうが死んだ時那岐山が崩れて飛び散ったものといわれる。 (5)さんぶたろうの四方に飛び散った亡骸を祀ったところ イ.三穂神社=三穂大明神。さんぶたろうの頭部を祀る。別名「こうべさま」。奈義町関本地区。 ロ.杉神社=荒関大明神。さんぶたろうのあら(胴体)を祀る。別名「あらせきさま」。奈義町西原地区。 ハ.河野神社=さんぶたろうの肩の部分を祀る。そのため肩や手の病気にご利益があるという。別名「若一王子権現=にゃくいちさま」。鳥取県八頭郡智頭町土師。 ニ.右手大明神=さんぶたろうの右腕を祀る。勝田町梶並(現美作市)。ここにいうさんぶたろうは、源氏の落ち武者近藤武者是宗の子三穂太郎勝正をさす。 C.さんぶたろうの行動に関する伝承 (1)さんぶたろうのせっちん岩:是宗の奥の谷間に岩がかたまっており、さんぶたろうが谷の稜線をまたいで排便した跡といわれる。また那岐山頂三穂太郎屋敷から巽の方角に井戸、南の方に長さ八間横六間の厠と呼ばれる黒石があったともいわれる。 (2)さんぽたろうの名の由来:さんぶたろうは三歩で都まで行ったので三歩太郎と呼ばれたという。 (3)さんぶたろうは、那岐山頂に腰を下ろして、瀬戸内海で足を洗った。 (4)さんぶたろうは、那岐山に腰を下ろして因幡の賀露の浜で足を洗った。 (注記、、ここから私の故郷の山 八塔寺山をまたぐ話) (5)さんぶたろうは、那岐山と備前の八塔山(和気郡吉永町〔現備前市〕)をひとまたぎした。 (6)さんぶたろうが那岐山をまたいだとき、ふぐり(陰のう)がふれて山頂の一部がへこんだ。 (7)中島西津山渡瀬の北方の淵:さんぶたろうが那岐山と八頭寺山をひとまたぎした時、金玉がこすれてできたといわれ、現在は河川改修のためなくなった。奈義町中島西地区。 (8)きんたま池:現在は約十坪ほどの小池であるが、湧水があるため、早魅時にも決してかれることがないといい伝えられている。さんぶたろうの金玉を押しつけた跡が池になったといわれる。この池より南方にわたり、かつては窪地となり、沼澤乃至湿地帯であったようである。奈義町滝本地区八軒屋。 ( 9)津山市瓜生原:さんぶたろうの金玉によってできたといい、山の斜面に禿地があり「きんすり」という。 (10)小鞠山:さんぶたろうが都に上る時、草履より落ちた土塊が転がってこの山になったといわれている。 (11)さんぶたろうの足跡に関するもの: イ.さんぶたろうの第1歩=滝山の四方に樹木のあまり生えぬところあり、「さんぶたろうの第1歩」であるといわれる。 ロ.さんぶたろうの第2歩目=勝央町植月地区長良池南方の巨石に足跡の形の凹みがあり、これが「さんぶたろうの第2歩目」の跡といわれる。 ハ.さんぶたろうの足跡=現在の那美池あたりにさんぶたろうの足跡と呼ばれる20間四方の足形地があったといわれている。奈義町宮内地区道林坊。 ニ.さんぶたろうの足跡=さんぶたろうの足跡といわれる八間四方の貯め池があり、夏冬とも水が涸れなかったという。奈義町柿地区逧谷。 ホ.跡田=西原の南、柿に接する谷間にあり、さんぶたろうが都に上る時の第1歩の足跡といわれ五畝ばかり足形様をしていたが、現在は整理されて原形をとどめない。奈義町西原地区。 ヘ.さんぶたろうの足跡田=勝北町安井地区(現津山市)。 ト.さんぶたろうの足形石=綾部村熊井谷の内西畑に在り、さんぶたろうの古跡といわれる。 チ.さんぶたろうの足形=昔、荒内西新地の東に窪地があり、さんぶたろうの足形と呼ばれていた。現在は水路の工事などにより原形をとどめない。 E.その他の伝承 (1)双子山:さんぶたろうが力試しに二つの山をかついだところ、もっこの緒が切れてできた山といわれる。 (2)十王堂の十王像:きわめて古い時代のものといわれ、土の中から頭を出しているのはほんの一部分に過ぎず、実際の目方・大きさははかりかねるほどといわれる。もともとさんぶたろうが背負っていたものを落としたことに気付かず、そのまま通り過ぎてしまったため、以来ここにあるという。また別の言い伝えではある人が、川の中に光るものがあるのを夢に見、それが元で発見されここに安置されたともいわれている。勝央町岡地区。 (3)疣(いぼ)池の岩:岩に空いた孔から水が湧き出て池を成しているといわれる。さんぶたろうの杖の跡といわれ、ここに精米を入れ、その水でイボを洗うとたちまちイボが落ちるといわれている。勝田町真加部地区(現美作市)。 また岩は、余野と真加部の境界、梶並の水中にあって直径1尺ほどの丸い穴(砂などで深さはわからないという)があるといい、疣池様の石を借りてきてイボをさすり、治ったら石3個をお返しするとよいといわれる。 (・・・・・途中省く・・・・・・・・・・) ( 5)さんぶたろうは、那岐山と備前の八塔山(和気郡吉永町〔現備前市〕)をひとまたぎした。 (6)さんぶたろうが那岐山をまたいだとき、ふぐり(陰のう)がふれて山頂の一部がへこんだ。 (7)中島西津山渡瀬の北方の淵:さんぶたろうが那岐山と八頭寺山をひとまたぎした時、金玉がこすれてできたといわれ、現在は河川改修のためなくなった。奈義町中島西地区。 (8)きんたま池:現在は約十坪ほどの小池であるが、湧水があるため、早魅時にも決してかれることがないといい伝えられている。さんぶたろうの金玉を押しつけた跡が池になったといわれる。この池より南方にわたり、かつては窪地となり、沼澤乃至湿地帯であったようである。奈義町滝本地区八軒屋。 (9)津山市瓜生原:さんぶたろうの金玉によってできたといい、山の斜面に禿地があり「きんすり」という。 (10)小鞠山:さんぶたろうが都に上る時、草履より落ちた土塊が転がってこの山になったといわれている。 (11)さんぶたろうの足跡に関するもの: イ.さんぶたろうの第1歩=滝山の四方に樹木のあまり生えぬところあり、「さんぶたろうの第1歩」であるといわれる。 ロ.さんぶたろうの第2歩目=勝央町植月地区長良池南方の巨石に足跡の形の凹みがあり、これが「さんぶたろうの第2歩目」の跡といわれる。 ハ.さんぶたろうの足跡=現在の那美池あたりにさんぶたろうの足跡と呼ばれる20間四方の足形地があったといわれている。奈義町宮内地区道林坊。 ニ.さんぶたろうの足跡=さんぶたろうの足跡といわれる八間四方の貯め池があり、夏冬とも水が涸れなかったという。奈義町柿地区逧谷。 ホ.跡田=西原の南、柿に接する谷間にあり、さんぶたろうが都に上る時の第1歩の足跡といわれ五畝ばかり足形様をしていたが、現在は整理されて原形をとどめない。奈義町西原地区。 ヘ.さんぶたろうの足跡田=勝北町安井地区(現津山市)。 ト.さんぶたろうの足形石=綾部村熊井谷の内西畑に在り、さんぶたろうの古跡といわれる。 チ.さんぶたろうの足形=昔、荒内西新地の東に窪地があり、さんぶたろうの足形と呼ばれていた。現在は水路の工事などにより原形をとどめない。 ・・・略・・・以上ご紹介
田舎にこんな話、、いいね、感謝
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