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豊国神社
仕事で近くに行ったのでスマホで撮りました。
問題にされた鐘
ねねの高台寺、秀吉が創建した西本願寺。高台寺と西本願寺の間をさえぎるために徳川は二つの寺の間に東本願寺を創建したという話は有名です。執念というかなんというか。そこまでやられて、なぜおね(ねね)は茶々や秀頼とともに大阪城もろとも果てなかったのか。戦国武将の女房なら大阪城とともに果てるべきということで、よくふたりが比較され、悪女のように言われている茶々に私は好感を持っています。
耳塚
京都市東山区、豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年〜1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・明国人[1]の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬った塚。
古墳状の盛り土をした上に五輪塔が建てられ周囲は石柵で囲まれている。昭和44年(1968年)4月12日、「方広寺石塁および石塔」として国の史跡に指定された。当初は「鼻塚」と呼ばれていた。しかし林羅山がその著書『豊臣秀吉譜』の中で鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降、耳塚という呼称が広まったようである。2万人分の耳と鼻が埋められている。(ウィキペディアより)
朝鮮出兵さえなければ。
とか何とかで、秀吉が見れなかった醍醐寺の紅葉を見たくなりました。 |
秋・京都
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