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こんにちは、ゲストさん
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今年は伏見稲荷御鎮座1300年です。詳しくはネットで検索してください。10月8日〜10日まで様々な催しをされます。今日早速行ってきました。
和服の女性に「写させてください」と言ったらOKの返事をいただきました。
稲荷山中腹にライトアップされる鳥居。伏見稲荷大社で催しものがあるときライトアップされます。
神輿 伏見稲荷大社には5基の神輿があります。2基紹介しましす。
南区の西九条と東九条の神輿でおます。伏見稲荷大社は伏見の氏神はんではなく南区の氏神はんでおます。
京の生け花の名門です。
右は竹灯籠をストロボを使って写しました。
下はストロボを使用しないで写しました。
千本鳥居です。 左はストロボを使用しました。 右はストロボなしです。
写させていただきました。
右の画像。狐の右の光はお月さんでおます。伏見稲荷大社と言えば狐と言われてますが、もともとは日本狼だったという説があります。農作物を食い荒らすシカやカモシカはキツネではかなわないでしょう。やはり狼。狼こそ神さん。農民にとっては農作物を守る大神―オオカミですから。
神社のいわれはいろいろありますが、1300年前、京都で強い力を持っていたのは、今も太秦(うずまさ)の地名として残る秦(はた)氏です。朝鮮半島から渡来された豪族です。神社のいわれには記されてませんが、伏見稲荷大社は京都の王であった秦氏が作ったといわれてます。天皇家というか藤原氏は秦氏と深い関係を持つ渡来人であったことから秦氏を頼って京都に遷都したのです。(天智天皇が大津京をつくったといわれているのは、大津は天智天皇とゆかりの強い朝鮮半島からの渡来人が力を持っていたからです。天智天皇の宿敵、天武天皇は三重・東海で勢力を持っていた朝鮮半島からの渡来人の方とゆかりが強かったのです。だからわざわざ三重・東海に行き、そこで力を得て天智天皇のいる大津へ攻め込み、天智天皇を洞窟に閉じ込め惨殺したのです。天智天皇は百済からの渡来人。天武天皇は新羅からの渡来人。兄弟ではありません―『万葉集』にはこんな怖い話が書かれているのです―。)
どこの国の歴史も支配者の都合で変えられていますが、日本ほど支配者の都合で歴史をねじ曲げ教える国はないのです。
また別の機会に触れますが、日本の資本主義革命(明治維新)は歴史の逆戻りである「王政復古」をスローガンにしていることから、日本のブルジョアジーは敗戦時、資本主義を維持するために国体の護持・天皇制の存続にこだわったのです。そのことから日本は戦前も敗戦後も歴史を極端に歪曲する国になっているのです。
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