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1945年9月27日は日本の今日への不幸への出発点である。
この日、マッカーサーと天皇裕仁の会談が行われた。会談というより取引と言った方が正しい。
裕仁は自らの命乞いと天皇制の存続を、そして日本をアメリカの忠実な従属国・奴隷国家にすることを誓った。
1941年12月8日から半年後、アメリカは1942年春には対日支配に天皇を使うという方針を持っていた。戦時中、アメリカは戦争の責任は軍部にあって天皇にはないというチラシを日本全国にばらまいていた。1945年8月15日の天皇のポツダム宣言受諾の詔勅(玉音放送)。以後日本軍のアメリカへの組織的戦闘は一切なく9月2日のミズーリ―号でのポツダム宣言受諾・無条件降伏を受け入れる調印が行われた。また日本プロレタリアート・人民の天皇に対する組織だった戦争責任を問う行動もなかった。ムッソリーニは殺され、ヒトラーは自殺。天皇裕仁は無傷で生き永らえた。
この状況をみてマッカーサーは対日支配に天皇をつかえることに確信を深めた。
普通に考えても、軍部に責任があるのならその軍部の最高責任者・大元帥は天皇裕仁である。まして日本軍は皇軍だ。天皇の軍隊なのだ。であるなら天皇制と天皇裕仁に最大の責任があるはずだ。
敗戦から70年が経過し戦争法案が可決し、日本は再び戦争する国になった。敗戦から71年、天皇制は敗戦後ではもっとも大きな力を得た。天皇は戦前も敗戦後も一貫して国家元首だ。
問題はどこにあるのか。
プロレタリアート・人民の意志で天皇裕仁を処刑しなかったこと、プロレタリアート・人民の意志で天皇制を廃絶しなかったこと。先の戦争におけるプロレタリアート・人民の最大の誤りは天皇裕仁を処刑しなかったこと、そして天皇制を廃絶しなかったことにある。
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よもやま話
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