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八重山諸島の歴史
至誠
[ 奄美は人も自然も食物も良かった ]
2017/9/17(日) 午前 8:50
琉球糖の製造が始まったのは鹿児島藩が行った琉球征伐後、約20年を過ぎた頃の元和九年(1623)、儀間親方真常に始まるとされていて、琉球が鹿児島藩に納めていた琉球糖は鹿児島藩から借用していた銀九千貫の元金と利息の返済に苦しんだあげく、借金償還策として始められたものです。
鹿児島藩が黒糖生産地として藩営農場地としていたのは琉球ではありませんし、収益の対象としていたのは琉球糖でもありません。
奄美諸島の黒糖からの収益です。奄美諸島に黒糖製造法が伝来したのは元禄八年(1695)頃と言われ、享保十九年(1734)頃から黒糖生産も軌道に乗ったそうです。
正徳三年(1713)に奄美産黒糖の大坂出荷が始まり、享保年間から大坂蔵屋敷入札販売制が開始、
延享二年(1745)には換糖上納令が公布されました。換糖上納と言うのは、年貢米の代わりに黒糖を納める事です。
宮古島島民遭難事件(みやこじまとうみんそうなんじけん)は、日清修好条規の結ばれた1871年(明治4年)、琉球王国の首里王府に年貢を納めて帰途についた宮古、八重山の船4隻のうち、宮古船の1隻が台湾近海で
日記
[ 闇に光を ]
2016/11/9(水) 午前 5:44
八重山諸島の歴史
至誠
[ 世の中の傘 ]
2016/7/24(日) 午前 5:51
八重山諸島におけるマラリアの起源については、1530(亨禄3)年頃に西表島西部仲良川の「ハナリミジュ」にオランダ船が漂着したのが始まりであるという古くからの言い伝えがある。
1936(昭和11)年に西表島防遏班が発行した『西表島概況』によると、
「オランダ船」本島近き「パナリミジュウ」今の内離島と外離島との間、即ち仲良港の入口に漂流した。
役人首里大屋子慶来城用尊氏は、「オランダ船」に行きし漂着の理由を知り、野菜や肴、薪木等を送り、更に又牛六頭、白米三石を与へたるに「オランダ人」も其の厚意に感謝し其の欲する処を尋ねしに慶田城氏は「オランダ船」に飼養せる牝、牡、二匹の犬を所望せり、依て「オランダ人」は喜びて之を与へたり。
用尊氏等之を持ち帰り飼ひたり。之が八重山に於ける犬の始まりなりと伝う。
而して此の「オランダ船」渡来後漸次「マラリア」発生し天命六年(1787年)頃より猛威をふるうい多くの人命を奪ひ次第に人口減じ遂に廃村等も続出した。
交通不便の土地が始めて外来船と交通し其の当時保有者の乗込み居りて夫れより感染せしものならんと推測せらる。
[ 屁糞葛やムクゲは防除すべき ]
2016/7/17(日) 午後 0:02
宮古島島民遭難事件(みやこじまとうみんそうなんじけん)は、日清修好条規の結ばれた1871年(明治4年)、琉球王国の首里王府に年貢を納めて帰途についた宮古、八重山の船4隻のうち、宮古船の1隻が台湾近海で
日記
[ 屁糞葛やムクゲは防除すべき ]
2016/7/17(日) 午後 0:01
石垣島の風景と歴史など
日記
[ 屁糞葛やムクゲは防除すべき ]
2016/7/17(日) 午後 0:00
八重山諸島の歴史
至誠
[ 屁糞葛やムクゲは防除すべき ]
2016/7/17(日) 午前 11:55
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