「南京大虐殺」は捏造だった - BIGLOBEwww2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm - キャッシュ
中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられており、中国の子どもたちは、反日感情を植え付けられるために毎年そこへ行かされています。 ... 安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、武器を隠し持ち市街戦を準備する者、また安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、 .... 彼らは、日本軍による南京占領後に南京で起きた犯罪事件をまとめ、被害届として日本軍に提出しました。 ..... これが、のちに大きく膨らんで、「南京大虐殺」というウソへと発展していきました。 www.amazon.co.jp/南京大虐殺否定論13のウソ-南京事... - キャッシュ
内容(「BOOK」データベースより). 「30万人虐殺でなければ南京大虐殺ではない」「南京 の写真はニセものだらけ」「残虐行為は中国人の仕組んだ謀略だ」などの典型的な否定論をくつがえす、いまもっともわかりやすく、もっとも新しい総力批判の書。 honcierge.jp > ホンシェルジュ > 特集記事 > 本棚ストーリー - キャッシュ
【ホンシェルジュ】 盧溝橋事件を発端とした日中戦争は、日本と中国の間で熾烈な戦いになりました。そのなかで、一般的には南京大虐殺といわれることもある「南京事件」が起こります。この記事では、事件が起きた原因からその後まで分かり ... hakkou-ichiu.com/archives/11542 - キャッシュ
2018年4月8日 - 支那事変初期、南京に入城した日本軍が南京市民30万人を理由もなく無差別に殺戮したとして国際的な非難を浴びているいわゆる「南京虐殺事件」。その証拠 ... 彼女らの話がみな嘘だというのかい? 南京 ... 北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。 the-liberty.com/article.php?item_id=13891 - キャッシュ
2017年12月12日 - この日にあわせ、中国では南京事件をテーマにしたオペラの初公演や、図書イベントなども開かれる。こうした動きは、 ... 2015年10月には、中国が提出した南京大虐殺の関連文書が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録されている。 ... 嘘も100回言えば真実になる」という言葉を、実践しているのが中国だ。 www.history.gr.jp/nanking/ - キャッシュ
「南京大虐殺はウソだ!」トップページ. クリックして下さい ・南京事件(大虐殺)とは何か? ・南京事件の ... 中国のプロパガンダを分析していた“THE LOWDOWN” ・2012年5 月 ... このホームページは、南京大虐殺に関する資料を提供を行っています。引用する際 ... ja.wikipedia.org/wiki/南京事件の被害者数 - キャッシュ
南京大虐殺の被害者数では、南京事件論争のうち被害者数について解説する。 目次. 1 概説; 2 犠牲者数の諸説. 2.1 三十万人以上; 2.2 十数万人以上; 2.3 4万人上限説; 2.4 数千〜2万; 2.5 「虐殺」否定説; 2.6 戦時国際法上合法説. 3 脚注. 3.1 注釈; 3.2 出典. 4 参考文献; 5 関連項目. 概説[編集]. 南京事件は、中国の首都で発生した多くの軍人や市民のかかわった、欧米の宣教師や学者も含めた目撃者のある事件だが、 ..... 南京 事件調査研究会編 『南京大虐殺否定論13のウソ』 柏書房、1999年10月。 |
史実
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南京総攻撃
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www.y-history.net/appendix/wh1504-040.html - キャッシュ
1932年1月18日、上海の共同租界で日本人の僧侶が中国人に襲撃されて死亡する事件が起こったことを機に、日本海軍陸 ... また、ちょうど同時期の1932年2月から、 国際連盟主催のジュネーヴ軍縮会議(一般軍備制限会議)が開催され、 ... 柳条湖事件から始まった満州事変は現在もよく知られているが、日中戦争に至るもう一つの重要なポイントである上海事変は ... 行動は、中国の排日運動をますます激しくさせ、1932( 昭和7)年には上海でも日中両国軍が衝突した(第一次上海事変)。 .... 大内力『日本の歴史24 jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/07/post-ba70.html - キャッシュ
昭和12年(1937年)8月の第二次上海事変はなるべく教えないよう、報道しないようされているといわれています。日本軍の陸戦隊 ... 山川の高校用教科書を見てみると・・・ ズバリ!盧溝橋事件は ... 参考文献 小学館「日中戦争はドイツが仕組んだ」阿羅健一( 著) 朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著) 「日本は ... ja.wikipedia.org/wiki/第二次上海事変 - キャッシュ
1937-1939年 盧溝橋 - 北平 - 廊坊 - 広安門 - 平津 - 通州 - チャハル - 上海 (渡洋爆撃 - 四行倉庫) - 太原 - 南京 - 徐州 (台児荘 - 黄河決壊) - 武漢 ..... スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・M・ケネディは7月に北京郊外で発生した盧溝橋事件での衝突から上海戦にいたる経緯について、「 ... 東中野修道は、日中戦争は日本が土足で侵略したのでなく、第二次上海事変で中国が先に日本人居住の租界地を襲撃した事で全面戦争と ...
未指定: ja.wikipedia.org/wiki/日中戦争 - キャッシュ
1937-1939年 盧溝橋 - 北平 - 廊坊 - 広安門 - 平津 - 通州 - チャハル - 上海 (渡洋爆撃 - 四行倉庫) - 太原 - 南京 - 徐州 (台児荘 - 黄河決壊) - 武漢 ... 日中関係史#近代」 および「中国の歴史#中華民国」を参照. 現在の中華 ... また、満州事変から太平洋戦争下の中国戦線を含めて広義の日中戦争とし、盧溝橋事件から太平洋戦争開始までを狭義の日中戦争としている。 ... 一方、清は日露戦争後、満州族から中華民族国家へと変貌したが、自力で近代化できないまま第二次世界大戦終結まで日本に侵略をうけた。 自力で ... www.amazon.co.jp/決定版-日中戦争.../4106107880 - キャッシュ
第二章 日中戦争の発端 梅津・何応欽協定/華北分離工作/衝突事件の頻発/綏遠事件と西安事件/対中政策の再検討/盧溝橋事件とその後のエスカレーション/和平の試み/船津工作/第二次上海事変 第三章 上海戦と南京事件 日中戦争勃発前の陸海軍の構想・ ...
未指定: blog.goo.ne.jp/.../399eb251c283f20befbb23965d77d6... - キャッシュ
しかるにそれが、あたかも日本の侵略のように戦後の歴史の教科書で教えられてしまっているのですけれども、いったい誰のせいなんですか? .... ネットで詳しく調べれば分かる事なのですが、日中戦争の始まりは第二次上海事件であり、蒋介石がドイツから軍事顧問を呼び寄せて精鋭 .... 第二次上海事変はファルケンハウゼンのドイツ軍事顧問団と蒋介石の軍と日本軍との戦争であり、質量ともに中国軍が勝っており、 ... blogs.yahoo.co.jp/seih45cina/56127637.html
2018年3月25日 - これが日中戦争 第二次上海事変 歴史教科書にだまされるな! https://www.youtube. com/embed/qkPssS2FsHE,480270, 日中間の戦争の呼称をめぐって―何と呼ぶべきか - 防衛研究所(Adobe PDF) - htmlで見るwww.nids.mod.go.jp/publication/.../pdf/commentary079.pdf
2018年7月4日 - 事変」、「日中戦争」など様々な呼称が使用されてい. る。 ... こととしたが、戦線は上海にも広がり、従来の不拡. 大方針も .... いき、例えば、昭和 32 年度から中学校歴史教科書 ... 抗日戦争」と称されているが、日本による侵略と中. 国の抵抗の意味が包含されている。また、第二次世. 界大戦は、「世界反法西斯(ファシズム)戦争」と. ironna.jp/article/1072 - キャッシュ
石 第3次中曽根内閣の文部大臣だった藤尾正行さんは、歴史教科書問題で「日韓併合」は韓国にも責任があると言っただけで罷免された。「東京裁判 ... 石 日中戦争のきっかけとされるのが盧溝橋事件ですが、これによって、中国と日本はやむなく全面戦争に至り、歴史は取り返しのつかない方向に進みました。盧溝橋 ... だから、本当にシナ事変がはじまったのは8月13日の中国側の上海攻撃(第二次上海事変)からです。ただ、それも ... |
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客室設置の書籍について 弊社ホテル客室に設置している『本当の日本の歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。
ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。 本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。 したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。
『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6 二、南京三十万人大虐殺 中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。 そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。 一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。 しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。 上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。 理論 近現代史学
数々の事実を付き合わせ、あり得ることかあり得ないことか考えて、矛盾なく、理論的に説明ができる近現代史が、理論近現代史である
「南京大虐殺」が「虚構である」証拠の数々 1.まず、「『南京大虐殺なること』に関する『犠牲者名簿なるもの』は唯の一人分も無い。」(上海大学歴史学部・朱学勤教授による。平成十九年十二月二十日付産経新聞)。この一点だけ捉えても「南京大虐殺なること」が如何に荒唐無稽な作り話であるかは既に立証された様なものである。(仮に、「南京大虐殺」なることが真実であるならば、「三十万人」という数字の何割かの「犠牲者名簿」が存在しないはずがない。) 2.「南京大虐殺」の犠牲者は、「三十万人」ということになっているが、日本軍が南京を制圧した昭和十二年十二月十三日当時、南京市内には、約二十万人の民間人しかいなかったという記録があり、併せて、約一カ月後、昭和十三年一月十四日の時点では、人口が五万人以上増えて、約二十五万人〜三十万人になっていたという「南京安全区国際委員会記録」が残っている(田中正明著『南京事件の総括』二十九頁)。 3.日本軍が南京を占領する約一カ月前、昭和十二年十一月より翌年の九月迄、蒋介石率いる国民党は、ほぼ毎日の様に、欧米のマスコミ関係者を集めて、記者会見を開き、日本軍に対するイメージダウンの目的で、日本軍の不法行為等について嘘八百の発表、宣伝工作を続けていた。そして、その回数は延べ三〇〇回にも及んだという。処が、当時、国民党は「南京大虐殺」などという事を一度も言ったことが無かったという。何故か?それは、その様な事は全く起きていなかったから言わなかっただけである。仮に、当時、南京で「大虐殺」が起きていたならば、其の事を其の記者会見の場で取り上げないはずがなかったであろう。 4.「南京大虐殺記念館」等に展示されている写真は、全て合成写真または、「通州事件」等、中国人が日本人を虐殺した写真を始めとする、全く別の写真であることが、東中野修道教授(亜細亜大学)によって証明されている。もしも、南京大虐殺なる事が真実であるならば、その証拠写真が一枚も無いはずがない(東中野修道・小林進・福永慎次郎共著『南京事件「証拠写真」を検証する』草思社)。 (所謂)「南京大虐殺なること」が有ったと問答無用で決めつけたのは、「極東国際軍事裁判」、(所謂)「東京裁判」の中である。それでは同裁判の内容は一体如何なるものであったのか? 東京裁判を傍聴した冨士信夫氏は、『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社)の中で、「南京大虐殺」なることが全くの虚構であることを裁判記録として記している。 5.朝日新聞は昭和十二年十二月二十日の朝刊半頁を費やして、『甦る平和都市南京』と題する(平和この上ない、当時の南京の)写真特集を掲載している。この風景こそ虐殺否定の何よりの証拠と言えよう(『南京大虐殺の総括』三十二頁)。 6.「南京に大虐殺が有ったと言う様な記録は、中国側の第一級公式資料である何應欽上将の軍事報告の中にさえ、その片鱗も見出せない。」(『南京事件の総括』八十二頁)。 7.「当時、朝日、東日、読売、日経、など全国紙の各支局を始め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣していた。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、『東京裁判で、南京でのあの様な事件が有ったと聞いて驚いた。』」(同百十一頁)。 8.「中国国民党が、作り話を含めて、日本軍の不法行為を糾弾する為に、一九三八年七月七日、国民党の中央宣伝部が「印刷」した蒋介石の『国民に告ぐる書』のどこを探しても、そこには『南京大虐殺』の文字は見当たらない」(同二百九十六頁)。 その他、多々ある。 アパホテルの南京大虐殺論争 やっぱり大虐殺はなかったThe Liberty Web (会員登録)-2017/01/23
いわゆる「南京大虐殺」を否定する本が、アパホテルの客室に置いてあるとして、中国外務省がこのほど批判の声を上げた。 ... 系アメリカ人のアイリス・チャンや、A級戦犯の東條英機元首相らの霊言も行っており、歴史の真実を追求している。 アパホテル炎上に神対応し日本人絶賛!「アッパレ!」「支持します ...borderline.blue/アパホテル炎上に神対応し日本人絶賛!「ア... - キャッシュ
2017年1月17日 - アパホテルが南京大虐さつが捏造であるという主張を含むアパグループ社長の「本当の 日本の歴史 理論近現代史 II」が中国で炎上している件についてまさに「神対応」と言って よい対応で日本人が大絶賛している。その神対応が是非知ってお ... quasimoto2.exblog.jp/23559656/ - キャッシュ
2017年1月19日 - アパホテルみなさん、こんにちは。 いやはや、「南京大虐殺」というアルニダ歴史捏造 プロパガンダを批判検証する本を出版販売しているアパホテル... 日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、1937年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。
上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。
そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。
一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。
松岡環(まつおか たまき、1947年 - )は、南京大虐殺60ヵ年全国連絡会共同代表
2002年、松岡編纂の証言集「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて−元兵士一〇二人の証言」刊行。 南京事件の被害者宅や関係場所を訪れて、インタビューしたとする映画を制作した。 東中野修道と阿羅健一らの南京大虐殺否定派は、証言がすべて匿名や仮名であり第三者の検証ができないことや、証言の不自然なことなどを批判した。 さらに、本多勝一と小野賢二ら虐殺肯定派も、これほど間違いの多い本も珍しいなどと批判した。 市川治平(歩兵第33連隊第5中隊第1小隊長)は「私のところに聞き取りには来ませんでしたが、2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています、 」と評した。 さらに「102人の元兵士のうち59人が歩兵第33連隊所属とされていますが、虚構と断言できます。誰一人として、インタビューを受けたことを知りません。 そもそも三重県在住の参戦者は調査が行われたとされる平成12年当時、30人足らずしか存命しておらず、59人から聞けるわけがありません」と評した。 |




