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第二室戸台風の高潮により、西大阪および和歌山の海岸では大きな被害を受けました。西大阪の浸水地域は、福島区、西区、港区の大部分、西淀川区、此花区、大淀区、北区、大正区、浪速区の一部におよび、床上浸水56,000戸、床下浸水60,000戸、被災者は26万人にも及びました。このうち西淀川の神崎川、大野川、西島川に囲まれた大和田地区は特に浸水が激しく、西島川の左岸提の一部が破堤したことによるものです。
 
また、福島区、西区および北区中之島、堂島地区はジェーン台風や室戸台風の時より浸水の被害が大きく、これは地盤沈下がこの地区に波及していたことによるものです。
しかしその他の地域では被害が小さくなっており、特に大正区、此花区の大部分、西淀川区大野川以南では一部の越波、漏水等のほか高潮を防ぐことができ、これはジェーン台風後につくられた防波堤が功を奏した結果でした。


2016/01/04 に公開
大阪では風速50.6m、全市の25%が水浸し。和歌山県美浜町三尾部落は全滅。
今から43年前、風台風として猛威をふるった第二室戸台風の凄まじい模様を収録した衝撃映像。


大阪府/津波・高潮ステーション 【Tel】06-6541-7799

www.pref.osaka.lg.jp/nishiosaka/tsunami
新着情報 平成30年度 「ぼう祭のつどい」 が終了いたしました。 平成30年11月11日(日曜日)、津波・高潮ステーションにて 「ぼう祭のつどい 広げよう絆のわ」 [PDFファイル/3.61MB]※クリックするとチラシをご覧いただけます。
  • 利用案内

    【開館時間】 10時から16時まで 【休館日】 火曜日(祝・休日の場合は翌 …
  • 来館予約について

    ファックスの場合 06−6541−7760 郵送の場合 郵便番号:550−0006 大阪 …
  • ダイナキューブ

    映像について 全映像(外部サイト) ダイジェスト映像(外部サイト) リニューア …
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津波・高潮ステーション

tsunami-osaka.jp
津波・高潮ステーション」は、大阪府西大阪治水事務所が所管する防潮堤や水門の津波・高潮防ぎょ施設の一元管理を行う「防災棟」と、府民の防災意識の向上を目的とした「展示棟」を併せ持つ施設です。
  • 〒550-0006大阪府大阪市西区江之子島2丁目1-64 · 06-6541-7799
www.pref.osaka.lg.jp/kasenkankyo/boujyo/kakonosaigai.html - キャッシュ
2018年9月13日 - 8月28日に南鳥島近海で発生した台風第21号は、非常に強い勢力を保ったまま9月4日12時頃徳島県南部に上陸しました。 ... 人的被害 : 死者2名、軽傷者28名 住家被害 : 家屋半壊6件、一部損壊129件、床上浸水14件、床下浸水53件 公共土木施設被害 .... 第二室戸台風の影響で、大阪府内では以下の被害が発生した。


www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/.../19610915.html - キャッシュ
この暴風や高潮による被害が大きく、雨による被害は比較的小さかった。大阪市では高潮により市の西部から中心部にかけて31平方kmが浸水したが、過去の同様な規模・ 進路であった室戸台風、ジェーン台風に比べると浸水面積は小さく、人的被害も小さかった ...



www.youtube.com/watch?v=BecKE1gkQ6Y
<b>第2室戸台風</b>(1961年18号)を現在の台風情報で再現してみた - YouTube
ニューステロップ等は適当です。
再生時間:3:38
投稿日:2017年9月15日



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www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/.../flood_1961_shosai.html - キャッシュ
この第二室戸台風は、その最盛期において中心気圧885mb、最大風速は70m/sec、 暴風半径は330kmという強大な勢力をもち、過去の台風災害の最大記録といわれる ... 第二室戸台風の高潮により、西大阪および和歌山の海岸では大きな被害を受けました。


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www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/.../flood_1961.html - キャッシュ
この台風は9年の室戸台風に近いもので大阪湾における最高潮位はOP+4.12m、最大偏差2.45mに達した。 高汐継続時間は(高汐警報基準値3.20mを越えた時間)1時間40 分で大阪市内の浸水面積は31平方kmであった。 室戸、ジェーン台風による高汐被害と ...



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www.pref.nara.jp/secure/118509/naranosaigaisi8 3-3.pdf
出て、午後1時に神戸・大阪に. 再上陸しました。台風が近畿地. 方に接近し通過する午前11時. から午後2時までの間に観測さ ... 台風の進路. 台風の進路と県内降水量分布図. (『奈良県に大被害を与えた主要台風の解説』より). 133. 第2室戸台風(台風第18 ...



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dil.bosai.go.jp/workshop/.../s09osaka/osakatakasio.htm - キャッシュ
太平洋南岸の湾奥にある大都市ゼロメートル地帯で高潮の危険が最も大きい −1934 年室戸台風・1950年ジェーン台風・1961年第二室戸台風による大阪の高潮. 高潮災害の人的被害 1961年の台風18号は「超大型」で「猛烈な」という勢力で室戸岬に上陸 ...



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matome.naver.jp/odai/2138216361768243301 - キャッシュ
第2室戸台風?伊勢湾台風?最大風速など各ジャンル毎の歴代最強台風をまとめました。 更新日: 2013年10月21日 ... 昭和36年台風第18号、国際名:ナンシー〔Nancy〕) は、1961年(昭和36年)9月16日、室戸岬に上陸し、大阪湾岸に大きな被害を出した台風 ...


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typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/138/ - キャッシュ
この台風の規模は室戸、枕崎台風に次ぎ、伊勢湾台風とほぼ同じくらいであったが、人的被害は全国で200人と先の3台風に比べると非常 ... 1961年(昭和36年)9月16日9時過ぎ、後に「第二室戸台風」と命名される台風18号が高知県室戸岬の西方に上陸した。



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第2室戸台風


第2室戸台風(台風第18号、Nancy、ナンシー) 発生期間 寿命 最低気圧 最大風速
(日気象庁解析) 最大風速
米海軍解析) 被害総額 死傷者数 被害地域
カテゴリー5の スーパー・タイフーンSSHWS
第2室戸台風(9月14日)
第2室戸台風(9月14日)
1961年9月8日 9:00
9月18日 3:00
9日18時間
888 hPa
75 m/s
185 kt
死者194名、行方不明者8名、負傷者4,972名
日本の旗 日本
グアムの旗 グアム
プロジェクト : 気象と気候災害
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第2室戸台風(昭和36年台風第18号、国際名:ナンシー/Nancy)は、1961年(昭和36年)9月16日室戸岬に上陸し、大阪湾岸に大きな被害を出した台風である。1934年に関西に大きな被害を出した室戸台風とよく似た経路を取ったため、気象庁によりこの名称が与えられた。

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大阪市港区 大阪港中央突堤

被害状況

  • 死者: 194 名
  • 行方不明者: 8 名
  • 負傷者: 4,972 名
  • 住家全壊: 15,238 棟
  • 住家半壊: 46,663 棟
  • 床上浸水: 123,103 棟
  • 床下浸水: 261,017 棟
台風第18号は、発生位置や日本海北上後の経路は異なるが、日本上陸前後の経路は1934年9月21日に来襲した室戸台風と酷似し、「第2室戸台風」の固有名が付けられた。

上陸時の気圧の観測値(室戸岬測候所)は、室戸台風が911.6hPaに対し第2室戸台風は930.4hPaであったが、風速は室戸台風を大きく上回り、暴風域の大きさは伊勢湾台風に匹敵するレベルで、台風に関する定義や統計が統一された1951年以降に上陸した台風の中では、最強と言える勢力であった。

室戸岬における最大風速・最大瞬間風速は日本の気象官署における観測値としては新記録となった[7]近畿地方再上陸後も勢力は衰えず、洲本大阪京都などでは観測開始以来の最低気圧を観測し、暴風・高潮被害が発生した。特に高潮はOP(大阪湾工事基準面)上4.12mに達したが、これは室戸台風による4.50mに次ぐ、大阪では第2位の記録である。これにより西淀川・港・此花・福島・北・西・大正・西成・城東・都島の各区が浸水、その面積は全市の4分の1の31haに及んだ。これは、第2次世界大戦後の急激な工業化に伴う地下水のくみ上げによる地盤沈下も大きく影響している。

台風の勢力があまり衰えないまま日本海に抜けたため、沿岸部では大きな風害が起きたほか、京都府内の木津川を通る送電線鉄塔10数基が吹き倒された。
しかし、この2年前に来襲した伊勢湾台風の教訓を生かして災害対策が進められ、台風の勢力や規模、家屋被害の割には犠牲者を少なく抑えることに成功した。中でも、高潮による犠牲者がなかったことは特筆に値する[8]


外部リンク

第二室戸台風
昭和36年(1961年) 9月15日〜9月17日
暴風と高潮による被害、
 室戸岬で最大瞬間風速84.5m/s以上。
死者194名、行方不明者8名、負傷者4,972名
住家全壊15,238棟、半壊46,663棟
床上浸水123,103棟、床下浸水261,017棟など
(消防白書より)
概要
 9月8日にエニウェック島の南海上で発生した台風第18号は、西北西に進んで発達し、12日から13日にかけて中心気圧が900hPa未満の猛烈な強さの台風となった。進路を次第に北寄りに変え、14日には沖縄の東海上を通過、15日朝奄美大島を通過した。 その後北東に進み、16日09時すぎ室戸岬の西方に上陸した。 13時過ぎには兵庫県尼崎市と西宮市の間に再上陸、18時に能登半島東部に達し日本海に出た。日本海沿岸を北北東に進み、北海道西岸をかすめてサハリン付近からオホーツク海に進んだ。
 室戸岬(高知県室戸市)では最大風速66.7m/s(最大瞬間風速84.5m/s以上)、大阪で33.3m/s(同50.6m/s)、和歌山で35.0m/s(同56.7m/s)、新潟で30.7m/s(同44.5m/s)など、各地で暴風となった。
 この暴風や高潮による被害が大きく、雨による被害は比較的小さかった。大阪市では高潮により市の西部から中心部にかけて31平方kmが浸水したが、過去の同様な規模・進路であった室戸台風、ジェーン台風に比べると浸水面積は小さく、人的被害も小さかった。 また、兵庫県、和歌山県、四国東部でも高潮による浸水被害があった。台風の通過した近畿地方と吹き返しの強い風の吹いた北陸地方で暴風による家屋の倒壊等の被害が特に大きかった。
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1961/19610915/image/t196118.gif http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1961/19610915/image/pa_19610916_15_01.gif
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1961/19610915/image/wx1_19610917_15_01.gif
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1961/19610915/image/wx2_19610917_15_01.gif

転載元転載元: 地震・雷・火事・津波・高潮・親爺・事故





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日向灘地震被害地震年表

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日向灘付近を震央とする地震のうち、死者が報告されている被害地震、M7.0以上の地震、および最大震度5(5弱)以上の地震を示す。
  • 出典:特に注記がないものは、1922年以前は日本地震学会[11]、1923年以降は気象庁[12]による。注記しているが、震源要素の一部は宇津[13]、被害については日本地震学会、地震調査委員会(2004年)も参考とした。
  • 地震発生年月日の欄の月日は全てグレゴリオ暦(新暦)。
地震発生年月日 震央地名 座標 深さ
(km) 規模
(M) 最大
震度 概要
1498年(明応7年)7月9日豊後水道北緯33度00分 東経132度15分 / 北緯33.0度 東経132.25度 / 33.0; 132.25 (1498 豊後水道)7.0 - 7.5山崩れ、地割れ、泥噴出などがあり、民家の被害が多数、死者も多数出た。同日の畿内の地震や、上海における津波記録から、南海地震との説もある[14][13]日向灘地震 (1498年)も参照。
1662年(寛文2年)10月31日日向灘北緯31度42分 東経132度00分 / 北緯31.7度 東経132.0度 / 31.7; 132.0 (1662 日向灘)7.6日向大隅で死傷者多数。城や家屋の破損、山崩れが発生した。津波があり、沿岸7か村の田畑計8,500石が水没するなどした。(羽鳥、1985年)によれば津波の高さは宮崎で4 - 5mと推定され、日向灘では最大級のものであったとされる。外所地震(とんところじしん)とも呼ばれる[15]
1769年(明和6年)8月29日(豊後水道)北緯33度00分 東経132度06分 / 北緯33度 東経132.1度 / 33; 132.1 (1769 (豊後水道))7.8前後(異説あり)日向・豊後肥後で被害があった。延岡城大分城での被害、寺社や町屋の損壊などが報告されている。田の水没や水難による死者が出た。被害をもとに、宮崎で震度6程度、津波が最大2 - 2.5m、地震の規模はM7.8前後などと推定されている。しかし、(松浦 ほか、2003年)などは2日後の水害による被害と混同されている恐れから規模の小さいプレート内地震であった可能性を指摘しており、(地震調査委員会、2004年)はこれを根拠に日向灘地震とはみなしていない[15]
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯31度54分 東経132度00分 / 北緯31.9度 東経132.0度 / 31.9; 132.0 (1899 日向灘)浅い[13]7.1宮崎県・大分県で、家屋の破損や土蔵の倒壊などの被害があった。
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯32度42分 東経132度18分 / 北緯32.7度 東経132.3度 / 32.7; 132.3 (1899 日向灘)浅い[13]6.9同上
1909年(明治42年)11月10日(宮崎県西部)北緯32度18分 東経131度06分 / 北緯32.3度 東経131.1度 / 32.3; 131.1 (1909 (宮崎県西部))約1507.6プレート内で起こるやや深発地震であり、日向灘地震ではない。大分県・宮崎県・熊本県鹿児島県・高知県・広島県岡山県で被害があり、宮崎市付近で被害が大きかった。
1923年(昭和4年)7月13日(九州地方南東沖)北緯30度54分 東経132度00分 / 北緯30.9度 東経132.0度 / 30.9; 132.0 (1923 (九州地方南東沖))447.14宮崎市、鹿児島市で震度4を観測。震央は地震調査委員会の評価領域の南端付近。震央を種子島付近(南西諸島近海地震の領域)とする文献もある。死者・負傷者なし[13]
1929年(昭和4年)5月22日日向灘北緯31度45分 東経131度53分 / 北緯31.75度 東経131.89度 / 31.75; 131.89 (1929 日向灘)596.95宮崎市、人吉市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない[13]
1931年(昭和6年)11月2日日向灘北緯31度47分 東経132度00分 / 北緯31.79度 東経132.00度 / 31.79; 132.00 (1931 日向灘)287.15宮崎市、都城市などで震度5を観測。死者1名、負傷者29名[13]。宮崎県・鹿児島県で家屋全壊がそれぞれ4棟・1棟、室戸岬で85cmの津波[11]
1939年(昭和13年)3月20日日向灘北緯32度05分 東経131度45分 / 北緯32.08度 東経131.75度 / 32.08; 131.75 (1939 日向灘)576.54宮崎市、熊本市などで震度4を観測。津波があった。死者1名、負傷者1名[13]
1941年(昭和16年)11月19日日向灘北緯32度07分 東経132度08分 / 北緯32.12度 東経132.13度 / 32.12; 132.13 (1941 日向灘)337.25宮崎市、延岡市などで震度5を観測。死者2名、負傷者18名[13]。家屋全壊は27棟で、大分県・宮崎県・熊本県で被害があり、九州・四国で最大波高1mの津波があった[11]
1961年(昭和36年)2月27日日向灘北緯31度39分 東経131度53分 / 北緯31.65度 東経131.89度 / 31.65; 131.89 (1961 日向灘)377.05宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。死者2名、負傷者7名[13]。家屋全壊3棟、九州から中部にかけて最大50cmの津波[11]
1968年(昭和43年)4月1日日向灘北緯32度17分 東経132度32分 / 北緯32.28度 東経132.53度 / 32.28; 132.53 (1968 日向灘)307.55延岡市、宿毛市で震度5を観測。死者1名、負傷者15名(53名とする資料もある)[13]。住家全壊1棟、半壊2棟、道路損壊18件などで、高知県・愛媛県で被害が多かった[11]。四国で到達高3m以上の津波を観測し、床上浸水56棟、船舶の被害も発生した[16]
1970年(昭和45年)7月26日日向灘北緯32度04分 東経132度02分 / 北緯32.07度 東経132.03度 / 32.07; 132.03 (1970 日向灘)106.75宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない。負傷者13名[13]。山崩れ・がけ崩れ4件[11]
1984年(昭和59年)8月7日日向灘北緯32度23分 東経132度10分 / 北緯32.38度 東経132.16度 / 32.38; 132.16 (1984 日向灘)337.14宮崎市、大分市、熊本市、宇和島市などで震度4を観測。津波があった。負傷者9名[13]。建物の一部損壊319件、津波が発生し、最大で18cm(延岡市)を観測した[11]
1987年(昭和62年)3月18日日向灘北緯31度58分 東経132度04分 / 北緯31.97度 東経132.06度 / 31.97; 132.06 (1987 日向灘)486.65宮崎市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない。死者1名、負傷者6名[13]。建物や道路の被害も報告されている[11]
1996年(平成8年)10月19日日向灘北緯31度48分 東経132度01分 / 北緯31.80度 東経132.01度 / 31.80; 132.01 (1996-10 日向灘)346.95弱宮崎市、鹿屋市で震度5弱を観測。津波があったが被害記録はない。死者・負傷者なし[13]
1996年(平成8年)12月3日日向灘北緯31度46分 東経131度41分 / 北緯31.77度 東経131.68度 / 31.77; 131.68 (1996-12 日向灘)386.75弱宮崎市で震度5弱を観測。津波があったが被害記録はない。死者・負傷者なし[13]
なお、宮崎県や大分県などの沿岸では、日向灘地震だけではなく、南海地震をはじめとした近傍の海溝型地震に伴う地震動や津波によっても、過去幾度も被害が発生している。1854年安政南海地震 (M8.4)や1946年昭和南海地震 (M7.9)では九州でも津波の被害が生じており、1901年奄美大島近海地震 (M7.5)では宮崎県細島で20cm強の潮位変動を観測している[11][17]


日向灘地震

   
赤線南海トラフ。日向灘地震の震源域はその西端部分から西側の海域一帯である。
日向灘地震の位置(九州内)
1662年
1662年
1968年
1968年
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
17世紀以降に発生したM7.6前後の日向灘地震の震央をRed pog.svg、1923年以降に発生したM7.0-7.2の日向灘地震の震央をBlue pog.svgで示した。

  日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、南海トラフの西端に位置する日向灘で起こる海溝型地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。


概要

宮崎県および大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、過去より繰り返し大地震が発生する事が知られている。日本政府の地震調査研究推進本部 地震調査委員会の報告(2004年)によると、日向灘地震は規模により2つに分けられ、マグニチュード (M) 7.6前後のものと、M7.0 - 7.2程度のものがある。いずれも陸側のプレート(ユーラシアプレート[1])とフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震(海溝型地震)で、震源域は具体的に特定できないものの深さは10 - 40km付近[2]

九州東岸の宮崎県串間市付近から大分県佐伯市付近までは海岸線が北北東-南南西方向に伸び、その南東側の沖には南海トラフの海溝軸[3]がほぼ平行に伸びている。地震調査委員会の報告に用いられた評価領域は、先述の海岸線を北東に愛媛県宇和島市付近まで延長した線の付近を陸側の外縁とし、そこから海溝軸までの間の幅およそ100 - 150kmを領域としている。海溝軸に近い幅50km程度は領域から除かれている[4]

今後日向灘地震が発生した場合、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には津波による被害も生じることが予想されている。特に、九州では宮崎県や大分県、四国では愛媛県や高知県太平洋側などで津波の被害が予想されている。

発生間隔

M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降は1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回発生しており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している[5]

2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない[6]。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。
例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがあり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている[7]

地震の発生確率

日向灘   プレート間地震 7.6前後 10%程度 7.6前後 10%程度(ひとまわり小さいもの) プレート間地震 7.1前後 70 - 80% 7.1前後 70 - 80%
発生確率等の評価(地震調査委員会)
領域様式2004年2月27日時点[8]2013年1月1日時点[9]
規模 (M)30年以内の発生確率規模 (M)30年以内の発生確率
日向灘の既知の大地震は震源域が毎回同一ではないため、発生確率評価においては評価領域内のどこかの領域でランダムに発生するとみなして算出された[10]

東北地方太平洋沖地震後の連動型地震への関心の高まりなどを受けて、日向灘地震を含めた南海トラフにおける地震の評価見直しが行われており、2013年春に公表される予定と発表されている[9]

被害地震年表

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日向灘付近を震央とする地震のうち、死者が報告されている被害地震、M7.0以上の地震、および最大震度5(5弱)以上の地震を示す。
  • 出典:特に注記がないものは、1922年以前は日本地震学会[11]、1923年以降は気象庁[12]による。注記しているが、震源要素の一部は宇津[13]、被害については日本地震学会、地震調査委員会(2004年)も参考とした。
  • 地震発生年月日の欄の月日は全てグレゴリオ暦(新暦)。
地震発生年月日 震央地名 座標 深さ
(km) 規模
(M) 最大
震度 概要
1498年(明応7年)7月9日豊後水道北緯33度00分 東経132度15分 / 北緯33.0度 東経132.25度 / 33.0; 132.25 (1498 豊後水道)7.0 - 7.5山崩れ、地割れ、泥噴出などがあり、民家の被害が多数、死者も多数出た。同日の畿内の地震や、上海における津波記録から、南海地震との説もある[14][13]日向灘地震 (1498年)も参照。
1662年(寛文2年)10月31日日向灘北緯31度42分 東経132度00分 / 北緯31.7度 東経132.0度 / 31.7; 132.0 (1662 日向灘)7.6日向大隅で死傷者多数。城や家屋の破損、山崩れが発生した。津波があり、沿岸7か村の田畑計8,500石が水没するなどした。(羽鳥、1985年)によれば津波の高さは宮崎で4 - 5mと推定され、日向灘では最大級のものであったとされる。外所地震(とんところじしん)とも呼ばれる[15]
1769年(明和6年)8月29日(豊後水道)北緯33度00分 東経132度06分 / 北緯33度 東経132.1度 / 33; 132.1 (1769 (豊後水道))7.8前後(異説あり)日向・豊後肥後で被害があった。延岡城大分城での被害、寺社や町屋の損壊などが報告されている。田の水没や水難による死者が出た。被害をもとに、宮崎で震度6程度、津波が最大2 - 2.5m、地震の規模はM7.8前後などと推定されている。しかし、(松浦 ほか、2003年)などは2日後の水害による被害と混同されている恐れから規模の小さいプレート内地震であった可能性を指摘しており、(地震調査委員会、2004年)はこれを根拠に日向灘地震とはみなしていない[15]
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯31度54分 東経132度00分 / 北緯31.9度 東経132.0度 / 31.9; 132.0 (1899 日向灘)浅い[13]7.1宮崎県・大分県で、家屋の破損や土蔵の倒壊などの被害があった。
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯32度42分 東経132度18分 / 北緯32.7度 東経132.3度 / 32.7; 132.3 (1899 日向灘)浅い[13]6.9同上
1909年(明治42年)11月10日(宮崎県西部)北緯32度18分 東経131度06分 / 北緯32.3度 東経131.1度 / 32.3; 131.1 (1909 (宮崎県西部))約1507.6プレート内で起こるやや深発地震であり、日向灘地震ではない。大分県・宮崎県・熊本県鹿児島県・高知県・広島県岡山県で被害があり、宮崎市付近で被害が大きかった。
1923年(昭和4年)7月13日(九州地方南東沖)北緯30度54分 東経132度00分 / 北緯30.9度 東経132.0度 / 30.9; 132.0 (1923 (九州地方南東沖))447.14宮崎市、鹿児島市で震度4を観測。震央は地震調査委員会の評価領域の南端付近。震央を種子島付近(南西諸島近海地震の領域)とする文献もある。死者・負傷者なし[13]
1929年(昭和4年)5月22日日向灘北緯31度45分 東経131度53分 / 北緯31.75度 東経131.89度 / 31.75; 131.89 (1929 日向灘)596.95宮崎市、人吉市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない[13]
1931年(昭和6年)11月2日日向灘北緯31度47分 東経132度00分 / 北緯31.79度 東経132.00度 / 31.79; 132.00 (1931 日向灘)287.15宮崎市、都城市などで震度5を観測。死者1名、負傷者29名[13]。宮崎県・鹿児島県で家屋全壊がそれぞれ4棟・1棟、室戸岬で85cmの津波[11]
1939年(昭和13年)3月20日日向灘北緯32度05分 東経131度45分 / 北緯32.08度 東経131.75度 / 32.08; 131.75 (1939 日向灘)576.54宮崎市、熊本市などで震度4を観測。津波があった。死者1名、負傷者1名[13]
1941年(昭和16年)11月19日日向灘北緯32度07分 東経132度08分 / 北緯32.12度 東経132.13度 / 32.12; 132.13 (1941 日向灘)337.25宮崎市、延岡市などで震度5を観測。死者2名、負傷者18名[13]。家屋全壊は27棟で、大分県・宮崎県・熊本県で被害があり、九州・四国で最大波高1mの津波があった[11]
1961年(昭和36年)2月27日日向灘北緯31度39分 東経131度53分 / 北緯31.65度 東経131.89度 / 31.65; 131.89 (1961 日向灘)377.05宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。死者2名、負傷者7名[13]。家屋全壊3棟、九州から中部にかけて最大50cmの津波[11]
1968年(昭和43年)4月1日日向灘北緯32度17分 東経132度32分 / 北緯32.28度 東経132.53度 / 32.28; 132.53 (1968 日向灘)307.55延岡市、宿毛市で震度5を観測。死者1名、負傷者15名(53名とする資料もある)[13]。住家全壊1棟、半壊2棟、道路損壊18件などで、高知県・愛媛県で被害が多かった[11]。四国で到達高3m以上の津波を観測し、床上浸水56棟、船舶の被害も発生した[16]
1970年(昭和45年)7月26日日向灘北緯32度04分 東経132度02分 / 北緯32.07度 東経132.03度 / 32.07; 132.03 (1970 日向灘)106.7



3-4 日 向 層 群
分布・岩質
 日向層群は,延岡衝上断層の南東側(下盤)に位置し,延岡市,日向市から南西方へ,南郷村,西米良村,小林市まで広く分布し,野尻屈曲の影響で南北から北北東走向となって都城市南東方まで達する.日向層群は,宮崎県の四万十帯では最も幅広く分布する地層である. 日向層群と日南層群の境界断層の位置については,いくつかの考えが示されているが(坂井ほか,1987;木村ほか,1991;地質調査所,1992;斉藤ほか,1994など),ここでは,地層の分布状況から判断して,北郷町田代から,南東方へ,小松山付近,串間市大平にかけて分布する,赤・緑色珪質泥岩を伴う砂岩優勢層の南限とした.この断層は,「末吉」図幅地域では,斉藤ほか(1994)の大平衝上断層や,地質調査所(1992)に示されている境界とほぼ一致しているが,それ以外の地域では,大幅に異なっている.

 日向層群は,主として砂岩,泥岩,砂岩泥岩互層,乱雑層からなり,玄武岩質火山岩類,赤・緑色珪質泥岩,礫岩を伴う. 砂岩と砂岩泥岩互層はまとまって砂岩優勢層を作っており,衝上断層で挟まれた構造的なユニットとして産出している. 乱雑層を主とする地層, 泥岩を主とする地層なども,砂岩優勢層と同じように,構造的なユニットを作っており,北西傾斜の衝上断層で繰り返し分布している.なお,今井ほか(1979)により神門層とされた地層は,それよりも南の日向層群と岩質上区別ができないため,一括して日向層群の名称を用いる(坂井・勘米良,1981;遠藤,1981;木村ほか,1991;村田,1994a,1995).

 延岡市から東郷町珍神山,西米良村烏帽子岳にかけての砂岩優勢層(今井ほか,1979;遠藤,1980;寺岡ほか,1981b;足立ほか,1987,1988;木村ほか,1991)は分布幅が広く,山稜を形成していることが多い.また,国富町の釈迦ヶ岳から須木村内山にかけてや(木野・太田,1976),田野町南方鰐塚山から,南西方にかけても,砂岩優勢層が広く分布する(木野,1958;木野・太田,1977;竹下,1982;遠藤ほか,1989;村田,1992;遠藤,1993;斉藤ほか,1994).これ以外にも,日向北西方(野沢・木野,1956)や,西米良村,須木村などの広い範囲で,砂岩優勢層が分布している.砂岩は中粒〜粗粒で厚く成層しており(第8図 42kb),比較的ソーティングがよい.この砂岩は,諸塚層群のものに比べて,石英粒子に富んだ石英長石質砂岩である(今井ほか,1979).礫岩は都城市南東方の「末吉」図幅地域内の砂岩優勢層に伴われ,こぶし大までの大きさの円摩された礫が多く,礫岩の基質は砂岩である.

 砂岩泥岩互層は,前述の砂岩優勢層に伴われるもの以外に,南郷村神門北方から牛山南方にかけてや,西米良村,須木村内にまとまって分布し,構造的なユニットを作って分布する.砂岩泥岩互層は,砂岩優勢なもの,砂岩泥岩等量互層,泥岩優勢なものなど,様々なものが存在するが,いずれもリズミカルな互層形態を持つものが多い.砂岩泥岩互層中の砂岩には,級化層理が明瞭に認められるものがある.

 泥岩は,西米良村,須木村,延岡市南西方,西郷村などで,構造的なユニットを作りながらまとまって分布する.泥岩は黒色で一部に砂質のラミナを伴う.また,泥岩は厚さ2,3cmの薄い細粒砂岩層を挟むことがあり,へき開が見られる場合でも層理面は明瞭に認められることが多い.西郷村付近のものは,少し片状になっている場合があるが,片状の程度は槙峰層に比べて弱い.また,神門の北方の泥岩には石英の細脈が層理面に平行に密集して入っていることが多く,槙峰層の泥岩とよく似た見かけを示すことがある.

 乱雑層は,砂岩とならんで日向層群内で分布範囲の広いもので,前述した延岡市から西米良村烏帽子岳まで延びる砂岩優勢層と延岡衝上断層に挟まれた範囲に広く分布する.また,乱雑層は,門川町および日向市付近,野尻町から都城市南東方にかけて幅広く分布する.乱雑層は泥質の基質中に様々な大きさの砂岩のブロックが含まれるものがほとんどで(第9図 56kb),含まれるブロックの量にも多いものから少ないものまでばらつきがある.露頭でブロックとして認定できる砂岩は,2〜3cmから数mの大きさであり,その組成は日向層群内にまとまって産出する砂岩と同じである(今井ほか,1979).乱雑層の中には,本来の砂岩泥岩互層の形態を比較的とどめているものも多く認められる.乱雑層の中には, ブロックとして玄武岩質火山岩類や赤・緑色珪質泥岩が含まれることがある.泥質のマトリックス中には石英の細脈が多く認められる部分があり,特に延岡衝上断層付近で多くの石英細脈が認められる傾向があるが,必ずしも衝上断層に近づくほど多くなるというわけではない(村田,1996).
 赤・緑色珪質泥岩は,その名が示すとおり,赤色である部分と淡緑色である部分からなっており(第10図 36kb),通常の黒色の泥岩とは,その色によって明瞭に区別され,砂岩・泥岩・乱雑層を主とする日向層群内では非常によい鍵層となる.赤・緑色珪質泥岩は,赤色部と淡緑色部とが層理面に平行に互層状に産出したり,両者の境界が層理面に斜交して産出ことがある.赤・緑色珪質泥岩は,一般的に砂岩層などの粗粒砕屑粒子を含む層を挟むことはない.日向市北西方の仁久志山付近(第22図のLoc. 1,3)では,赤・緑色珪質泥岩に砂岩が伴われるが,これは層理面に斜交して貫入した砂岩岩脈であることが確かめられた(第11図 39kb). 岩脈を作る砂岩は,石英長石質なもので,砂岩卓越層中の砂岩と基本的に同じものである. 赤・緑色珪質泥岩は,後述のように(4-9),上限も下限も衝上断層で切られた薄い衝上シートとして産出する.
           
 玄武岩質火山岩類は,延岡から烏帽子岳に延びる砂岩優勢層と,延岡衝上断層に挟まれた地域に主に分布し,西郷村日陰山付近,増谷川,北郷村宇納間北方,南郷村阿切,西米良村石堂山付近に大規模な岩体として産出する(土谷,1979;今井ほか,1979).玄武岩質火山岩類は,主に枕状溶岩からなり(第12図 77kb),衝上シートとして分布する場合や,乱雑層の中のブロックとして産出する場合がある.また,玄武岩質火山岩類は, 赤・緑色珪質泥岩を密接に伴って分布する.



上町断層

   
上町断層(うえまちだんそう)は、大阪府を南北に貫く活断層である。日本の活断層の中では地震の発生確率が(相対的に)高いグループに属している。

概要

生駒断層の分岐断層[1]であると考えられており、大阪府北部の豊中市から大阪市内の上町台地の西の端を通り、大阪府南部の岸和田市にまで続く。長さは約40キロメートルになる。断層の東側が西側に乗り上げることで、千里丘陵や上町台地を形作った。
一つの断層ではなく、大阪府北部の豊中市から吹田市までは佛念寺山断層(ぶつねんじやまだんそう)と呼ばれる。その南の大阪市内の上町断層の本体を経て、さらに南の長居断層(ながいだんそう)、大阪市を南にぬけて、和泉市岸和田市にかけての坂本断層(さかもとだんそう)、久米田池断層(くめだいけだんそう)と続く。このほかにも平行して、いくつかの派生した褶曲があり、すべてをあわせて上町断層帯とも呼ぶ。

最新活動時期

多くの調査が行われている[2][3][4]が活動間隔や活動歴に関し判っていない部分が多い。しかし、杉戸信彦ら(2015)は、堆積物の調査から断層主要部の最新活動時期は約2300年から2200年前頃と推定し、更に弥生時代中期末頃に発生したとされる河内湖沿岸の水没と離水に関与した可能性を指摘している[5]

地震活動による被害予想

標高が高い上町台地は断層の東側にあり、古くからの半島で地盤がしっかりしているため地震時の被害が少ないと言われている。
しかし、標高の低い周辺地域は近年の埋め立て地であることから地震時の液状化などが懸念されており、断層自体も吹田市の江坂大阪市の都心部・天王寺公園の真下など、都市の重要な施設や人口密集地を通っており、地震が発生すると大きな被害が予測されている。
2007年11月に発表された内閣府中央防災会議の報告ではM7.6を想定し、被害が最も大きい場合、死者4万2千人、負傷者22万人、帰宅困難者200万人、全壊棟数97万棟、避難者550万人、経済への被害74兆円と想定されている[6]。死者数においては、現在想定されている地震の中では最も高いものとなっている。ちなみに、大阪府自然災害総合防災対策検討委員会が2007年3月に発表した報告では、被害が最も大きい場合でも死者は約1万1千人とされた。




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上町断層帯
 上町(うえまち)断層帯は、大阪平野に位置する活断層帯です。
 上町断層帯は、大阪府豊中市から大阪市を経て岸和田市に至る断層帯です。全体として長さは約42kmで、ほぼ南北方向に延びており、断層帯の東側が西側に乗り上げる逆断層です。
○断層帯の過去・将来の活動  [上に戻る]
<過去の活動>
 上町断層帯の平均的な上下方向のずれの速度は、約0.4/千年であったと推定されます。最新活動時期は、約2万8千年前以後、約9千年前以前であった可能性があり、平均活動間隔は8千年程度であった可能性がある。
<将来の活動>
 上町断層帯では、断層帯全体が一つの区間として活動した場合、マグニチュード7.5程度の地震が発生すると推定されます。また、その時、断層近傍の地表面では東側が西側に対して相対的に3m程度高まる段差や撓みが生ずる可能性があります。本評価で得られた地震発生の長期確率には幅がありますが、その最大値をとると、本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになります。

 詳しい内容を知りたい方は、「上町断層帯の評価」( html版 / PDF版(6.4MB) )をご覧下さい。

○将来の地震発生の可能性  [上に戻る]
 地震の規模  : M7.5程度
 地震発生確率: 30年以内に、2%〜3%  地震発生確率値の留意点
 地震後経過率: 1.1−2より大  地震後経過率とは?
 平均活動間隔: 8000年程度
 最新活動時期: 約28000年前−9000年前

 詳しい内容を知りたい方は、「上町断層帯の評価」( html版 / PDF版(6.4MB) )をご覧下さい。




上町断層帯における重点的調査観測
文部科学省では、「新たな活断層調査について」(地震調査研究推進本部,2009)の中で、地震後経過率の最大値が1.0を超え、断層が通過する市町村の総人口が概ね50万人を超える等、地震が発生した際の社会的影響が大きいとされた上町断層帯において、大学、関係行政機関および関係する独立行政法人に委託し、平成22年度から重点的な調査観測を実施しています。

 「今後の重点的な調査観測について」(地震調査研究推進本部,2005)の中で 、、長期的な地震発生時期及び地震規模の予測精度の向上、地殻活動の現状把握の高 度化、強震動の予測精度の向上の3点を目的として、相対的に強い揺れに見舞われ る可能性が高いと判断された地域の特定の活断層で発生する地震を対象とした重点 的調査観測体制の整備を行うべきとの考えに基づき、調査観測対象候補として6つ の断層帯が挙げられています。
 また、「新たな活断層調査について」(地震調査研究推進本部,2009)の中で 、地震後経過率の最大値が1.0を超えていること、断層が通過する市町村の総人口 が概ね50万人を超える等、地震が発生した際の社会的影響が大きい断層として選 定された上町断層帯について、大学、関係行政機関および関係する独立行政法人に 委託し、重点的な調査観測を実施しています。

  ○平成22年度

  ○平成23年度



災害想定(震度分布・液状化予測・津波浸水想定)について

[2015年4月1日]

●震度分布

 大阪市域並びにその周辺には連続して存在していると考えられる上町断層系(仏念寺山断層、上町断層、長居断層、桜川撓曲及び住之江撓曲)があり、震度[上町断層系]の図は、震源を上町断層の北部として、想定しうる最大級の地震動の大きさを分布図に表したものです。なお、大阪市域の地盤や上町断層系の位置や規模など不確実なことが多く、また、上町断層系の活動の仮定が異なれば、図の想定の数値や分布と多少異なったものとなります。
 その他の震度分布については、上町断層系以外の断層等で、本市に影響を与えると考えられる生駒断層系、有馬高槻構造線、中央構造線及び南海トラフの活動による地震を想定し、大阪市域における地震動の強さを予測したものです。
 震度分布の詳細は、地図情報サイト「マップナビおおさか」 “防災情報マップ”でご確認ください。
震度分布図

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