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彼岸なので墓参りに出かけた。 大阪市西淀川区の、新淀川の堤防のすぐそばにあり、川があふれたらいつまでも水がひかない場所にある。 墓地は阪神難波線と国道43号線に挟まれていて、阪神電車と近鉄奈良線の電車が絶えず行き来して騒がしい。 堤防がかさ上げされたが国道43号も阪神難波線も元の高さのままなので、大水が出た時扉を閉めて水を防ぐようにしている。 第二室戸台風の時、堤防に上がった。 堤防より1メートルほど下の所まで濁流が流れていた。大阪の中心に流れる川の閘門を締めて全て新淀川に流れるようにした結果だ。 振り返ると民家の2階の屋根が少し下に見えた。 先日の鬼怒川の氾濫は、運が悪ければ私も襲われていたことになる。 写真の「大塚切れ洪水碑」は大正6年に現在の高槻市の大塚で200メートルにわたって淀川が決壊し、淀川右岸が水浸しになった時、此処を切って排水した記念だとか。当時の福村で地面が見えたのは35日後だったそうだ。 祖父は大正6年と、室戸台風。ジェーン台風と3回水害に会っている。 第二室戸台風の時は水浸しは免れたが、大野川という小さな川の向こう側の街が水浸しになった。 溢れた泥流が低い堤防を越えて大野川に落ちて行った。堤防に立って見ていると誰か知らないおっさんが「ジェーン台風の時はこっちががやられたから、これでお相子や」とつぶやくのが聞こえた。 墓地の向こうにラブホテルが見える。誕生から死亡まで人生は余りにも短い。たった20メートルだ。しばし無常観に浸った。
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豪雨
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川の下をトンネルでJR奈良線が潜り抜けています。その上はこのようなかなり大きな川です。木津川本流の河床が上昇したため、その支流の不動川も上昇せざるを得なかったようです。
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