高槻市たかつきし 高槻市 国 地方 都道府県団体コード法人番号 面積 総人口人口密度 隣接自治体 市の木 市の花 市制記念日 高槻市役所 市長 所在地 外部リンク 特記事項
高槻市(たかつきし)は、日本の大阪府北部の北摂三島地域に位置する市。中核市に指定されている。「水とみどりの生活文化都市」がキャッチフレーズ。本項では発足時の名称である高槻村(たかつきむら)、市制前の名称である高槻町(たかつきちょう)についても述べる。
歴史安満宮山古墳 安満宮山古墳 所在地 位置 形状 規模 埋葬施設 出土品 築造時期 史跡 地図
概要高槻市の公園墓地内にある古墳で、もともとは安満山古墳群(6世紀後半から7世紀にかけて造られたと考えられる大規模な群集墳)の中の一つの古墳だったが墓地開発の時に他の古墳は破壊されてしまった。墳形は長方形で、規模は東西18メートル、南北21メートルと推定される[1]。埋葬施設はコウヤマキ製の割竹形木棺の直葬[1]。墓地を拡張するために事前に行った発掘調査によって青龍三年の紀年鏡などの副葬品が出土している。青龍三年の紀年鏡の発見により3世紀後半の築造とされている。
現在は一帯は「青龍三年の丘」として復元整備され、一般に公開されている。
出土品文化財重要文化財(国指定)
交通安満遺跡概要遺跡は、1928年に京都大学農学部付属農場[1]建設工事の際に発見された。さらに1966年頃から、住宅開発が始まったことをきっかけに農場北側の発掘調査が行われ、集落跡が広範囲に広がっていることから、比較的大きい規模の集落がこの地に拓けていたことが判った。1928年の調査で多量の弥生時代の石器や土器が出土し、これらの出土品から弥生文化が北部九州から畿内へ流入したと初めて指摘された点で学史上著名な遺跡である。また、この地が弥生文化を知る上で重要な遺跡であることから、農場北側、東西600m、南北100mの範囲が国の史跡に指定されている。全体では東西1500m,南北600mに及び、当時の土地利用が明らかになっている遺跡である。
1966年からこれまで、50次に及ぶ発掘調査が行われている。現在は、運動場と公園となっている。
集落三島地方で初めて米作を始めた土地であり、弥生時代前期から中期まで続いた集落があったとされている。居住群のまわりに壕でめぐらせる環濠集落跡で、集落の南側に用水路を備えた水田が広がり、東側と西側は墓地になり、方形周溝墓が100基以上確認されている。
このあたりは湿地帯で、遺跡の北東に流れる桧尾川の洪水や氾濫に脅かされることも多かったため、一時期山麓の芝谷遺跡などの高地性の集落へと移った形跡があったとされている。
集落の変遷発掘調査から集落は弥生時代を通じて5段階の変遷をたどっていることが確認され、大きく3段階で構成される。
前期居住域が遺跡中央部南寄りの高台に設けられ、東西150m、南北140mの不整形な環濠で囲まれた部分が中心となる。生産域である水田は、居住域の南側の一段低くなった区域にあり、東西約400m,南北約150mの範囲に広がっている。墓域は、居住域の東方300mから500mの地域。
中期中期では、2段階の変遷がたどれる。
居住域、生産域、墓域のいずれもが前期と同じ場所で営まれるが、それぞれの規模は大きくなる。
居住域はこれまでの区域とその北側200mの区域とに分かれ、生産域も前半の区域のほかに東方に小規模な水田区が現れる。墓域は前半のものが放置され、遺跡の西部と中央北部に新たに設けられるようになる。このことは、これまで1つのグループのものであったのが、この時期に2つのグループに分化したものと考えることができる。また、後期でも2つのグループにわかれている。
後期中期に比べ規模は縮小すると同時に、大きな変化が見られるようになる。後期でも2段階の変遷を認めることができるがその間に大きな差はない。居住域は、前期以来の区域に規模を縮小しながら営まれるものと、その東方500mの地点でこれまで墓域であった地域に設けられたものがあり、北の高台にあった居住域は消滅する。生産域は、それぞれの居住区の南側の低地に設けられているが、墓域についてはまだ確認できていない。 古墳古代は摂津国嶋上郡にあたる。日本でも有数の古墳群地帯で、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。新池遺跡(今城塚古墳附(つけたり)新池埴輪製作遺跡として国の史跡に指定)は日本最古(5 - 6世紀)最大級の埴輪工場で新池遺跡ハニワ公園として保存・公開されている。 7世紀末に役小角により神峯山寺が開創され、修験霊場七高山の一角とされるほど栄えた。 「たかつき」の地名が初めて史料に出てきたのは、鎌倉時代にあたる14世紀ごろ、奈良の春日神社の荘園であった「安満庄」の耕地目録の中に、「麦下地 高月二町十歩」「野畠 高月七反半」とみえる[9]。
江戸時代に日本を欧州に初めて体系的に紹介したオランダ商館付医師エンゲルベルト・ケンペルは、1691 年 2 月 28 日、長崎から江戸に行く途中、大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み、そこに「左側のほうに、地元の君主の白い城が大変美しく際立って見えた」と記録している[10]。
明治時代には隠れキリシタンの里として発展した。
環境保全芥川上流の摂津峡(摂津耶馬渓とも呼ばれている)などは美しい自然環境を残している。高槻市内ではホタルが鑑賞でき、日本で確認されている44種類のホタルのうち、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル、オバボタル、クロマドボタル、ムネクリイロボタルの6種類が住んでいる。
摂津峡 摂津峡公園 分類 所在地 面積 開園 駐車場 公式サイト
概要北摂随一の景勝地とされ、約4kmにわたって夫婦岩、八畳岩などの奇岩、断崖、滝などが続いている。この風景を日本三大奇景の一つ耶馬渓に例えて「摂津耶馬渓」の別称があり、府指定名勝のほか関西自然に親しむ風景100選・大阪みどりの百選等に選定され保護されている。 渓谷および西岸は、高槻市が管理する風致公園「摂津峡公園」で、開設は1956年、面積は42.58ヘクタールである。
また摂津峡はサクラや紅葉の名所として広く知られる存在で、3000本のソメイヨシノが植えられている下の口の摂津峡桜公園では毎年4月上旬に「摂津峡さくらまつり」が開催される。その他、園内には47都道府県の樹木を集めた樹木教材園などがある。
散策スポット
ハイキングコース
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全体表示
[ リスト ]





